のほほん領主、老家令を王都へ送る
今回の前半部分は、少しばかり殺伐成分多めです。ご注意ください。
男の名は、トンヘイといった。王都の丞相であるジュンサイの配下として、多く政に関わってきた腹心である。丸々と肥え太った体躯に、平べったく潰れた鼻は醜怪な豚を思わせる。そしてトンヘイは、その外見に違わず人間性もまた、醜悪であった。
地方の領主たちを王の威光でもって脅し、大金をせしめる。丞相へ納める額から、己の懐に少量を抜き取って入れる。いわゆる公金の横領というものを、何の良心の呵責も無く実行できる男である。
また、大金の用立てに失敗した領主たちには貸しを作り、生かさず殺さず巧みに富を吸い上げるバランス感覚を持っていた。地方の領主に力をあまり持たせたくはない丞相にとって、トンヘイは便利な男でもある。少々の横領は、だからこそ見逃された。
そんなトンヘイが、やってきたのは王国領土の西の端、若き領主ファンオウの治める土地であった。医師の身分であったが、どういう運命のいたずらか領主として領地経営を任じられたのだ。丞相の命を受け、トンヘイはファンオウの領地へと足を運び、いつものように適当な理由をでっちあげて領主を脅した。
元々医師などをしていた者らしく、王都の使者への歓待などの作法を全く知らぬ者ではあった。だが、その配下にきっちりともののわかる家令がいて、トンヘイは厚いもてなしを受け、大金を納める約束を取り付けることに成功した。
揺れる馬車の中で、トンヘイはだらしのない笑みを浮かべる。ファンオウの家令の用意した食事は、王都でも滅多に味わえぬ美味が揃えられていた。度数の強い酒とよく合う、癖の強いご馳走であった。食事の後は褐色の肌の美女を舞い踊らせ、そのうちの一人とその日は床へ入った。王都の女のような繊細さは欠片も無かったが、奔放な女の嬌態は思い返しただけでも欲望がもたげてくるほどであった。
上々の成果を得て、トンヘイが馬車を進めるのはファンオウの領地の南、密林の外である。南方にある領の中に、川が流れている。その川を船で下り、途中で馬車に乗り換えれば王都には二週間でたどり着ける。馬鹿正直に、果無の山脈を越えるつもりなどトンヘイには無い。河川は王家の管理下にあり、本来は王族以外使えないものであったが、王宮で権勢を振るう丞相の配下ともなれば、何の問題も無く川を行き来できるのだ。
「土産物まで、たっぷりと持たせてくれるとはな……ぶふう、あの領とは、長く深く付き合わねばなるまいて」
荒い鼻息を立てて、トンヘイは首の後ろへ手をやった。ファンオウの領地の、唯一の不満はその暑さである。トンヘイの総身に溜まった脂身を、干し尽すほどの気温に早々と領を去ったのは良かったのだが、汗疹のような出来物をこさえてしまっていた。
「王都へ帰ったら、医師に見せねばならんか……ぶふう」
あの土地の、妙な熱気がまだ身体に残っているのかも知れない。気だるい暑さを感じ、トンヘイはぴっちりと張った布衣を引っ張り空気の通る隙間を作る。汗に張り付く布衣が不快で、トンヘイは何度も着替えをしていた。そのたびに御者や従者から不満の声が上がるが、腹と同じく面の皮も厚いトンヘイには何も聞こえていないも同じである。
度々の休憩を挟み、トンヘイは川を下る船へと乗り組んだ。ファンオウの領から土産物として持たされた、大量の赤い実を積み込んだ船はゆっくりと、東の下流へと下ってゆく。だが、トンヘイが自らの足で再び陸地を踏むことは、無くなった。王家にのみ使用を許された御座船の上で、トンヘイは急死を遂げたのである。
奇妙な斑点に全身を覆われたその死にざまは、奇病によるものとその場で診断され、岸辺にてすぐさま燃やされることとなった。脂の多いトンヘイの身体は、かなりの時間、煙を上げて燃え続けたのであった。
豪奢な椅子に腰かけて、ファンオウはフェイの顔を見やる。ファンオウの前にいるのは、家令のフェイ、そしてエリックである。
「使者様には、当家の状況を納得いただいた上で、お帰りいただけました。これで、無暗に無理難題を申しつけてくることも、ありますまい」
晴れ晴れとした表情で言い切るフェイに、ファンオウは首を傾げる。
「じゃが、国王陛下の、ご愛妾への贈り物が、用意できなければ、叛意あり、と見做されるのでは、無かったかのお」
ファンオウの言葉に、フェイが首を横へ振る。
「贈り物であれば、何も大金を用立てなくとも準備できます。こちらには、エリック様という強い御味方がおられるのですから」
