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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
昇陽の章
57/103

のほほん領主、偽りの神将軍と相対し助けた水蛇に恩返しを受ける

 ごぽり、と井戸の水が湧き上がり、溢れて井戸端を濡らす。溢れた水は周囲の地面に吸われることなく、大人の人間ほどの塊の形へと盛り上がる。その水は、瞬きほどの間で二人の人影に変じた。

「ほう、中々、見事な集落ではないか」

 変じた人影のひとつが、周囲へ首を巡らしつつ言った。その姿は長身のエルフで、腰には立派な拵えの剣鞘を提げている。

「密林の木を材料に使っているようですな。木造りの家が、並んでおるようですよ、水神様」

 エルフの隣で、貧相な八の字髭の小男が同じように周辺を観察しつつ口を開く。何とも奇妙な光景であったが、井戸の周囲にそれを見咎める者はいない。聖都ファンオウは今、戦時中であり褐色の民の戦士たちは皆密林を巡回しているのである。

「どうやら、我らの目的地はあそこらしいな」

 小高い丘の上に建つ白亜の神殿を見上げ、エルフが言った。

「ほうほう。この地を奪えば、あの美しい神殿も私たちのものとなるのですね」

 眼を細めて神殿を見やる小男、領主ブゼンがにやにやとした笑みを浮かべて答えた。

「ミズチとの繋がりが途絶えてしまっているが……この身体があれば、領主ファンオウを葬ることなどわけもあるまい」

「……やはり、倒されたのでしょうか、眷属様は」

 ブゼンの問いに、エルフは首を横へ振る。

「わからぬ。乗り込んできたこやつの為に、我も全力を行使していたゆえ、な。だが、一日経っても戻らぬところを見れば、もはや生きてはおるまいて」

 エルフの言葉に、ブゼンが複雑な顔を見せる。あのミズチの素体となった娘に、懸想していたのだったか。ブゼンの横顔にそんなことを思い、エルフはふんと鼻を鳴らす。

「些末なことを、気にするな。お前には、栄達の道が待っているのだ」

「そ、そうでした。私は、水神様の御力で、この地を得て王都へ行くのでした」

 ブゼンの顔から、不安の影が消える。心中で息を吐きながら、エルフはブゼンの肩をがしりと掴む。

「そのためにも、一芝居打たねばならん。しくじるなよ、ブゼン」

「芝居を……?」

 不可解に首を傾げるブゼンの身体を、エルフは取り出した荒縄で縛り付けてゆく。両手を腰の後ろでくくりつけ、首に縄をかけておく。それは、捕虜を縛るやり方であった。

「な、何をなさるので」

「黙っていろ。これから、領主にお前を捕らえたと言って面会をする。手柄をもってゆけば、領主も無下にはすまい。絶大な信頼を寄せているようだからな、このエルフには。そうして近くへ侍り、一息に斬り殺す。ファンオウも、信を置く忠臣に斬られるのであれば、本望であろうよ」

「なるほど。流石は、水神様。知略が、冴えわたっておられますな。ところで……偽装であれば、もう少し縄目を緩めていただけませんか? 少々、きつ過ぎるのですが」

 言葉を発するたびに、ブゼンが小さく呻く。だが、エルフは首を横へ振る。

「駄目だ。このエルフは苛烈で知られているらしいからな。お前を殺さず連れ帰った理由なども、考えておかねばならぬくらいだ。芝居を成功させるためだ。少々ならば、我慢せよ」

 荒縄を引いて、エルフは歩き出す。つっかえながら歩くブゼンに、エルフは苛立ちを抑えつつ太陽神殿へと向かっていった。


 褐色の戦士を先触れに出し、エルフは悠々と神殿の内部へと立ち入った。荘厳な聖気に満ちた神殿を歩くその手には、荒縄で縛められた領主ブゼンの姿もある。

「ぜぃ、はあ……な、なかなか、大変な場所に建っておりますな、すいじ……ぐえっ!」

 口を開いたブゼンを、エルフは縄を引いて黙らせる。首に縄が食い込んだのか、ブゼンが轢きつぶされたカエルのような声を上げた。

「今のお前は、捕虜だと言っただろう。どこに人目があるかもわからぬのだ。迂闊な口は慎め」

 小声で注意をして、エルフは神殿の長い廊下を歩いてゆく。

「兵の武装は、大したことが無いようだな。ワニの革鎧に、槍は鉄……ふむ、練度は良いようだぞ」

 周囲に漏れないよう抑えた声で、エルフはひとりごちる。装備をけなしてみたものの、鍛え上げられた兵の所作はブゼンの私兵たちよりも余程良いものである。大扉の左右に立った兵が、エルフの為に扉を開いた。

