のほほん領主、草庵の賢人を訪れる
密林を抜けて、木々のまばらに生える道を進む。三頭の馬は足取りも軽やかに、平地を駆けてゆく。ほどなくして前方に、畑と民家の広がる鄙びた村の姿が立ち現れた。
村の手前で、馬は歩を緩めて並足となる。二頭の馬に前後を挟まれた馬上でファンオウは、疾駆に付き合い凝り固まった全身をほぐすようにしながら首を巡らせた。
「なんとも、長閑な村じゃのお」
そう口にするファンオウの言葉のほうが、余程長閑な響きを持っている。だが、後ろに続くイファも、先頭で馬を御するエリックも、黙ってうなずいた。
「ファンオウ様、あちこちに、紅花が植えられていますよ!」
はしゃいだ声が、後方のイファから上がる。
「ふむ。春にはきっと、綺麗な花を、咲かせるのじゃろう、のお」
のんびりと応じるファンオウに、はい、とイファが嬉しそうに声を上げた。先の悪鬼との対決で父を亡くしたイファの、華やいだ様子にファンオウは微笑を深くする。やはり、連れ出してきて正解であった。この天真爛漫な少女には、様々な景色を見せてやりたい。イファの父、亡きイーサンに代わって、ファンオウが抱くのは父心のようなものである。
「……中々に、見事なものですな、殿」
美しくも鋭い視線を周囲へ向けて、油断なく馬を歩ませるエリックが言う。その声は、風の精霊の助けを得てファンオウの耳にのみ届いている。
「うむ。春の花を思えば、心も安らぐと、いうものじゃのお、エリック」
「いえ、殿。俺が言いたいのは、畑の形です」
エリックの言葉に、ファンオウは紅花の苗の植えられた畑を見やる。
「形、とな? わしには、皆同じような畑に、見えるがのお」
「はい。皆、同じ形をしているのですよ。大きさも、大まかに三種類ほどですが、綺麗に整えられております。家々は、その間隙を縫って建てられていて、どの畑にもしっかりと水の行き届く水路もありますれば、これは余程のやり手が造作したものでしょうな」
言われてみれば、ファンオウもその景色の異様さに糸目を開く。
「なるほど。大した、ものじゃのお」
感嘆しつつ、改めてファンオウは畑を眺める。きっちりと面積の揃えられた畑の四方には、木の杭が立てられている。ぽつぽつと、畑の中で雑草を取る農夫たちの姿が見えた。
「ふむ。ここの民たちは、きびきびと、よう動くのお」
「鍛え上げれば、良い兵になるでしょうな。あの者たちの動きには、統一性があります」
「ここの村って、男の人がほとんどみたいですね」
背後で、イファが声を上げる。見てみれば確かに、土を弄る姿は男性ばかりであった。
「女子衆は、確かに見当たらぬのお。家の中に、おるのかのお?」
「私の村では、畑仕事はみんなでしてましたけど……それに、あの人たち、何だかこわいです」
イファの言葉に、ファンオウは首を傾げる。
「怖い、とな?」
振り向いたファンオウに、イファがうなずいて見せた。
「はい。さっきから、無言で畑仕事してるんです。歌を歌ったり、隣の畑の人とも顔も合わせず、それでいて息がぴったり合っていて……」
耳を傾けてみれば、聞こえてくるのはイファの声と馬の息遣い、そして鳥の声のみである。
「……殿」
エリックの声とともに、三頭の馬が歩みを止めた。前方を見やれば、エリックの馬の前に男の子が一人、立っている。
「こんにちは。おじさんたち、あっちの森のほうから来たんだよね」
男の子は、ファンオウ達のやってきた方角を指差して言った。
「そうだ。俺たちは、この村に住むランダという娘に、用があって来た」
エリックが声を上げると、一瞬、周囲にざわめきの気配が起こった。畑仕事をしていた農夫たちの視線が、ファンオウ達へと集まってくる。だが、男の子が右手をさっと振れば、農夫たちはまた無言の作業へと戻っていった。
「ランダの姐さんに、何の用が? それに、あの森はたくさんの獣や毒蛇、凶暴な蛮族の住んでいる場所で、並大抵の奴じゃ通り抜けられないくらいの難所なんだけど、そこを抜けて来たおじさんたちは、一体何者なの?」
首を傾げつつ、早口で男の子が問いかけてくる。見た目は五つ、六つくらいの年頃のようだが、言葉遣いには大人びたものがあった。着ているものも、農夫たちの粗末なものとは違い、薄く袖端の短い、しかし上質な布衣である。
「……小人族か」
吐き捨てるように言ったエリックに、男の子がうなずく。
「うん。そうだよ。それより、僕の質問に、答えてはくれないのかな、不審者のおじさんたち?」
幼い顔に挑発的な表情を浮かべ、男の子が言う。
