五行相克・闇夜の激闘
王国の魔術師たちは、千年の繁栄の時代にあって魔力属性の法則に一つの方向性を見出すことに成功していた。この世の森羅万象、あらゆる物質には魔力が宿り、その属性は五つに分類される、というものだ。木火土金水の五つに分かれた属性は、まとめて五行、と呼ばれている。
生物の肉体も、この五行で構成されている。とくに亜人たちのような極端な特徴を持つ種族は、五行のいずれかの力が強い、という見解が一般的である。エルフであれば木行の、ドワーフであれば土行の力に種族として強い影響を受ける。
数多くの実験を経て、王国全土の魔術理論は五行に帰結を得た。それは千年という時を与えられた王国の至った、真理の一つなのである。
地上で、激しく気配が動いた。地下深くの水脈に潜んだミズチは、それを察知して即座に行動に移る。ミズチ自身の自我は薄く、命じられたことを忠実にこなすのみの存在だった。
地下水脈の水質が、劇的に変化する。ブゼンの領にあった邪気は薄れ、代わりに聖気が満ち溢れている。ちりちりと全身を蝕んでくるものの中を、ミズチは命令に従い遡ってゆく。己の属性と相反するものの中を進むのは容易ではなく、潜入にはかなりの時間を要した。それでも、ミズチはなんとか目標の場所へとたどり着いた。水温の変化から、陽は沈み夜半の刻を迎えていると感じられた。
水脈から、井戸を伝って地上へと上がる。聖気はどんどん濃くなっており、人間で例えるならば呼吸もままならない程の圧迫感を覚える。己の体組織の半分近くが、すでに浄化されて周囲へと散っていた。まともな感情を持たされていたならば、ここまでたどり着くことは出来なかったであろう。
月明かりに照らされる神殿の中庭の井戸の中から、ミズチは大地に降り立った。ほのかに黄色い花弁を揺らす花が、そこには群生している。その花が、聖気の源であるらしかった。
がさり、と草をかき分け、ミズチは神殿へ向けて進む。早急に、失った体組織を補充しなければならない。確実に命令を遂行するためには、必要なことだ。透き通った細い身体をくねらせつつ、ミズチは進む。そこへ、立ちふさがるものがいた。
「何の、者。ここ、お前、入れない」
声をかけてきたのは一振りの剣を無造作に提げた、大きな人影だった。命じられた目標とは、違う者だ。額に角を生やした偉丈夫は、恐らく鬼であろう。ミズチは己の身体をバネのようにしならせ、勢いをつけて鬼へと飛びかかった。
「むん!」
手にした剣を、鬼が横なぎに振り抜く。それはミズチの中心をとらえ、その身体を二つに切り裂いた。ほのかな月明かりの中で、それは正確な斬撃だった。切り裂かれながら、ミズチは二つになった頭のひとつを鬼の腕に突き立てる。
「ぐがあっ!」
鬼の口から、咆哮とも悲鳴ともつかぬ叫びが迸る。鬼の右腕を食い破ったミズチは、そのままもう一つの頭を鬼の胸に向けて射出する。鬼が、悪あがきのつもりか右腕を大きく振りミズチを引っ張った。ミズチの身体はわずかに鬼の心臓を逸れて、それでも胸にぽつりと穴を開ける。肺腑を、貫く感触があった。鬼が、仰向けに倒れる。ミズチは鬼から離れ、二つに裂かれた頭を合わせて元の形状へと戻る。その身体は、鬼の血を吸って赤黒く染まっていた。
地面に流れる鬼の血を、ミズチは吸い取り己の身体へ還元してゆく。ミズチの身体は水属性のものであり、鬼は火属性の種族である。水は火に克つが、恩恵を齎しはしない。それでも、聖気によって削られた体組織の補充には、充分に役に立つ。さらなる収穫を求め、ミズチは鎌首をもたげて鬼ににじり寄る。
「大地の精霊よ! 力を貸して!」
神殿の中から、声が聞こえた。同時にミズチは、身体を跳ね上げ鬼から飛びのいた。鬼の手前の地面が盛り上がり、鋭い槍を作っていた。そのまま近寄っていれば、串刺しになっていた。新たな敵の登場に、ミズチは鎌首を持ち上げて鋭い威嚇の呼気を出す。
「うげ、水蛇かあ……見ていて、あんまり気持ちいいやつじゃないね」
白銀の槍斧を担いだ、小柄な人影が中庭へゆっくりと歩み出てくる。ミズチの薄い自我が、本能的に警鐘を打ち鳴らしその身体が細かく震えた。
ミズチの襲撃の、少し前のことである。ソテツに夜回りを任せ、レンガはファンオウの寝室の前にいた。本当なら夜這いの一つでもかけに行きたいところではあったが、戦時中である。それに、最初はファンオウから誘って欲しい。微妙な時分の乙女心を、レンガは愉しむようにして立哨を務めていた。ソテツの悲鳴が聞こえてきたのは、そんな時である。白銀の槍斧を手に、レンガは悲鳴の聞こえた中庭のほうへと駆け出した。ファンオウの部屋の扉は、外からはこじ開けられないように土魔法で強化を施しておいた。後顧の憂いは、何も無い。
