のほほん領主、新たな領民を得る
ファンオウとエリックは、村人の逃散した集落を後にする。病の癒えた少女とその父親が、賊徒より奪った馬に乗り後ろに続いていた。四頭となった馬は、先頭を駆けるエリックの指示によく従い、ファンオウと同様に父娘もただ鞍に座っているだけで良かった。
「すみません、ファンオウ様。私と、娘まで連れていただいて」
馬上で揺られ、手綱を握る父親がファンオウに顔を向けて言った。
「何、構わぬ。あそこにいたら、またぞろ賊徒が、やって来るかもしれんからのお」
優しい微笑を湛えたファンオウが、のんびりと言った。賊徒、という言葉に男は少し顔を青くしたが、すっかり元気になった少女へ眼を向けると落ち着きを取り戻した。
「あの子も、あんなにはしゃいでしまって……うるさくは、ないですか?」
馬上で嬌声を上げる少女に、父親は苦笑いを向けつつ言う。少女の軽い身体が鞍の上で跳ねて、馬の方が落ちないようにと気を遣っているようにも見えた。
「子供は、元気が一番じゃ。のう、イファちゃんや」
鷹揚にうなずき、ファンオウが少女に声をかける。あどけない顔にいっぱいの笑みを浮かべて、少女はファンオウに顔を向けた。
「はい! 病を治してくださって、ありがとうございます、ファンオウ様!」
くりくりとよく動く大きな瞳を、少女はあちこちへと向ける。村から出ることも、まして馬に乗った視界も少女には初めてのことらしく、興奮気味であった。
ファンオウはその様子に細い眼をさらに弓なりに細め、うんうんとうなずいた。治療を施すうちに、ファンオウは少女とすっかり打ち解け、手すきの時には物語などを聞かせることもあった。
「どこぞに、良き土地があれば、よいのじゃがのお」
父親へと顔を戻したファンオウが、口にするのは父娘の逃散先のことである。農地を捨てて、一からやっていくのは並大抵の苦労では無い。父娘が慎ましく暮らしてゆくだけでも、余程の幸運と出会いに恵まれる必要があった。
「そのことなのですが、ファンオウ様……」
父親が、呼びかけつつも顔を下へと向ける。馬上で、ファンオウは首を傾げた。
「何か、当てでもあるのかのお?」
ゆっくりと聞いたファンオウへ、父親が顔を上げる。表情からうかがえる真面目な色に、ファンオウは自然と姿勢を正した。
「私たちを、いえ、せめて娘のイファだけでも……領主様の民として、迎え入れてはいただけないでしょうか」
「なんと……」
父親の言葉に、ファンオウは眼と口をぽかんと開いた。父親は必死の形相で、馬上で激しく頭を下げてファンオウに手を合わせる。
「お願いいたします! 厚かましい願いであるのは承知の上ですが、私にはもう、信じられるのはあなた様しかいないのです!」
叫ぶ父親に、馬を寄せたのは黙っていたエリックである。
「おい、人間。あまり馬の上で暴れるな。馬が、難儀している」
ぽん、と父親の馬のたてがみに手をやり、エリックが静かに言った。
「こ、これは失礼を致しました、従者様!」
身体を固くして謝る父親に、ふんと鼻を鳴らしてエリックが馬を離した。
「荷は、荷らしく運ばれていろ。余計な願いなど、口にするな」
冷淡なエリックの声に、父親ががくりとうなだれる。
「エリック、もう少し、優しく言えぬかのお?」
横からとりなすように、ファンオウは声を上げた。
「殿。いかな理由があったとて、この男は一度村を捨てたのです。殿の領へ行ったとて、再び苦難に遭えばまた村を捨て、やがては賊徒となるやも知れません。俺は、反対です」
言いたい事だけを言って、エリックは再び先頭へと戻ってゆく。ファンオウは苦笑を浮かべ、その背を見つめてから父親へと顔を向ける。
「すまぬのお。あやつも、馬を操るのに難儀しておって、気が立っているのじゃ。心無い言葉を聞かせたこと、どうか許してやってくれんかのお」
そう言って頭を下げるファンオウへ、父親が慌てて手を突き出して左右に振った。
「と、とんでもありません、ファンオウ様! どうぞ、頭を上げてください! 私が、厚かましくも願い出たのがいけないのです!」
顔を上げたファンオウは、穏やかな微笑をもって首を横へ振る。
「それは違うぞ、イーサンよ。お主が、わしの領へと来てくれるという気持は、嬉しい。未だ領主として、何の実績も無いわしに、ついてきてくれると言うのは、有り難い話じゃ。じゃが、わしの領は遠く、西南の彼方にあるのじゃ。長く、苦しい旅になってしまう。弱っていたお主とイファには、ちときついのではないかと、思うのじゃ」
