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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
昇陽の章
36/103

のほほん領主、王都よりの使者に難題を突き付けられる

 広間で膝をつき、布衣の袖で顔を隠す。これは、王の使者を迎える礼節のひとつである。そうして使者を待つファンオウの斜め後ろで、エリックも片膝をついて武人の礼の姿勢を取る。そうしていると、間もなく二つの足音が聞こえてきた。

「領主ファンオウ、これより国王陛下よりの辞令を申し伝える。面を上げよ」

 ラドウの案内を受けてやってきた使者が、声を上げる。ファンオウは腕を前に出して一度頭を深く下げ、そして視線を上げた。ぴちぴちと腹の部分が張り詰めた布衣が、まず目に映る。続いて、首の部分を覆い隠すような脂肪の塊が、そしてもっちりとした顔に平たい豚のような鼻が見えた。

「ファンオウでございます、使者殿。このような辺境まで、足を、お運びいただき、誠にかたじけなく、存じます」

 ファンオウの挨拶に、使者がぶふうと鼻を鳴らす。脂ぎった顔の中から、細く鋭い視線がファンオウへと注がれる。

「陛下のご愛妾が、此度生誕記念日を迎えられる。三月後までに、そなたには金貨五万枚を用立て、王都へしかと届けるように」

 ねっとりとした声で、使者が言った。粘度の高く聞き取りづらい言葉を、なんとか聞いたファンオウは眉を顰めた。

「金貨……五万枚、ですかのお? 随分、沢山必要なのですのお」

 金貨十枚あれば、一人の人間が慎ましく一生を暮らせるくらいである。五万枚、というのは、あまりに法外な数字であった。

「……国王陛下の御為の金銭を、用意できぬ、そう、申すのか?」

 使者の問いかけに、ファンオウは首を横へ振る。

「滅相も、ございませぬ。しかし、当領はひと月ほど前に、ようやく安堵いたしましたばかりの地で、ありますれば、斯様な余裕は……」

「無ければ、民から搾り取れば良いではないか。そなたの領にも、民はおろう? 少し、毛色の変わった者どもであるが、よく働きそうではないか。それに、そちらのエルフを王都で売れば、そこそこの額にはなるだろう。良ければ、わしから買い手を手配してやっても良いぞ?」

 ちろり、と小さな眼をエリックへと向けて、使者が言う。ぴくりとエリックの肩が動いた。

「こちらの者は、わしの、友でありましてのお。友を、金銭に変えることは、できませぬのお。民たちもまた、領のために、良く働いてくれる者ばかりで、高税を搾り取るなど、出来ませぬのお」

 のんびりと、しかしきっぱりとファンオウは言い切った。後ろのエリックの様子が、少し落ち着く。ぶふう、と使者が鼻を鳴らした。

「なるほど。そなたは、優しい領主なのだな。しかし、優しいばかりでは、金貨は集まらぬ。そこで……わしに、良い考えがある。そなたの納めるべき五万枚の金貨の内、四万枚までを代わりに用立ててやる。一万枚ならば、何とかかき集められるだろう?」

 大きな口の端を吊り上げて、使者が提案する。どうやらそれは、笑みを浮かべているらしい。理解はできたが、ファンオウの表情は晴れない。

「一万枚でも、随分な大金には、変わり無い気が、いたしますのお」

「だが、五分の一だ。何とか集めてもらわねば、こちらとしても困ったことになる。陛下への叛意あり、と報告せねばならなくなるのでな」

 先ほどの笑みから一転、厳めしい表情を作って使者が言う。

「陛下への叛意など……わしは、欠片も抱いては、おりませぬがのお」

 突拍子もない使者の言葉に、ファンオウは目を大きく開いて両手を振った。

「わしは、そなたの忠節を疑ってはおらぬ。何しろ、若くして陛下の侍医を務めていたほどの者だからな。だが、陛下の信任の篤いそなたなればこそ、王宮にはそなたを快く思わぬ輩もおる。ひとつの粗相があれば、謀反人のそなたを討つべく八十万の王国軍がここへやって来ることになろうな」

 ねっとりと、使者は低い声で言った。使者の言う八十万の軍勢とは王国全土の全ての兵を集めた数に等しく、それを一気に辺境の小領地へ動かすことなど不可能なのであるが、軍部に疎いファンオウにそれを知る術は無かった。

「それは……困ります、のお」

 八の字に眉を曲げて、ファンオウは心底困り切った顔になる。そこへ、使者がずいと顔を寄せた。

「ゆえに、そなたは金貨一万枚を、何としても用意せよ。それも、ひと月の間に、な。そして、それとは別に、わしの方へも謝礼として……五千枚は貰いたいものだが」

「謝礼、で、ございますか」

 首を傾げるファンオウに、使者が大きくうなずく。

「うむ。わしとて、そなたの代わりに四万枚もの金貨を用立てねばならぬ。本来なれば借金として、そなたに返済を求めるところではあるが、陛下の信任の篤いそなたを、わしは高く買っておる。わずかな苦労賃と、今後の深い付き合いを引き換えに、そこは免除してやろう、というのだ。どうだ、悪い話ではあるまい?」

 厳めしく作っていた使者の顔面が、にやりと歪む。むむむ、とファンオウは唸り、顎に手を当てて考え込んだ。だが、医術一辺倒に勉学を続けてきたファンオウには、五万枚の金貨も、一万五千枚の金貨も、どちらも稼ぐ手立てなどは浮かんではこない。しばらく頭を悩ませ続けるファンオウの前で、使者がぴちぴちの布衣の襟を開けて自らを扇ぎ始めた。

