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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
昇陽の章
53/103

のほほん領主、戦を前にし神将軍を激励す

 蜥蜴族たちを臣従させた数日後、領境で隣領の軍に動きがあった。侵攻を、始めたのだ。

 報告に訪れたエリックの姿は、既に戦装束であった。自らで打ち鍛えた長剣を腰に差し、大弓を背負う凛々しい長身にファンオウは感嘆の息を吐く。

「戦が、始まると、お主は本当に、イキイキとするのお、エリックよ」

「武人の性です、殿。領境にあった隣領領主、ブゼンの軍勢はゆるやかに進軍を開始し、我が領内を侵し始めております。速度からみて、そのまま放置すれば七日後には聖都へ到達すると思われます」

「ふむう。ブゼン殿から、何か声明は、あったのかのお?」

 ファンオウの問いに、エリックは首を横へ振る。

「いいえ、何もありません。無断の、領土侵犯です。これを許せば、殿はブゼンに軽んじられたことになりましょう。もはや、叩き潰すしか道はありません」

「そう、なるのかのお……じゃが、しかし」

 難しい顔を見せるファンオウの前に、エリックが右掌を見せた。

「殿の仰りたいことは、解ります。敵兵の中に、アクタの治める村の民たちが、混じっている。それは、傷つけたくは無い。そういうことですね?」

「わしは、戦によって民が、傷つき死んでゆくのは、裂けるべきじゃと、思うておる。知らない顔であれば、死んでよいという話では、無いのじゃ」

「はい。殿の太陽の如き優しい御心は、このエリック、良く存じております。なれど此度は敵は多勢、こちらに倍する兵力で、我が領土に攻め寄せてきているのです。並大抵の者であれば、敵味方ともに膨大な死者を出してしまうことになりますな」

 エリックがそう言うからには、難しい戦になるのだろう。これから出る死者を思い、ファンオウの表情は暗いものになる。

「ふむう……」

「ですが、ご安心を、殿。殿には、俺がついております」

 眉を寄せるファンオウに、エリックが溌剌とした声で言う。

「何とか、出来るのか、エリックよ?」

「はい。全て、このエリックにお任せ下されば。たとえ千の敵兵であろうと、たちまちに捕虜にしてご覧に入れます」

 自身に満ち溢れた、それはエリックの宣言である。やると言えば、やる。それがどんな困難であろうと、エリックは成し遂げる。そう確信させてくれるものが、エリックの浮かべる微笑にはあった。

「此度の戦の件に関しては、初めから、お主に全て、任せておる。後から、わしが言い添えることは、何も無い。思うがままに、采配を振るい、ここへ再び、帰って来てくれることが、わしの望みじゃ」

「殿の篤き信頼、心に刻みます。必ずや、勝利を手に凱旋いたしましょう。敵味方、死者を最小限に留められるよう、砕身して戦に臨みます。それが、殿の真の望みであるのですから」

 がしり、と右拳を左掌に打ち合わせ、エリックが一礼する。

「では、御前失礼いたします。勝利を、殿へ」

 くるりと背を向け、エリックが広間を出て行こうとする。その背に、ファンオウは口を開いた。

「エリック」

「はっ」

 振り向いたエリックに、ファンオウは笑みを見せる。

「捕虜は……いらぬぞ」

「はっ……?」

「此度の戦に、捕虜はいらぬ。そう、言うたのじゃ」

 ファンオウの頭の中には、捕虜となった蜥蜴族たちの姿があった。故郷に戻ることも許されず、慣れぬ厳しい密林の環境で暮らして行かねばならない、哀れな新たな民たちの姿である。惨めな虜囚となる民を、これ以上作りたくはない。そんな思いが、ファンオウの口をついて出たのだ。

「殿……」

 雷に打たれたかのように、エリックの顔に驚きの表情が走る。ふるり、とその瞳が微かに震えた。

「使命、承りました。それが、殿の望みであるならば……俺は全力で叶えるのみです」

 身を翻し、エリックが駆けてゆく。遠ざかる背にゆらゆらと立ち昇る気迫に、その姿が視界の中でぼやけたように感じたファンオウは、そっと眼を擦る。再び眼を向ければ、そこにはもう静かな廊下があるのみであった。