森を抜け山を越え、峡谷を渡り領へと至る。幼い頃に通った道筋を頭の中で辿りながら、ファンオウはしみじみと言った。ファンオウの言葉を聞いた父親が、考えるように俯き、しばらくしてその顔を上げる。そこには、晴れやかな覚悟の表情があった。
「構いません。私は、旅路の露となり果てようとも、ファンオウ様についてゆきたく思います」
「私も、ファンオウ様について行きたいです! 私に命をくれたのは、ファンオウ様ですから!」
少女のきらきらとした瞳と父親の真摯な眼差しを向けられて、ファンオウは大きく眼を開き、そしてゆっくりとうなずいた。
「あいわかった。お主らの覚悟、確かに受け取った。これよりは、わしの民として、お主らを守り抜くことを、わしは誓おう」
のんびりとした声音であったが、それは宣誓であった。父娘にとっては何よりも尊い、神の言葉に等しいものだ。父娘は揃って、馬のたてがみに頭を押し付けるようにして平伏する。
「そういうことは、降りてからしろ、人間」
先頭から聞こえてくるエリックの声に、父娘は恐縮して顔を見合わせ、ファンオウは高らかに笑い声を上げたのであった。
夜になり、その日は野営することとなった。道中でエリックが集めていた枯れ木の束に火が灯され、風の魔法により温かな空間が作られる。大鹿の肉を燻製にしたものと、野草を煮詰めた簡素な食事を終えてファンオウは、夜空を眺めていた。隣には、イファの姿もあった。
「綺麗な、空じゃのお。一つ一つの星に名があるそうじゃが、わしは、どれも覚えてはおらぬのお」
「赤い星も、青い星も、いっぱいあって、綺麗ですね、ファンオウ様」
にこにこと身を寄せるイファの頭を、ファンオウは優しく撫でる。ちらりとたき火の側へ目をやると、棒切れを振るイーサンと腕組みをしてそれを見つめるエリックの姿が見えた。
「それで、イファよ。話とは、一体何じゃ? お主も快復したとはいえ、病み上がりじゃ。あまり、遅くまで起きていては、身体に障るぞ」
気遣う目を向けてみると、イファはもぞもぞと懐から何かを取り出していた。うっすらと肉のついた痩せた胸がちらりと見えて、ファンオウは慌てて視線を逸らす。
「これ、ファンオウ様にあげます」
目の前に、イファの小さな手が現れた。よく見ると、その手には小さな小瓶が握られている。
「ふむう、開けても、良いかのお?」
ファンオウの問いに、イファはうんうんとうなずく。小瓶の封をしている木の栓が、ファンオウの手により軽い音を立てて抜ける。手のひらを上に向けて、ファンオウは小瓶を逆さにする。中から出てきたのは、小さなカケラだった。
「これは……種、かのお?」
首を傾げて言うファンオウに、イファが笑顔でうなずいた。
「はい。これは、ヒマワリっていう、お花の種です。夏に、お日様のほうを向いて咲く、黄色い大きな花です。他の種は食べちゃったけど、これだけは、大事に持っていたんです」
「ふむう……ヒマワリ、のお」
しげしげと、ファンオウは手の中の種を見つめる。楕円形の種には、白黒の縞模様があった。
「ファンオウ様の領へ行ったら、その種を蒔いて、お花を咲かせて見たいんです。ファンオウ様といっしょに」
「なれば、これは、お主が持っていたほうが、良いのでは、ないのかのお?」
のんびりと言うファンオウへ、イファが首を横へ振って見せる。
「私は、ファンオウ様の領へ行く前に、死んじゃうかもしれませんから。もし、そうなったら、ファンオウ様に咲かせてほしいんです、ヒマワリのお花を」
明るく言うイファの言葉に、ファンオウは手のひらに種を乗せて、しばし呆然となった。
「うむ。それなら、しかと、受け取っておく」
そう言って、小瓶の中へと種を戻し、ファンオウはうなずいた。小瓶を懐へ仕舞ったファンオウは、イファの頭へそっと手を置いて、撫でる。
「じゃがのお、花を見るのは、お主と一緒の方がいいのお」
しみじみと言いながら、頭に添えた手をファンオウは動かす。イファはちょっとだけ顔を赤く染めて、小さくうなずいた。
「はい。私も、です……」
うっとりと、イファが目を閉じ呟いた。静かな時間が、過ぎてゆく。煌く星々と、月の光がひと時の安寧を、じっと見下ろしていた。
「そろそろ、寝るかのお」
腕の中で寝息を立て始めた少女を抱え、ファンオウは呟いた。イファと共に寝具に入り丸くなると、じんわりとした温もりが伝わってくる。目を閉じれば、ファンオウにも眠りはすぐに訪れたのであった。
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