「ランダ殿の、遠縁の者から紹介を受けてのお。わしらの領に、迎えに上がった次第なのじゃ。わしは、ファンオウ。お主の言う、難所を領とし民を育む領主じゃ」
ファンオウは馬を降り、男の子へと歩み寄ってゆく。馬上で剣の柄に手をやるエリックを、横目で制した。
「へえ……あんな魔境に、人間が住めるの? いいとこ鬼くらいしか、住めないと思ってたけど」
くりくりとした眼を輝かせ、興味津々な様子で男の子が問う。
「あの地におった悪鬼は、もうおらぬ。ここにおる、エリックが倒したのじゃからのお」
そう言って首を上げれば、エリックはいつもの無表情である。素早く馬を降りたエリックが、ファンオウと男の子の間に割り込んだ。
「お前の質問には、畏れ多くも殿が答えてくださった。次は、お前の番だ、小人族。ランダの居場所はどこだ? 二度は、聞かない」
睨みつけるエリックの視線に、男の子は大仰に身を震わせる。
「ちょっと、怖いよこのおじさん! いたいけな小人族に、本気の殺気向けないで! 助けて、ファンオウさん!」
悲鳴を上げながらエリックの脇をすり抜け、男の子がファンオウに縋り付こうとする。しかし、エリックの反応の方が上回った。がしりと男の子の顔面が、エリックの掌に掴まれる。
「ぎゃああああっ!」
宙吊りになった男の子が、足をばたつかせる。だが、エリックが腕に力を込めると、すぐに大人しくなった。
「エリック」
「不審な動きがありましたので、拘束いたしました。これは子供に見えますが、小人族では立派な成人です。命の覚悟は、出来ているかと」
みしり、とエリックの指の間で、男の子の頭部が鈍い音を立てる。
「ご、ごめんなさいごめんなさい! 何もしないから下ろしてください! 頭を握り潰すのだけは……アッーーー!」
聞くに堪えない悲鳴に顔を顰め、エリックが男の子の身体を下ろして手を離す。涙目になってこめかみを押さえ、男の子が怯えた瞳をエリックへと向ける。
「本気だった……いま、絶対に本気だった……」
震える男の子の声に、エリックは当然とばかりにうなずく。
「殿に仇為す者は、全て俺が始末する。さて、それが身体で解ったところで、お前はどうする? 大人しく、ランダの元へと案内をするか、それとも」
「喜んで案内させていただきます!」
手のひらで空を掴む仕草を見せたエリックに、男の子が背筋をぴんと伸ばして答えた。やりとりを見守っていたファンオウとイファは、顔を見合わせて苦笑した。
そうして、男の子に案内を受けてファンオウ達がたどり着いたのは、村の端にある崩れかけた家屋であった。
藁ぶきの屋根は斜めに傾いでおり、石を積み上げた壁には苔がびっしりと生えている。一見すれば、それは廃墟と言っても過言ではない程のものである。
「これは……何とも、趣のある、家じゃのお」
身体を斜めに曲げれば、その建築物は真っすぐに見える。それほどの、傾きであった。
「こんな家に、誰か住んでいるんでしょうか」
ファンオウの隣で、イファも身体を傾けて言った。
「ランダの姐さんは、ちょっと変わってるんです。いきなり崩れたりはしないから、僕に続いて入ってください」
男の子が言って、入り口の戸を引き開ける。斜めに傾いだ戸は、意外と滑らかに動いた。男の子が気軽に中へと入ってゆき、エリック、ファンオウ、そしてイファと続く。
玄関口に足を踏み入れた瞬間、エリックの全身がびくりと震える。
「ふむ? どうか、したのかのお、エリック」
「……何か、良からぬ気配のようなものを、感じました。殿、俺の側を、離れぬように願います」
油断なく周囲へ眼を配り、エリックが低く言う。
「良からぬ、気配、のお……?」
斜めになった壁に圧迫されるような、狭い玄関口でファンオウは首をひねる。イファと顔を合わせてみるが、小さく首を横へ振っていた。どうやら、不穏な気配を感じているのはエリックのみのようだった。ファンオウはひとまずうなずき、エリックにぴたりと付いて家の中へと上がった。
案内された部屋は、小さな客間だった。囲炉裏と敷物だけの部屋だが、ファンオウ達三人が入れば少し窮屈なくらいの小部屋である。
「それでは、僕はランダの姐さんを呼んできます。何もないところですが、ゆっくりと寛いでお待ちください」
エリックから常に放たれる殺気に、おどおどとしながら男の子が一礼した。
「ならば、早く連れて来ることだ。もし、殿と俺たちを罠に嵌めるつもりであれば、噛み破ってそれなりの報復をする。覚悟しておけ」