駆けつけてみれば、中庭の中央、井戸のあたりでソテツの巨体が倒れ伏している。月明かりに照らし出され、ソテツににじり寄る水蛇の姿が見えた。
「大地の精霊よ! 力を貸して!」
即座に、レンガは精霊へと呼びかける。太陽神殿の周囲の土は、レンガの呼び声に素早く応えて隆起し、鋭い槍の形を取った。だが水蛇は、地面の異変にいち早く気付き飛び退いた。魔力を、感知されたのかも知れない。
「うげ、水蛇かあ……見ていて、あんまり気持ちいいやつじゃないね」
軽口を叩き、槍斧を担いでゆっくりと歩み寄る。ゆらり、ともたげた頭を揺らす水蛇は、油断のならない敵のようだった。
しゃっ、と威嚇のような音が水蛇の頭部から漏れる。同時に、レンガは顔の前へと槍斧を立てた。があん、とレンガの手に、強い衝撃があった。
「細くて鋭い、水の刃ってとこだね。本当に、厄介なやつ……」
じりりと中庭の土を踏みしめつつ、レンガはソテツに大地の癒しをかけてみる。土魔法のひとつで、大地の活力を相手に送るものだ。魔法の影響を受けて、ソテツの身体がぴくりと動く。
「生きてるみたいだね、良かった。ファンオウさんに、後でちゃんと診てもらおうね。そのためにも……」
ひゅん、と音立ててレンガは槍斧の刃を回す。チィン、と鋭い音とともに、レンガの胸の前で水の刃が弾けた。
「まずはこいつを、何とかしなきゃだね。大地の精霊よ!」
連続で放たれる水の刃を捌きつつ、レンガは精霊へ呼びかける。水蛇が宙へと跳び上がり、一瞬遅れてその場所を地面から突き出た土の槍が貫く。
「ちょこまかと! このっ!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねる水蛇を追いかけて、地面が盛り上がってゆく。ぐるりと塀のように円を描く土の中から、水蛇が大きく跳躍を見せた。その頭部から、今までのものよりひときわ太い水の刃が射出された。
「舐めるんじゃ、ないよっ!」
頭をわずかに傾け、レンガは水の刃を掠めて水蛇に肉薄する。くりくりとしたくせっ毛の毛先が、刃に裂かれて散った。そのままの勢いで、レンガは水蛇の胴体へ槍斧の穂先を突き入れる。
「キィィ!」
水蛇が、苦痛の悲鳴のようなものを上げた。くねりと立ち上がる細い身体は、戦い始めの頃よりも一回りほど、縮んでいるように見えた。
「そろそろトドメっ! 狩り取ってやるよっ、アースシェイカー!」
気合一閃、レンガが槍斧を地面すれすれに真横へ振り抜いた。斬撃と同時、半円状に土の飛沫が上がる。土魔法と斬撃を合わせた、レンガの必殺の一撃であった。生じた衝撃波によって、水蛇が後方へと吹き飛んでゆく。その先には、井戸があった。
「しまった……!」
宙へ手を伸ばすも届くはずは無く、吹き飛んだ水蛇が井戸の中へと落下してゆく。恐らく、水蛇は自ら跳躍し、自ら技を受けて退路を切り拓いたのだ。思い至ったレンガは、しかし不敵に微笑する。
「なんてね。天を衝け! 大地の鉄槌!」
伸ばした手をぐっと握り、天へと向けてレンガは突き出す。直後、井戸の中から隆起した土の拳が水蛇を殴り飛ばし、中庭の宙空へと跳ね上げる。
落下してくる水蛇を、レンガは素早く右手で捕まえた。蛇の咽喉元に、短いながらも強靭なドワーフの指が突き立った。
「これで、お終い。ちょっとだけ、楽しめたけれど、土は水に克つ。あんたじゃ、あたしには勝てないっていうのは道理なのよ」
土の魔法ででこぼこになった中庭で、レンガはにっこりと笑って言った。
白く染まった意識の中で、何かを見ていた。おぞましいものから逃れ、贄として身を捧げた。穢れを厭い、純潔に生きようとして死した、何かの意識。全身を包まれ、溶かされてゆく。痛みと恐怖に、叫ぶ声も溶けて無くなり、そして新たに作り変えられてゆく。命じられるままに殺し、そして命を吸い上げてゆく。幾度となく続いたその行為に、溶けて混じっていたわずかな意識は壊れ、喪われていった。
忌まわしい記憶から、眼を背ける。だが、記憶は容赦なくその身を苛み、壊し、溶かし、作り変えてゆく。どろどろとしたよくわからないものになってゆくにつれて、次第に感情は薄れていった。そうして、ほとんど無くなった感情が、悲鳴を上げている。それは、恐怖によるものではなかった。
なぜ、悲鳴を上げるのか。どうして、喪われた何かが軋むように震えるのか。自分は、一体何なのか。一切が、わからない。ただ、身体の一部に触れる何かから、温かいものが流れ込んでくるのだ。それが、自身を震わせ、軋ませる。
やめて。やめないで。相反する気持ちがこみ上げてきて、愕然とする。気持ちとは、何なのか。水神の僕であり、道具である自身に、気持ちなどあるものなのか。ミズチの中で、次第に意識は明瞭になってゆく。溶けるような温かさに包まれ、ミズチの意識は覚醒に向かっていった。