そう言ってフェイがエリックを見やれば、乏しい表情に憮然とした色を浮かべながらもエリックがうなずく。
「あの男の愛人にわざわざ物を贈るというのは、いささか不本意ではありますが」
王国の頂点たる国王を、エリックはわざとぞんざいに呼ぶ。ファンオウは苦笑をしながらも、それを咎め立てはしない。
「何か、良い考えでも、あるのかのお」
問うたファンオウに、エリックが差し出すのは腕輪である。見事な装飾の施された銀の腕輪の中心には、赤く大きな宝石がはめ込まれていた。
「万金にも代えられぬほどの物を、贈ればよろしいのです」
そう言ったエリックから腕輪を受け取ったファンオウは、ほうと感嘆の息を吐く。
「これは……随分と、軽いのお。それに、美しい……」
金属のひんやりとした感触と、見た目を裏切る軽量さに、まず驚いた。そして宝石からは、ただならぬ力を感じる。魔術には明るくないファンオウにも、宝石の持つ力は何となく感じられるほどであった。
「使者様が領を去った翌日に、レンガ様からミスリル銀の鉱石が届けられました。それを、エリック様が細工なされたのです」
「その宝石は、火の精霊の力を凝縮して創り出したものです。王国に、二つとない至宝となるでしょう。本来は、殿のために創りたかったものですが」
自信ありげな言葉に滲む不満を感じつつ、ファンオウは曖昧にうなずいて腕輪をエリックへと返す。
「わしには、過ぎたるものであろうのお。何より、お主が側におれば、何の心配も無いのじゃから、のお」
「当然です。殿は、俺が身命を賭して仕える御方にございますれば」
打てば響く、といった調子の主従のやり取りに、フェイが眩しげに笑う。フェイの仕える主は、ファンオウの祖父から父、そして長兄、次兄へと移り変わってきた。そのような変遷を経て、何か思うところがあったのかも知れない。
「この腕輪を、王都へ運び国王陛下へ献上するのですが……それについて、ファンオウ様にお願いがございます」
エリックの持つ腕輪を受け取り、布で包みながらフェイが口を開く。
「ふむう、願い、とは何じゃろうかのお」
「私めを、使者として王都へ送っていただけませぬでしょうか」
跪き、布包みを小脇に抱えたフェイが真っすぐにファンオウを見上げてくる。
「お主を、王都へ?」
目を丸くして問うファンオウに、フェイがうなずく。
「はい。領内もこうして、安定を迎えました。レンガ様のお働きにより、鉄製の農具や武具も次々に作られ、まずは問題もありますまい。となれば次に、ファンオウ様が目を向けられなければならないのは、王都です。先日いらっしゃいましたトンヘイ様……王都の、丞相閣下の御使者であらせられますが、かの御方より様々なお話を伺いましたるところ、王都にも、細かな動きがございます。あちらの動きを調べ上げ、対応する策を練る必要が、あると存じます」
フェイの言葉に、ファンオウは大きく首肯する。
「確かに、金貨五万枚、という話は、寝耳に水、じゃったからのお」
「でありますればこそ、王都に拠点を作り、そこへ詰める者が必要となってくるのでございます。そうして、連絡を密に取り合えば、此度のようなことはそうそう起こり得ますまい」
言いながら、フェイが手袋をはめた右手の甲を見せた。その中指には、銀色の指輪があった。指輪の中央には、澄んだ碧色の宝石が輝いている。
「それは、何じゃ?」
「これは、エリック様に御創りいただいた、通信用の魔法具にございます。風の精霊の力を媒介として、遠方との会話を可能にするものです。これがあれば、王都で起こった変事をすぐさまこちらへお届けすることが、できまする」
フェイの解説に、ファンオウは指輪とエリックの交互へ視線を動かす。エリックがわずかに得意げな表情を作り、胸を張る。性能は、間違いなさそうだった。
「しかし……フェイよ。王都にて、拠点を作るとなれば、お主一人では、何かと不便では、無いかのお」
「その件につきましては、ファンオウ様にもう一つ、お願いしたく存じます。ラドウを、私めにお貸し願えませんでしょうか」
「ラドウを? あやつを、王都へ連れてゆく、と言うのかのお?」
「はい。元々は賊徒の身でありましたが、今の彼を見てそれと気づく者はおりますまい。ラドウと、民の中から戦える者を二十人。それを、お貸し願いたいのです」
「ふむ……お主の願いであれば、叶えるに、越したことは無いのじゃが……エリックよ、ラドウを、王都へ出すことは、可能かのお?」
ファンオウの問いに、エリックは即座にうなずいた。
