従者、賊徒を斬りのほほん領主は決意を固める
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人気の無い集落から、一人のエルフを乗せた馬が駆け出してゆく。馬上の人物は、エリックである。集落で助けた父娘のため、主のファンオウが三日間、そこへ滞在することを決めた。そのため、手持ちの食料では心許なくなってしまったので狩りへと出かけることとなったのである。
しばらく行って馬を降りたエリックは、荒野にわずかに残った茂みなどから食べられる野草、薬草となる草の根や花を集めてゆく。王都に住んでいた頃は、時折野外へ薬草採集へ赴くこともあった上に、エルフという種族は元々が自然と共生する野外活動の専門家でもある。たちまちに、鞍へくくりつけた籠は一杯になっていた。
「あとは、肉だが……む?」
エリックの長い耳が、何かの足音を捉える。人間であれば地面へ耳を付けて、心気を研ぎ澄ませようやく聞こえるほどの僅かな音であるが、エリックには立ったままでそれを聞くことができた。
「獣の足音か。丁度いい」
ひらりと優雅にエリックは馬へと跨る。直後に、馬はくるりと向きを変え、馬蹄の響きも軽やかに走り出した。馬を己の一部の如く操ることなど、森の民にとっては容易いことなのである。鈍重な荷馬でさえ、エリックの手にかかれば優秀な駿馬の動きを見せる。風を割って、エリックを乗せた馬は音のした方へと駆けて行った。
馬上で、エリックが背中から短弓を引き出し、矢をつがえる。茶色い獣が、こちらへ走ってくるのが見えた。ふっと軽く息を吐きながら、エリックは矢を放つ。鋭い音を立てて飛んだ矢は、そのまま獣の心臓を正確に貫いた。どう、と遠くで軽い地響きとともに、獣が身を横たえる。獣を仕留めたエリックは、駆け寄りつつ馬の足を緩める。
倒れていたのは、大鹿だった。エリックは仕留めた獲物の前で、わずかに瞑目する。それは、狩人の自然に対する礼儀であった。長い睫毛の瞳が開かれ、エリックは下馬して鹿へと歩み寄る。その足が、ぴたりと止まった。
ほどなくして、馬を駆る三人の男が、エリックの前に姿を見せた。毛皮でできた衣服を纏い、粗末な弓を持った男たちの面構えは、揃って野卑であり貧相だった。
「おい、そいつは、俺たちの獲物だ。こっちへ渡してもらおうかい」
一人の男が、エリックへ向けて口を開く。
「ついでに、身ぐるみ全部、置いて行けよ」
もう一人の男が、弓から山刀へと持ち換えて行った。
「綺麗な顔した兄ちゃんだぜ、へへ……」
三人目の男が、品無く笑いながら舌を回す。エリックは男たちを一瞥し、それから鹿の足へ縄を打った。
「おい、聞いてんのかよ、長いお耳の兄さんよ!」
山刀の切っ先を向けて叫ぶ男へ、エリックは顔を向けた。
「獲物を仕留めたのは、俺の矢だ。ならば、これは俺の獲物だろう」
涼しい顔で、エリックは男へ言葉をかける。
「野郎……!」
眼を剥いて威嚇する男の肩を、隣の男が掴んで引いた。
「待て、こいつ……エルフだ」
じろり、と男たちの眼が、エリックの長い耳へと向けられる。
「ああ、確かにエルフだ。だが、それがどうしたってんだ?」
怪訝な顔をする男へ、肩に手をかけた男が首を動かし顎でエリックを指した。
「俺の爺さんが言っていたんだが、エルフと事を構えるのは、ちとまずいぜ」
「どういうことだよ? あんな細っちょろい野郎の、何がいけねえんだ」
「馬鹿野郎。ああ見えて連中、恐ろしく力が強ええ。それに動きも素早くて悪知恵も働きやがる。この人数で、どうにか出来る相手じゃねえぞ」
肩を掴まれた男が、エリックをしげしげと見つめてくる。全くの無感情な瞳で、エリックはそれを見返した。
「そいつは、どうかな?」