「エリック……すまぬのお、童子よ。エリックは、わしを護ることに忠実じゃから、このような物言いになるのじゃ。ランダ殿には、失礼の無いよう、よろしく取り次いでもらえぬかのお」
すまし顔のエリックに眉を寄せ、ファンオウは男の子に向けて微笑んだ。
「うん、わかっ……りました。ちゃんと伝えてきますので、ご心配なく。あ、僕は、アクタと呼んでください」
ほっとしたような笑顔を見せて、男の子が名乗る。
「うむ。では、アクタ殿。よろしく、のお」
軽く頭を下げるファンオウに、アクタは小さく手を振って姿を消した。とんとんと、軽やかな足音が家屋の奥へと続いてゆく。見るとはなしに見送って、開け放たれたままの客間の戸の間から外を見た。草深い、手入れのされていない庭が見える。枯れた草の中に、青々と茂るものがあった。
「イファや、あの、草の実は、干して潰せば薬になる。よく効くものじゃから、覚えておくのじゃ」
「はい、ファンオウ様」
イファがうなずき、庭の草へとじっと眼をやる。その様子を見つめてしばらくいると、ファンオウの肌に奇妙な感覚が走った。部屋の空気が、淀んでいる。開け放たれた入口から、時折風が入ってくるというのに、そう感じた。ねっとりと、全身を這いまわるような何かの気配があった。
「ふむう……」
「……殿。再び、あの気配があります。恐らくは、こちらの壁から」
顔を寄せて耳打ちをし、エリックが背後の壁を凝視する。絡みつくような気配は、ますます濃厚なものとなってくる。
「どうか、されましたか、ファンオウ様、エリック様?」
きょとん、と首を傾げてイファが訊いた。
「お主は、何ともないかの、イファや?」
ファンオウの問いに、イファは怪訝な顔を見せるばかりである。ふむ、と考え込むファンオウと、壁の一点を厳しい目で見つめるエリック、そして庭へ視線を戻したイファの元へ、軽い足音とともにアクタが姿を見せた。
「お待たせしました。ランダの姐さんは、もう少し準備があるそうなので、ひとまず風呂のもてなしをしたい、とのことです」
「風呂……かの?」
三つ指ついてお辞儀をするアクタに、ファンオウが問う。
「はい。あっ、密林の御方にはあまり馴染みがないかも知れませんが、風呂というのはですね」
「そのあたりは、知っておる。そうじゃのお。旅の垢を、落としてから会うのが、良いかも知れぬのお」
風呂の説明を始めようとするアクタに、ファンオウは苦笑する。
「失礼しました。湯浴み着は、こちらで用意しますので、どうぞご遠慮なく」
アクタが平伏し、三着の湯浴み着を差し出してくる。風呂といえば、薄い湯浴み着を纏って男女混浴となるのが風習であった。だがそれは王都でのものであり、ファンオウの領やこのあたりのような辺境では、布で身体を清めるのが一般的であった。ために、先ほどアクタが風呂について説明をしようとしたのである。
「何を言い出すかと思えば、風呂とはな。面白い……お前たちのもてなしを、とくと見せて貰おうか」
湯浴み着を手に立ち上がったエリックが、不敵な笑みを見せる。顔を向けているのは、何もない壁である。
「……エリック?」
「殿。もてなしというからには、何かの意図があります。それを知るためにも、ここは乗ってやりましょう」
一見爽やかな笑みに見えるが、付き合いの長いファンオウにはエリックの表情の奥に獰猛な色が浮き上がっているのが見えた。
「わかった。じゃが、わしらはあくまで、ここに賢人を迎えに参ったのじゃ。それを、忘れぬようにのお」
「……賢人と申しましても、フェイの遠縁の娘です、殿」
「わかっておる。じゃが、少しは気分に、浸りたいものなのじゃ。まあ、その前に、まずは風呂に浸るとしようかのお。イファや、お主は、風呂は初めてかのお?」
気を取り直して訊くファンオウに、イファは勢いよく首を縦に振る。
「はい! 見るのも聞くのも、初めてです! これに着替えれば、よろしいのでしょうか?」
湯浴み着を手に取り、好奇心に満ちた瞳を向けるイファにファンオウは微笑ましい気持ちでうなずいた。
「それでは、アクタ殿。ランダ殿のお心遣い、有り難く受けよう。風呂の場所まで、案内を頼めるかのお?」
「もちろんです。ささ、皆さんどうぞこちらへ……あ、湯浴み着には、着いてからお着替えを」
早速帯を解き始めるイファに、アクタが手を挙げて制止の声を上げる。その様子にファンオウはカラカラと笑い、イファは恥ずかしそうに頬を染め、そしてエリックは無表情で不穏な気配を募らせてゆく。
ファンオウの肌にまとわりついていた不気味な感覚は、いつの間にか消えていた。




