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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
黎明の章
32/103

のほほん領主、神殿の最奥に至りて魔女と対峙す

 豪奢な椅子に、黒いぼろ布を身に着けた女が気だるげな様子で腰掛けていた。部屋に足を踏み入れたファンオウに、女がじっと視線を向ける。エリックを側へ従え、ファンオウは真っすぐに椅子の前まで歩いた。

「お初に、お目にかかるのお。わしは、ファンオウ。この地の領主じゃ。お主は」

「存じ上げておりますわ、ファンオウ様。この地の密林は、私の魔術によって作られた物。ゆえに、密林の中であればいかなる些事も、私の掌の中の出来事。あなた様が可愛がっていた民が、あなた様の命を救い死んでいったことも、全て私の知るところにございます」

 ファンオウの言葉を遮り、唇の形を冷笑に釣り上げて女が言った。

「貴様……!」

「エリック、控えよ」

 剣の柄に手をかけるエリックへ、ファンオウは振り返らず静かに言った。

「わしのことを、よく知っておられるようじゃのお、お主は。じゃが、わしは、お主のことを、とんと知らぬ。いったい、お主は何者じゃ? なぜ、わしの領に悪鬼や魔物を召喚し、民を傷つけたのじゃ?」

 のんびりとした口調で、ファンオウは女に語りかける。女の顔から、冷笑が消えた。

「私は、ジュリア。混沌の神に全てを捧げる、魔女……」

 女の眼に、妖しい光が灯る。身の底に、思わず寒気を感じさせるほどの眼光だった。

「そうか。ジュリア殿、というのか。では、ジュリア殿、お聞かせ願えるかのお? 何故、お主は領をこのような地に変え、民を、苦しめるのかをのお?」

 問いかけに、女はしばし黙して、氷の瞳でファンオウを見据え続けてくる。ファンオウはただ、心静かに女の言葉を待った。

「……なんて、心を持っているの……」

 やがて、女の呼吸が多くなり、額に汗が滲み始める。

「わしの質問に、答えてはくれぬのかのお?」

 小首を傾げ、ファンオウは問う。

「あまりに無防備で、けれどもどこまでも透き通っていて、暖かい……どうして、お前は……」

 女はうわごとのように、ぶつぶつと呟くばかりである。ファンオウは、ゆっくりと首を横へ振った。

「先ほどから、お主がわしに施そうとしておるのは、催眠の療術かのお? じゃが、わしはどこも、病んではおらぬ。心遣いは、有り難く頂戴するゆえ、わしの問いに、答えてはくれぬかのお?」

 ファンオウの言葉に、女の表情が引き攣った。

「そ、そんな……悪鬼や、そこのエルフさえも従えた、私の術を……怪しげな民間療法と一緒くたにされるなんて……!」

 屈辱に唇を噛みしめる女に、ファンオウは困った顔になる。

「何か、違っていたかのお? わしも、少々は医道をたしなんでおるゆえ、そうではないか、と思ったんじゃがのお」

「黙りやっ! 私の魔術は、もっと位階の高いものよっ! 混沌の神より授けられた、偉大な力っ! 私は、闇の魔物を召喚し、混沌の神に多くの魂を供物として捧げているの! その対価として得られたこの力を、まやかし何ぞと一緒にするなあああ!」

