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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
中天の章
64/103

のほほん州吏、賢良に出会いて学問の重きを知る

遅くなりました。第三章の開幕です。

 一年の、時が過ぎた。旧ブゼン領、現在は聖都ファンオウでは南方領と呼ばれるようになった地域も、すっかりと落ち着き、安寧の日々が続いていた。

 旧領主ブゼンの館の地下にあった邪神の魔法陣は解体され、地下室ごと土魔法により埋め立てられていた。その上に建っていた館も解体され、今は役所と集会所を兼ねた建物になっている。


 五年後には、南方領は王都直轄の地となり、新たな代官を迎えることとなる。図らずもブゼンの野望であった、王都へ連なる領となることが実現するのだが、民たちにそれを喜ぶ気配は無い。民を傷つけず、豊かになれるよう手を尽してくれるファンオウに、民たちは皆心酔しているのであった。


 聖都ファンオウで、新たな通貨が生まれた。女ドワーフのレンガと、褐色の民たちの働きによって生み出された玉石を用いた、玉石貨というものである。石の中から削り出され、磨かれた玉石はその大小によって価値が変わる。材質は変わらず、大きければ大きいほどに、価値は高い。至極解りやすいその貨幣を、褐色の民たちは難なく受け入れることが出来た。


 玉石貨と、王国の貨幣である銅貨、銀貨、金貨を用いて聖都ファンオウと南方領での交易が盛んになっていた。玉石貨自体は見てくれもよく、美術品として王都などに持ち込めば貨幣以上の価値も見込めるために、交換を渋る商人はいなかった。


 物流が活発になれば、経済もまた発展してゆく。王命により税を免除されているため、税収の上がらぬ土地を管理することになったファンオウにとって、これは唯一の追い風となっていた。交易で得た収入を、南方領の公共事業へと惜しみなく注いでくれるファンオウは、南方領の民たちにとっても神といえるほどの存在となっていた。


 元々ファンオウ領に住まう褐色の民たちも、ファンオウへの不平不満を抱くことは無い。自らの部族で、神と崇める存在であるからだ。密林を拓き、食い扶持以外のものを税として納める。貨幣経済の発展により、専業兵士も組織されつつある。ひとつの信仰で結ばれた、それは屈強な戦士たちであった。




 大輪のヒマワリに囲まれた、小高い丘陵の頂上にある太陽神殿。その中央にある謁見の広間で、ファンオウは一人の老人と対面していた。


「お主は、このわしの領に、足りぬものを、補ってくれる。そう、申しておるのかのお?」


 のんびり長閑に、間延びした声でファンオウが問いかける。


「いかにも、いかにも、でございまする。なるほど見れば、御領主様の領は実に素晴らしい。民たちの眼は輝き、誰もが明日を信じて今日を生きておるように見受けられまする。偏に、これは御領主様の威徳の賜物、と言ってよいでしょう。ですが、足りぬ、足りぬのです」


 うんうん、とうなずきを返し、老人が滑らかに口を動かす。ファンオウの傍らで、緑の布衣に帯剣している武官のエルフ、エリックが眉をぴんと跳ね上げた。


「何が足りぬと言うのだ。我が殿に、取り入るための詭弁を用いるつもりか?」


 剣の柄へ今にも手を掛けそうなエリックを、ファンオウは柔らかな手を挙げて制する。


「エリック、まだ、この御仁が、お話をしておる、途中じゃ。も少し、わしは聞いて、みたいのじゃがのお」


 ファンオウの言葉に、エリックがすっと身を引いた。だが、美しくも鋭いその双眸は、老人の一挙手一投足を睨み据えている。これでは、老人が委縮してしまい、話も出来ないのではないか。そう危惧するファンオウがエリックを咎めるよりも早く、老人が口を開く。


「ふぉ、ふぉ、ふぉ。元気の良い、森人様にございまするな。御領主様への燃えるような忠義の心、真に立派でございまする。ですが、御心配ありませぬ。もし、この爺めの言うことに、謝りや曲解などがございますれば、即座にこの皺首を落としていただいて構いませぬ。生い先短い命です。己の舌に、命を懸けて語ることも、また悪くはありませぬゆえ」


 鷹揚に笑い、潔いことを口にする。ふん、とエリックが不敵に笑い、ファンオウは老人へ眼を瞠る。


「お主は、命がけで、この場へ臨んでおる、というのかのお?」


「いかにも、いかにも。小生はただ、この領において足りぬものを、御領主様へ進言させていただきたく、その誠実の心のみをもって、この場に立っておりまする。小生の首が刎ねられるのであらば、それは小生の言葉が御領主様の御心に届く力を持ち合わせておらず、老いたる身でありながら未熟に過ぎる恥を晒した、ということにございまする。なれば、慈悲をおかけいただき生き長らえることは、恥の上塗り。ゆえに小生は、一身を賭して臨んでいるのでございまする」


