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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
昇陽の章
62/103

のほほん領主、国王に功を認められ州吏に任ぜられる

 朝一番に、大臣たち重臣が王城へ登城し会議を行う日が、月に二度あった。それは初代国王から数えて千年間、ずっと続けられてきた儀式である。

 今の王国の実情は、宰相による政権が幅を利かせてはいるが、朝議で齎される国王自らの沙汰もまた、少なくは無い。後世において、名君と呼ばれたいという欲望は、現国王の胸の中にも密かに燻っているのである。


 朝議は、玉座の横に設えられた大銅鑼の音で始まる。袖を合わせて首を垂れる文官たちが居並ぶ様を見下ろし、国王が玉座に着いて右手をかざす。それも、長い歴史のある儀式の一つであった。


「面を、上げよ」


 銅鑼の音が尾を引く広間の中へ、国王の重い声が響いてゆく。魔法を用い、声量と重みを調節していた。でなければ、今の国王にそのような声音を出す力は無い。ふっくらと肥った頬は青白く、豪奢な布衣の裾からのぞく肌はふるふると小刻みに震えている。玉座に深く腰を下ろすその様は、やっと、といった趣さえあった。


「これより、朝議を始める。余に申し立てるべき議題を持つ者は、挙手をせよ」


 国王の言葉に、文官たちは互いに顔を巡らせ、沈黙をもって応える。国王の裁可を仰がねばならぬ議題を、持ち合わせていない訳では無い。重税に喘ぐ民衆たちの労苦を、和らげるための政策を献じる向きも、文官たちの中にはある。だが、彼らが一番に、手を挙げることは無い。

 彷徨う無数の視線はやがて、王国宰相ジュンサイへと向けられる。この国の、裏の実力者たる彼を差し置いて国王に議題を上げる命知らずは、とうの昔に淘汰されているのだ。


「陛下。臣、ジュンサイが申し上げ奉りまする」


 見た目の老いに反して張りのある声が、しんとなった広間を渡ってゆく。


「聞こう」


 国王は青白い顔に鋭い目つきで、ジュンサイの老躯を睨み付けるようにして告げる。文官たちの中から一歩前へ出たジュンサイが、国王へ向けてわずかに頭を下げた。


「此度申し上げるは、火急の件にございます。王都より南西部の辺境領を治める領主ファンオウが、隣領の領主ブゼンの治める領地へ侵攻し、これを奪取いたしました次第でございます」


 淀みのない口調で、ジュンサイが言った。その内容に、ざわりと文官たちがざわめいた。


「続けよ」


 うなずいて、国王はジュンサイを促す。


「はっ。王国内での許可なき抗争は、厳しく処罰を下すべきかと存じまする。ましてやブゼンは、王国最南西端、王族のみ通行を許される河川の一端を領することを許されたいわば辺境の重臣。領主ファンオウには、領地を召し上げ一族郎党を王都へ召還し、王都にて処断を下すのが適当である、と進言いたします」


 続いたジュンサイの言葉に、文官たちがはっと息を呑んだ。ジュンサイの言う処断とは、反逆者に用いられる磔刑のことである。あまりに苛烈な刑の立案に、文官たちは戦慄を覚えたのだ。


「それは、真の情報であるか」


 対する国王の声は、平淡であった。


「私の手の者が持ち帰った、確かな情報にございます、陛下」


 ジュンサイがそう言って、国王の眼をじっと見つめる。国王はその視線を真正面から受け止め、しばしの間を置いて口を開く。


「ジュンサイの申すこと、余の耳に入っている()()とは大きく違うな」


 国王の告げた言葉に、ジュンサイが大きく眼を見開いた。


「事実、ですと?」


 ジュンサイの声に、尖ったものが現れる。国王の言葉への返答としては、不敬であると断じられるような声音であったが、文官たちの中からはそうした声も上がらない。それは、王国内において絶大な権力を持つジュンサイであればこそ、許されるものであった。


「そうだ。余の調べによれば、ファンオウとブゼンの間で諍いがあったことは間違いは無い。だが、領内へ攻め入ったのはブゼンであり、ファンオウはこれを打ち払ったのみである。また、ブゼンは余の王国を穢す邪神と手を組み、王都へ侵攻せんと企みを抱いていたとも聞いている」


