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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
昇陽の章
46/103

のほほん領主、丘を下りて民の癒し手となる

王都より、南方領主へ不穏な書簡が届けられた、同時期のことである。

 聖都ファンオウ。丘の上の太陽神殿の根元にヒマワリ大聖堂を持つその大集落は、住民たちからそのように呼ばれ始めていた。現人神、ファンオウを頂点とするそこは小さな宗教国家のようであり、住民たちは神に感謝を捧げて日々を過ごす。

 大聖堂落成から、三月が経っていた。王国歴では冬から春に差し掛かる季節であったが、聖都の気候は真夏のように蒸し暑い。これは、領地全体にかかっている密林の呪法の為であった。

 大聖堂の傍らに、真新しい小さな建物が建てられていた。ヒマワリに囲まれた、木造の小屋だ。丸太を組み合わせた小屋の中からは、独特の薬草の臭いが漂ってくる。ひと月ほど前に完成したその建物は、怪我や病気の治療を為す、診療所である。密林の開拓、そして練兵における怪我など集落の医療を一手に引き受けるそこは、親しみを込めてヒマワリ診療所、と呼ばれるようになった。

 小屋の中には、一人の男ドワーフらしき人物がいた。白い布衣を纏い、柔和な表情の顔は大量の白い髭で覆われている。ドワーフにしては少し筋肉の足りない身体つきであったが、本人はドワーフであると自称していた。

 男の名は、オウガ。少々の薬草と鍼の使える、聖都で指折りの名医であった。とはいえ、この聖都で医師を名乗れる者は、見習いを入れてもたったの二人であるのだが。

 オウガの朝は、早い。毎日、休みなくどこからともなく診療所へとやってきて、薬草の調合を始める。ごりごりと、石でできた鉢の中で薬草をすり潰したり、ヒマワリの種をすり潰したりする。聖都では、ヒマワリの種は簡単に手に入る。それを薬草と混ぜれば、薬効の高まった薬が出来上がるのだ。

 調合をしていると、患者がやって来る。朝から昼にかけては、女の患者が多い。集落の民たちは、領地の気候のお陰で面積の少ない服を身に着けている。ほとんど露わになってしまっている褐色肌の女たちを、オウガはたじろぐことなく無心で診療する。診療を待つ女たちの上げる姦しい話声が、静かな診療所へと満ちてゆく。そんな女たちの中を、オウガはちょこまかと動いて鍼を打ち、薬を渡す。病状は、腰痛や虫刺されが多かった。