 太陽神殿の麓の広場に、二百の戦士が集っていた。曳きだされてきた馬に優雅に飛び乗り、エリックは右手を挙げて進軍の合図を出す。

「出撃! 我らが神の領土を侵す不届き者に、眼に物を見せよ!」

 号令一下、整然と戦士たちが行軍を始める。戦士たちの最後方から、エリックもまた馬を進め始めようとする。そこへ、声がかかった。

「今回も、あたしは留守番なの?」

 小柄なレンガの身体は、馬に乗ればほとんど見えなくなってしまう。それでも声だけは大きい、とエリックは顔を微かに歪める。

「五十の戦士の配備は、どうした?」

「万全だよ。万一、あんたの軍が抜かれても、大丈夫なようにしてあるから」

「ありえん事だ。それ程に精強な軍勢を備えているならば、殿を置いて行きはしない」

 吐き捨てるように言うエリックに、レンガが苦笑の気配を見せる。

「万一のことだよ。備えあれば憂いなし、弱敵侮るべからず、ってね。心配しなくても、ファンオウさんにはあたしがべーったりくっついてるから、ちゃちゃっと片付けて来ればいいよ」

 軽口を叩くレンガに、エリックはふんと鼻を鳴らす。

「お前程度であっても、殿の身を守るには、充分だ。今回の相手はな。もっとも、お前の出る幕など、無いのだが。大人しく、俺が手柄を立てて殿の元へ戻るのを指を咥えて待っているがいい」

 行軍する戦士たちの行く先へ眼を向け、エリックは気力を漲らせる。

「……何か、妙にギラギラしてるね、今日の神将軍様は」

 レンガの言葉に、エリックは唇の端を吊り上げる。

「殿より、お言葉を賜ったのだ。此度の戦に、捕虜はいらぬ、と。服従か、皆殺しか……いずれかを敵兵には選ばせることとなる。半端は、無い。心優しき殿が、あえて菩薩の面を捨てられたのだ、此度の戦は! なればこのエリック、神将軍として全力で、敵を屠るのみ! 殿の進む覇道を、このエリックが斬り拓く! これは、その端緒となる戦なのだ! 殿が進まれる修羅道を、彩るは俺の武だ! 駆けよ、戦士たち! 殿の御為に血の一滴まで絞り出す時は、今ぞ!」

 真っすぐに前を見据え、エリックは馬を並足で駆けさせる。

「捕虜はいらないって、そういう意味じゃない気がするんだけど……」

 耳元に流れる風が、レンガの小さな呟きをかき消してゆく。逸る心を乗せて、エリックは戦士たちと共に密林の中を駆けていった。


 ヒマワリ大聖堂の横手にある、小さな診療所には青苦い薬草の臭いが満ちていた。ところ狭しと置かれた野草の入った籠に埋もれるように、イファは小さな手で懸命に薬鉢の中身をかき混ぜる。すり潰して、薬にする。そのそばから、新しい籠が運ばれてくる。豊富な原材料は、新入りの民である蜥蜴族たちによってもたらされたものであった。

「こっちは、潰して……こっちは、干して……うう、手が足りません」

 野草の保管庫のようになってしまった診療所の風景に、イファは嘆息しつつも手を止めない。隣領との戦に伴い、薬草が大量に必要となる。そのため、調合のできるイファが頑張ることになったのだ。

「集落のお姉さんか、大聖堂の人の手を借りたり……ダメですね。通貨を作るので、忙しそうですし」

 ぶつぶつ言いながら、草の臭いに包まれ手を動かす。誰に言うというわけでもない言葉を並べるのは、無言でいれば挫けてしまいそうだからだ。

「石のお金……玉石磨きって、楽しいのでしょうか……終わったら、私もお手伝い、してみましょうか……」

 呟くうちに、どさりと野草の籠がまた積まれる。

「あ、ご苦労様です」

「ギャイ」

 イファのかける言葉に、蜥蜴族がひと鳴き返して去ってゆく。そこには、一切の無駄な動作は無い。重い息を吐きつつ、イファは鉢の中身を素焼きの壺へ移し次の野草をつかみ取り、鉢へと投入する。草に付着している虫などは、蜥蜴族が採取の際に食べてしまうため、見当たらなかった。

「……先生が手伝いに来てくれたら、ソテツさんも来てくれるのに」

 ぽつりと言って、ごりごりとひたすらに鉢の中身をかき混ぜる。しばらく、無言の時が過ぎた。

「ソテツさん……怪我とかしていなければ、いいのですが」

 ふっと、イファの胸の中に暗い予感のようなものが過ぎった。ふるふると首を横へ振り、イファはそれを吹き飛ばす。うーん、と伸びをして、立ち上がれば足元が少しふらふらと覚束ない。

「外で、ちょっと干してきましょう。ずっと座ったし、気分転換です」

 実の付いた野草を手に取り、イファは診療所の外へと出てゆく。傾げた首から、コキリと可愛らしい音が鳴った。

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