水の邪神スイレンの最期
今回は、改行を少し変えてみました。見にくいようであれば、元に戻します。
太陽神殿の中庭の土が、大量の水に浸され黒く染まってゆく。まるで水が意思を持っているかの如く、黒い地面はみるみるうちに中庭全体へと広がった。
「殿! しっかりしてください、殿!」
ぐったりと倒れたファンオウの身体を抱え呼びかけるエリックであったが、当人の消耗も激しいらしく眼は落ちくぼみ、頬もこけて見えた。
「加減抜きで殴られてたから、頭の骨が砕けてるんじゃないの?」
横合いから、女ドワーフのレンガが口を出す。不吉なことを、と鋭い視線を浴びせようとしたエリックだったが、うっと息を詰まらせた。
「……骨は、大丈夫なようだ。気を、失っておられるのだろう。だが、俺は、とんでもないことを」
「あんたは、もう大丈夫なの? 神将軍のエルフ様?」
大地の精霊を使いファンオウに癒しの力を送り込みながら、皮肉を込めてレンガが聞いてくる。エリックは小さくうなずき、ちらと水蛇の咥えた珠を見つめる。
「奴が抜け出る際に、かなりの魔力を奪われた。だが、それよりも……奴は俺から、もっと大切なものを奪った」
「大切なもの?」
重ねて問うてくるレンガには眼もくれず、エリックは地面に落ちていた抜身の剣を拾い上げる。ゆらり、と身体を揺らしながら、水蛇へ近づきつつ剣を振り上げる。
「……戦士としての、矜持。そして、主に仕える従者としての、誇り。それらを奪った罪は、万死に値するぞ、邪神よ!」
殺気を込めた叫びに、水蛇が驚き咥えた珠を吐き出し離れた。直後、エリックの剣は珠へと突き立ち、それを両断する。ぱかりと割れた珠の中から、どろりとしたものが地面へと零れた。
『くっくっく、無駄だ……』
邪悪な思念が、不愉快な笑い声とともにエリックの頭の中へと響いてくる。レンガにもそれは感じられるらしく、こめかみのあたりを手で押さえて顔をしかめていた。
『我が肉体は、形を持たぬ水形。お前がいくら剣の達人であろうとも、我を切り裂くことは不可能ぞ。そして……』
丘の上にある太陽神殿を、微震が襲った。細かく不気味に揺れる大地の上で、エリックはファンオウをかばうように剣を構えて立つ。割れた水の珠を挟み、レンガが向かい合って立っていた。
「こいつ、水脈を!」
大地に手を当てたレンガが、焦りの表情で叫ぶ。同時に、中庭の井戸の水が激しく噴き上がり、割れた水の珠へ大量の水が降り注いだ。
『我は水神スイレン。水を司る神! この地の水脈はもはや、我の支配下となった! 漲る! 力が漲るぞ! 聖気を含んだ水が、これほど潤沢にあるとは! 素晴らしい!』
水を浴びて、割れた珠の断面が合わさり、より大きな珠となってゆく。その周囲で、ヒマワリの花が急速に育ち、枯れ、種を落としてまた育ってゆく。
「これは……奴の邪気に、大地の呪いが反応を……くっ!」
手にした剣の刃を寝かせ、エリックは横一線に斬り払う。衝撃波すら伴う一撃は、邪神の周りへ飛来する水を両断しつつ吹き飛ばす。
『無駄だと言った! 我に、剣は効かぬ! ははははは!』
「それなら、あたしがっ!」
哄笑する邪神目掛けて、レンガが白銀の槍斧を横降りに大地ごと薙ぎ払う。エリックの放った衝撃波よりも少し弱いものと、そして土の礫が邪神へと襲い掛かった。
『ほう、土の技か。だが……お前の力は、そこのエルフには遠く及ばぬようだ! それでは、我の命に刃を届かせることも、適わぬ!』
ばしゃり、と珠になった邪神の全身から水が噴き出て礫を叩き落す。必殺の一撃をあっさりと防がれたレンガの瞳が、エリックへと一瞬向けられた。ふん、と鼻を鳴らし、エリックは背後に飛び退りファンオウを抱いて横っ飛びに飛び退いた。
「今のは、前座だよっ! このブヨブヨ野郎っ!」
横降りに力いっぱい振り抜かれたレンガの槍斧の穂先は、彼女の真後ろにある。長い柄を両手で握り、レンガはそのまま背負い投げのように槍斧の穂先を持ち上げ、邪神へと叩きつける。
「大地の精霊っ! 持てる全ての力をっ! グラウンドブレイク!」
叩きつけられた槍斧の刃が、邪神を両断して地面を穿つ。衝撃で、三角形に抉られた地面の両端が盛り上がり、壁となって邪神の珠を挟み込むように合わさった。
