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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
昇陽の章
60/103

元賊徒の頭、王都の闇と手を組み宦官への接触を図る

 屋敷を出た時から、尾行の気配はあった。夜の深更であることもあり、微かな物音もラドウの耳には届いてくる。三人。足音から、そう判断した。


 フェイが動き始めて、一日が経っていた。宦官への竹簡はほどなく完成したのだが、金子(きんす)を集めるのに少々手間取ってしまったのだ。今、ラドウの腰には軽くない小袋がぶら下げられている。中にある金貨百枚を、かき集めるのにかかった時間が、一日だ。この国の庶民には一生拝めないほどの金子の重みを感じてか、ラドウがちらと小袋に厳しい視線を向ける。盗賊などに、盗られるわけにはいかない。


 曲がり角を、素早く曲がる。細い路地を、幾つも組み合わせる。羽織っている布衣を、裏返しにして羽織り直す。裏表で色の違う布衣は、印象を変えることに役立った。腰の袋を懐へ仕舞い、目的地へ着くころには尾行の気配は消え散っていた。


 そこは、うらぶれた酒場だった。二階建ての建物で、薄い灯りが漏れる一階の酒場部分、そして灯りは無いが人の気配のある二階の宿屋部分に分かれている。たまに、か細い嬌声が聞こえてくるところから、ただの宿屋では無いのかも知れない。何気なく思いながら、ラドウは酒場へと入っていった。


「アルシェはどこだ」


 酒場のカウンターで陶器のグラスを磨く男に、一枚の銅貨を投げつつラドウは訊いた。男が、無言で顎をしゃくる。見れば、がらんと空いた客席のテーブルの一つに、一人の少女がいた。


「こっちに、おいでよお兄さん」


 甘やかな、それでいてしゃんとした芯のある何とも言えない声が、ラドウを招く。愛嬌のある目元と、小柄ながら肉感的な肢体が魅力的な少女だ。一目見てわかるのは、少女が身に着けているものが薄絹であり、そして口元を厚めの布で隠しているため、目元しか見えないのだ。それでも、声は通す素材であるようだ。しっとりとして落ち着いた声音が、ラドウに耳にはっきりと届いた。


「あんたが、アルシェか」


 少女の対面の椅子の傍らへ行き、ラドウは声をかける。


「そう言うあなたは、ラドウさんね。話は、聞いているわ」

「なら、話は早いな。あんたが、案内人か?」


 ラドウの問いかけに、少女が人差し指を立てて見せる。


「立ち話もなんだから、座りなよ」


 花の咲き綻ぶような笑顔で言って、少女が椅子を指差した。


「あいにくと、時間はそれほど無い身の上だ。あんたほどの上玉なら、今度時間のある時にでもゆっくりと、お話したいものだがな」

「ありがと。だけど、こっちのやり方に合わせてもらえるかしら? ウーハン様に、繋ぎをつけておきたいんでしょう?」


 世辞の無いラドウの言葉に、少女が笑みを浮かべたままで言った。長い睫毛の向こうから、抗い難い光がラドウを射抜く。肩をすくめ、ラドウは椅子に腰を下ろした。


「店主に、聞こえるんじゃないのか」

「平気よ。あの人も、身内だから。でも……そうね。詳しい話は、上でしたほうがいいかしら?」


 少女の細くしなやかな指が、天井を指す。


「魅力的な提案だが、ここでいいんじゃないか? そんなに、長くはかからないだろう?」


 ラドウの問いに、少女が今度は指を三本、立てて見せた。


「会いたくない人が、来るかも知れない」


 その言葉に、ぎょっとなったラドウが入口へと眼を向ける。


「あいつらは、撒いたはずだ」

「完璧に、やり過ぎたのかも知れないね。あるいは、偶然かも知れないけれど……あらぬ火の粉を持ち込まれるのは、ウーハン様も望んではいないことよ」


 少女の、アルシェの言うウーハンとは、フェイが渡りをつけようとしている宦官の名である。そこへ、尾行者を連れて行くのは確かにまずいことであった。


「……わかった。あんたの、お手並み拝見といかせてもらう」


 小さく息を吐き、ラドウは金貨の入った袋をテーブルの上へどさりと置いた。それを見て、アルシェが難しい顔になる。


「やっぱり……上に行く必要があるわね。それの中身、金貨でしょ?」

「わかるのか」

「カネの音には、少しは詳しいつもりよ。ともあれ、入り口が開いたら立って。あとはこっちに、合わせてくれればいいから」


 うなずく間もなく、アルシェが言い終わると同時に入り口の戸が開いた。さっと立ち上がったラドウに、同じく立ち上がったアルシェがすっと身を寄せてくる。腕を絡め取られ、引かれるようにラドウは店の奥に

