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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
昇陽の章
40/103

のほほん領主、三顧の礼をもって賢人を説きふせる

※今回のお話には、少し特殊な表現が含まれております。苦手な方には、ごめんなさい。

 狭く長い廊下を歩き、少し進むと布の仕切りがあった。中は狭い小部屋になっていて、奥に引き戸が見える。ファンオウ達は身を寄せ合うように湯浴み着へと着替え、アクタに促されるままに戸口をくぐった。

「これは……なかなかに、広いのお」

「土の魔法で作られた空間のようです。削りは荒いものの、人間ならばこの程度でしょうな」

 エリックに続いて浴室へと入ったファンオウの声が、浴室の壁に反響する。岩場をくり抜いて設えられた浴槽は、大の大人が三人、手足を伸ばして寝転がることができるほどの大きさである。ほかほかと湯気を上げ、湯は浴槽を満たしさらに溢れている。

「温かい……ここに、浸かるんですね」

 浴槽の縁に手を伸ばし、指先を湯につけイファが言う。

「うむ。じゃがその前に、掛け湯をせねば、ならぬのお」

 置いてあった手桶を取ろうとするファンオウであったが、ひょいと横合いから手桶が持ち上げられる。

「僭越ながら、殿には俺が」

「ふむ。ではイファよ、今よりエリックの行う掛け湯を、とくと見ておくのじゃぞ」

 イファがうなずき、真剣な瞳を向けてくる。手桶に汲んだ湯へ指を入れたエリックが、よし、と小さく呟いた。

「参ります」

 見事な桶さばきで、エリックがファンオウの肩から背中へ湯を掛ける。ぬるめの湯が全身へ振りかかり、ファンオウは思わずほう、と息を漏らす。

「ううむ、良い、湯じゃのお」

 眼を細め、ファンオウは流れ落ちる湯の滴を眺める。ふっくらと肉のつきはじめた腹部を通り、短い足の間からさらさらと湯は流れてゆく。ぴたりと張り付いた湯浴み着に、白くもっちりとした肌が透ける。そうして流れ落ちた湯は、浴槽の側にある穴へと消えてゆく。

「……あの湯は、どこへ行くのじゃろう、のお」

 湯気に上気した頬を緩ませ、ファンオウはのんびりと呟いた。

「穴より大地を巡り、この浴槽へ循環している模様です。水の魔術も用いられておりますな」

 ざぶりと自分に湯を掛けながら、エリックが言った。

「お風呂って、大掛かりなものなんですね」

 エリックから手桶を受け取ったイファも、そろりと湯を掛けながら穴を見つめる。ごぼごぼと音立てながら、湯は穴へと消えていった。

「ささ、殿。一番乗りを、なさいませ」

 全身から湯を滴らせながら、エリックが浴槽へ手を伸べる。鍛え上げられ、引き締まった筋肉はほどよく上気し、ほのかに赤く色づいている。

「うむ……うむむ……」

 足先から、そっと湯の中へファンオウは身を入れる。湯の温かさに、心地よい痺れのような感覚があった。そっと踏みしめた浴槽の床は、つるつると滑らかな感触である。肩まで湯に浸かり、ファンオウは浴槽の端まで進んだ。

「良い加減じゃ。エリック、イファ、お主らも、入ると良い」

 浴槽の端で控える両者に、ファンオウは呼びかけた。

「それでは、遠慮なく参らせていただきます……イファ、俺の後へ続き、殿のなされたように足先から、ゆっくりと湯に入るように。決して、飛び込んだりしてはならぬ」

 真剣な表情でエリックがイファに指示を出し、イファがそれに応えてこくりとうなずく。二人が入ったことにより、浴槽から勢いよく湯が溢れ出た。

「良い湯じゃ、のお。身体の、芯まで、ほぐれてゆくようじゃ、のお」

「……左様に、ございますな」

 深く唸るファンオウに、エリックが応じる。肩まで浸かったイファも、糸のように眼を細めて息を吐く。静かな、時間が過ぎてゆく。

「……エリックよ、腕の、具合はどうかのお?」

 ファンオウは、エリックの左肩を診る。領地を脅かす悪鬼との戦いで、エリックが傷を受けた場所である。

「殿の治療により、もう何ともございませぬ。以前より、調子が良くなったくらいです」

 ぐるりと細い肩を回し、エリックが答えた。細身の華奢に見える肉体であるが、その内には身の丈以上の鬼をも打ち倒す力が秘められている。その肩へ、ファンオウは指を触れる。