反対側にいた男が、声を上げる。すっと男が指を向けるのは、エリックの衣服だ。王都で仕立てたエリックの服は、旅の途次である割にはひどく小奇麗であった。これは、ファンオウの家臣として恥ずべきところの無いようにと、エリックが日夜手入れをしていた結果である。
「あいつの恰好、見てみろよ。ありゃあ、都にいる連中のものだぜ。俺も聞いた話なんだが、都のエルフは手足の腱を切られ、人間様に逆らえないよう力を奪われるって話だ。だからあいつは、見かけ通りのでくのぼう、ってことだぜ」
その男の言葉に、他の男の視線もエリックの衣服、そして手足へと向けられる。
「なるほど。野生のやつにしちゃあ、垢抜けてやがるな」
「久しぶりの大物だ。こんなお貴族様の愛玩動物に渡すにゃ、ちと惜しくねえか?」
ぞろり、と男が山刀を抜いて言う。
「……違いねえ。あやうく、騙されるところだったぜ」
肩を掴まれた男が、その手を振り払い山刀の切っ先を再びエリックへと向けてくる。
「……俺のじいさん、ちとボケてたからな」
最後の男も、疑わしそうな眼をちらりと向けた後、山刀を抜いた。
「それで、相談は終わりか?」
大鹿の側で、血抜きの下拵えをしていたエリックが男たちへと向き直る。
「おうともよ! お前を殺して、獲物もいただく! そう決まったぜ、喜びな!」
言うなり、男が馬を前へと出して山刀を振り上げエリックへと迫る。
「そうか」
小さな声で、エリックは言った。荒々しい馬蹄の響きとともに、男が眼前へと迫る。エリックは、腰の剣を抜いて跳び上がった。
「ぎゃあ!」
エリックの下を通り抜けた男が、汚い声で悲鳴を上げる。どさり、と大鹿の傍らに、その男の頭が落ちてくる。
「お前たちは、人間の中でも特に劣悪な連中なのだな」
流れるような動きで身を寄せて、エリックはもう一人の男の馬の首筋を撫でた。
「しゃ、しゃらくせえ!」
馬上から、男の山刀がエリックへと振り抜かれる。抜身の剣をひらめかせ、エリックは山刀の腹に足を乗せて後方へ宙返りをした。その着地地点は、最後の男の馬の上である。
「な、何っ!」
「ならば、遠慮は何もいらない、ということだ」
言いながら、エリックは剣を振り下ろす。二人目の首と、最後の男の両腕が地面に落ちたのは、ほぼ同時であった。
「う、ああああ!」
叫びを上げる男の胸を蹴り、エリックは男を馬上から叩き落す。肩口から両腕を失った男は、受け身も取れず強かに地面へ叩きつけられた。
「ごうっ!」
呻きを上げる男の頭の側へ、エリックは着地する。剣は、いつの間にか腰の鞘へと収まっていた。
「お前には、少し聞きたいことがある。喋れば、ほんの少しは生かしておいてやる」
無感情な瞳で、エリックは男の膝を踏みつけた。ばきり、と乾いた音が鳴り、男の身体がびくんと跳ねる。
「あがああああ! た、たす、たすけ!」
「俺を殺そうとしたんだ。助かるわけが、ないだろう?」
見下ろした男の瞳に、諦めの色が広がってゆく。
「人間も、身の程知らずになったものだ。お前の祖父は、決して呆けてなどいなかった。先人の話は、聞いておくべきだったな」
男の悲鳴は、やがて嗚咽と懇願へと変わってゆく。男を残し、二頭の馬を引き連れてエリックがその場を後にしたのは、それから一時間ほど後のことだった。
狩りへ出て行ったエリックを待つファンオウは、鍼を打っていた。寝台へ少女と並んで寝そべるのは、少女の父親である。腰の辺りに二本、細い鍼が突き立てられている。
「おお……ありがとうございます、医師様。腰が、軽くなってゆくようです」
寝そべったまま、父親が声を上げる。その背に手を当てながら、ファンオウは笑顔でうなずいた。
「お主も、かなり気脈が荒れておったからのお。無理が、身体に出ておったんじゃのお」
