のほほん領主、隣領村長の報せに驚き従者その動きを知る
大聖堂の礼拝の間に隣接して、その部屋はあった。普段そこは、大司教であるランダとその使徒たちの怪しげな会合に使われている。簡素な石造りの部屋には、大きく頑丈な密林木のテーブルが置かれている。討議が白熱した場合、壊してしまわないようにとの心づもりである。
聖都の外部からの使者などが来た場合、ここに通される。丘の上の太陽神殿は神の御座する場所であり、見知らぬ人間を通しては神の権威に瑕疵ができてしまう。ファンオウを神として祀り上げたランダの、大聖堂建立の狙いの幾分かは権威の保護にあった。
部屋の中には現在、ランダと隣領の村からの使者、そして使徒が一名いるだけであった。褐色の肌を白い布衣に包んだ使徒は、小柄な使者へヒマワリの種と冷えた水を供する。子供のような外見の使者は、出されたものには手を付けず、肩をすぼめて椅子の傍らに立ったままでいた。
重い木の扉が、軋みを上げて開く。建築間もない建物の扉であるが、それは来訪者を報せるための音である。この部屋で通常行われている密談は、秘密をもってよしとする。それも、ランダと使徒たちによる配慮であった。
「お待たせしたのお、使者殿……ふむ? お主は、アクタ殿では、ないかのお?」
エリックを伴い、やってきたファンオウは使者を見るなり声をかけた。使者は、隣領の小人族のアクタであった。
「ファンオウ様! お久しぶりです。お元気そうで、何よりです」
屈託のない笑顔を浮かべ、アクタが歩み寄ってくる。前に出ようとしたエリックを、ファンオウは手で制した。その動きに、アクタの顔が苦笑になり足を止める。
「エリック様も、ご健勝のようですね」
ふん、とエリックが鼻を鳴らし、アクタをじっと見つめる。鋭い視線を浴びせられ、アクタはたじろぎランダと使徒は顔を寄せ合い何事か呟きを交わし合う。委細気にせず、ファンオウは用意された椅子へと腰を下ろした。
「ここへ来るのは、大変だったじゃろう。まずは、腰を落ち着けては、いかがかのお?」
のんびりと、ファンオウはアクタに椅子を勧める。恐縮しきった様子で、アクタがようやく椅子に座った。
「……まさか、密林の中にこんな立派な建物があるなんて、想像だにしていませんでしたよ、ファンオウ様」
部屋を見回すように首を巡らせ、アクタが言う。
「この大聖堂には、わしも驚いておる。ランダが、あっという間に、建ててしまってのお」
ランダへ顔を向けて、ファンオウは言った。静々と、ランダが一礼する。
「それで、何用だ?」
エリックが、冷淡な声音で問いかける。ちらりと見れば、エリックの美しい顔には微かに苛立ったような色が浮かんでいる。
「エリック。そう、急かすものでは……」
「いいえ、ファンオウ様。実は、火急の事態なんです。隣領の領主である、ファンオウ様に裁可を仰ぎたいことが、ありまして」
アクタの言葉に、ファンオウは姿勢を正して向き合った。子供っぽく見えるアクタの顔には、難しいものを抱えた苦悩が見て取れる。
「わしに、裁可を、のお?」
「はい……実は、僕……私の、住まう村を治める領主が、兵を集めているのです。これから春へ向かう大事な時期に、村の働き手である男たちが全員、連れてゆかれてしまいました。私は、この通り戦の役には立たぬ矮躯ですから、見逃されたんです」
アクタの告げた情報に、まず反応を示したのはランダである。
「そんな……あの村から逞しい男を取ったら、何が残るというの」
「……一応、ランダの姐さんのご同士の女の人たちとか、老人たちとかが、残ってるんですけどね」
横目でランダをじっとりと見つめ、アクタが言う。
「ふむう……兵を、のお。兵を集めて、隣の領主殿は……」
「ブゼン、という名です」
「ふむ。その、ブゼン殿は、一体何を、するつもりなのか、のお」
「それは、わかりません。兵を集めるような出来事が、領内にあったという情報もありませんし」
腕組みをして、アクタが唸る。ファンオウも一緒になって考えてみたが、さっぱりであった。
「集められた兵は、どのあたりにいる」
エリックが、机に地図を広げて言った。簡素な線で描かれた地図だったが、大まかな村や川の位置などは、正確に描かれている。