「はい。今は外敵もおりませぬ故、軍の規模は大きく無くて構いません。それに、何があろうと、俺がいますので、ラドウと戦士の二十人くらいであれば、問題は無いかと」
自信あふれるエリックの答えに、ファンオウもうなずく。
「ふむ。なれば、良いかのお。あいわかった。フェイよ、お主は、ラドウと二十人の戦士を率いて、王都に赴き、拠点を作るのじゃ。他にも、必要なものがあれば、遠慮なく言うてくれ。わしに、用意できるものならば、何でも揃えるでのお」
ファンオウの言葉に、フェイは拝礼する。
「勿体なきお言葉にございます、ファンオウ様。後のことは万事、私めの方で行いますゆえ、どうぞご心配なく。それから、ファンオウ様。実は、私めの遠縁の娘が、南隣の領の村に住んでおりまする。一通りのことは学ばせておりますゆえ、もしも人手の足りぬ事態がありましたる際は、お召しになってこき使ってやってください」
「ふむ。お主の娘か。それは、頼りにできそうじゃのお。じゃが、隣領の住人であれば、こちらへ招くことは、ちと問題があるのでは、ないかのお?」
首を傾げるファンオウに、フェイが苦笑を見せた。
「娘といっても、遠縁の者でございまする。隣領の領主とはそりが合わぬようでして……もし出て行っても、何も問題はありますまい。村の場所をお教えいたしまするゆえ、気が向かれましたら、お訪ねください」
そう言うと、立ち上がったフェイが一礼して広間を後にする。その背を見送ってから、ファンオウは椅子に深く腰掛け直した。
「随分と、急な話じゃったのお」
「そうでも、ありません」
フェイの出て行った入口のあたりに眼を向けたまま、エリックが言った。
「実は、俺とフェイの間で、いずれは、と進めていた話なのです。殿が太陽神殿に住まうようになってもう三月が過ぎようとしておりますが、水面下で準備だけはしてきたのです。それでも、あの使者が来なければ、もう半年は、先の話になっていたのですが」
「それは……わしの知らぬところで、心労をかけておったのじゃのお」
「殿には、きちんと形が出来上がってから報告を上げるつもりでありました。申し訳ありません」
向き直り、頭を下げるエリックにファンオウは右手を挙げて見せた。
「わしの為を、思ってのことじゃろう。良い。領内の整備で、忙しくしておったこともあるし、のお。それにしても、使者殿の名は、トンヘイ殿というたか。先日の会見以来、顔も合わせることなくご出立なされたそうじゃが、お元気でおられるかのお」
宙を見つめて、ファンオウは言った。エリックの眉が、ぴくりと動く。
「……かの者に、気がかりでもございますか?」
問いかけに、ファンオウは首を横へ振る。
「いや、使者殿自身には、特にの。ただ、使者殿は、丞相閣下の、腹心であったと言っておったであろう。なれば、王宮の中心近くにいる、人物の筈じゃ。その御方が、あのような肥り方をしておるとすれば、陛下の健康状態が、案じられて、のお」
ファンオウが思い返していたのは、日々続けられる宴に健康を損ない続けてきた国王の姿であった。
「戦場での怪我でならともかく、酒宴で健康を損なうような者に大国の王など、務まりませんな。やはり殿こそが、王となられるべきでしょう」
大仰な飛躍をみせるエリックの理論に、ファンオウは苦笑する。
「わしは、陛下に仕える身じゃ。滅多なことを、言うものではない。それに、政を為す者には、戦に出るよりも、労苦の重なる場合も、あるのじゃ。陛下が酒宴をされておることも、然り。王が敢えて享楽を続けて見せることにより、国の安泰を、保っておる側面も、あるでのお」
「俺には、そうは見えませんでしたが……殿が仰るのであれば、そうなのでしょうね。ところで、殿。俺からも、一つ願いがあるのですが」
改まって言うエリックに、ファンオウは眼を瞬かせる。
「お主が願いとは、珍しいのお。まさか……どうしても、王になれ、とでも言いだすつもりかのお?」
冗談めかして言うファンオウに、エリックが首を横へ振って見せる。
「殿に王になっていただくには、未だ時が満ちてはおりませぬ。願いというのは、女官を一人、側へ置いていただきたいというものです」
大真面目な顔で、エリックが言った。領主の身さえ、民の命を預かる重さに未だ慣れぬファンオウであったので、言葉の前半にはほっと息を吐く。だが後半、エリックの願いにファンオウは怪訝な顔になった。
「女官を? 身の回りの、ことであれば、ソテツが充分に、やってくれているのじゃが、のお」