 老人の口からは、急流の河の流れの如き言が次々と溢れ出てくる。言葉の抑揚、そして小気味よい調子を刻む一節一節に、ファンオウは聞きほれてしまう。


「小生の、小生の思いまするに、御領主様の領に足りぬもの。それ即ち、学問にございまする」


「ふむう、学問、のお?」


 指を立てて言った老人に、ファンオウは首を捻る。


「学問であれば、教会の腐った女どもがばら撒いている。お前の言うことは、的外れだ」


「ふぉ、ふぉ、ふぉ。文字の読み書きを教え、神の言葉を説く。それも、学問の一部ではございまする。ですが、それが学問の全てではございませぬ」


 心底嫌そうな顔で吐き捨てるエリックに、老人が鷹揚な笑みを皺だらけの顔に浮かべる。


「では、学問の全てとは、どのようなものなのかのお?」


 ファンオウの問いに、老人が我が意を得たりとうなずいた。


「御領主様にお答えいたしまする。学問の、学問の全てとは、即ちこの世の全て。森羅万象を解き明かす、全てにございまする」


「森羅万象、この世の全て……のお」


「殿。この者の申すは詭弁です。御耳を貸される必要などありません。人間の学問が、そこまでの高みに至ることなど有り得ません」


 エリックが、呆れたような声を上げる。人間よりも長命であり、高い知性を持つエルフにそう断じられても、老人の余裕は揺らがない。


「確かに、確かにエリック様の仰る通りにございます。人間の為す学問は、今は、今はまだその高みへはたどり着いてはいない。ですが、今は、なのです。多くの人間が、代を重ね、幾つもの考察を論じ合い、確かめ合ってゆく。それは利を生み、さらなる才を生み、領を潤わせ、人をより高くへ導くのでございます。小生は、ゆえに進言いたします。この領に学問所を、お建てなさいますように、と」


 老人の言葉に、ファンオウは腕組みをして考える。


「我が殿の領の民たちは、すでに己の職分を弁え、その分野において充分な成果を挙げている。教養も分別も備えている。お前の言う学問など、必要ではない」


「それも、今は、でございます、エリック様。畑を耕す者も、突然の不作や災害に襲われることもございましょう。狩りをする者たちも、獲物をいつまでも得られるとは限りませぬ。また、生まれき身体の弱い者も、いずれは出て来るやも知れませぬ。一つの分野に拘っていれば、その者たちが路頭に迷うことになりまする。学問を興し、賢人を招き良書を求め、民たちの生活を豊かにしてその途を多様にする。それこそ、良き領主のあるべき姿ではございませぬか?」


 老人の顔はエリックへと向けられていたが、その言葉はファンオウに注がれていた。


「良き領主の、あるべき姿、のお」


 ファンオウの脳裏に、王都で、そして通り過ぎてきた旅路で見た、貧しい民の姿が浮かび上がってくる。貧しくみすぼらしい、見る影もなかった農民の子のイファの、弾けるような笑顔も浮かぶ。

 イファには、医術を教えた。医術もまた、学問である。なれば、もっと多くの民に、学問を教え与える場所があれば。

 ファンオウの胸に、老人の言葉がすとんと落ち、納得が訪れた。


「確かに、お主の言う通りで、あるかも知れぬのお」


「殿!?」


「ふぉ、ふぉ、ふぉ。流石は、聡明な御領主様でございます。きっと、きっとご理解いただけることと、信じておりました」


「じゃが、わしの領には、学問のできる者は、それほど、多くはなくてのお。わしは、医学以外は、さっぱりじゃし、エリックは軍学、レンガ殿は……鍛冶かのお? 教会のランダは、神学に農業、他にも色々と出来そうじゃが……神官長として、神殿に篭っておることが、多いしのお。学問所を作ったとて、教師がおらねば、張り子の虎というものじゃからのお」


 むむむ、とファンオウは顔を俯かせて唸る。


「なればこそ、なればこそにございます。学問所を建て、そこで小生が教師となり、領内に眠る人材を掘り起こし、学問をこの地に根付かせてご覧に入れましょう。さすれば、御領主様がそのように、お悩みになる必要も無くなります」


「お主を、教師に、のお。お主は、学問には、明るそうじゃが、良いのかのお? わしの領は、このとおり年中蒸し暑く、決して、お主のような……者には、居心地の、良い場所では、無いのじゃが、のお」


 ファンオウは痩せた老人を見やり、言葉を濁しつつ告げた。だが老人は、ゆっくりと首を横へ振る。


「なんとも、なんとも、この老人の身を、案じて下さるのですか。勿体無いお言葉にございまする。ですが、小生はこの齢まで、王国各地を放浪し学問と見分を広めて参りました。多少の暑い寒いなどは、いかほどの痛痒もございませぬ。小生を召し抱えていただけるのであれば、この命尽きるまでこの地で学問を広めてゆくことを、お約束いたしまする」


 顔じゅうの皺を寄せて、少し不気味なくらいの笑みを見せる老人をファンオウはまじまじと見つめる。顔色に、病の気配は無い。蒸し暑い熱気の中、汗ひとつかいていないその顔は健康そのもので、老人の言葉に強がりなどは感じられない。


「なれば、早速にでも、手配をしようかのお。エリックよ、ソテツを呼んで、ランダに学問所のことを、伝えてくるよう、頼んでおいてくれるかのお?」


 すっかりとその気になっているファンオウの顔を見て、エリックの纏う空気がからりと変わる。


「はい。全て、俺にお任せください。殿の御心の、ままに」


 恭しく一礼をして、エリックがソテツを呼ぶために手を鳴らす。広間から中庭までは距離があり、壁もあるが鬼のソテツにはそれで問題無く通じるのである。


「そういえば、お主の名を、まだ聞いては、おらんかったのお」


 間もなく来るであろうソテツを待つ間、ファンオウは老人へと問いかける。


「はい。名も知らぬ小生に大事をお任せいただけるということは、有り難き幸せにございますが、今後のためには、名乗っておいたほうが良さそうでございまするな」


 どうやら老人は、ファンオウの度量を試すために敢えて名を告げなかったようである。その企みが気に食わず、エリックがふんと鼻を鳴らした。エリックから漏れ出る険悪な気配を、ファンオウはカラカラと笑って塗り替える。

 そうして、老人の口から名が告げられた時、


「小生の名は、オウギ、と申します」


 ぴくり、とエリックの全身が小さく震えた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。

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