老家令、王都にて報せを受け策を成さんとす
フェイとラドウの、王都でのお話です。時系列的には、エリックがブゼンの軍勢とぶつかった直後になります。おっさんとじいさんだけで華の無い絵面ではありますが、どうかご容赦ください。
王都にある、ファン家の屋敷である。三日に一度、屋敷の仮初の主である老家令のフェイは、屋敷のどこかへ忽然と消える。外へ出た、という報告も無い以上、屋敷の中にはいるのだ。だが、使用人たちが消えたフェイの姿を探し求めたとて、見つけることは出来ない。消えるのは、夕刻前のほんの少しの時間だけであり、それが過ぎればふらりと廊下の向こう側から歩いてきたりするのだ。
フェイの不思議な行動について、把握をしているのは直属の部下であるラドウくらいのものである。フェイが姿を消している間に、何か重大な報告が上がればラドウは真っ先に姿を見せたフェイへ告げるのだ。その様から、ラドウはフェイが広くない屋敷のどこへ消え、何をしているのかを知っている節があると言えた。
その日も、廊下の奥から歩いてくるフェイの姿をラドウは最初に見つけた。
「おお、ラドウ様。何事か、変事でもございましたかな?」
いや、フェイが先にラドウを見つけ、歩み寄ってきたのだろう。軽く手を上げて言うフェイに、ラドウは肩をすくめて見せる。
「何も、ございません。しかし、フェイ殿。俺を配下として使うのであれば、様付けは余計ではないかと、いつも申し上げている筈ですが」
「申し訳ありません。これは、長年の習慣が染み付いてしまっているわけでしてな。中々、ままならぬものなのです」
自分の父親ほどの年齢にも見えるフェイが、かすかに困ったような笑みで詫びる。こうなれば、ラドウとて強くは言えない。フェイは上司であると同時に、敬意を示すべき先達であるのだ。
「……ここには余人の眼もありませんし、今は良しとさせていただきます。それで、エリック様から何か指示があったのでしょうか」
気を取り直し、ラドウは問いかける。フェイが行っていることは遠く離れたファンオウの領内にいるエリックとの連絡であり、ラドウもそれは察していた。だが、その直後にこうしてラドウと二人きりになるというのは、初めてのことだった。
「察しの良いことですな。それでこそ、主の元で将軍となられるはずであった御方です。この老人の我儘で、その道を諜報へ向けてしまったことを残念に思うくらいでございますな」
「俺に、将軍など務まりません。陰でこそこそやるのが、性に合うんです。いつまでも、引き摺らないでください」
謙遜でなく、本心からそう思いラドウは肩をすくめて見せる。そんなラドウへ、フェイは首を横へ振って見せる。
「いいえ。ラドウ様には、将軍となる素質がございます……が、それを今論じても、始まりませぬな。御推察どおり、今しがたエリック様より指示がございました。これより、またひと働きしていただくことになりそうです」
「神将軍閣下の、そしてファンオウ陛下の命とあらば、いつでも身命を擲ちます。それで、内容はどのようなものでしょう」
神妙な顔で言うラドウに、フェイが小さな笑みを向けてくる。それは、息子の成長を喜ぶ父親のそれにも感じられた。
「隣領領主が、ファンオウ様に噛みついたようです。確か、ブゼン、とか申しましたかな。その領主が言うには、王都の宰相ジュンサイ様の、後ろ盾があるとか」
「ジュンサイ……ですか。飛ぶ鳥を落とす勢いの、王国の真の支配者、とも言われるじじいですね」
名を聞いて、ラドウは王国宰相の姿を思い浮かべる。フェイに付いて王城へ出向いた際に、ちらと見かけた男であった。
「彼は、私めとそれ程変わらぬ齢でございますよ、ラドウ様」
「まっとうに主に仕える忠臣であれば、俺もじじいなどとは申しません。王国宰相は、国の政を私とし、自らの財を貯め込むことに心血を注ぐ害虫です。後ろ暗い身の上なのは、自分で解っているのでしょう。身辺の警護は、隙無く固めているようですから」
眉を微かに下げるフェイへ、ラドウはあっさりと言い放つ。王都へ来てから数十日、黒い噂を聞けば大抵は王国宰相ジュンサイの関わりがどこかしらにあったりするのだ。ラドウの中では、宰相は人の生き血を啜り悲嘆を嗤い君臨する、魔王のような存在となっていた。
「彼に、後ろ暗い噂は多々ございます。しかし、未だに職を失わず、ますます権勢を栄えさせているところを見れば、傑物と言って良いでしょうな」
「その傑物が、後ろで糸を引いている。もしそうであれば、厄介なものに眼をつけられたものですな、我らの領主様も」