「なれば、良いのじゃが……お主は、己の身を顧みぬところが、あるでのお」

「殿……」

 触れた指先に緩急をつけ、ファンオウはエリックの肩を撫でる。エリックの硬い頬が、微かに緩む。

「イファや、このあたりが、腕の全体を司るツボとなる。ようく、見ておくのじゃ」

「はいっ!」

 イファにもよく見えるように、エリックの湯浴み着をはだけさせて、ファンオウは指圧を続けてゆく。

「殿……何とも、かたじけなく存じます……おお……」

「常々、わしを護り続けておるゆえ、ちと張り詰めて、おるようじゃてのお。この機会に、ほぐしておいて、進ぜようのお」

 喜悦の呻きを漏らすエリックに、ファンオウは優しく語り掛ける。続けるうちに、エリックの耳がぴくりと動いた。

「……殿、奇妙な音が、聞こえます」

「ふむう?」

 手を止めて、ファンオウは耳を澄ませてみる。むふー、むふー、と微かな風の流れる音が、聞こえてくる。

「奇妙な、音かのお?」

 イファを見れば、首を傾げるばかりである。

「生き物の、息遣いのようにも、聞こえませぬか? それに、湯に浸かっているというのに、先ほどの気配というか、寒気のようなものも感じます。長居は、無用かと」

 エリックの背中に、うっすらと鳥肌が立っていた。ファンオウには何も感じられないが、歴戦の森の勇者であるエリックならではの、何かを感知しているのかも知れない。

「うむ。なれば、お主の言う通りに、しようかのお」

 粟を生じているエリックの肌に手のひらを滑らせ、温める。だが、体温が冷えているわけでは無いようだった。風呂から上がる、となればエリックの行動は素早かった。さっと浴槽から出るとファンオウへ右手を伸べ引き上げる。同じく左の手で、イファも上がらせていた。

「風呂は、いかがでしたか?」

 着替えを置いた小部屋に、アクタが大きな布を持って待っていた。湯浴み着を解いたエリックがそれを受け取り、同じく下帯一枚となったファンオウの身体を拭う。

「うむ。良い湯じゃった。まさか、かような風呂場が、この家にあるとはのお」

 にっこりと笑いながら言うファンオウに、アクタが布衣を着せかけてくれる。後ろで、エリックが今度はイファの身体を拭いてやっていた。

「風の精霊よ……」

 エリック自身は精霊の力を借りて、身体を乾かしたようだった。ひゃ、とイファ軽い悲鳴を上げているのが聴こえた。イファの髪を、精霊が乾かしたのである。

「ありがとう、ございます……」

 恐縮しきった様子で頭を下げるイファに、エリックが小さくうなずく。面倒見の良い兄のようにイファへ衣服を着せてゆくエリックに、ファンオウはうむうむとうなずいた。

「それでは、客間にお戻りください。間もなく……ちょっとお時間いただきますけど、ランダの姐さんがお会いになるそうですから」

 戻りもアクタに案内されて、ファンオウたちは客間へと戻った。


 客間で、冷えた井戸水を供されて待つことしばし、粗末な布衣に身を包んだ小柄な女性が姿を現した。ゆるゆると歩いてくる姿勢は真っすぐで、病と見まごうほどにその肌は白い。身体つきは細く、布衣の端からのぞく手足はやせ細っていたが、横一線に切りそろえられた黒い前髪からのぞく眼には爛々とした活力があった。