 昼食時になると、女ドワーフのレンガがやってくる。

「ファ……じゃなかった。オウガさん。そろそろお昼だよ。いったん、休憩しなよ。ほら、皆も。治療が終わったら、さっさと帰る! 旦那や親父さんが、待ってるよ!」

 わいわいと騒ぐ患者たちが、レンガの声で退散してゆく。レンガは、聖都の中でも生産と戦闘を担う重役である。女たちはもちろん男たちの中にも、逆らう者はいなかった。

「おお、レンガさん。もう、そんな時間じゃったかのお」

 袖をまくった布衣から、細い腕を伸ばして汗を拭ったオウガが顔を上げる。

「そんな時間だよ。ちゃっちゃとお昼食べて、休憩がてらあたしにアレ、してよ」

「指圧じゃな。それは、休憩になるのかのお」

「あたしの休憩にね。大丈夫、冗談だよ。あっちの方は、余裕があったら、でいいからさ」

 会話の間に、オウガは手早く治療を終える。ありがとう、じいさん。そんな言葉を口にして、最後の患者が出て行った。

「それじゃ、ご飯の前に……ちょっと、換気しよっか。お食事できる環境じゃないよ、ここ」

 顔をしかめながら、レンガが小屋の窓を開ける。木の板につっかい棒をつけるだけの簡単な造りの窓から、生温い風が中へと吹き込んだ。

「わしは、気にならぬがのお……ふむ、今日は、トマの実と、ヒマワリの種じゃな。ふむう、美味美味」

 オウガはレンガの持ってきた弁当の包みを開けて、赤い実と白い種を口へ入れる。

「種は、軽く炒ったものをヨナから貰ってきたよ。たくさんあるから、どんどん食べてね」

 オウガの隣へちょこんと座り、レンガも食事を始める。ぽりぽりと、ヒマワリの種を食む音がしばらく続いた。

「始めてみて、どう、ファンオウさん?」

 食事の合間に、レンガが問いかける。

「それは、神殿におる、神様の名前じゃのお、レンガさん。わしは、今は、オウガじゃ」

 ちらりと開いた窓を眺めて、オウガがのんびりと言った。

「あ、そか。ごめんごめん。それで、どうなの?」

「順調じゃのお。やはり、わしは、こうして医師をしておるほうが、性に合っておるのかも、知れぬのお」

 窓から見える太陽神殿に眼を向けながら、オウガは言う。

「オウガさんがこうしてのんびりしてられるっていうのは、確かにいいことだね。うん。そのドワーフの髭、結構似合ってる。良い男だよ、オウガさん」

「そうかのお? この格好を考えてくれた、レンガさんには、頭の上がらぬ思いじゃのお」

「感謝の気持ちがあるなら、是非とも身体で返してもらいたいね。色んな意味でさ」

 トマの実を齧るレンガが、つっと身を寄せてくる。

「ふむ。指圧じゃな。お安い、御用じゃ。昼飯の、後でのお」

「……むう。そうやって、いつもはぐらかすんだから。ま、今はそれでいいよ」

 微笑むオウガに、レンガが頬を膨らませてから笑う。昼食時は、和やかに過ぎていった。

 レンガの肩と腰に施術を終えれば、オウガの休憩も終わる。打ち身や捻挫の薬、そして切り傷の薬の調合が始まるのだ。それは、夕刻に来る患者の為である。

「先生、遅くなりました!」

 息を切らせ、一人の少女が診療所へと駆けこんでくる。

「おお、イファや。そんなに慌てなくとも、今、始めたばかりじゃて」

 膝に手を置き、立ったまま肩で息を整えるイファにオウガは水を渡す。

「と、とんでもありません! 領主、様から……」

「イファや、今のわしは」

「は、はい、そうでした! 先生ですね! ごめんなさい!」

 何度も頭を下げるイファを宥めて、調薬を再開する。イファの手つきは丁寧だが早く、オウガよりも効率は良いくらいだった。陽が傾きかけるまで、二人は薬を作り続けた。

「そろそろ、かのお」

 窓の外へ顔を向け、オウガは言った。イファも、同じように外を見る。

「そろそろ、ですね」

 作った薬を壺へまとめ、雑然と散らばった薬草を拾い集めてゆく。その作業の合間に、イファが衣服や髪を整え始めた。

「先生、おかしなところとか、ありませんか?」

 小首を傾げ、イファが聞いた。少し日に焼けた、愛らしい少女の姿にオウガはうむうむとうなずく。

「大丈夫。いつもの、可愛らしい、イファじゃ」

「ありがとうございます……」

 顔を赤くして照れながら、イファがちらちらと小屋の入口に眼を向ける。折よく、入り口の戸が押し開けられた。入ってきたのは、大柄な男を抱えたエリックである。

「殿。いつもお手を煩わせてしまい、申し訳ありません」

 エリックの言葉に、オウガはまたか、といった表情になる。

「エリックよ。今のわしは」

「どのような姿であれ、俺にとって殿は殿です。それに、今は周囲に人もおりません」

 涼しい顔で言って、エリックが抱えていた男を床へ落とす。うつ伏せに床へ落ちた男が、うぐっと小さく呻いた。

「ソテツさん……大丈夫ですか?」

 男の側へ寄り、イファが素早く全身を診てゆく。仰向けになってみれば、額に角のあるその男はソテツであった。

「激しい、稽古をしておる、ようじゃのお。まるで、昔のお主と、イグルを見ている、ようじゃのお」

 オウガはイファの診察を見守りながら、しみじみと言った。

「イグルですか。懐かしい、名です。西北の砂漠へ、将軍として賊の討伐に赴くのを、見送って以来ですな」

 エリックと共に見送った親友の姿が、思い浮かんでくる。

「元気に、しておるのかのお」

「一度、戦いになり大勝を収めた、という連絡が、王都に送られたらしいのです。まずは、相変わらずかと」

「なれば、良いかのお。そう易々と、死にはせぬほどには、頑丈じゃからのお」

 遠くを見つめていたオウガの眼が、再びソテツに戻る。醜い鬼であったソテツは、面変わりを遂げていた。大きく膨れ上がっていた筋肉は引き締まり、長身の割に少し痩せぎすな印象を受ける。顔の造作は変わらないが、頬が削げてほっそりと精悍な面構えになっていた。

「筋は、どうかのお、エリック?」

 剣を振る手振りを交え、オウガは聞いた。

「まずまず、でしょうな。まだまだ身体に頼りすぎるところがありますが、鍛え上げればそこそこにはなるでしょう」

「ふむう……そこそこ、のお」

 ソテツを眺め、オウガは小さく息を吐く。エリックがソテツに剣を教え始めて、ひと月ばかりになる。どんな鍛え方をしているのかは知れないが、ソテツの日常的な所作も劇的な変化を見せていた。無駄の無い動きが、日に日に洗練されてゆく。それは、並大抵の鍛錬では得られぬものと予測がついた。