「そ、そのような……邪神、などと……一体、陛下はどのような筋から、怪しげな風聞を耳にされたのですか」


 すらすらと述べられる国王の話に、ジュンサイが信じられない、といった様子で問いかける。


「どのような? ジュンサイよ。そなたの言う、確かな筋、というものを、余が持っていないと思っていたのか? ブゼンの屋敷からは、邪神召還の魔法陣も見つかっている。すでにファンオウの手によって、これは無力化されていたがな。邪神の手先と成り果てた者を、辺境の重臣とは片腹痛い。邪神を滅したファンオウこそ、真の重臣ではないか」


 重い国王の言葉を受けて、ジュンサイが顔を俯かせる。文官たちは息を呑んで、その光景に視線を注いだ。国王が、宰相ジュンサイの意見を真向から否定し、皮肉を言うまでする。それは、今代の国王が朝議を始めて以来、かつて無いことであった。


「……なるほど。陛下の御調べでございますれば、万が一の間違いもございますまい」


 言って、ジュンサイが顔を上げる。そこには、穏やかな好々爺然とした笑みがあった。


「うむ、そうであろう。そして、ファンオウからはこう言ってきておる。此度の戦騒ぎ、当方には全く意図せぬものであり、ブゼンの死を悼むとともにやむなく得た彼の領を国王陛下の直轄領として返上する、とな。王族専用の河川の管理は、手に余るそうだ。全く、あやつらしい」


 うなずいた国王が、苦笑しつつ言う。ジュンサイから眼を外し、遠くを見つめるその瞳の奥にはのほほんと柔和な笑顔の青年が浮かんでいるようだった。


「ですが、陛下。もしも邪神が現れたという情報が事実なれば、民は困窮しておりましょう。王都及び王領には、多くの費用を必要としております。辺境の貧しい一地方へは、裂ける予算はございません」


 ジュンサイの声に、遠い眼をしていた国王が現世へと立ち戻る。


「そうか……だが、国王として余は、全ての民の安寧を望む。無論、それが辺境であっても、だ」


「なれば、陛下。ファンオウ殿にしばしの間……五年、領地を託してみてはいかがでしょう?」


 ジュンサイの新たな意見に、国王はほう、と身を乗り出した。


「詳しく申してみせよ」


「はっ。まずは旧ブゼン領を直轄とし、五年の間税を免除いたしまする。そうして、ファンオウ殿へこれを貸与なさり、領地の立て直しをさせるのです。税の上がらぬ土地であれば苦労は致しましょうが、ファンオウ殿の領地には、陛下のご愛妾の生誕祝いの際、素晴らしい贈り物を用意致しました余裕がございます。それを駆使すれば、どうということもございますまい。また、五年とはいえ二つの領を治めることになりますれば、相応の地位を贈るのがよろしいかと思われまする。さしずめ南方の地方……あのあたりは、ジョウ州と呼ばれる地域。であれば、州吏、という地位ではいかがですかな?」


 滔々と、ジュンサイの言葉が流れてゆく。黙って聞いていた国王は、顎に指をかけて唸る。


「……五年の後に、領を取り上げてしまうというのか」

「当人が、手に余ると申しているのです。なればここは、陛下の度量をお見せしてはいかがでしょう」


 嫌がっているものを、無理やりに押し付けるのだ。ならば、期限を切って時が来れば解放してやればいい。言外に込められた意図を感じ、国王はしばし黙して、静かにうなずいた。


「……よかろう。早急に、使者を立てよ。余の名において、ファンオウを州吏とし、旧ブゼン領を五年の間、貸与する。そう、申し伝えるのだ」


 文官の幾人かが、竹簡に筆を走らせる。その様子を、国王は満足げに見やる。


「陛下のご英断、実にお見事にございます。これで、私も思い残すことなく宰相の座を降りることができまする」


 その言葉に国王は驚き、ジュンサイへと眼を戻す。


「そなた、宰相の職を辞するというのか?」


 国王の問いに、ジュンサイが穏やかな笑みのままうなずいた。


「はい。どうやら私は、いつの間にか耄碌してしまっておりました。此度の情報の取り違えも、老いのためでございましょう。もはや、宰相の地位にあり続けるには衰えが過ぎてございます。今日より後任を選出し、それが決まり次第に職を辞することを、願い出るつもりにございます」


