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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
黎明の章
33/103

のほほん領主、密林に勝利を示し約束の花の種を蒔く

 陽が昇り、丘陵の上にある白亜の神殿を照らし出す。周囲の魔物の死骸などはすでに片付けられ、荘厳で美しい石造りの神殿は静かな佇まいを見せていた。

 混沌の魔女との対決が終わり、神殿内はくまなく探索された。だが、最早脅威と呼べるものは、神殿内のどこにも存在しない。魔女のわずかな生活の痕跡は、ラドウの部下たちが指揮する褐色の戦士たちの手によって全て持ち去られていった。

 玉座へ座り、側にエリックを従えたファンオウは瞑目し、黙考していた。傍から見れば眠っているようにも見えたが、ラドウの部下がやってきて跪けば即座にその細い眼は見開かれる。

「領主様、エリック様。皆、広間に集まりましてございます」

「ご苦労。下がって待て」

 声をかけたのは、エリックだった。首を下げて一礼し、部下は部屋を去ってゆく。

「殿、本陣を引き払い、皆を広間へ集めました。どうぞ、お出ましを」

「うむ。では、行くかのお」

 ゆっくりと立ち上がり、エリックの先導でファンオウは歩き出す。血に汚れた布衣が、動きに合わせてゆらゆらと揺れる。

「お着換えを、お持ちいたしましょうか?」

 エリックの問いに、ファンオウは首を横へ振る。

「これで、良い。イーサンも、一緒におるのじゃからのお」

 赤黒く染まった布衣の袷を、ファンオウは指でなぞりながら言った。

「……畏まりてございまする、殿」

 それ以上言葉を交わすことなく、二人は長い廊下を歩いた。床のあちこちに、エリックの手による傷跡が刻まれている。そこを通り過ぎれば、広間であった。

 エリックと悪鬼の熾烈な戦いの場であったそこには、多くの褐色の戦士たちが集まっていた。総勢五百人もいる彼らを広間は収納しきれず、一部は入口の通路へとはみ出していた。

 彼らの最前列には、レンガ、イファ、ラドウらの姿もあった。レンガとラドウは痛々しい包帯姿であったが、ともにイファに支えられるようにしてなんとか立っているようだった。

