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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
昇陽の章
56/103

五行相生・苦闘の神将軍

 単身で、敵の根拠地へ突入する。館の扉を蹴破り、踏み込んだエリックはその判断に間違いの無かったことを確信する。

 戦士たちは、新たに民となった者たちの護衛に割いた。民たちに万一のことがあってはいけないのと、足手まといを無くすためでもある。

 しんと静まり返った館の中の気配を探り、奥へと進んでゆく。強大な、魔力の反応は地下にあった。だが、地下へ降りる階段などは、見つからない。舌打ちをして手近にあった椅子を蹴り飛ばし、館の一階から隅々まで探索を続けた。

 領主ブゼンの部屋は、最奥にあった。蹴り開けた扉の向こうには、書きかけの竹簡を置いた机と書棚、そして寝台がある。

「俺の眼を、誤魔化せるつもりか」

 書棚へ顔を向け、エリックは吐き捨てる。無造作に書棚に手をかけて、引き倒す。その向こうにあるのは、壁ではなく隠し通路だった。

「どこへ逃げようと、一緒だ。追いつめて、始末するだけのことだ」

 暗い隠し通路の中へ、エリックは大股で入ってゆく。分岐がいくつか設けられた、迷路のような通路だった。しかし、エリックの足取りに迷いは無い。領主ブゼンの残したと思しき、魔力の残滓が奥へと続いているからだ。

 わざとらしく残された魔力の痕跡は、まるで誘い込むような意思さえ感じる。だが、エリックは構わずに奥へと進んだ。どれ程の存在が待ち受けていようとも、あからさまな挑戦を受けて退く道は無い。それは、エルフとしての矜持の問題ではなく、武人としての在り方を示すものである。

 己の長い生をかけて尊敬する主、ファンオウの敵なのだ。敵である、と自ら嘯く輩であれば、これは討滅せねばならない。長い金の髪をたなびかせるその背には、ゆらゆらと闘志の炎が宿っていた。

 細長い廊下を、突き当りまで歩く。扉の無い部屋が、そこにはあった。部屋の床にはぼんやりと青く光る魔法陣、そして傍らには先の戦いと変わらぬ貧相な姿を見せる領主ブゼンが立っていた。

「おやおや、回廊を迷わずに抜けてくるとは、引き籠りの田舎者にしては大したものですな。イヌのように、鼻が利く、ということですかな?」

 ブゼンが両手を拡げ、粘っこい口調で挑発をしてくる。ふん、と言葉を受け流し、エリックは腰の剣をゆっくりと抜いた。

「力を手に入れて、貴様はまだ浅いらしいな。漏れ出た魔力が、道を報せてくれる。あれだけの痕跡が残っていれば、迷うほうが難しいだろう。愚昧な人間ならではの、間抜けな仕儀だ」

 無表情に顔の前に刃を立てて、エリックは呆れた声で言った。

「ほう、人間を、愚昧と切って捨てるのですか? あなたの仕える主も、人間でしょうに」

 にたり、と嗤いながらブゼンが混ぜ返す。エリックは、ちらと魔法陣へ眼をやった。

「殿と貴様を、同列にするつもりは無い。殿は英邁であらせられ、貴様は愚鈍なのだ」

 軽く首を振りながら、エリックは剣の中に精霊の力を宿らせてゆく。長く、語り合っていたい相手では無い。聖都にいるファンオウのことも、気がかりである。ために、エリックが狙うのは一撃必殺だ。

「わしも人間であれば、彼もまた人間でありましょうや。ククク……長命の種族であるあなたや水神様から見れば、どちらも塵芥同然……ではございませんか?」

 言葉を続けるブゼンの意思が、読めない。時間を稼ぐつもりなのだろうか。兆した疑問が、エリックの刃を止めた。

「……どのような謀があるのかは知らんが、いくら時を稼ごうとも、貴様の有利は永遠に訪れん。俺の剣は、ひと呼吸で貴様を容易に切り裂く」

 剣を持つ両拳に力を込めて、エリックは刃を右肩へ担ぐようにして構え前傾姿勢を取る。迸る殺気に、部屋の四方にある松明の火が揺れる。

「ならば、やってみるがよろしかろう。森のイヌの剣で、このわしを斬れるかどうか。あなたの試みを、遮るものは何もありませんぞ?」

 歪んだ笑みを浮かべたまま、ブゼンが布衣の襟に手をやり左右に開く。貧相な男の、あばらの浮いた肌が露わになる。寸鉄も帯びぬその身体は、脅威には成り得ない。

「諦観からくる無謀か……? 哀れみすら、覚えんな」

 誘いかけるように腰を左右へ振るブゼンに、エリックは刹那の間眼を閉じる。ブゼンの身体と、魔法陣の間に細い魔力の糸が繋がっている。心眼でそれを捉えたエリックは、眼を開き足を踏み出した。

「ふ……」

 ブゼンの口から、かすかに音が漏れる。間合いを詰めたエリックは、気にも留めずに大上段から股下まで刃を通した。口角を上げたブゼンの顔面が、両断され左右へ分かたれる。

「まだだ!」

 床を抉った刃を持ち上げ、エリックはその身を独楽のように横へ回転させる。横向きの遠心力の乗った剣先が、ブゼンの胴を刈り取るように断ち切った。

「ぎゃば!」

 濁った声と体液を撒き散らすブゼンの前で、エリックは後方へ半歩下がり剣先を巡らせブゼンの心臓へ向けてぴたりと突きつける。

「木の精霊よ!」

 トドメに、エリックが繰り出すのは渾身の突きである。剣の中に宿っていた精霊の力が、エリックの力ある言葉に従い爆発的に解放される。突き出された剣の刃から、幾本もの木の根が実体化し、ブゼンの心臓から全身を貫いて伸びた。