「なんと、気弱なことを。だが、そうか。余の、度量を見せねばならぬ。そういうことか」


 小声で呟き、国王は重々しくうなずいた。


「良かろう。宰相ジュンサイよ、今までの尽力、真にご苦労。すぐに後任を選び、重荷を託すが良い。そなたには、息子が二人おったな。そのどちらかに、宰相を任せても良いのではないか?」


 提案に、ジュンサイは首を横へ振る。


「お心遣い、嬉しく思います。ですが、我が子ジュンスイ、ジュンシンと共にまだまだ若輩の身でありますれば、確かな者を選び出しその補佐につけることが良き道かと」


「なんとも殊勝なことよ。そなたらしくも無いな。だが、それならば、好きにするが良い。余は、そなたの意志を尊重しよう」


「ありがたき、幸せにございまする、陛下」


 ジュンサイが一礼すれば、文官たちの中から拍手が上がる。思いもかけぬ重大な発表に、文官たちのざわめきはしばらく止まず、何度も銅鑼が鳴らされるに至ってようやく鎮まった。


「他に、議題のある者は」


 国王の言葉に、文官たちが勢いよく挙手をする。列から一歩退いた場所で、ジュンサイが笑みのままそれを見つめている。


「そろそろ、交代の時期にございますなあ……陛下」


 小さなその呟きは、誰の耳にも届かない。広間の文官たちは皆、巨頭の去る議場にて己の存在を認めさせんとばかりに火花を散らして口論を続けるのであった。




 暦は春を告げているが、聖都ファンオウは常夏であった。ゆったりとした布衣に身を包み、大広間へ額づいてファンオウは使者の言上を受け賜わる。


「汝、ファンオウを州吏とし、旧ブゼン領を五年間、国王陛下に代わって統治することを命ずる」


 使者の言葉に、ファンオウは細い眼を真ん丸に見開く。


「わしが、治める、そう申されましたかのお?」


 ファンオウの問いに、使者はしっかりとうなずく。


「さあ、印章と竹簡を受け取られよ。国王陛下直々の、ご命令である」


 困惑するファンオウへ、使者が竹簡と印章を手渡してさっさと大広間から立ち去ってゆく。しきりに汗を拭いていたところを見れば、使者にとってあまり居心地の良い場所ではないのかも知れない。ぼんやりと考えているところへ、エリックが歩み寄ってくる。


「まずはおめでとうございます、殿。これで、大義名分は得られました。殿は大手を振って、旧ブゼン領を治めることができるのです」

「じゃが、わしは……」

「ファンオウさん、会談、終わったの? 小難しい顔してるとこ悪いけど、ランダが呼んでるよ」


 ファンオウの言葉を遮り、大広間の入口からレンガがひょこひょことやってくる。


「今、殿と俺は大事な話をしているのだ、レンガ」


 ファンオウの前に回ったエリックが、レンガを遮るように手を腰に当てて仁王立ちとなる。


「そういうこと言ってると、また神殿の連中に妖しげな誤解、されちゃうよ?」


 聞いて、エリックが心底嫌そうにぐっと息を詰まらせる。その隙をついて、レンガがファンオウの手を取った。


「エリックは放っておいて、神殿へ行こうよ、ファンオウさん。そんでもって、ランダの用が終わったら診療所行って、いつものアレ……して欲しいな」

「ふむ、指圧じゃな。それは、構わぬが……着替えてゆかねば、ならぬのお。ちと、待っていて、くれぬかのお?」

「あたしは待つけれど、ランダはあんまり待ってくれないかもだよ。妄想で、ぷくーって、膨れ上がっちゃってるかも」


 レンガが息を吸い、ぷくりと頬を膨らませて見せる。その顔が何とも滑稽で、ファンオウはカラカラと笑い声を上げた。追いついてきたエリックが、レンガの顔を見て鼻で笑う。たちまちに始まる口論を、ファンオウは眼を細めて見守るのであった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。

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