「殿。ただいま、戻りました。我らの勝利でございます」

 縄を引いて、にこやかに笑みながらエルフは広間の玉座へと近づいた。

「おお、よう戻ったのお、エリックよ。して、その者は、誰じゃ?」

 玉座にいた小柄な青年が、エルフに言葉をかけてくる。エルフは答えず、しばし黙して青年を眺めた。

 不思議な、雰囲気を持つ青年だった。少し日に焼けて赤味を帯びた肌には硬さは見えず、声ものんびりとした調子のものだった。武人には、見えない。このひ弱そうな青年が、ミズチを破ったとは到底思えない。そう感じて視線を巡らせてみれば、玉座の側には長い白銀の槍斧を持った女児がいた。外見にそぐわず、隙の無い立ち姿である。どうやら、彼女はドワーフらしい。ミズチを斃したのは、このドワーフだ。直観で、エルフはそれを理解した。

「これは、隣領にて悪行を重ねておりました領主、ブゼンにございます、殿」

 言いながらエルフは、ブゼンを縛る縄を引いて青年の前に跪かせる。視界へ入れて引き比べてみると、ブゼンでは青年の足元にも及ばぬであろう、と瞬時に解った。人間としての、格が違う。

「くっ、お、おのれー」

 憎々しげに、ブゼンが唸る。どこか芝居がかった声に、エルフは胸中で深く嘆息した。悲痛と無念さを出すために、痛めつけるくらいはしておいたほうが良かったかも知れない。いや……とエルフはブゼンを見下し、その背に足をかけた。

「エリック?」

 戸惑う青年を前に、エルフは腰の剣を引き抜いた。

「殿の御前で、首を撥ねるために連れて参りました。とくとご覧ください」

 しっくりと手に馴染む剣を振り上げ、エルフは言った。ブゼンを操るよりも、あの青年を傀儡としたほうが良い。瞬時に割り切ったエルフは剣を振り下ろす。この身体ならば、据え物を斬るよりも容易くブゼンの首を落とすことができる。その筈だった。

 キィン、と乾いた音が広間に響き渡る。エルフの振るった剣先を、女ドワーフの槍斧の穂先が受け止めていた。

「……なぜ止める」

 そのまま圧し切ろうとするエルフの剣は、ブゼンの首のすぐ上で止められ微動だにしない。

「エリック……あんた、どうしたの? ファンオウさんに、何を見せようとしてるのよ」

 ぐい、と剣先が押し返され、エルフはやむなく剣を引いた。足の下で、ブゼンの身体が小刻みに震えている。

「ちょっとした、余興だ。このような人間を、生かしておく理は無い」

 咎めるように女ドワーフを見つめ、エルフは言う。

「わしは、無益な殺生は、好まぬ。エリックよ、考えなおしては、くれぬかのお?」

 もの悲しい表情で、青年が訴えかけてくる。

「……殿の、仰せであれば」

 ブゼンの身体から足をどけて、剣を鞘へと納める。脂汗をだらだらと流し、瘧のように身を震わせるブゼンを青年が気遣わしげに見やる。

「具合が、優れぬようじゃのお、ブゼン殿。少々、行き違いがあったようじゃが、わしは、お主を殺そうとは、思うておらぬ。縄を解くゆえ、どうか、大人しくしておいては、くれぬかのお?」

「へ、へひぇえ!」

 青年の言葉に、ブゼンが平伏する。青年が手を鳴らし、応じて現れた女官がブゼンの縄を解いて広間から連れ去っていった。女官に縋るように去るブゼンの背からエルフが眼を戻せば、女ドワーフが青年に何かを耳打ちしていた。