「お初に、お目にかかります。ランダでございます。ファン家の三男、ファンオウ様には態々このような破れ家にお運びのこと、恐悦至極に存じます」

 客間の入口に座して、ランダと名乗った女性が深くお辞儀をする。

「急に参ったのは、こちらの都合じゃて、面を上げて、楽にせよ」

 ファンオウの言葉に、ランダが顔を上げる。痩せて細く尖った顔つきであったが、肌自体は健康のようでつやつやとしていた。

「それで、本日は、いかなる御用向きでございますか?」

 ひたり、とランダがファンオウ、そしてエリックへと視線を向けてくる。眼が合った瞬間、ファンオウの背筋に言い知れぬ感覚が走った。ねっとりと腰のあたりに絡みつくような、あの奇妙な気配がより濃厚になって立ち現れる。エリックも同様のようで、その長身がわずかに揺れる。

「殿の領地にて、(まつりごと)の助けとなる人物を殿はお求めだ。フェイの推挙もあり、お前を迎えに来たのだ」

「政の……ですか」

 小首を傾げ、上目遣いにランダがエリックを見やる。

「そうだ。フェイによれば、お前にはその才がある、とのことだ。なればその才をもって、殿に仕えるのがお前にとって最善であろう」

「エリック、口を閉じよ」

 高飛車なエリックの物言いに、ファンオウは内心慌てつつエリックを制する。ちらりとランダを見てみれば、上気した頬に眼をまん丸く見開いている。

「……く、口を閉じた後、どうするのかしら……」

「む? ランダ殿、何ぞ、言いたいことがあるのかのお? エリックは、こういう言葉遣いを常とするものじゃて、気に入らぬことがあれば、かわりにわしが謝る。すまぬのお」

 もごもごと何事かを呟くランダに、ファンオウは頭を下げる。

「殿、いけませぬ。軽々しく頭を下げられるのは、王となる者のすべきことでは」

「良いのじゃ、エリック。今のわしは、小さな領の領主。でなくとも、非礼があれば、詫びるのが、筋というものじゃろう?」

 エリックに視線を向けて、告げる。大人しく引き下がったエリックから視線を戻してみれば、ランダは俯いて肩を震わせていた。

「……いけませぬ……ぐふふ……捗るわあ……」

「む? ランダ殿? どうなされた。体の調子が、優れぬのかのお?」

 またも小さな呟きを聞き逃し、ファンオウはランダに心配そうな眼を向ける。

「い、いえ……何でも、ありません。大丈夫でございます。しかし……政の助け、となると、私ごとき非才の身では、お役に立てますかどうか……」

 首を振って無事を主張しつつ、ランダが俯く。

「非才では、無かろう。この家に、あれほどの風呂場を、用意できるのじゃからのお」

「あの風呂場は、私のこ、個人的な趣味でありますれば……ファンオウ様には、お悦びいただけたのでしょうか?」

「ふむ。良い湯じゃった。のお、エリック、イファ」

 ファンオウの言葉に、口を閉じたままエリックがうなずく。

「はい、とっても気持ち良かったです。ファンオウ様もエリック様も、気持ちよさそうに入っておられました」

「それは……ぐふ、何よりです……私も、堪能させていただきましたし……」

 口の端を大きく歪ませ、ランダが呟く。最後のほうは、声が小さすぎて何を言っているのかは判らなかった。ただ、エリックの眉がぴくりと小さく動いた。

「趣味で用意できる、というのであれば、立派な才能である、とわしは思うのじゃがのお。それに、村の畑の造作にも、お主は、関わっておるのじゃろう?」

 ファンオウの問いに、ランダの崩れた表情が一気に引き締まる。少女のような幼さの残る顔立ちの中に現れたのは、怜悧な警戒の色であった。

「……何故、そう思われますか?」

 問いとともに、ランダの双眸から見えぬ何かが発せられる。一呼吸おいて、ファンオウはそれをしっかと受け止めた。

「民の動きを見れば、それが自然のものでは無いと、判る。最初に見抜いたはエリックじゃったが、実に、見事な造作じゃった。因果を探るは、医師の、癖のようなものでのお。誰かがそれを成したのであれば、それは、お主において、他ならぬ、と思い至ったのじゃ。お主は、この地の領主と、あまり仲が良くないと、聞いておるゆえのお」

