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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
中天の章
71/103

のほほん州吏、大河の辺にて龍神の力の一端を知る

 南方領の東端より、大陸を横断するように大河は流れている。河端は広く、向かいの岸にいる人の姿が芥子粒のように見えるほどである。大河に流れ込む支流のひとつに沿ってやってきたファンオウ一行は、その雄大な水流とそれが荒れ狂い、くるくると流れに乗った丸太のような枯れ木が岩に当たり砕ける光景を眼にしつつ河岸の桟橋へとたどり着いた。


 桟橋には、一艘の船が舫われている。急流にさらわれぬよう、綱で船体のあちこちを固定されている大型の船だ。だが、綱が軋みを上げ、木の葉のように揺れる船の姿に、ファンオウは表情を険しくした。

「お待ちしておりました、ファンオウ様」

 一人の女官が、呆然と船を見つめるファンオウの元へとやってくる。褐色の肌に質素な布衣、そしてヒマワリの刺繍を施された外套を羽織るその女官は、ヒマワリ大聖堂の使徒の一人であった。

「ふむ。河の様子は、どんなものかのお、オネや」

 荒れる景色から眼を離し、女官へ向けてファンオウは問いかける。オネ、と呼ばれた女官は首を横へ振る。後ろでひとつにひっつめられたオネの黒髪が、合わせてふるりと揺れた。

「芳しくはありません。空は晴天でありますのに、河面は荒れ船を出すことはおろか、何人も立ち入ることの出来ないほどです。まるで、ファンオウ様とエリック様の睦まじさのようですわ」

 活発そうな顔立ちに愛嬌のある微笑みを浮かべつつ、オネが残念な言葉を口にする。

「ふむう。例えは、よくわからぬが……やはり、異変なのじゃのお」

 オネの言葉にファンオウは空を見上げ、晴天を眼にして首を傾げる。

「殿。この周辺の、水の精霊が暴走をしているようです」

 ファンオウの背後に控えていたエリックが、荒れた大河を前にして言う。やや前かがみになって、ファンオウの耳へ口を近づけるエリックの様子に、オネの顔に不気味な笑みが浮かぶ。オネは、ランダに認められた使徒である。その趣味もやはり、ランダの薫陶を受けているのだ。

「精霊が……? それは、お主の力で、どうにか出来ぬかのお、エリック?」

「可能か不可能か、で申し上げれば、可能です、殿。しかし、精霊を鎮め、流れを正常に戻すには少し、時間がかかり過ぎます。何とか、暴走の原因を探り当てられれば良いのですが……」

「ふむ。さしものお主であっても、難しいのじゃな。一体どうして、このような有様に、なってしもうておるのか、のお。何か、良からぬことの、前兆でなければ、良いのじゃがのお」

 困り顔のファンオウが、のんびりとした口調で言う。あらかじめ大河の状況を聞き対策を用意していなければ、いらぬ時間をかけることになっていたであろう。王都への到着が遅れれば、国王への忠誠を疑われてしまう。嵐で動けぬならばまだしも、ほどよく晴れたこの空では大河の氾濫などと言っても虚言と取られてしまう可能性すらあった。

「妾の、出番というわけじゃのう」

 悠然と、童女姿の白雪がやってきた。

「ファンオウ様、そちらは……?」

 突然声をかけてきた白雪に、オネが警戒に眼を細めて問う。ファンオウは右手を挙げて、オネを制した。

「この方は、白雪殿といって、龍神の化身で、あらせられる方でのお。河川の氾濫を、鎮めてくださるよう、願っておったのじゃ」

「龍神……成程、流石は、ファンオウ様です。聖なる太陽は、龍すらも従えてしまうのですね。童女姿なのは、少し残念なところではありますが。白雪様、とおっしゃいますか。私は、ファンオウ様に仕える使徒、オネと申します」