『お、おのれえええええええ!』

 ブゼンの肉体が粉々に砕け散るのと同時、魔法陣からおぞましい絶叫が迸った。

「どうした、水神。先ほどまでの軽口は、どこへ行った?」

 唇の端を軽く上げて、エリックは魔法陣へと顔を向ける。突きの姿勢で構える剣の刃からは、精霊の力の象徴である木の根が伸びて魔法陣へと絡みついている。

『わ、我が、我の力が! す、吸われる……!』

 魔法陣の光が激しくなり、半球体の粘液がぶるぶると表面を震わせながら浮かび上がる。

「ふん、貴様の属性が水である限り、俺には勝てん」

 姿を現した水神が、体表面から伸ばした水の触手をエリックへとしならせる。だがそれは、エリックの剣から伸びる木の根に全て吸い取られてしまう。

『き、木の……精霊……! く、我の、我が……!』

「水生木の理ある限り、貴様の攻撃は俺の糧となる定めだ。消えろ、水の邪神め!」

 言葉と共に、エリックは剣に宿る木の精霊の力をますます強めてゆく。予測よりも、水神と呼ばれる邪神の力は強大だった。だがそれでも、魔力の相性の差を覆すには及ばない。木の精霊の力は、森の民であるエリックにとって最も相性の良い力なのである。

「邪神の力ごときに、俺の魔力は負けん!」

 深々と根の剣を突き立てたまま、エリックは邪神を釣り上げるように剣を立てる。

『ば、ばかな……我が、新たな神となる我が、こんな、こんな簡単に……!』

「エルフを侮ったことが、そして……」

 じたばたともがく邪神へ向けて、エリックは眉を逆立て口を開く。

「殿を愚物と並べて貶めたこと! それが貴様の敗因だ!」

 最大限の魔力を込めて、エリックは精霊に力を送る。部屋の天井を覆わんばかりの巨体であった邪神が、やがて小さく、手毬の大きさにまで縮んでいった。

『我、は……我は……』

 小さな思念を残し、邪神はあっけなく根の中へと消えた。部屋の中に静寂が戻り、魔法陣は光を失い崩れ去る。エリックは、天を突くように立てた剣をゆっくりと鞘へと戻す。

「……ブゼンは、既に邪神に飲み込まれ、死んでいたようだな」

 切り裂かれた布衣の断片を見つめ、エリックはぽつりと呟く。その長く細い足が、ふらりとよろめいた。

「む……魔力を、使い過ぎたか」

 脱力感が、エリックの全身を襲った。水の邪神を屠るために、思ったよりも魔力を消耗してしまったらしい。鞘に納めた剣を床へ立て、エリックは部屋に背を向け出口へと向かう。

「殿の元へ、戻らねば……ぐ、うう」

 長い廊下の只中で、エリックは前のめりに倒れ伏す。色濃い疲労が、端麗な顔を染めていた。

「と……の……」

 宙を掻くように突き出された腕が、力なくはたりと落ちる。通路の影で、それを見つめる小柄な人影があった。


 倒れ伏したエルフが、相貌をぱちりと開いて起き上がる。美しい顔には、心地よさげな、そしてどこか邪悪な笑みが浮かんでいる。

「フフフ……他愛もない。所詮、肉の身に囚われた精神よ。神の力をもってすれば、支配することは児戯に等しい」

 わきわきと両手を動かし、エルフは楽しげに言った。

「そのご様子ですと、上手くいったようですな、水神様」

 通路の影から現れたのは、領主ブゼンであった。

「当然だ。我の頭脳をもってすれば、森の引き籠りを騙すことなど何ほどのことでもない。予測通り、木の力を用いて我を滅しようと企んでおったので、逆に利用して乗っ取ってやったわ」

 胸を張り、邪悪な笑みを貼りつけたままエルフは言う。

「素晴らしき策にございました。私めの姿を囮として使い、誘い出した田舎者(エルフ)めを虜とする……見事としか、言い様がございませんな。田舎者め、水神様の企みとも知らず、木の力で水神様を吸い殺そうなどと、何とも浅薄な輩でございますな」

「そうそう馬鹿にしたものでもない、ブゼンよ。我の力に、ほんの少しこのエルフが及ばなかっただけのことなのだ。我は、首の皮一枚で勝ったに過ぎん」

「そうですか……ですが、水神様。それならば、そやつが土の力を使っていれば、危なかったということですかな? 土克水、と申しますゆえ」

 ブゼンの問いに、エルフは首を横へ振る。

「いいや、こやつが我の力に紙一重、迫ることができたのは木の属性を司る種族、エルフが木の精霊の力を使ったからこそだ。土属性で来れば、もう少し少ない消耗で、術理を覆し我が勝っていたであろうよ」

 エルフの言葉に、ブゼンがおお、と感嘆の声を上げる。

「とすると、どうあがいてもこやつには、水神様に勝つ見込みは無かった、ということになりますな」

「魔法であれば、そうだったろう。このエルフの肉体には、修練を重ねた武の極み、ともいうべきものが刻み込まれているようだ。これを使われれば、どうなっていたかはわからぬ」

 言いながら、エルフは上機嫌に肩や腰を回す。

「そういえば、戦場でもだんびらを振り回しておりましたな」

「お前には、生涯たどり着けぬであろう武の極みが、この身体にはあるのだ。これで我はまたひとつ、新たな神へと近づくことになった」

 呆れたように言ったエルフが、右手を天へと掲げて感慨深く息を吐く。

「私めの栄達の道も、いっそう近くなった、ということにございますな」

「ククク……そうで、あるな」

 エルフとブゼンの邪悪な哄笑が、暗い通路にしばらく響き渡った。

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