ある階段へと向かう。


「顔を向けては、ダメよ。追っ手の顔を見たければ、私の瞳に映ってるのを見て」


 甘い香りのする囁き声に、うなずいてラドウはアルシェの瞳をじっと見つめる。三人の男が、階段を登るラドウの背中を注視していた。


「確かに、俺が連れて来てしまったようだな。すまん」

「謝ることは無いよ、色男さん。これくらいは、想定内だから」


 柔らかな暖かみが、腕を通してラドウに伝わってくる。階段を登れば、壁が薄いのかあけすけな嬌声があちこちから届いてくる。湧き上がる胸苦しさを、ラドウは己を律して堪えた。


「こっちだよ」


 アルシェが、並ぶドアの一つに手をかけた。通りに面した大きな窓のある、そこそこ広い部屋だった。二階へ上がってくる際に閉じていた片眼を、ラドウはゆっくりと開く。それで、うっすらと中が見えた。


「ちょっと、待っててね」


 慣れているのか、後ろ手にドアを閉めたアルシェがベッドの側に屈み込んで、床とベッドの間に腕を突っ込む。アルシェの豊かな腰がゆさりと揺れて、ラドウはさっと眼を逸らす。


「別に、見ててもいいのに。減るものじゃなし」

「……今は、そういう場合じゃない」


 ラドウの態度に、アルシェがからかうように言う。ラドウはむすりと口を、への字に曲げる。


「真面目なのね、ラドウさんって。見かけによらず」

「こちらにも、事情があるんだ。それで、何だそれは」


 アルシェがベッドの下から取り出したものを見て、ラドウは問うた。アルシェの手には大きな袋があり、じゃらりと中身が音を立てる。


「銀貨。一万枚ぴったり、入っているの。ウーハン様には、こっちの方がいいわ。あの人、壺の中にお金を落として、その音を楽しむ趣味があるのよ」

「……結構な趣味だな」

「まあね。宦官だもの」


 顔を顰めつつ言うラドウに、アルシェがあっさりと返す。宦官とは、男のシンボルを切り落とすことと引き換えに女の園である後宮で働くことを許された者たちである。そのため、趣味嗜好が色々と捻じ曲がってしまう者が多い、とラドウはどこかで聞いたことを思いだした。


「それを、持って行くのか」

「ええ、そうよ。重いから、あなたが持ってね?」


 言いながら渡された大袋を、ラドウは抱え上げる。ずっしりと、銀貨の重みが身体にのしかかり、うめき声を上げそうになる。もしも、エリックに鍛えられていなければ、一歩も動けなかったかも知れない。それほどの、重みだった。


「こんなものを持って……あいつらを、撒けるのか」


 問いかけるラドウに、アルシェが微笑みを見せる。


「それが、私たちのやり方よ。まあ、見てて」


 言って、アルシェが窓を開く。たったった、と店の外へ遠ざかる足音がいくつか聞こえた。大袋を抱えたまま、ラドウは窓へそっと近寄る。眼下の通りを、慌てた様子の三人の男が駆けてゆく。それは、ラドウを尾行してきた男たちであった。


「どうなってる」

「カラクリは話せないけれど、ひとまずは安心よ。それじゃ、私たちも出ましょうか。あ、でも、ちょっとだけなら、楽しんでからでもいいけれど?」


 悪戯っぽく微笑み、アルシェが両腕で胸を寄せ上目遣いに問いかけてくる。一瞬、呆けた表情になるラドウであったが、すぐに首を横へ振った。


「先を急ごう。あまり、待たせるわけにもいかないし、余分な体力を使うわけにもいかない」

「ちょっとした冗談よ。それじゃ、案内するわね」


 ちろりと舌を出して、アルシェが言った。匂い立つような色香を放つアルシェに、ラドウは胸に生じた微かな落胆を打ち消し、静かにうなずくのであった。

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