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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
昇陽の章
54/103

南方領主、神将軍と衝突し水神に暗躍の時を与える

 鬱蒼と茂る密林の中を、汗を拭きながら進んでゆく。馬上で揺られる貧相なブゼンの全身に、木々の間から漏れ出た陽光が容赦なく照り付けてくる。日傘を持たせた従者は、密林へ入ってすぐに倒れてしまっていた。

「この地を手に入れた暁には、全ての木々を焼き払ってくれようか……」

 ぱちん、と頬に止まった羽虫を叩き潰し、ブゼンは忌々しげに呟く。前後を私兵たちに守らせたブゼンは、ゆるゆると密林の中心へと進んでいた。物見の報告によれば、密林の中心の丘陵の頂上に、神殿らしき人工物があるらしい。全速力で向かえば、五日もあれば到着できる。だが、ブゼンはあえて休息を多く取り、牛のような足取りで軍を動かしていた。

 目的は、そこへ到着することでは無い。時間を、出来るだけ稼ぐことにある。水神の命を頭に刻み込んでいるブゼンは、忠実にそれを実現しようとしていた。ゆるりとした行軍に首を傾げる部下には、示威行為のための進軍である、と説明をしてある。だからこそ、煌びやかな私兵たちを前に、貧相に見える農民の兵は後ろへ配置しているのだ。

 曲がりくねった奇妙な木や、均されていない剥き出しの土の道。辺境、というものを形にすればこのような風景になるのだろう。揺れる馬の背でうんざりと顔を顰めつつも、王都への栄達の道を思えば我慢はできた。悪路を乗り越え進んだ先に、桃源郷はあるのだ。

 ぬるりと噴き出した汗を拭うブゼンの前で、私兵たちの緩やかな行軍が止まる。

「……どうした?」

 口を開くのも億劫になるほどの不快感の中、ブゼンはなんとかそれだけ言った。休憩には、まだ早いはずだ。問いかけようとした時、ブゼンの前方でガシャリと幾つもの音が鳴った。

「何をしている! 誰が、休んでいいと言った!」

 私兵たちが、その場でへたりこんでしまっていた。煌びやかで重い鎧が、兵の手にする長槍が、それは地面にぶつかり立てた音である。

「ぶ、ブゼン様! こ、こここのさきに、おお恐ろしいものが、待ち構えています!」

 声を激しく震わせながら、私兵の一人がブゼンに告げた。

「恐ろしいもの、だと……?」

 眉をひそめ、ブゼンは前方を見る。木々が、微かに揺れている。鬱蒼と茂る密林の木が、あるだけのように見える。

「……何も無いではないか」

「いいえ、何かが潜んでいるのです! ブゼン様には、この殺気が感じられないのですか!」

 訴えかけてくる一人の兵の顔に眼を戻し、ブゼンは首を傾げた。兵たちの表情は、本気で何かを恐れているように見える。ブゼンはもう一度、木々の奥へ眼を向けた。

「殺気だと……? 何も、感じないが」

 首を捻りつつ言ったブゼンに、兵が信じられない、といった表情を向けてくる。ブゼンには、兵の言う殺気は感じられない。だが、その気配は確実に存在していた。ただ、ブゼンには水神の加護があり、それは彼の精神を強固な結界で守っていたのだ。死を恐れず、外道に堕ちることに躊躇の無くなる程の、感覚の鈍麻とも言い換えることのできる防壁が、ブゼンには備わっているのだ。

「と、とにかく、これ以上進むのは、き、危険です! でも、戻ることも、あ、あの気配に背中を向けることは、死を意味します! わ、我々は、一体どうすれば!」

 半狂乱になった兵が、視線を前に向けつつ喚き散らす。狂態を眼にして、ブゼンはようやく自身の水神の加護について思い至った。密かに心中で水神に感謝の祈りを捧げつつ、ブゼンは剣を抜く。