「ファンオウさん……あいたたた……」

「無理しちゃダメですよ、レンガ様」

 やってくるファンオウの姿を見つけ、ぱっと笑顔を見せたレンガの顔が歪む。慌てた様子で、イファがレンガの背に手をやった。

「領主様、エリック様。ご無事で、何よりです」

 立ったままで、ラドウが拳を手に当て一礼する。一瞬、その顔が痛みに引き攣ったように見えたが、伏せた顔からはそれ以上のことは判らなかった。

「みんなも、無事で何よりじゃのお。レンガさんや、あんまり、無理をするでないぞ。わしが、後ほどにきちんと診てやるゆえ、のお」

 にこりと微笑みかけて、ファンオウは言った。レンガを支えるイファの視線が、ファンオウへと注がれる。血濡れた布衣に目を留めたイファの表情に、微かに暗い陰が差した。

「ファンオウ様も、危険なことはありませんでしたか?」

 それでも、イファは健気に首を一振りして暗いものを払い、笑顔を見せてくる。

「うむ。大事無い。エリックと、共におったのじゃからのお」

 イファに穏やかにうなずいて見せ、ファンオウはエリックを見上げる。エリックが、広間に集まる者たちを睥睨して口を開いた。

「ご苦労であった、戦士たちよ! 皆の働きにより、この神殿は殿の支配するところとなった! これより、勝ち鬨を上げる!」

 腰の剣を抜き、エリックが剣先を大きく突き上げる。列を成す戦士たちも、応じて拳を振り上げた。

「えい、えい!」

「おおーっ!」

 エリックの雄叫びに応じ、戦士たちから鯨波が拡がる。三度繰り返される勝ち鬨に、ファンオウの胸の中に安堵が拡がっていった。

「これより、この地は殿のものである! なれば神殿にも、相応しき名が必要だ! これより、この神殿を、太陽神殿と呼ぶ!」

 エリックの宣言に、広間の者たちは顔を見合わせ、それから喜色を見せて歓声を上げた。

「おおおーっ!」

「太陽、神殿!」

「ファンオウ! ファンオウ!」

「ファンオウ、太陽!」

 覚えたばかりの言葉で、褐色の戦士たちが口々に叫ぶ。

「随分大層な名前を付けるんだね……まあ、あいつらしいか」

 痛みに顔を歪めながらも、レンガが笑う。

「我らが太陽、ファンオウ様に相応しき名かと」

 畏まった様子で、ラドウが何度もうなずく。部下たちも、それに倣ってうなずいた。

「………」

 皆が喜びに満ち溢れる中、イファだけが俯き肩を震わせている。じっとそちらに目をやり、ファンオウはエリックへ視線を向けた。

「この場は、任せて構わぬな、エリック?」

「仰せのままに、殿」

 エリックとうなずき合い、ファンオウはイファの前へと進み出た。

「イファよ、こちらへ。レンガさん、ラドウ、済まぬが、イファをちと借りてゆくぞ」

 そう言うとファンオウはイファの手を引き、広間を後にする。支えを失ったレンガとラドウを、ラドウの部下たちがさっと支えた。

「イファよ、お主の父のことは、何と詫びれば良いのか、わしには言葉も無い……」

 長い廊下を、ゆっくりと歩きながらファンオウは言う。

「……領主、様を、守って死ねたのです……父も、本望でしたでしょう」

 嗚咽の混じった声で、イファが答えた。顔を俯けたまま歩くイファの瞳から、滴が零れ落ちる。ぎゅっと、ファンオウの手を握るイファの小さな手に力が込められた。

「イーサンは、よくやってくれた……忠義な、男じゃった……そして、お主を護り、育ててくれた、誠に、得難き民じゃったのお……」

 しみじみとした、ファンオウの言葉に、イファは黙って洟を啜り上げる。ゆっくりと歩くファンオウは、石柱の並ぶ間を抜けて廊下から外へと出た。

「……どちらへ、行かれるのですか?」

 涙声になりながら、イファが問う。

「何、すぐ、そこじゃ」

 イファの手を引いたファンオウが足を止めたのは、神殿の東にある庭園だった。庭園、とはいってもそこには何も生えていない地面と、そしてなだらかな丘陵から密林への展望があるのみだった。