「……確かに、ここの領主様とは意見の食い違いもあり、あまり好ましく思ってはおりませんが。しかし、ならばどうして、畑をあのように作ったと?」

 挑むように、ランダが問いかけてくる。うむ、とファンオウはうなずき、指をひとつ立てた。

「税の在り様を、考えればよい話じゃ。広い畑を持つ者には、多くの税が課せられる。豊作凶作に関わらず、土地の広さで課税をするのが、王国の習慣じゃ。してみればあの畑は、実に都合が良い。広さも一定であれば、税の勘定は畑の数を見れば済む。測量に、それほどの手間もかからぬじゃろう。つまり、領主の派遣する、役人の滞在時間が、短くなる。そのような考えで、どうじゃろうのお?」

 ファンオウの解説に、ランダはふっと微笑する。

「おおむね、そういう方向性で間違いはございません。しかし、あの畑には、もう一工夫ございます」

「ふむ? もう一工夫?」

 首を傾げるファンオウに、ランダは痩せた胸を張って応えた。

「はい。小さく狭い土地で、最効率の取れ高を目指し麦の品種を掛け合わせました。少ない納税で、収穫量は他所の倍近くはございます。村全体から上がる税は、私が手を入れる前よりも少なくなりましたが、収穫量はむしろ増えております。村人は豊かになれど、領主の懐は潤わぬ。これは、私の意趣返しなのですよ」

 むふー、と鼻息を荒げて言い切ったランダに、ファンオウはぽかんと口を開けて見入ってしまう。

「なんとも、大掛かりなものじゃのお……いかほどの、年月をかけたのじゃ?」

「ほんの二、三年でございます。こちらにいる、村長のアクタを引き込み……コホン、穏当に同士として協力し、改革を強行したのです」

 ランダに手で示されたアクタが、ハハと乾いた笑いを浮かべる。

「姐さんの手腕には惚れこんでますけど、同士というのは……本当に勘弁してください。この通りです」

 心底嫌そうな顔で、アクタがランダへ土下座する。ファンオウは、小さく首を傾げた。

「ちょっとした、主観の違い、というものでございます。素晴らしいものが認められるには、農作物への細工などより、余程時間がかかるものですから」

「素晴らしいもの……とな? それは、一体、どのようなものなのじゃ?」

 ファンオウの問いかけに、ランダの眼がぎらりと光った。

「その問いに答えを返すこととなれば、ファンオウ様を試すこととなりますが、よろしいのでしょうか」

 問い返すランダの双眸を、ファンオウは見返し、そしてうなずく。

「構わぬ。お主ほどの、手腕を持つ者に、試されるとあっては、むしろ光栄じゃて、のお」

 ファンオウの答えに、ランダはにたぁり、と大きく歪んだ笑みを向けてくる。

「それでは、語りましょう。そして試しましょう。ファンオウ様が、私の仕えるべき主と成り得る御方であるかどうか、そして、私の同士足り得る御方かどうか……」

 ゆらり、とランダが立ち上がると、その小柄な全身から妖気のようなものが発せられ、空気が歪む。ごくり、とファンオウは唾を飲み込んだ。

「私は……見目麗しい殿方と殿方が、あられもなく絡み合う姿こそ至高であると思うのです! 美しく逞しい筋肉のぶつかり合いこそが、神の与えたもうた楽園に相応しい! 特にヘタレ攻め! 掛け算(カップリング)においてこれはまさに究極と申せましょう! 次点で鬼畜ショタ攻めもアリですが、これは受けに回ってもなお素晴らしいポテンシャルを持っているので状況によりけり、ケースバイケースにございます! 私は、今日というこの日が来るのを待ち望んでおりました! ん何故ならば、そこにいるエリック様こそ、私の理想とする受けキャラなのですから! ああっ、美形エルフには何を掛けてもイケる! そしてそんな彼が殿として慕う貴方様との掛け合わせは、最っ高に心が滾るというものでございます! ビバ、ヘタレ攻め!」

 身振り手振りで、ランダが派手な動きを見せる。だがその言葉は、ファンオウの耳には入って来ない。彼女が狂ったように叫び始めた途端に、エリックが風の魔法で音を遮断したのだ。