「進軍を、続けよ」

 そうして、ブゼンは部下に命じた。

「し、しかし」

「その気配とやらは、敵のまやかしである。わしが……いや、この余がいる限り、まやかしに惑わされることは無い。進むのだ」

 言いながらブゼンは、剣の切っ先を密林の奥へと向ける。恐らくは、兵の精神に作用し恐怖を与える魔法なのだろう。ずいぶんと、姑息な小細工をしてくるものだ。ふん、と鼻息を吐いたブゼンの剣を持つ右手に、軽い痺れが走った。何だ、と思う間は一瞬で、それからブゼンの視界がぐるりと回る。兵たちの顔が、目まぐるしく回転する視界の中で遠ざかってゆく。いや、これは、自分の身体が動いているのか。ブゼンが気づいたそのとき、空気を裂く音が耳朶を打つ。

 音を追い越すほどの速度の何かが、右手の剣にぶつかったのだ。硬い地面に背中を打たれ、息を詰まらせたブゼンが起き上がろうと手をついたとき、右手首に灼熱するような痛みを感じた。恐る恐る、ブゼンは己の右手へ眼を向ける。身に着けていた布衣の袖が赤く染まり、ブゼンの右手は手首の先から消え失せ、断面から勢いよく血を噴き出し始めていた。

「ぎ、いああああ!」

 痛みよりも、驚きで咽喉から声が迸る。叫ぶブゼンの周囲で、私兵たちは誰も動かない。何者かに影を射すくめられたように、恐怖に顔を凍り付かせた彼らは前方を、密林の木々の間を見据えて立ち尽くすのみであった。


 密林の立てるざわめきに音を紛れさせ、半包囲の陣を組む。手振りと鳥の鳴き声のような合図だけで、エリックは手際よくそれをしてのけた。豪華な装備に身を固めた敵兵であったが、こちらの動きに気付く練度は、持ち合わせてはいないようだった。

 包囲に気づきもせず、ゆるゆると羽虫の止まるほどの速度で進んでくる敵兵にエリックは小さく鼻を鳴らす。

「蜥蜴どもは戦士であったが……あれでは豚にも劣る。倒したとて、武勲を誇れる敵ではないな」

 呟いて、エリックは首を横へ振る。絶対の忠誠を誓う主人から、厳しくも慈しみのある言葉を頂戴している。ならば、手を抜くという選択肢はエリックには有り得ない。

 大弓を背中から外し、両手に構える。良質の鉄を鍛え上げ作った矢をつがえ、弦を引き絞る。

「将を射るにはまず馬から……とは、人間の格言だったか。だが、将を射抜ける技量あらば、馬を殺すは不要……」

 殺気を、放った。敵兵の心を見えぬ矢で射抜き、その心を殺す。射すくめ、と称されるそれは、獲物を狩る弓師の業だ。何も無いと思っている場所から射すくめを受けた敵兵は、エリックの目論見通りに全員硬直し、その場に縫い付けられたように動かなくなる。

 片目を瞑り、遥か彼方の敵軍へ眼を向けていたエリックの口から、ほうと息が漏れた。怯え身を竦める兵の中で、馬上にいる布衣を身に着けた貧相な男だけが、平然としている。兵を叱咤するその様は、戦場の殺気をどこ吹く風と受け流しているように見えた。

「……大した男も、いるではないか」

 称賛の言葉とともに、息を吸いながら矢を放つ。鋼鉄の矢が唸りを上げて、男へ向かって飛んでゆく。殺気を放ってやったのだから、矢の飛来に気付いていない筈が無い。果たして、男は矢をどう躱すのか。興味と期待に、エリックの唇がわずかに吊り上がる。

 矢の着弾を見やり、エリックはきょとんとなった。男の持つ剣を狙った矢は、そのまま男の剣を叩き折り右手首を引き千切って通り過ぎてゆく。遅れていった衝撃波に、男は成す術も無く落馬した。

「……突撃」

 戦士たちに合図を送り、エリックもまた動き出す。その瞳にあるのは、落胆ではない。浴びせた殺気を軽く受け流すほどの男が、ひっくり返って情けない悲鳴を上げるだけの筈が無い。攻撃によってこちらを認識したのであれば、必ず次の手を打ってくる。思考と一緒に馬を走らせ、エリックは男をじっと見つめながら近づいてゆく。妙な動きを見せる前に、一気呵成に首を落とす。そのつもりだった。