「だから、ファンオウさん。そいつは敵の手先で、ファンオウさんを暗殺しにやって来たんだよ。ソテツも酷い怪我を負わされて、あたしの髪もほら、ちょこっと削られちゃってるでしょ?」
何かの声と、敵意を感じた。そのものはミズチよりも強く、だからミズチは小さく身震いをする。そんなミズチを、包み込むような何かの気配があった。
「じゃが、こうして見れば、震えておるように、見えるのじゃがのお。なりは珍妙であっても、まだ、これは子供では、ないかのお?」
のんびりとした声が、ミズチの全身に心地よい振動を与えてくれる。
「ぐっ……でも、水蛇は魔物だよ?」
「レンガさんが、懲らしめてくれたのじゃろう? 危険な感じもせぬし、ここは、見逃してやれぬかのお? ソテツの治療も、あることじゃし」
柔らかな手のひらの感触へ向けて、ミズチは頭を擦りよせる。温かく柔らかな、それは不思議な気配だった。
「……むう。わかった、わかったから、そんな目で見つめないでよ。あたしが悪者みたいじゃん。いいよ、ファンオウさんが助けたいなら、それで。でも、変な気配見せたら、すぐ殺すから。いいね?」
その言葉は、ミズチに向けて言われたもののようだった。言葉を発する術を持たぬミズチは、答えるかわりに温かな手のひらへすりすりと身を擦り付ける。
「そんな気は、無いみたいじゃのお。くすぐったいのお」
手のひらの中で、ゆっくりと自分の身体が温くなってゆく。快い感覚に身を任せ、ミズチは再び眠りに落ちていった。
麓の診療所から駆けつけてきたイファと共に、ソテツの診療を無事終えたファンオウは汗を拭う。ヨナの差し出す手に布を乗せて、傍らに置いた籠の中の水蛇へと手を伸べる。その動作に、水蛇は気づいたのか素早くファンオウの腕に巻き付き身を擦りよせてくる。
「ファンオウ様、その子は……?」
寝台に寝かされたソテツに寄り添ったイファが、水蛇を見て首を傾げる。
「昨夜、中庭へ迷い込んで来てのお。ソテツと、やり合うた、らしいのじゃ。ソテツよ、こやつが、お主を襲った魔物で、間違い無いかのお?」
うっすらと眼を開けたソテツが、ファンオウの腕に侍る水蛇を見てうなずく。
「そんな、ファンオウ様! 危険では!?」
慌てて立ち上がるイファを、ソテツが肩に手を置いて宥める。
「大丈夫、心配、無い」
水蛇をレンガが倒し、トドメを刺そうとしたところへファンオウが駆け付けて保護をした一幕を、ソテツは覚えているようだった。水蛇の中から邪気が抜け、今では危険な魔物では無くなったことを訥々とイファへ語り掛け、イファもすぐに納得したようだ。ファンオウは大きくうなずき、水蛇の巻き付いた手をソテツへ向ける。
「今後、禍根が残っては、いかんからのお。水蛇や、ソテツに、きちんと詫びておくのじゃ」
ファンオウの言葉に、水蛇が巻き付いていた身体を解きソテツの枕もとへと降り立った。そのまま水蛇が、すりすりと頭の天辺をソテツの肩のあたりに擦り付ける。しばらく続けて、水蛇がファンオウの右腕へと戻って来た。
「今後は、改心するゆえ、許してくれと、言っておるのかのお。どうじゃ、ソテツよ?」
「ファンオウ様、害、無し。ならば、良い、です」
肺の傷口が痛むのか、少し顔を顰めてソテツが答えた。イファに汗を拭われ、眼を閉じて深く呼吸するソテツを見やり、うなずいたファンオウは水蛇の頭を指先でちょんと撫でた。
「ソテツは、優しいのお。のお、水蛇や。お主が襲った相手が、もしもエリックであったならば、お主は、この世に、おれぬところじゃった。運が、良かったのお」
ひんやりとした水蛇の感触をしばし堪能して、ファンオウは小首を傾げる。
「はて、そういえば、エリックは、どうしておるのかのお?」
「戦士の報告にヨレバ、逃走シタ領主ブゼンの首を追っテイルとのことデスガ」
「新たな報告は、入っては、おらぬかのお?」
重ねて問うファンオウに、ヨナが首を横へ振る。
「ふむ。無事であれば、良いがのお」
呟き、南方の空へファンオウは眼を向ける。拡がる密林の向こうには、常人であるファンオウには何も見えない。小さな胸騒ぎのようなものが、ファンオウに訪れる。ファンオウの不安に呼応するように、水蛇がきゅっとファンオウの右腕を軽く締め付けた。
※作中に出てくる五行思想は、あくまでこの世界におけるものです。ふわりとした感じで表現しておりますので、深いツッコミなどはご容赦ください。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。お楽しみいただけましたら、幸いです。