「ここに、植えようかと思うて、のお」

 そう言って、ファンオウは布衣の懐を探る。

「あっ、それ……」

 取り出したものを見て、イファが声を上げた。それはかつて、領を目指しての旅の途次にイファがファンオウに贈った、花の種の入った小瓶である。

「ここなら、よう陽も当たるし、イーサンからも、よう見えるのでは、ないかと思うのじゃが、のお?」

 彼方の空を見上げ、ファンオウが言った。イファも、涙で濡れた顔を空へ向け、うなずいた。

「はい……はいっ……! ありがとう、ございます……!」

 泣き崩れるイファを前に、ファンオウは小瓶の中から小さな種を取り出し、地面を指でほじくって埋める。

「こんなもので、良いのかのお?」

 種に土をかぶせて、ファンオウはイファを見やる。涙を拭き、イファが目線を下へと向けた。

「あっ!」

 イファが、小さく声を上げる。見開かれた大きな瞳につられるように、ファンオウも種を植えた地面へ目を向けた。

「お、おおお?」

 植えたばかりの土を割って、芽が生えてくる。にょきりと生えたそれは双葉になり、四葉になり、茎を伸ばしてゆく。

「こ、これは……」

「イ、イファや、ヒマワリというものは、斯様に成長の早い、花じゃったのかのお?」

 問いかける暇にも、それはどんどんと成長を遂げて小さな蕾までつけていた。

「い、いいえ、普通の、ごく普通の植物です……あっ、蕾が!」

 何度も首を横へ振るイファが、蕾を指差した。ふわり、と蕾が開き、濃黄色の花びらが鮮やかに開く。茶色の花芯を太陽へ向けて、瞬く間に花は威風堂々と咲き誇った。

「こ、これが、ヒマワリ……」

「は、はい……花は、そうです……」

 呆然と呟くファンオウの横で、イファもぼんやりとして答える。

「なんとも、見事なものじゃのお……」

「はい……」

 感嘆の息を吐き、二人は大輪のヒマワリを見つめ続ける。やがて花は徐々に萎れ、首を垂れる。

「あっ、枯れてしもうた、のお……」

 気落ちした声を上げるファンオウに、イファは首を振って見せる。

「枯れれば、種が取れるんです……ほら」

 イファが枯れた花芯を持ち上げ、ファンオウに見せた。ヒマワリの中心部分には、みっしりと新たな種が詰まっていた。

「ほお……結構、たくさん取れるんじゃのお」

 取れた種は、イファの小さな両手の上で山を作っていた。その上のひとつを、ファンオウは手に取りまた土を掘り返して埋める。イファが、真剣な瞳でそれを見守った。

「おおっ!」

「あっ!」

 再び、二人の口から驚きの声が上がる。地面を割って伸びた茎が、またも急成長を遂げたのだ。ほどなく、濃黄色の大輪が姿を見せる。

「なんと、見事な……ああ」

 感嘆するファンオウの前で、ヒマワリは枯れる。

「大丈夫です、ファンオウ様!」

 手早く種を取り、イファが二つをいっぺんに植えた。たちまちに、二本のヒマワリが成長し、咲き誇る。

「おおお……ああ」

 ぴんと伸びるヒマワリに合わせ、ファンオウの背筋もぴんと伸びる。そして枯れるのに合わせて、ファンオウはうなだれる。何度かそれを繰り返すうちに、イファがくすくすと笑った。

「ファンオウ様、ヒマワリみたいですね」

「わしが、ヒマワリ?」

 問い返すファンオウに、イファは元気よくうなずく。

「はい。ヒマワリの動きに、ぴったり合ってました。ファンオウ様は、ヒマワリ様ですね」

 何だかよくわからないことを言って、イファは笑う。ファンオウも、イファの笑顔に穏やかな笑みを浮かべる。

「そうか……わしが、ヒマワリ様じゃと……なるほどのお」

 朗らかな笑い声を上げて、二人はしばらく急成長するヒマワリを楽しんでいた。

「殿、帰還の用意、整いましてございます……む?」

 歩いてきたエリックが、足を止める。

「おお、エリック。見よ」

 手招きをして、ファンオウはヒマワリの種を植える。その後ろで、イファも悪戯っぽい目をエリックへと向けていた。

「それは、花の種……? む、むうっ!?」

 表情の乏しいエリックの顔いっぱいに、驚きが広がる。急成長を遂げたヒマワリと、顔を並べたファンオウが揃ってエリックを見やった。

「どうじゃ、エリック。イファが言うには、わしは、ヒマワリ様なのだそうじゃが、似ておるかのお?」

 しゅーん、と首を垂れて、枯れゆくヒマワリに動きを合わせる。そんなファンオウを前に、エリックは眼を見開いたまま全身を震わせていた。

「エリック……?」

「だ……」

「だ?」

「大地の、邪気が……」

 エリックが口にするのは、混沌の魔女によって齎された、密林の魔術により大地に充満する邪気のことである。悟ったファンオウは、表情を固く引き締めた。

「邪気が、どうしたのじゃ、エリック?」

 もしかすると、危険なものだったのかも知れない。思い返し、ファンオウはイファへと顔を向ける。枯れたヒマワリから、イファは種を抜き取りつつエリックの反応をうかがっていた。

「イファ……」

 声をかけようと、ファンオウが手を伸ばす。

「大地の邪気が、浄化されておりまする……」

 直後、エリックの口から漏れた言葉に今度はファンオウが驚かされた。

「浄化、じゃと?」

 エリックへ振り向いたファンオウが、声を上げる。エリックが、うなずいて見せる。

「はい。ここには、あの魔女めの言ったとおり、多くの死者の魂が集まりまする。それらは混沌の神とやらの邪気を受け、魔物へと変えられてゆくのですが……その邪気が、その花により僅かながらも浄化されているのです」

 エリックの説明に、ファンオウとイファはきょとんとした顔を見合わせる。

「つまり……どういうことなのじゃ?」

 揃って首を傾げる二人に、エリックは呆れる風もなく口を開いた。

「つまり、領内じゅうにその種を蒔けば、この地は清浄な地に変ずる、ということでございます、殿」

 エリックの静かな声音の説明に、ファンオウとイファは口をあんぐりと開けたまま、しばらく見つめ合うのであった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

第一章、黎明の章も残すところあと一話。どうぞ、お付き合いください。


楽しんで、読んでいただけましたら幸いです。

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