「……どうして、さっと地図が出てくるんですか? これ、領地の境界線ですかね? こんな小さな村についてまで……いつの間に、調べたんです?」
「質問しているのは、俺だ」
目を丸くするアクタに、エリックが威圧を込めて言う。
「どこと言われても……私も、地図で調べたわけではないんですけど……うちの村の近く、このあたりに食料や武器が、運び込まれているみたいです」
「……北寄りだな。規模はわかるか?」
「おおよそ、五百人程度がひと月は暮らせる程度のものが、集められているようです。あの、それで、ファンオウ様にお願いがあるのですが」
地図を睨み付けるエリックから目を逸らし、アクタがファンオウに顔を向ける。
「お願い、のお?」
「はい。うちの村は、そんなわけで男手が全く足りない状況です。ランダの姐さんが作ってくれた、農作業の計画にも重大な遅れが生じかねないのです。そこで……厚かましいお願いではありますが、少々人手をお借りできれば、と思ったんですけど……ダメですか?」
小首を傾げ、上目遣いにアクタが瞳を潤ませる。小人族の幼く小柄な顔には、小動物のような愛らしさがあった。
「ふむう……」
「ダメだ」
うなずきかけたファンオウの横で、エリックが冷たく言い放つ。
「やっぱり、ダメですか」
あっさりと、アクタが引き下がる。つい直前まで垣間見えていた可愛らしさは、瞬く間に消え失せていた。
「働き手の問題であれば、春先にはどうにかなるだろう。それまでは、耐えろ。いずれ、お前の村にも日は昇る」
エリックの言葉に、アクタが深くうなずいた。
「ご配慮、感謝申し上げます、エリック様。それでは私は村へ戻り、陽の光の訪れを、お待ちすることにいたします。ファンオウ様、この度は私のために席を設けていただき、ありがとうございました」
椅子から立ち上がり、アクタが床へ額づきファンオウに礼を述べる。
「ふむう……? もう、帰るのかのお? お願いは、良いのかのお?」
首を傾げるファンオウに、アクタが明るい顔を上げて見せる。
「はい。エリック様の仰ること、実にごもっともです。また、近いうちに相まみえることがありましょう。そのときは、どうぞよしなに、お頼み申し上げます」
言い置いて、アクタが軽い足取りで部屋を去ってゆく。
「……どういう、ことなのじゃろうか、のお?」
扉が軋みを立てて閉まり、しばらくしてファンオウは中空へと問いかけた。
「アクタの村は、逃散を考えていたのでしょう。働き手がいなくなり、税は変わらぬとなれば民は土地を捨てるより他は無い。追いつめられたアクタは、ファンオウ様に救いを求めて来たのですわ」
ランダが、問いかけに言葉を返す。
「なれば、わしはアクタの村の民を、受け入れることには、賛成じゃがのお」
「ええ。アクタも、ファンオウ様のお心は、充分に理解が出来たようですわ。そして、エリックの言葉の意味も……言葉の外に、甘い含みを持たせるのは、恋人たちの常ですわね」
にやり、と粘っこい笑顔でランダがエリックに眼を向ける。
「……要らぬ妄言は慎め、ランダ。殿、戯言はさておき、じきに戦となりましょう。此度は、万一に備え、神殿にて指揮を執られますように」
「戦、じゃと?」
眼を丸くするファンオウに、エリックが小さくうなずいた。
「はい。十中八九、まずは間違いありません。ですので、殿」
エリックの眼の中に、獰猛な獣のような色が浮かぶ。
「あとはこのエリックに、全てをお任せください。殿のおわす聖地を泥で穢す慮外者に、強く思い知らせてやりましょう」
異様な迫力を背負ってなお、エリックは美しい。凄絶な美貌を前に、ファンオウは穏やかにうなずいた。
「うむ。お主に、全て任せよう、エリックよ。民の為に、力を尽くす。それこそが、わしらに出来る、最良なのじゃから、のお」
ファンオウの言葉に、エリック、ランダ、使徒の三人がうなずいた。
こうして静かに始まった地方領主同士の、小競り合い。それがやがて、王国全土を揺るがす戦火の火種となることは、この場の誰もが、いや、王国の誰もが予想だにしてはいなかった。
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