「先生、手当が終わりました」

 寝転がり、静かに胸を上下させるソテツの前でイファが額の汗を拭う。鬼の肉体は、回復力も高く少々の傷ならば放っておいても治ってしまう。イファの医術の練習には、丁度良い相手だった。ざっとソテツの身体を見まわして、異常が無いかを確認する。気脈の流れも、正常なようだった。オウガは、イファに向けてひとつ、うなずいた。

「よく、できたのお、イファや」

「はいっ、ありがとうございます!」

 元気よく礼をするイファの傍らで、ソテツが半身を起こした。

「先生、ありがとう」

 ソテツが、軽く頭を下げた。

「先生ではない。殿だ」

 エリックが、厳しい眼をソテツへ向けて言う。

「しかし、ここいる、殿、先生」

「片時も忘れることのならぬ、仕えるべき主なのだ。呼び方を、軽々しく変えるものではない」

「まあ、良いではないか。わしは、先生じゃ。そして、ソテツよ。今日も、わしは、何もしてはおらぬ。礼を言うなら、まず、イファに言うが、良いのお」

 そっと間に入って言うオウガの言葉に、ソテツがイファへと顔を向ける。

「イファ、ありがとう。いつも、助かる」

「い、いえ、私こそ、いつもお世話になってます……」

 はにかんで微笑むイファに、ソテツも厳つい笑みを見せる。

「お主らは、しばし中で、休んでおると良い。わしとエリックは、外でちと、話があるでのお」

「お話、ですか?」

 立ち上がったオウガに、イファが首を傾げる。

「そうじゃ。大事な、話じゃ。お主は、ソテツに水でも、飲ませてやると、良い」

「わかりました。ソテツさんのことは、お任せください」

 イファとソテツを中に残し、オウガはエリックを伴い診療所の外へと出た。

「殿。何か、事態の急変がございましたか」

 すぐさま、エリックが囁くように問いかけてくる。オウガは、首をゆっくりと横へ振った。

「いや、なに。ちと、気を利かせた、までのことじゃ。とりたてて、話すべきことは、何も無い。のんびりと、言葉を交わすだけ、というのも、悪くはない、と思うのじゃがのお?」

 大聖堂の周りのヒマワリ畑の端へ腰を下ろし、オウガは言う。

「そうですな。偶には、殿と二人、というのも、悪くはありません」

 立ったまま周囲をそれとなく観察して、エリックが応じる。

「……大きゅう、なったのお。わしの、周りは」

「これからです。殿が、飛躍をされるのは。王都でも、殿の名は大きくなっている模様です。贈り物が、効いたのでしょうな。フェイが、そのあたりは上手くやっているようです」

「民の暮らしも、もっと楽になって、ゆければ良いのじゃが、のお」

「そのために、俺がいます。そして、殿を支える皆が。全ては、殿の御為です。何卒、御身を大事にされますよう」

「……エリックは、これに反対かのお?」

 白い布衣と髭を引っ張り、オウガは言った。

「……いえ。殿のなさりたいことであれば、俺が異を唱えることはありません」

 エリックが、静かに首を横へ振る。

「なれば、良い。わしは……医師の仕事が、好きなのじゃ。こればかりは、お主に言われても、やめられぬで、のお」

 微笑むオウガに、エリックも微かに口元を緩める。

「承知しております、殿」

 温い風が、二人の間を吹き抜ける。しばらく二人は、風を見つめて黙していた。

 黙して動かぬ二人の元へ、大聖堂から女神官が一人、駆けてきた。

「エリック様。ご歓談中、失礼します」

「何用だ」

 女神官へ眼を向けるエリックからは、すでに笑みの欠片は消えている。

「隣領の端にある村落から、使者が参りました。領主様に、会って話がしたい、とのことです。使者を大聖堂で待たせるので、速やかに領主様を連れてきてほしい、とランダ様からのの言伝です」

「ランダの……了解した。すぐに行くので殿の席を用意して待つよう伝えろ」

 エリックの返答を得て、女神官が一礼してすぐに踵を返す。

「隣領の者が、一体、何の用じゃろうかのお」

 女神官の背中を見送り、オウガは首を傾げる。

「行ってみなければ、わかりますまい。何者であろうと、殿は俺が守ります。まずはお召し替えを、なさりますように」

「うむ。あまり、使者どのを、待たせるわけにも、ゆかぬであろうからのお」

 小屋の陰へと隠れ、オウガは白い髭に手をかけて一気にむしり取る。ドワーフ風の髭はあっさりと抜け落ち、卵型のつるりとした長閑な顔が現れる。エリックに手伝わせて白の布衣を着替えれば、あっという間にオウガはファンオウへと姿を変えた。

「では、行くかのお、エリックよ」

「はい。行きましょう、殿」

 そうして、ファンオウはエリックを伴い大聖堂へと歩いてゆく。空には夕闇が、少しずつ広がり始めていた。

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