「然り。ゆえに、此度の一件、ラドウ様や私めの動きに、領の命運がかかっているのでございますよ」
フェイの言葉に、ラドウはごくりと唾を飲み込んだ。元賊徒の頭であるラドウの脳裏に、無視することのできない警鐘が鳴り響いている。
「動き、と申されますと、どのような?」
探るようなラドウの問いに、フェイが穏やかな微笑みのままうなずいた。
「まずは、今の心持を忘れぬことです。恐れを抱かぬ者に、大事は成せませぬゆえ。そうして、恐れに呑まれぬ、強い意志をもって当たらねばなりませぬ」
「……心得て、おりますとも。王都へ付いて来た時より、ずっとです」
「釈迦に説法、でしたかな? 私めが申すまでもなく、心構えは出来ておられるようで、何よりでございます。これよりは、死地。気を抜けば、死が私どもを包み、やがてそれはファンオウ様にまで到る、そう、お考えください」
穏やかに語り掛けるフェイへ、ラドウは大きくうなずいて先を促す。そんな態度に、フェイが苦笑を見せた。
「これは、いけませぬな。解り切ったことを、滔々と述べてしまうのは、老人の悪い癖でございます……要諦を申し上げれば、ブゼンを打ち払った殿が、隣領を有することを王に認めさせる、この一点にございます」
指を一本立てて、フェイが言った。
「王国宰相に、領主様を認めさせるので?」
ラドウの問いかけに、フェイが首を横へ振った。
「いいえ。彼は、ファンオウ様の思想とは大きくかけ離れております。その傘下に入ることを、ファンオウ様が諾とされるとは思えませぬ」
「しかし、ブゼンには王国宰相の後ろ盾が……それ以前に、ファンオウ様がブゼンを打ち払うことは、前提なのですか?」
「エリック様やレンガ様がおられれば、それは可能でありましょう。緒戦では、大勝なされたようですからな」
「ふむ。武力であれば、エリック様に敵う者などおらぬでしょうから、確実でしたね。それならば、フェイ様はそれを踏まえて、どう動かれるつもりなのでしょう」
「まずは、まとまった金子の用意を致します。ラドウ様や褐色の皆様方にも動いていただき、領から運び込んだ物産を売りさばいたものを集めれば、何とかなるでしょう」
金勘定は、フェイの領分である。ラドウは黙ってうなずき、続きを促した。
「集めた金子の匂いを嗅がせれば、王宮の奥深くに近づくことも出来ます。狙うは、後宮にいる宦官たちですな。そこから王へ少しずつ、直接にファンオウ様のことを言上奉れば、いかな王国宰相様とてどうにも出来ますまい。表向きは、後宮は政には不干渉。逆もまた然りであれば、王国宰相様にも手出しはされぬ筈です」
「手筈は、既に整えられていたのですね」
すらすらと策を明かすフェイに、ラドウは感嘆の声を上げる。
「こういうことも、いずれある。そう思って、張り巡らせていた糸の一つでございますよ。ラドウ様にしていただく事は、私めがこれより書き上げる竹簡と金子を、宦官の官舎へ確実に届けていただくことにございます。出来れば、誰の眼にも触れることなく」
如何でございましょう? と意思を込めて、フェイがラドウの眼を真っすぐに見つめる。
「わかりました。その役目、必ずや果たして見せましょう」
逡巡することなく、ラドウはフェイに答えていた。同時に感慨深く息を吐くラドウへ、フェイが訝しげに声をかける。
「どうか、なさいましたか?」
「いえ……」
小さく首を振り、ラドウは真っすぐにフェイを見返す。
「我らの領主様が、いよいよもって王国に大きな姿をもって立たれることになります。領主様の慈愛が、賊徒に身をやつすしかない者たちに、届く日が近づいている。そう思えば、胸になにやらこみ上げてくるものがありました」
ラドウは、胸に滾るものを瞳に映し感情の赴くままに口にする。
「苦労を、されてきたのですな、ラドウ様も」
「今の王国に、労苦を免れぬ者はほんの一握りですよ。それでも、領主様にお仕えすることのできた俺は、幸運なのです、フェイ様」
それは、偽りの無いラドウの本心であった。慈しむような、労わる様な微笑みを見せて、フェイが書斎へと足を向ける。ラドウもまた、足早に館を駆け、金子を集める準備を始めてゆく。
こうして、フェイとラドウは王都で、密かに動き始めた。全ては、遠く離れたヒマワリの咲き誇る辺境で、長閑に微笑む主の為に。
夕刻を過ぎた王都に、影が落ちてゆく。暗く長い、夜が始まった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。