『ぐ、あああ! 我の、我の力が! だが、しかし! この程度ならば……』
「エリック!」
苦悶の思念を上げる邪神を前に、レンガがエリックへと呼びかけてくる。エリックはファンオウの身体を横たえ、布衣のたもとからヒマワリの種を一粒、取り出した。
「殿……聖なる種を、お借りいたします」
剣を捨て、種を握り込み拳としたエリックが腰を低く落とし、岩盤に閉じ込められた邪神に向けて構える。
「木と、光の精霊よ……残った俺の魔力と、怒りの全てを持って行け! あああああっ!」
とん、と足を踏み出し、エリックは瞬時に岩盤の前まで踏み込んだ。
「聖樹、降臨!」
岩盤に、突き入れられるエリックの光り輝く拳。眩い光が、岩盤の中へと吸い込まれて、一瞬の後。
『ぐぎゃああああああああ!』
邪悪な思念が、断末魔の悲鳴を上げる。そして岩盤の上部から、巨大なヒマワリの芽が飛び出し急成長を遂げる。エリックは拳を抜いて、伸びる巨大ヒマワリに背を向けてファンオウの元へと歩み寄る。
「殿。殿の御力のお陰をもちまして、邪神、討滅が完了いたしました」
恭しく跪き、左掌に右拳を当てて武人の礼を取る。
『馬鹿な! 我が、吸われ……この、われがあああああああ……!』
悲鳴が細く、掠れて消えてゆく。直後、ぽん、と音立てて巨大ヒマワリの花が咲いた。
「一応、あたしも手伝ったんだけど……ま、いっか」
ぱらぱらと邪気を祓って降り注ぐ無数の種子の中で、レンガがまんざらでもなさそうに呟くのが聞こえた。
「……お前にも、特別に感謝をする。助けてくれて、ありがとう、レンガ」
レンガに背を向けたまま、エリックはぼそりと小さな声で言った。
「ん? なになに? 何か言った? 声が小さくて、よく聞こえないよ、エルフ様」
「……二度は、言わん」
「はいはい。ちゃんと聞いてたから、大丈夫だよ」
「…………」
ぽんぽん、と肩を叩いてくる手を、エリックは即座に振り払う。エリックの態度に気分を害した様子もなく、レンガが小さく肩をすくめた。ちっ、と舌打ちをするエリックの耳が、遠くから聞こえてくる足音を捉えてぴくりと動いた。
「ファンオウ様、レンガ様、エリック様! 大変デス!」
荒い呼吸で駆けて来たヨナを前に、エリックは立ち上がった。
「何事だ?」
「ハイ、別室にお連れシテいた隣領領主のブゼンさんの身体が……!」
「ブゼン殿が、どうかしたのかのお?」
ヨナの言葉に、のんびりとした調子のファンオウの声が問いかける。ファンオウの意識の覚醒を感じ取り、エリックは残像の残るほどの勢いで振り向き平伏する。
「殿! お目覚めにございますか! 邪神に操られていたとはいえ、俺はとんでもないことを」
「なんと、お主は邪神に、操られておったのか。もう、大丈夫なのかのお?」
「はっ、全て、事は片付きましてございます! 殿のご尊顔を肘で打った無礼、如何様な罰でもお受けいたします!」
「良い。お主も、大変であったようじゃからのお。も少し、早う助けてやれれば、良かったのじゃが……それより、ヨナよ。ブゼン殿に、何があったのじゃ?」
労うように、ファンオウの手がエリックの肩に置かれる。それだけで、感極まったエリックの眼から滴が落ちた。
「それが、先ほどマデ寝台でお休みにならレテいたのデスが……急ニ、震え出シテ……」
ヨナの声は、震えていた。恐ろしいものを、見たのだろうか。拳で目元を拭い、エリックはヨナに眼をやった。褐色の顔からは血の気が引き、両腕で自分の身体を抱き締める姿には強い恐怖がみられた。
「……真っ二つニ、裂ケテしまったのデス」
「すぐに、診に行く。エリック、レンガさん、付いてきて、くれるかのお?」
「はっ!」
「はいよ」
穏やかなファンオウの糸目が、きゅっと引き締められた。その求めに、エリックもレンガもすぐにうなずく。ヨナの先導に従い、その場の全員で客室へと向かった。
客室の、頑丈に設えられた寝台の上。強烈な臭気を漂わせ、領主ブゼンであったものはそこに横たわっていた。
「これは……一体どうしたことかのお」
血と臓物の臭いに顔を顰めつつ、ファンオウはブゼンを診る。頭の先から股下まで、ヨナの報告どおり真っ二つに裂けた死体となっていた。
「傷は、鋭い剣で斬られたもののようじゃが……右腕が千切れておるのは、何じゃろうかのお」