「あの鬼めには、庭師の役割があります。今は分を超えて、殿の身の周りのお世話も兼任しているだけに過ぎません。役割の混合は、思わぬ混乱を招くこともありますれば、何卒、御一考を」
「……お主が、そこまで言うのであれば、置いてみるかのお。その女官は、もしや、褐色の民かのお?」
「はい。お察しの通り、丘陵の下に住まう民の中の一人です。言葉や習慣などをしっかりと教育いたしましたので、その成果を、是非ともご覧に入れたく思いまして」
「名は、何という?」
「ヨナ、と申します。きっと、殿のお役に立つことでしょう」
「うむ。ヨナを側に置くことで、民たちの教育の助けともなるであろうし、のお。早速、連れてきてもらえるかのお」
「承りました。きっと、かの者も喜ぶことでしょう」
深く一礼をして、エリックが背を見せた。ファンオウは椅子に腰かけたまま、ぼんやりと視線を宙へ漂わせる。ほどなくして聞こえてきた近づく足音に、ファンオウは首を傾げた。
「エリックにしては、ちと早すぎる、のお」
呟いていると、広間の入口に小柄な子供のような姿が現れた。
「ファンオウさん! あたし、やったよ!」
喜色満面の様子で、短い足をたたたと動かし歩み寄ってくるのは、女ドワーフのレンガであった。動きやすいように袖や裾を切り取った作業衣を身に着けた彼女が手に持っているのは、ツルハシである。いつも肌身離さず持っている白銀の槍斧は、今日は持っていなかった。
「おお、それは、目出度いのお、レンガ殿」
レンガの言葉に、とりあえずファンオウは祝辞を述べる。
「あたしとファンオウさんの仲じゃないの。殿、なんて付けるのはよしてよ。でも、ファンオウさんが喜んでくれて、あたしもやった甲斐があったってものだよ」
団子鼻を擦りながら、レンガは自慢げに胸を反らす。微笑んで見返していたファンオウは、やがて小さく首を傾げた。
「それで、何をやったのじゃ?」
ファンオウの質問に、レンガががくりと身を傾かせる。
「何をって、鉄鉱石の製錬! 集落全員分に行き渡る量の農具、どうやら作れそうだって報告!」
幼く見える頬を膨らませ、レンガが言い募る。ファンオウは、ぽんと手を叩いた。
「おお。そういえば、先ごろフェイからも、報告を受けておったのお。レンガ殿が、農具と武具を作っておると。その様子じゃと、成果は上々のようじゃのお」
ファンオウの言葉に、レンガが再び無い胸を反らせた。
「もっちろん! あたしだって、ドワーフだからね! 二、三日じゅうには、もう石の道具とはおさらばできるよ!」
「ありがたいことじゃのお。皆に代わって、わしから礼を言うぞ、レンガ殿」
椅子から立ち上がり、頭を下げるファンオウをレンガが片手を出して制する。
「頭なんて下げないでよ、ファンオウさん。あたしがやりたくて、やったんだから。それに、お礼なら言葉よりも……態度で、示して欲しいな」
照れたように顔を赤くして、しなを作ってレンガが詰め寄ってくる。
「ふむ……態度で、のお?」
何となく迫力のある媚態に気圧され、ファンオウは椅子の上で後ずさる。だがすぐに、背もたれに阻まれた。豪奢であっても、椅子は椅子である。
「そう、態度で、ね? ファンオウさんのアレ、してほしいなって……駄目?」
息のかかるほどの距離で、上目遣いになったレンガの瞳が覗き込んでくる。
「……指圧、じゃな? わかった。すぐに、取り掛かろうかのお」
ファンオウの言葉に、レンガは小さく息を吐く。
「……うん。今日のところは、それだけで許してあげる。明日も、気合入れて頑張らなきゃだからね。でも、道具を作り終わったら……別のご褒美も、貰いたいな」
頬を染めて言うレンガの顔を見て、考える。指圧以外の、褒美となるもの。思い浮かべて、ファンオウは首を縦に振った。
「ふむ。ならば……お灸も用意しておくかのお」
のほほんと、ファンオウは言った。
「……そういうことじゃ、ないんだけど。まあいっか」
不満そうに口を尖らせたレンガであったが、すぐに悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「のんびりゆっくりのファンオウさんに、今は付き合ってあげる。でもそのうち、ちゃんとしてもらうからね?」
「ふむ……? レンガ殿には、いつもきちんとした指圧を、施術しておるのじゃが、のお」
首を傾げるファンオウに、レンガがくすくすと不思議な笑いをぶつけてくる。そんなやり取りは、しばらく続いたのであった。