「ふむう……エリックよ。お主も、戦いで、少し疲れておるようじゃ。どうじゃ、わしと、庭でも見に行かぬか、のお?」

 気遣わしげに、青年が問いかけてくる。広間へ来る途中に見かけた中庭を思い浮かべ、エルフはにやりと笑った。

「殿のお言葉にございますれば、喜んで従います。少々、お耳に入れたきこともありますれば」

 ちらり、と女ドワーフに眼を向けて、エルフは言った。

「あたしには、聞かせられないようなお話?」

 問うてくる女ドワーフに、エルフはうなずく。

「そうだ。これは、殿の耳にだけ、入れるべきことなのだ」

「……わかった。邪魔するのも野暮だろうから、あたしは別の所に行ってるよ。ファンオウさん、あとは、よろしくね?」

「うむ。エリックの話の後で、ブゼン殿には鍼を打ちに行く。ブゼン殿には、そう、伝えておいてくれぬかのお?」

「あんなやつにするくらいなら、あたしの方にも念入りに、して欲しいよ」

「指圧じゃな。うむ。安い御用じゃ」

 カラカラと笑う青年の前で、肩をすくめて見せた女ドワーフが歩み去ってゆく。

「それでは、殿。我らも、向かいましょう」

 促され、立ち上がった青年の後ろへついたエルフは中庭へと向かう。中庭の片隅には、井戸があった。力の根源である水脈の気配が近づくことに、エルフは密かにほくそ笑んだ。



 帰還したというエリックの様子が、どことなくおかしい。それに気づいたのは、ファンオウばかりではない。レンガもまた、異常に気付いたらしい。エリックと中庭へ。そんな言葉を残し、レンガは姿を消したのだ。中庭へ行く道すがら、布衣の中で腕に巻き付いた水蛇がわずかに震えている。

「良からぬことでも、あったのかのお……?」

 悪いことが起きそうな、不吉な予感にファンオウは胸中で呟いた。

 太陽の光がさんさんと降り注ぐ中庭へ、足を踏み入れる。神殿へと集められる邪気を糧に、ヒマワリが大きな花弁を揺らしていた。そして、ファンオウが姿を見せればヒマワリは一斉に花弁をファンオウへと向ける。

「……聖気に、満ちておりますな、ここは」

 心なしか、呆然とした声でエリックが言った。

「うむ。今日も皆、元気そうじゃのお」

 花びらを撫でるファンオウの手の上に、ヒマワリがばらばらと種を落とす。種の管理はソテツに任せているが、怪我の療養でソテツは床に伏せっている。ために、ファンオウは布衣のたもとへ種を仕舞い、少しばかりを地面へ蒔いた。