「それにしても、ここは蒸し暑いな。もう少し、涼しげな場所で酒でも飲みたいところだが……」

 ちらちらと、なぜか横目になってファンオウを見やりつつ使者が言う。

「そうでございますかのお? ここは、丘の上で、風通しも悪くは、無いのですがのお。それに、使者殿は、少し太身で、あらせられまする。酒などより、果実の汁でも、飲まれたほうが、よろしいのではないですかのお?」

 きょとん、としつつもファンオウは所見を述べた。

「そういうことを、言っているのではない……わからぬか?」

 苛立ったような声を上げる使者に、ファンオウはますます首を傾げる。そんな時、広間の入口に家令のフェイが姿を見せた。

「ファンオウ様、使者様の歓待の宴、準備が整いましてございます。宜しければ、私がご案内いたしますが、お話はお済みでございますか?」

 恭しく一礼し、フェイが言った。

「歓待の……宴?」

 宴の準備が整った、とフェイは言うが、ファンオウは指示を出した覚えが無い。不思議な顔をするその前で、使者がにんまりと笑った。

「ふむ。どうやら解っているようではないか。おい、そこの者。もちろん、酒はあるのだろうな?」

 振り返って問いかける使者に、フェイは笑顔でうなずいた。

「もちろん、用意しております。さぞや、咽喉の乾いたことでしょう。当領の珍味や美女の舞踏なども、ささやかながら振る舞わせていただきますゆえ、使者様、どうぞこちらへ……」

「うむ、珍味に、美女とな? うむうむ! よろしい、よろしい!」

 先導するフェイと後へ続くラドウに挟まれ、短く太い足を動かし使者はその場を去って行った。後に残され呆然と立ち尽くすファンオウの傍らで、エリックが立ち上がる。

「どうやら、フェイがあの豚を上手くあしらってくれるようですな」

 エリックの放言に、ファンオウははっとなって振り向いた。無表情なエリックの美貌からは、何も読み取れない。

「使者殿は、わしを案じて下さっているのじゃ。確かに、不健康そうなお体ではあるがのお、エリック」

 窘める口調で名を呼ぶと、エリックは小さくうなずいた。

「まこと、豚に失礼な言いざまでありました、殿」

 飄々とそんなことを言ってのけるエリックに、ファンオウは苦笑する。使者に己を商品扱いされて、思うところがあるのだろう。悪言を、ファンオウはあえて受け流す。

「それにしても、陛下のご愛妾の誕生日に、金貨五万枚とは……中々に、難題じゃのお」

「……かの者の、力を借りることは、いたしませんので?」

 エリックの問いに、ファンオウは首を横へ振る。

「お主に、そのような顔をさせる者に、借りを作るわけにも、ゆかぬからのお」

 そう言って小さく笑いかけると、エリックの眼がわずかに大きく開かれる。

「……かたじけなく、存じます、殿」

 拳を掌へ打ち合わせ、エリックが一礼する。顔を上げたエリックの表情は変わらなかったものの、どこか爽やかな雰囲気になっていた。ファンオウは眼を細めてそれを見つめたが、ほどなく口を引き締め俯いた。

「……わしの、医学書を売れば、如何ほどに、なるであろうかのお」

「殿の大切になされている、書を売られるのですか?」

「うむ。わしはもう、内容を全て覚えておる。イファには、わしから口伝すれば、問題は無かろうて……」

 エリックに言って、ファンオウは眼を瞬かせる。

「エリックよ、そういえばそろそろ、イファの来る、刻限では無かったかのお?」

 ファンオウの言葉に、広間へ差し込む陽光を眺めてエリックがうなずいた。

「そうですな。そろそろ、畑仕事の手伝いも、終わる頃合いです」

 エリックが言い終えると同時に、たったった、と軽快な足音が近づいてくる。そうして広間の入口に、一人の少女が姿を見せた。

「ファンオウ様、エリック様! こんにちは!」

 高く良く通る声で、少女はファンオウに、そしてエリックに深々とお辞儀をする。

「おお、イファや。今日もお主は、元気じゃのお。わしらが、ここにいることは、フェイから聞いたのかのお」

 語り掛けながら、野良着姿の少女イファの頭をファンオウは軽く撫でる。嬉しそうに眼を細めながら、イファがうなずいた。

「はい! フェイ様に、今日は中庭を通って広間へ行くように、それから食堂へは近づかないように、そう言われました! 大事な、お客様が来ておられるのですか?」

 心配そうに首を傾げて見せるイファに、ファンオウは微笑んで見せる。

「うむ。じゃが、接待はフェイが、引き受けてくれることに、なってのお。お主との、勉強の時間は、ちゃんと取れておるので、心配無用じゃ」

「本当ですか! 良かった!」

 ファンオウの手の下で、イファの黒髪の頭が飛び跳ねる。素直な喜びように、ファンオウの笑みも深くなった。

「それでは、殿。あとはこちらで、フェイと共に取り計らいます。全て俺に、お任せを」

 エリックが一礼し、身を引いた。ファンオウはエリックへ顔を向けて、ひとつうなずく。

「うむ。決して、遺漏の無いように、のお」

「承知いたしております」

 拝礼して、エリックが姿を消した。

「……エリック様も、お客様のご接待に?」

 イファの問いに、ファンオウはうなずいた。

「エリックに任せておけば、あちらは、問題ないじゃろう。では、イファや。今日は、薬草学について、おさらいをしようと、思うのじゃがのお」

「はい! よろしくお願いします、ファンオウ様!」

「勉強の時は、先生、と呼んでくれぬかのお」

「はい、先生!」

 イファを伴い、ファンオウも広間を後にする。誰もいなくなった広間に、昇り切った太陽の光が静かに差し込んだ。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

楽しんでいただけましたら、幸いです。

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