診察というよりも、それは腑分けであった。医師として王都に在った頃、ファンオウはいくつかの腑分けの現場に立ち会ったこともある。だからこそ、平気でいられた。
「腕のほうは、矢です、殿」
ファンオウの横に並んだエリックが、変わり果てたブゼンを見下ろし言った。
「何か、心当たりでもあるのかのお、エリックよ」
「はい。俺が、戦場にてつけた傷と、一致しております。恐らくこの男は、邪神の力で生き永らえていたのでしょう。そうして、邪神が滅んだことにより、塞がれていた傷口が開いた、というところではないでしょうか」
淡々と言ってのけるエリックに、ファンオウは細い眼を大きく見開いた。
「ブゼン殿を、手にかけた、ということか」
ファンオウの問いに、エリックが小さくうなずく。
「戦場の事ゆえ。この男を斃さねば、大きな被害が出ていたかも知れませぬ」
「ふむう……」
「ですが、この男は悪辣非道の領主でありました。民を苦しめ、搾取する、領にとっては、害虫のようなものです。戦場に武装をさせた民を連れて、やって参りました」
「なんと……それで、その民たちは、どうなったのじゃ?」
「ご安心を。こちらの戦士たちに護らせ、連れて来られた村へと帰しております。これからは殿の民として、従う道を選びました」
「ブゼン殿の民を、わしが……」
呟き、ファンオウはブゼンの遺体を見つめる。恐怖と痛みのためか、ブゼンの顔は歪んでいた。手を伸ばし、一杯に開かれた瞼をそっと閉じさせる。
「ブゼン殿には、血縁の者はおらぬのかのお?」
「はい。調査によれば女は複数いたようですが、俺が館に乗り込んだときには、その気配もありませんでした。もしかすると、邪神の贄にでも使われたのやも知れませぬ」
眼を閉じさせ、真っ二つに割れた顔をくっつける。ヨナが布帯を取り出し、レンガがそれをブゼンの頭と首に巻く。顔の中心に一本の線が描かれたようなブゼンを、ファンオウはそっと撫でた。
「孤独、だったのじゃのお、ブゼン殿は……」
「それは、この男の望んで得た孤独です。殿が、心を痛められることはございません」
「どのような人物であったにせよ、死んでしまえば、それまでじゃ。丁重に、弔ってやらねば、のお」
言って、ファンオウはブゼンの顔から手を上げる。心なしか、ブゼンの死に顔に少しの安らぎが生まれたかにも見えた。
「そうですな。この男が死んだことを知らしめ、殿が新たな領主として、隣領も治めることを民に知らせねばなりません」
エリックの言葉に、ファンオウは首を小さく横へ振る。
「それをしてしまえば……わしは、簒奪者ではないかのお。経緯はどうあれ、殺して、奪った。それでは、ブゼン殿が、哀れであろう」
「いいえ、殿は、隣領を悪政から救ったのです。殿が善政を布かれる限り、民たちは救われるのです」
拳を握り力説するエリックの横で、レンガが小さく息を吐く。
「そう、上手くいくかな? 王都の方で、どう見られるかによっては、危ないんじゃない?」
そう言ったレンガに向けて、エリックはふんと鼻を鳴らす。
「俺が、何の手も打っていないと思っているのか? 王都には、すでに手を回している」
「いや、エリック、レンガさん、そうではなくて、じゃな……」
「まあ、何かやってるとは思ったけどね。それなら、賢いエルフ様。次はどう動くつもり?」
「王都からの、報告次第だが……ひとまずは、この男の館にある、邪神の魔法陣を破壊するべきだな。お前が赴くのが、適切だろう、レンガ」
「確かに、あんたが行ってまた操り人形になっちゃったら、大変だもんね」
「……二度と不覚は取らん。だが、殿を館までお連れする役目は、俺がせねばならんのだ」
ファンオウの前で、エリックとレンガがてきぱきと話を進めてゆく。中空を切ったファンオウの手は、ブゼンの額へと落ちた。
「……すまぬのお、ブゼン殿。せめて、安らかに眠ってくれ」
胸中で手を合わせ、ブゼンの冥福を祈るファンオウであった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
次回は、王都のフェイのお話になります。
今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。




