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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
昇陽の章
45/103

南方領主、王都よりの竹簡を受け狂喜す

 王都よりの早馬が、館に訪れた。初めは、横柄な態度であった領主だが、竹簡の送り主が丞相ジュンサイであると知ると椅子から転げ落ちるようにして使者に跪いた。痩せた貧相な八の字髭の男。それが、ファンオウ領の南に領地を構える領主ブゼンの姿であった。

 丁重に使者をもてなし、王族専用である筈の連絡船に乗せて帰す。王国を表裏で動かす実力者の、機嫌を損ねるわけにはいかない。根が小心なブゼンは、ただの使者に過ぎない者に大量の手土産まで持たせた。かかる費用は、全て民から臨時徴税すれば良いことだ。

 使者を帰し、ブゼンは改めて竹簡に眼を通す。館の私室で、使用人すら遠ざけていた。ために、燭台の火を一人で運び、水差しも自分で用意する。それだけの不便を受け容れても、然るべき内容であるからだ。

『隣領の領主ファンオウの持つ資源、技術の全てを貴殿のものとされたし。得た領地は、全て貴殿のものと成すべく上奏する用意あり』

 穴が開くほど、ブゼンは竹簡のその一文を見つめていた。形式的な時節の挨拶や、隣領の領主ファンオウに対する誹謗中傷めいた文言は、読み流す。

 これは、機会だ。王国辺境の端の端、最西端にして最南端の領地を持つ自分にとっての。ふつふつと、ブゼンの胸中に喜びが湧き上がってくる。

 これは、単に大義名分を得て領地を拡げることができるという話ではない。王国の中心、国王に次ぐ権力者であるところの丞相ジュンサイと、浅からぬ縁が生まれることを意味しているのだ。ジュンサイとファンオウの間にどのような確執があるのかはわからない。だが、ブゼンはジュンサイの意を受けて、事を起こすつもりであった。

 辺境の、貧相な地方領主とはもう呼ばせない。ファンオウとかいう新米領主を潰し、大きくなった領地を代官に任せて王都へ行く。そして、丞相ジュンサイの元で肩で風を切り、煌びやかな王都を練り歩く。そんな自分を想像すれば、ブゼンの心は逸りに逸った。

 身勝手な妄想を堪能し終えたブゼンは、私室の書棚の一つを押した。大して力を込める様子もなく、書棚が背後の壁ごとくるりと裏返る。現れたのは、隠し通路であった。燭台と水差しを手に、ブゼンは通路を進んでゆく。足取りに、迷いは無かった。

 やがて、通路の突き当りに扉の無い部屋が見えた。中へ入ったブゼンは、燭台を壁の突起に引っ掛け水差しを持って部屋の中央へと進んでゆく。そして、水差しを傾けた。

「偉大なる御方に、清水を捧げます。どうぞ、お目覚めください」

 ぶつぶつと言うブゼンの足元に、水差しの水が流れ落ちてゆく。床には、細い溝があり水はその中を流れてゆく。と、ほのかに床が光を帯び始めた。床の溝は魔法陣となっており、ブゼンはその中心からさっと退いた。

『何用か』

 魔法陣の中心から、丸いぶよぶよとしたものが姿を見せて言った。部屋の全体を震わせるような、低く不気味な声音であった。

「偉大なる水神スイレン様、この度は斯様な時分に訪いましたことを、まずはお詫び申し上げます」

 両膝をつき、両手を顔の前へ上げてブゼンはそのモノへと告げる。白く濁った半円のドーム状のそれは、ふるりとひとつ、震えて見せた。

『御託は、良い。何の用かと、聞いている』

 苛立ったような声を上げるそれに、ブゼンは慌てて額を床へと押し付ける。

「は、はい。実は、王都よりこのような竹簡が」

 袖の下へと手を入れて、ブゼンが竹簡を胸の前に広げる。ふるりとした半球体のどこに眼があるのかは解らないが、それは問題なく竹簡に眼を通していた。

『かの地を、奪え。そのような、命であるか』

 竹簡を袖の下に仕舞いながら、ブゼンはうなずく。

「はい。これは、転機にございます。竹簡の主はかの王国丞相、ジュンサイ様にございますれば、私めの栄達は、間違いないことかと」

『そして貴様はこの我と手を切り、王都へ行って王国丞相とやらと手を組む。そういう段取りか』

「いいえ、滅相もございません! うだつの上がらぬ地方領主の末子であった私が、こうして親兄弟を蹴落とし、この地の支配者と成れましたのは全て水神様のお導きにございます。私めが王都へ上りました際には、心利きたる者を代官とし、水神様を篤く祀らせるつもりにございます」