『殿、耳を貸してはなりませぬ。これは……呪詛です』

 頭の中に、エリックの冷静な声が響く。念話の魔法であった。

「呪詛……かのお?」

 口の中で、ファンオウは小さく呟く。生き生きとした身振りと、唾を飛ばさんばかりにまくし立てるランダからは、そのような気配は感じられない。呪詛とは、暗いものでは無かっただろうか。内心で、ファンオウは首を傾げる。そうしている間にも、ランダはますます熱くなってゆく。両手を使い、何やら交差させたりこすり合わせたりとしているところを見れば、何か重要なことを説明しているのかも知れない。

「エリック……ランダ殿は、何と?」

 口の中で、小さく問いかける。

『彼女の……信奉する神についての話でしょうな。殿のお耳に、入れるまでもありません』

 返ってきた断定の念話に、ファンオウは首を横へ振る。

「なれば、聞かねば、ならぬであろう。耳に入れる、入れぬは、わしの決めることじゃ」

 ちらりと横目でエリックを見やり、ファンオウは言った。

「み、耳に、入れる……?」

 熱く何かを語っていたランダが、ぴくぴくと眼の端を痙攣させて呆然とした様子で呟いた。どうやら、少し大きな声を出してしまったらしい。

「む、すまぬ、ランダ殿。お主を迎え入れるにあたり、話を聞かねばならぬのじゃが、エリックが、風の魔法にてそれを遮っておって、のお……」

 あれほどの熱意を込めた言葉を、聞いていなかった。となれば、気分を害するのは当然のことだ。ファンオウはそう思い、申し訳ないと頭を下げる。

「……ダメ、ダメよ……耳は、流石に……」

 真っ赤な顔になって、ランダは首を横へ振る。

「むう……やはり、無礼であったのお……こちらの領へ、移り住むのは、ダメ、かのお……」

 どうやら怒らせてしまったようだ、とファンオウは俯く。ランダは眼を閉じ、ぐふ、と不気味に笑った。

「……イイ、かも知れない……新たな境地……」

「おお、良いのか? 新たな領地を共に、拓いてくれるのかのお?」

 ぱっと顔を上げるファンオウに、しかしランダは難しそうな表情になった。

「……ううん、やっぱり、ダメよ……耳は、大事にしなきゃ……」

 ぶつぶつと言うランダに、ファンオウは座して床に拳を置き、頭を下げる。

「そこを、何とか……この通りじゃ。わしの領の民には、お主の導きが、必要なのじゃ……」

「殿! いけませぬ、それは、それだけは……!」

 乏しい表情に必死の形相を浮かべ、エリックがファンオウへ取りすがる。ランダの両眼が、くわっと開かれた。

「イイ……! 素晴らしいわ!」

 ランダの上げた声に、ファンオウは再び顔を上げる。

「おお、良いのか、ランダ殿。わしの領に、移り住んでくれるのか」

 ファンオウの言葉に、ランダがにっこりと微笑んで手を差し伸べる。

「ええ……私を気味悪がらずに受け入れ、尚且つ新たな境地を見せてくれるというファンオウ様の心意気、確かに受け取りました。今日これより私は、ファンオウ様にお仕えします。特等席で、じっくりねっとりと掛け算することを、お許しいただけますならば……私のことは、ランダ、と呼び捨てにしてくださいませ」

「掛け算……うむ。領地の作物が、豊かになるよう、存分に掛け算をしてほしいのお。わしの方から、それは、願うところじゃ、ランダよ」

 ランダに手を取られ、ファンオウは立ち上がる。

「殿……」

 青い顔で、エリックが首を横へ振る。心底嫌そうな美しいエルフの表情は、しかしファンオウの眼には入らない。カラカラと笑うファンオウが見据えるのは、豊かになり笑顔を浮かべる民たちの姿であった。

「ファンオウ様と、エリック様……そういうのも、あるんだ……」

 傍らで、ほんのりと頬を染めたイファが呟いた。

「ランダの姐さんを、受け入れるなんて……凄い人だね、お隣の領主様は」

 やり取りを見守っていたアクタが、ぽつりと言った。小人族の幼い瞳に、老獪な光が一瞬浮かび上がり、消える。

 こうして、ファンオウの領に新たな民が加わることとなったのである。小さくは無い、掛け違えを残して。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。

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