 途端に芽を出し育ち始めるヒマワリを前に、エリックが感嘆の息を吐いた。

「なるほど、素晴らしい御力です、殿。人間が持つには、大きすぎる力ではありますが」

 エリックの言葉に、ファンオウは首を傾げた。

「お主も、知っておろう。これは、イファの持っていた種を、蒔いただけじゃ。あの種には、邪気を払う力が、あったのじゃろう。わしの、力では、無い」

「そうでございましたか……ですが、殿。その種は、とんでもない代物でございます」

「エリック?」

 中庭の土を蹴散らし、エリックが素早く歩み寄る。エリックの両手が伸び、ファンオウの肩を捉まえた。その瞬間、ファンオウの視界は暗転し目の前の風景が霞んで消える。

「我の、眼を見るのだ、領主ファンオウ」

 エリックの声が、どこか()()()()聞こえてくる。

「眼を見る、じゃと?」

「そうだ。我の眼を見て、そうして身体から力を抜け。我の言葉に、耳を傾けよ」

 それは、不思議な声音だった。その声に、指示に従わなければならない。そんな思いにかられ、ファンオウは口を開く。

「なれば、()()()()()()()くれるかのお、エリックよ」

 ファンオウは、自分に背を向け土塊のようなものに語り掛けるエリックへと声をかける。

「何を言っている……ん? これは!」

 エリックが声を上げると同時、エリックの眼の前にあった土塊がはじけ飛ぶ。中から出てくるのは、白銀の槍斧だ。

「土魔法、アースキャスリング。こんな単純な目くらましに引っかかるなんて、いつものエルフ様らしくないわね。やっぱり、別人かな?」

 暢気な声とともに、槍斧の刃がエリックに襲い掛かる。土塊を破って姿を見せたのは、レンガだった。

「ち、いっ!」

 エリックが電光石火の抜き打ちを見せ、レンガの槍斧をはじき返す。

「ドワーフの、小娘か……っ!」

 レンガの首へエリックが放つ一閃は、槍斧の柄で止められた。

「ううん……太刀筋は、あの高慢ちき様と同じだけれど……ちょっと詰めが甘い、ねっ!」

 立てた槍斧の柄に手を添え、レンガが身体を回して短い足を叩きこむ。

「ぐっ」

 鈍い打撃音とともに、呻きを上げてエリックが膝をつく。間髪いれず、レンガが頭上で一回転させた槍斧の刃を振り下ろす。

「舐めるなぁ!」

 怒声とともに、エリックが白刃を立ててレンガの一撃を受けた。火花を散らし、ぶつかり合った武器がこすれ合う。

「ふ、んっ! 馬鹿力、はっ、健在、みたいだねぇっ! くぅっ!」

 エリックとのつばぜり合いに、レンガが詰まった声を上げた。

「お前のような、強者がいなければ……我の目的は、容易く果たせる! ははは! さあ、選べ! このまま、圧し切られるか、得物を引いて、刺殺されるかを!」

「そんっ、なのっ! どっちもっ、ゴメン、だよっ!」

 ぎりぎりと音立てる刃を挟み、エリックとレンガは対照的な表情を見せる。余裕と、焦燥。その二つを前に、ファンオウはおろおろと両者へ交互に首を向ける。

「エ、エリック、レンガさん、二人とも、どうしたのじゃ?!」

 互いに叩きつけ合う殺気は、訓練のものではない。肌が浮き立つほどの迫力に、ファンオウは気圧されるばかりである。

「ファンオウ、さんっ! エリック、がっ! な、何者かにっ、操られてるっ!」

「な、なんじゃと……? それは、真なのかのお、エリック?」

「ふん。我に聞いて何とする……だが、答えは是だ! この小娘を片付けたならば、次はお前を支配し我は新たなる神への道を歩むのだ! ははははは!」

 勝利を確信してのことか、エリックは高らかに笑いそう告げた。

「本当に、操られて、おるようじゃのお……」

 困り顔になって呟くファンオウの布衣の袖で、もぞりと動くものがあった。

「ふむ、水蛇か。どうしたのじゃ?」

 問いかけるファンオウの胸元へやってきた水蛇が、ファンオウの布衣の中にある鍼袋をちょこんと突いた。言葉を発しない動物であっても、その動作や表情などで、大まかなことがファンオウには判った。その異能は、短い時間しか共に過ごしていない水蛇に対しても発揮された。

「ふむう。それは、危険ではないか、のお?」

 ファンオウの再びの問いに、水蛇が決然とうなずいて見せる。ファンオウは苦しげなレンガと邪悪に歪み笑むエリックに視線をちらりと向けてうなずいた。

「……わかった。ならば、やってみようかのお」

 言って、ファンオウはふらりとエリックの背に近づいた。その足取りは武人のそれとは程遠く、友の背にぽんと手を当てるような無造作なものだった。何者に操られようと、エリックが自分を害することは無い。少し場違いな信頼が、ファンオウの動きを大胆に、そして不可避のものへと変える。

「ファンオウさんっ!」

「何っ!?」

 レンガとエリックの叫びは、ほぼ同時だった。つばぜり合いを繰り広げるエリックの背に、ファンオウが小さな鍼を打つ。指先から鍼を伝い、水蛇がエリックの身体の中へと潜り込む。直後、エリックが真後ろへ飛び退きファンオウの横面を肘で殴り飛ばす。そして、拮抗していたレンガの槍斧の刃がエリックの首の皮一枚をわずかに傷つける。一瞬のうちに、そんな目まぐるしい攻防があった。

「ぐ、うおぉぉああっ!」

 腹を押さえ、苦悶の声を上げてエリックがうずくまる。苦しげに、嘔吐せんばかりに震える背中をファンオウは眺める。

「撫でて、やれれば良いのじゃが、のお」

 口の中で呟きを漏らしたと同時に、ファンオウの身体は柔らかなものに受け止められた。受け止めたのは、レンガが土魔法で集めた柔らかな土とヒマワリの茎である。身体が止まると、くわん、とファンオウの視界と意識が回り始めた。

「エリック……うむ」

 地面に手をついたエリックの口から、大量の水と小さな珠のようなものを咥えた水蛇が吐き出されているのが見えた。ゆっくりとうなずくように、ファンオウはこてんと首を傾けて眼を閉じる。

「ファンオウさん!」

「っく、と、殿っ!」

 呼びかける二つの声に応じるように、ファンオウは深い笑みを見せたまま意識を失ったのであった。

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