 両手を組み合わせ、上目遣いにブゼンはそれに告げた。嘘は、通じない。だからこそ、ブゼンが発する言葉は全て本心からである。この存在を神として祀り続けて、ずっとブゼンはそうしてきた。

『なれば、良い。我への供物は、忘れぬようにせよ』

 満足そうな声音のそれに、ブゼンは深くうなずく。

「勿論にございます。年に、生娘を三人。これまで通り、捧げさせていただく所存です」

 己が領地の民草を、この存在に捧げることにブゼンは何の疑問も、そして呵責も抱かずにいた。民は、己の所有物であり放っておけば勝手に増えてゆく。

『それで、我に何を求める? かの地に、止まぬ雨を降らせることか? それとも、一切の水を引き上げ日干しにすることか』

 問いかけに、ブゼンはぶるぶると首を振った。一年と少し前、あの領地は突如密林と化した。それ以外は手の者を潜り込ませるも帰還することは無く、何も解らない土地だ。しかし、これから己の物になるのであれば、あまり荒らしたくは無かった。

「西の、暗闇の沼の蜥蜴族どもに、渡りをつけていただければ、と」

『容易きことだ。奴らを、かの地へけしかければ良いのだな?』

「はい。二百を超える蜥蜴族に襲撃を受ければ、ただでは済みません。そこへ私が、領兵を率いて形ばかりの援護をします。苦も無く蜥蜴どもを蹴散らした我が領兵を、かの地の領主は歓迎することでしょう。懐深くに入り込んだところで、あとは手のひらを返せば良いだけです。かの地の領主は代々、文弱の徒にございますれば、これで上手くゆかぬ筈がございません」

 自信満面に言い切り、ブゼンはそれの反応を見た。ふるふると、表面に小さな波が立っている。

『愚か者め!』

 突然の罵倒に、ブゼンは即座に平伏する。

「ははあっ!」

『かの地は、ただの密林では無い。我が眷属の生み出したる聖域なのだ。そのような場所で生き延びておるだけならばいざ知らず、ゆるやかではあるが聖域を解きほぐすまでしておる相手を、貴様ごときの矮小な策でどうにかできると思っておるのか!』

 叱る声を丸めた背中に浴びながら、ブゼンは愕然としていた。

「よ、よもや、そのような事とはつゆ知らず……どうぞ、お許しを!」

 それの怒り狂う声音を、ただただ受け流したい一心でブゼンは詫びる。怒りの波動を受ければ、それだけで頭が割れそうに痛んだ。

『……蜥蜴族は、動かす。二百といわず、五百を出させよう。かの地の者どもが震えあがるような、包囲を築かせる。貴様は手勢を率いかの地へ潜り込み、我の指示を待て。いかな人間であろうと、同族の援軍を受け容れぬ筈はあるまい。そして時をみて内と外より同時に攻め立て、抗する間もなく一人残らず討ち滅ぼすのだ』

「う、承りまして、ございます。して……その、合図とは?」

『かの地に流れる小川を、大河のごとく氾濫させる。それが、合図だ。蜥蜴族の攻勢が強まるのを待って、貴様の兵で領主の首を獲れ。それで、事は成る』

「畏まりました。必ずや、領主ファンオウの首を、獲ります」

 顔を上げて、ブゼンはうなずく。

『よし。事が成った暁には、新たに五人の生娘を我に捧げよ』

「五人、で、ございますか」

 ブゼンの眼が、大きく見開かれる。

『貴様の生涯の栄達が掛かっておるのだ。別段、おかしくは無いだろう』

「……畏まりました。年に一度の供物とは別に五人、用意させていただきます」

 拱手して、ブゼンはそれに肯じて見せた。

『事が成るかは貴様次第だ。決して、しくじるな』

「心して、準備を進めます」

 ブゼンが答えた直後、魔法陣から光が消えてふっと半球体のそれが姿を消した。ブゼンは、全身にぬるぬるとした不快感を覚えた。深く息を吐いて、立ち上がったときにそれが己の汗だと気づく。

「……兵を、集めねばならぬな」

 呟き、ブゼンは隠し通路を通り私室へと戻る。今は、冬である。農閑期の今ならば、兵もさほど苦労無く集まることだろう。水神の助力も得られ、策まで授けられた。時は、己にある。

 隠し扉を元へ戻し、ブゼンは暗い笑みを浮かべるのであった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

次回は再び、のほほん領へと場面が戻ります。


今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。

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