ファンオウの言葉に、父親は寝そべったまま、うーんと唸った。
「この村は、どうして、逃散などしたのじゃ? よければ、理由を聞かせてはくれんかのお?」
指圧による気脈の刺激を続けながら、ファンオウは聞いた。
「……どこにでも、あるような理由です。役人からは毎日のように重い税が新たに課せられ、生きてゆくのにも難儀しておりましたところ……うぅ」
ぐりぐりと、凝りをほぐすファンオウの指に力が込められる。
「民は、重い労苦に遭っていたんじゃのお。お主の苦労が、背中に出ておる」
「くっ……国の、為を思えば……王は、我らを、お守り下さる。そう、思えばこそ、我らはこの地に根付いていられたのです……苦しくとも、ですが……ある日、賊がこの村を襲い、僅かな蓄えも奪いつくされてしまったのです。我らはすぐに、領主様の元へと報せを走らせました。ところが、領主様は動かなかった。ばかりか、賊徒など作り事で、税を誤魔化そうとしているのではないか、とあらぬ疑いをかけられるに至り……我らはこの地を、棄てることを決意したのです」
父親の話を聞くうちに、ファンオウの指は止まってしまっていた。じっと見つめるのは、痩せた背中だった。悲しみを背負い、裏切りに遭い、なおも生きてゆこうとする、小さな背中だ。
「世に安寧を、もたらしてやれぬのは、何とも力不足であることじゃのお……すまぬのお」
「医師様が、謝ることは何もありません。この地を治める領主が、そして何よりも、賊徒が悪いのですから」
うつ伏せになった父親の口から聞こえてくる低い声に、ファンオウは首をゆっくりと横へ振る。
「わしは、もう医師ではない。これから、領主となる身なのじゃ。じゃから、お主たちの言う、この地を治める領主と、立場は何も、変わりはしないのじゃ」
「医師様が、領主様に……」
「左様。わしは、ここより遥か西南の地へと、赴く旅の途次であるのじゃ。国より、預かった地を治める以上、わしにも、お主らのような民を、守る責があるのじゃ。民は、国の、礎となるのじゃからのお」
父親の背を撫でて、ファンオウは鍼を抜いた。清めた水でその背を拭い、処置は完了だった。
「……あなた様のような、優しい御方が領主であれば、我らは逃散など、せずとも良かったのでしょうか」
とろとろとした声で、父親が言った。
「しばし、眠っておれ。食事の支度などは、心配せんでも良い」
「ありがとう、ございます……領主様」
ほどなく、父親は穏やかな寝息を立て始める。鍼を片付けながら、ファンオウは穏やかな表情を引き締めた。
「こんなことが、どこにでもあることというのは、いかんのお……」
のんびりとした、それは眠気を誘うような口調であった。だが、ファンオウの胸の中、己も解らぬほどの奥深くには、確かな火が灯されていた。
立ち上がったファンオウの耳に、馬の嘶きが聞こえてくる。
「エリックが、戻ってきたのかのお?」
薄暗い家の小さな窓から、ファンオウは外を覗き見る。ひっそりとした集落の中にやってきたのは、エリックではなかった。二人組の、髭を生やした厳つい賊徒のような者たちである。彼らは下馬し、空っぽとなった家の中を探っていた。
「やっぱり、金目のものは残してないようですぜ」
「ああ。だが、奴らの話だと、まだ残っている奴がいるらしい。そいつらをとっ捕まえりゃ、少しはカネになるだろうよ」
そんなことを言い合いながら、二人組はファンオウたちのいる家に近づいてくる。
「……お主らは、じっと、しておるのじゃ」
藁でできた布団をかぶせ、ファンオウは少女と父親の姿を隠した。こんもりと盛り上がってはいたが、藁の山に見えなくもない。ファンオウは、藁の山に向かってひとつ、うなずいた。背後で家の戸が、激しく叩かれたのは、その時であった。