 流麗な拱手を見せるオネに、白雪が鷹揚にうなずく。

「うむ。出迎え、ご苦労なのじゃ。そなたは、中々良い気を持っておるのう。そちらの小生意気なエルフの小僧とは、大違いじゃ」

「オネよ、畏まる必要など無い。この若作りの龍は、大言壮語が好きらしいのだ。適当に付き合ってやれば、それで良い」

 白雪の軽口に、エリックが真面目な顔でやり返す。ぴりぴりとした空気が漂い、オネの表情が少し引きつった。

「ふむ。二人とも、冗談を言い合えるほどに、仲良うなっておるようで、何よりじゃのお」

 カラカラとファンオウが笑って言えば、途端に緊張していた空気が和む。

「そうじゃ、ファンオウ。今のは冗談。そなたも、妾のことが少し、解ってきたようではないか」

「そうです、殿。この龍の申すことなど、取るに足らぬ冗談。なれば、真面目に取り合ってなどはおりませんとも」

 表面上は笑顔を向け合いながら、白雪とエリックがファンオウに悟られぬよう火花を散らす。仲の良い二人の様子にうむうむとうなずくファンオウの横で、オネが歯噛みする。

「これは……白雪様が男であれば、強力なライバルになり得たものを、うぐぐ」

 腐りきった世迷言を、エリックと白雪は聞き流す。上機嫌に笑うファンオウは、元より気づかない。しばし、微妙な空気が辺りを支配した。

「……それで、お前にこの大河の水の精霊を、大人しくさせることは出来るのか?」

 エリックの問いが、停滞した空気を破る。

「無論じゃ。妾を、なんと心得る。この大河は、妾のいわば領地じゃ。地脈の流れから、住まう精霊どもの性格のひとつひとつまで、手に取るように解るわ」

 言いながら白雪が、荒れ狂う大河に歩み寄り、無造作にその身を急流へと投げた。あまりに自然な動きであったために、ファンオウとオネは一瞬、呆けてしまっていた。

「……白雪殿!」

「白雪様!?」

 我に返った二人が、それぞれ河面に呑まれた白雪へ向けて声を上げる。その横で、エリックだけは平然と河を見つめていた。

「ふん。何とも、野蛮なことだ」

 ぽつりと呟くエリックに、ファンオウは首を傾げる。突然の出来事に慌ててはみたものの、白雪は龍の化身である。急流に呑まれた程度で、どうにかなるわけはないのだ。思い直し、エリックと並んでファンオウも河面を覗き込む。いつの間にか二人の背後に回ったオネが、息を荒げてその様子を見守っていた。

 ほどなく、河面を割って白雪が飛び出した。

「ほれ、捕まえたぞ」

 言って白雪が、右手に持ったものをファンオウの前へと出して見せる。

「ふむ? これは……魔物、かのお、白雪殿?」

 白雪の手に掴まれたものを見やり、ファンオウは首を傾げて言った。それは、黒い影のような色をした、小さなイタチのような生物だった。普通のイタチには無い鋭く大きな牙を生やしたその口は、苦しげなうめき声を上げている。咽喉に、白雪の細い指が食い込んでいる為であるらしい。

「魔物ほどの、上等なモノでは無い。こやつは、使い魔じゃ」

 白雪が、化け物の咽喉にかけた指の力を少しだけ、強めた。見るや、もがく化け物の動きが、びくんと痙攣して停止する。直後、ぽん、という気の抜ける音とともに化け物は一枚の木の札へと変わってしまった。

「おお、何とも、面妖なことじゃのお」

 細い眼をいっぱいに開いたファンオウが、感嘆の声を上げる。

「……大河の精霊を乱すほどの使い魔を、簡単に封じるか」

 ファンオウの横で、エリックが唸る。ふふん、と白雪が幼い胸をそらし、木の札をべきりと折った。白雪の手の中で、札が青白い炎に包まれ燃え上がる。

「あとは、精霊に話をつけるのみじゃな。ちと、待っておれ」

 ぽいと札の残骸を捨てた白雪が、再び河面へ飛び込んでゆく。そうして、待つこと数秒の後。荒れ狂って

いた河面が、次第に流れを緩やかにしてゆく。ぐらぐらと揺れていた船も、軋みを上げていた綱も、そうして大人しくなった。

「ま、こんなものじゃな。どうじゃ、ファンオウ?」

 ざぱりと河から上がった白雪が、水を滴らせて微笑みかける。

「実に、鮮やかな、手並みであった、のお、エリックよ?」

 にっこりと笑みを浮かべるファンオウに、エリックがうなずいて見せる。

「まことに、まるで仕組んでいたかのような、鮮やかな手並みでした。この龍を従えたのは、殿の慧眼でしたな」

 ファンオウへ向けて、エリックが言う。白雪が、つまらなそうな顔になって腕組みをした。

「ふん、仕組んでおったかどうかは、水の精霊に問えば解るであろう」

「精霊のことなれば、お前などより俺の方が詳しい。問うまでもなく、気配で解る。お前の仕組みでないことくらい、初めから解っている」

 エリックが微かに浮かべるのは、嘲笑である。

「ファンオウ様、白雪様のお陰で船が出せそうです。さあ、逞しい水夫たちが待ちかねています。いざ、船へと乗り組みましょう」

 睨み合う二人を捨て置いて、オネがファンオウの背を押した。

「そうじゃのお。エリック、白雪殿、お主らも、見つめ合うておらずに、船に乗ろう、のお?」

 ファンオウの言葉に、二人は睨み合いを解いて急ぎ足でファンオウの後を追う。

「……いずれ、そなたとはきちんと話をしてやろう。今は、ひとまずお預けじゃ」

「……いずれ、お前には身の程をきちんと弁えさせてくれよう。だが、今はその時では無いな」

 口撃を交わし合う二人が、船に乗り組んでゆく。荷などの積み込みや、供回りの乗り組みなどでしばし時間は過ぎ、やがて船の舫いが解かれてゆく。

「白雪様、領主様、どうぞ、行ってらっしゃいませ!」

 河べりで、アクタが小さな身体をいっぱいに振って見送りをする。

「アクタ、何かあれば、わしの領の、レンガ殿を、頼るのじゃぞー」

 のんびりとしたファンオウの返答は、勢いのある水夫たちの掛け声にかき消える。

「えいやー、えいやー、えーんやこーら!」

 畳まれていた船の帆が下ろされ、風を受けて大きくはためく。するすると、船が河面を滑るように進み始めた。

「おお、これが、船か。ちと揺れるが、速いものじゃのお」

 甲板に吹きつけてくる爽やかな風を胸いっぱいに吸い込み、きらきらとした河面を見つめファンオウは笑う。ぽかぽかとした陽気の中を、船は軽やかに進んでゆくのであった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。

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