「ま、待てい! 余を、誰だと心得る!」

 悲鳴を上げていた男が立ち上がり、焦点の合わぬ眼をエリックへ向けて唾を飛ばして叫んだ。男の声とともに、エリックの頭の中へ不快な何かが入り込んでこようとする気配があった。

「精神魔法、か? 小癪な真似を」

 ぱりん、とエリックの顔の前で、何かが砕けるような音が響く。棹立ちになった馬から飛び降りたエリックは剣を抜き、身を低くして男へと疾走してゆく。戦士たちが、立ち止まる気配があった。

「人間にしては、高位の精神魔法だ。これが貴様の切り札か!」

 棒立ちになった敵兵の間をくぐり抜け、男の前にたどり着いたエリックが言った。

「何のことだ! 森の引きこもり民族めが! 余は南方の領を治める領主、ブゼンであるぞ!」

 再び発せられる魔力を、エリックは余裕を持って打ち破る。少しは強力な魔法であるらしかったが、来ると解ってしまえば対処は容易い。

「これ以上喚き散らされては、耳が穢れる! 貴様の首を、さっさと獲らせてもらう!」

 抜身の剣を振り上げ、男に向けて袈裟懸けに振り下ろす。

「わあっ!」

 泡をくった男が手首から先の無い右手を挙げ、エリックの剣を受ける。鋼すらも両断するエリックの剣は、男の右手の断面に垂れた赤黒い血に当たり止まった。

「この感触……魔法生物か?」

 わずかに眉を上げたエリックの前で、恐怖に引き攣った男の口が開いた。

「よ、余を殺せば、お前の主が謀反人として王国から咎めを受けるぞ!」

「……何?」

 剣を引き、炎の精霊を呼び出そうとしたエリックが男の言葉に動きを止める。

「余、領主ブゼンは密命を受け、この地を進軍していただけに過ぎぬ! そこへいきなり襲い掛かってくるとは、すなわち王に弓を引いたも同然! 余の背後にいるのは、王国宰相ジュンサイ様ぞ! 貴様らのようなちっぽけな辺境領主が、敵う相手ではないわ! 解ったのであれば、さっさと剣を引けい!」

 まくしたててくる男の言葉に、エリックは眉を顰める。

「よく喋る舌だな。一思いに、切り落としてくれよう」

「ま、待てと言っている! 王国宰相、ジュンサイ様だぞ! 余を斬ることは、すなわち……」

「それはもう聞いた。我が殿ファンオウ様は、この国の王とは知己だ。王国宰相など、ものの数ではない」

 頭の中で精霊に呼びかければ、エリックの剣には業火が宿る。

「だ、だがっ、余の……わしの受けた密命も、国王陛下からのものである、と言えばどうだ!」

「何? 王の命だと?」

 再び動きを止めたエリックに、男が脂汗の浮かぶ顔をにやりと歪める。

「そうだ! 王命に従い行動するわしを、斬り殺せば王の不興を買うことになる! そうなれば、お前の主はただでは済まぬぞ!」

 喚く男の声に、エリックは燃え盛る剣をじっと見つめる。しばしの、時が流れた。

「……構わん」

 エリックが剣を振り上げ、再び男へ向けて真っすぐに振り下ろす。

「ぎゃばあ!」

 奇声を上げて、剣を受け止めた男がのけぞった。剣を覆っていた炎が、男の全身を余すところなく包み込む。

「国王が戦いを挑んでくるのであれば、八十万の王国軍を相手にひと戦するまでのことだ! 相手にとって、不足なし! 俺は殿の御為に、修羅道をひた走るまでよ!」

「ア……ア……!」

 じゅうじゅうと、肉の焦げる音と臭いが周囲に拡がってゆく。剣を振り抜き残心を解かぬまま、エリックは炎上する男へ眼を向ける。

「炎で、焼けぬか……」

「ククク……ハハハハハ!」

 全身に炎をまとわりつかせながら、男が哄笑を上げる。じゅう、と音立てて炎が、瞬く間に消えた。

「よもや、水神様の加護が! これほどまでに素晴らしいものだとは! ハハハハ! 精霊の炎も、水神様の御力の前では懐炉にも及ばぬ!」

 消えた炎の向こうから現れたのは、軽いやけどを負った男の顔である。じゅくじゅくと火傷が泡立ち、たちまちに新しい皮膚が男の傷口を塞いでゆく。

「水神……だと?」

 剣を構え、再び精霊を呼び出そうとするエリックの前で男が地面を左手で突いた。

「見える! この地から、我が家に繋がる水脈が! 追ってくるがいい、だんびらを振り回すしか能の無い田舎の狼藉者が! わしが王都へ竹簡を走らせれば、お前の主を待つは破滅よ! ハハハハハ!」