 女が叫び、肩で息を整える。女の変貌に呆気に取られつつもファンオウは、気を取り直して口を開く。

「それは、済まなんだのお。ということは、お主は、混沌の神に、力を授けて貰うために、事を成した、ということなのかのお?」

 ファンオウの指摘に女はハッとなって口を押え、それから開き直ったような笑みを浮かべる。

「そ、その通りよ……とろくさい喋り方するけど、中々油断ならないわね、お前」

 そう言う女に対して、ファンオウの傍らで殺気が膨れ上がる。

「お前、だと……?」

「エリック、良い。こちらが、ジュリア殿の、素のようじゃからのお。それより、ジュリア殿。お主はどうして、力を求めるのじゃ?」

「それを、お前に言う義理がどこにある?」

「わしの、父や兄たちを殺め、お主はこの領を密林に変えたのじゃ。いかなる理由あってのことか、わしは、知る必要が、あるのじゃ」

「言わなければ、そちらのエルフをけしかける、と言うのかしら? となれば、お前も王都の高官どもと、何も変わらない……」

 見つめてくる女と、ファンオウはしばし視線をぶつけ合う。

「政を為す高官たちに、お主は、恨みを抱いて、おるようじゃのお。そんなにも、眼を吊り上げて」

 ぽつりと言ったファンオウに、女が不敵な笑みを返す。

「どこまでも、食えない男ね。私を、見透かそうというつもりかしら?」

 女の声に、ファンオウは首を横へ振る。

「お主が、判りやすいだけじゃ。考えを巡らせれば、すぐに思い至る。お主は、王都の出で、高官たちに、恨みを抱いた。そして、恐らくは復讐のために、力を、求めたのであろう?」

「……そうね。お前の推察を纏めれば、そうなるわ」

 それは、肯定とも否定とも取れないような、曖昧な声音だった。

「どんな、悲しい経緯があったのかは、わしは知らぬ。じゃが、先ほどわしに、療術……魔術じゃったかのお。それを施そうとしたとき、お主の中の感情が、少しばかり見えたのじゃ。暗い、暗い、冷たい感情がのお」

「……何が、言いたいのかしら?」

 苛立ったように、女が問いを上げる。

「お主にも何か事情がある、ということは、重々承知した、ということじゃ。じゃが、そのうえで、わしはお主に頼まねばならぬ。この地を治める、領主として。どうか、領に害を成す魔物を、呼び出すのはやめてはくれぬかのお?」

 ファンオウの言葉に、女が少し眉を上げた。

「魔物を……? 密林そのものを、元の大地へと戻すのではなくて?」

 問い返す女に、ファンオウは穏やかな笑みを見せる。

「密林にも、民は生きておる。それを、わしがどうこうするつもりは、無い。魔物さえおらなんだら、わしは、民たちと力を合わせ、ここで暮らしてゆくつもりじゃ」

「……この地で死んだ者の魂は、混沌の神の御許へ捧げられ、やがて新たな魔物として生まれ変わる。私がせずとも、密林がある限りは同じことよ。お前が思う以上に、密林の魔術の闇は深いの。魔術を解かなければお前たちは、永遠に混沌の神の供物として、やがては魔物としてこの地で生きることとなるわ。だから、お前の頼みとやらは、何の意味もなさないの」

 挑発的な笑みとともに、女が言った。

「殿。密林の魔術であれば、この俺が解いてみせましょう。何も、この女に殿が頼まれることはありません」

 傍らで言うエリックに、女が手の甲を口へ当てて笑う。

「ほほほ、その傲慢で自信過剰な物言い、さすがはエルフね。でも、私の魔術は混沌の神より授かったもの。エルフの力を以てしても、解呪には幾百年の時がかかるでしょう。そうなれば、お前の主はこの地で死に、魔物と成り果てた後よ」

 女の言葉に、エリックが剣の柄へと手をかける。

「なれば、貴様をこの場で殺すのが、やはり最善手か」

「やめよ、エリック」

 強い調子で、ファンオウがエリックを制した。

「殿……しかし」

「ジュリア殿は、聡い女子のようじゃ。手の内を明かし、そのうえで、わしが、どう出るかを測っておる。そんな彼女が、この場で、お主に自分を殺させようと、しておる。わしには、そのように思えた。じゃが、それで、密林の魔術とやらは、解けるのかのお……混沌の神とやらは、そんな簡単な仕掛けを、作る神なのかのお……ジュリア殿?」

 ファンオウが穏やかな顔を向ければ、女の表情には嫣然と笑みが浮かぶ。

「やはり、頭は回るようね。そちらのエルフよりも、余程お前の方が手ごわいわ。私を殺せば、密林の魔術は完成する。私の最期の呪詛をもって、この地は混沌の神へと捧げられるの。文字通り、最期の手段だから、あまり採りたくはなかったのだけど……魔術が完成すれば、この地は混沌の魔境へと姿を変える。そして王国全土へと、やがて拡がっていくでしょうね。あの、忌々しい高官どもも、その上でふんぞり返る王も、誰も彼も等しく贄となるのよ! あはははは!」

 甲高い声で、女が勝ち誇ったように笑いたてる。

「なれば、魔術の完成の暇も与えぬ刹那の間に、お前の頭を破壊する」

 ファンオウの傍らで、エリックが腰を落とし剣の柄に手をかけた。

「無駄よ! すでに、仕掛けは終えたわ! お前を操り、ファンオウの元へ向かわせたときにね! 支配が解けることも、今のこの状況も、私にはすべて見えていた! だからもう、何をしても手遅れなのよ! さあ、どうする? 私を殺せば、ここは魔境に! 私を生かしても、いずれ魔境に! 今滅ぶのが良いか、それともじっくりじわじわ滅びの時を待つか、選びなさい!」

 狂笑しながら、女がヒステリックに叫ぶ。

「貴様……!」

 エリックが、咽喉の奥から怒りの唸りを上げる。ファンオウは一歩前へ、足を踏み出し女の眼前に立った。

「お主は、どうしても、魔術を解くつもりは無い。そう、言うのじゃな?」

 ゆっくりと、ファンオウは問いかける。ぐるぐると狂気渦巻く瞳で、女がファンオウをねめつける。

「ええ! 無いわ! お前もあいつらも、皆死ねばいい! 混沌の神の御許へ、その魂を贄として!」

「それは……残念じゃのお」

 噛みつくような勢いで喚き散らす女の前で、ファンオウは小さく息を吐く。そして懐から、布の包みを取り出した。

「それは……針? そんなちっぽけなもので、どうするつもりなのかしら?」

「エリックよ」

 女の問いを無視し、エリックへ呼びかける。

「はっ」

 打てば響く調子で、エリックが落ち着いた返事をする。

「ジュリア殿を、押さえておいてくれぬかのお? なるべく、動けぬように」

「容易きことにございます、殿」

 剣から手を離し、エリックが椅子の背後へ回り女の首へと手をかける。たったそれだけで、女の全身はぴくりとも動かなくなった。

「あ、あいを……」

 何を、と言おうとしたようだったが、力が入らないのだろう。やがて口を動かすことも出来なくなったのか、女はただファンオウを睨み付けるだけになった。

「ジュリア殿。これより、お主に鍼を打つ。じゃが、この鍼は、お主を癒すために打つのではない」

 金色の、人差し指ほどの長さの鍼を、ファンオウは手にして言う。

「お主の中の、魔女を殺すために打つのじゃ」

 そう言って、ファンオウは毛のように細い鍼を女のこめかみへと当てて、打ち込んだ。

 女の身体に、ぴくんと脈動が走る。女の瞳がぐるりと回り、白目を剥いた。

「もう、良いぞ、エリック」

 エリックに声をかければ、首に回った手が離された。それで、処置は完了だった。

「殿……この女は、如何なさいますか?」

 口の端から泡を零す女を指して、エリックが聞いた。何をしたのか、とはエリックは問わない。代わりに聞くのは、女の処遇についてのみだった。

「ジュリア殿には悪いが……領内には、置いてはおけぬのお」

「では、行商人などが参りました折にでも、領外へとやらせましょう。後は、俺にお任せください」

「うむ……」

 うなずきながら、ファンオウは女を見やる。ファンオウの打った鍼は、女の頭の中へと残り、脳内の魔術を司る部分へと突き立っている。その部分に鍼がある限り、女は決して魔術を行使することはできない。ファンオウが打ったのは、そんな鍼だった。

「この地を癒すのに、幾百年……か。ジュリア殿に、してやられたのお」

 呟くファンオウの前で、エリックが女を後ろ手に縛り上げてゆく。

「魔女の言うことを、真に受けることはありません、殿。少なくとも数十年、いや、数年で密林の魔術は解いてみせましょう。俺の、エルフの誇りにかけて」

 頼もしくも美しい顔で、エリックがうなずきかけてくる。

「頼りに、しておるぞ、エリックや」

 にっこりと笑うファンオウに、エリックも晴れがましい笑顔を見せるのであった。

ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

ブクマ、評価、感想等とても励みになっております。重ねて御礼申し上げます。


今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。

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