 嗤いとともに、男の身体がどろりと溶けた。急速に、男の気配が遠ざかってゆく。

「……逃げた、か」

 剣を鞘に納め、エリックは口笛で馬を呼ぶ。合図で精神魔法の効果から我に返った馬と戦士たちが、エリックの元へと集まった。

「神将軍様、申し訳ありません」

 戦士の一人が膝をついて詫びようとするのを、エリックは片手で制する。

「まだ、終わりではない。この場にいる兵どもを、皆殺しにせよ」

 エリックの指示に、震えあがったのは敵兵たちである。武器を地面に捨てて、全員がエリックに向け膝をついて手を合わせる。

「お、お願いです! どうか、命ばかりは!」

「戦わずして、投降するというのか?」

 エリックの問いに、敵兵の一人ががくがくとうなずく。

「は、はい! 我ら一同、捕虜となります! 抵抗は、決していたしません!」

「……見捨てて逃げる主も主であれば、兵もそんなものか」

 呟くエリックへ、慈悲を乞う視線がいくつも向けられる。

「だが……殿は、捕虜はいらぬと仰られた」

 さっとエリックが手を挙げれば、戦士たちが敵兵へ向けて鋭い槍を構えて見せる。あちこちで、絶望の悲鳴が上がった。

「貴様らが兵であれば、この場で殺す。貴様らが民であるならば、村へ帰り畑を耕すがいい。ほどなくこの地は、薄汚いブゼンという領主から、殿の治める聖地になる。我が殿ファンオウを神として崇めることを誓える民であれば、この場を立ち去ることを許す」

 風の精霊の力を借りたエリックの言葉は、敵兵たちの隅々にまで届いていった。間を置かず、ガシャリとあちこちで武装を解いた敵兵が民の姿へ戻ってゆく。

「我ら一同、領主ファンオウ様を神と崇めることを誓います。ブゼンを打ち倒し、どうぞ一刻も早く神の光を我らにもたらしていただけますよう、お願い申し上げます」

「……随分と、潔いことだな。ブゼンへの、忠節は無いのか」

「眼の前で、化け物となりました。そうでなくても、重税にかどわかしもする、悪徳領主でございます。向こうが我らをこうして捨てたのであれば、我らには付いてゆく義理などありません」

「なるほど。なれば、疾くと去れ。俺たちは、ブゼンを追う。必ずや、奴の息の根を止める」

 うなずいた民たちが、重い鎧から解き放たれてか足取り軽く密林を後にしてゆく。二百の戦士を半分に分けて、エリックはその場へ残すことにした。夥しい数の武具が、あちこちに転がっている。それは戦利品として、聖都へ送るべきものだ。

 忙しなく動き出す戦士たちへ眼を向けつつ、エリックは右手の指にはめた指輪を持ち上げ意識を向ける。遠く離れた王都へ、連絡を取るべき人物がいた。指輪はそのための、魔道具であった。

「進発! 目標は、領主ブゼンの館だ!」

 念話を終えたエリックは、百の戦士たちを率いて風のように駆け出した。陽が傾き、密林は濃い闇に満たされようとしていたが、夜目の効くエリックと戦士たちには関係の無いことだった。

「水神、か……」

 一度だけ、エリックはファンオウのいる聖都の方へ振り返る。ざわりと、不吉な予感がエリックの胸へと訪れる。戻るべきか。浮かんだ考えに、エリックは小さく首を横へ振る。戦士たちだけでは、ブゼンに抗することはできないだろう。ブゼンは、一刻も早く仕留めるべき相手であった。

 木々の間を漏れ落ちる月光に照らされたエリックの美貌には、わずかな焦りの色があった。

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