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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
黎明の章
31/103

陽光、降り注ぎて闇を溶かす

今回も短めです。

 白刃の一閃が、ラドウを通り抜ける。視界の外から放たれた、エリックの一撃。振り抜いたエリックの瞳は、目に映るもの全てに興味の無い、まるで無色透明であった。

 己の身の中を、刃が通り抜けてゆく。痛みではなく、まずは痺れのようなものがラドウに走った。

「エリック……様?」

 問いかけることが出来るのは、ラドウの元賊徒の第六感が働いたためである。そして、エリックにる鍛錬を受けたためである。褐色の戦士たちに倣い、重い鎧を身に着けず、軽装でいたためである。それは小さな、積み重ねであった。脇腹から入る筈だった剣先が、腹から胸にかけての皮一枚を、傷つけるだけに留まっていた。

「死ね」

 踏み込みつつ、エリックが袈裟切りに剣を振り下ろす。ラドウは受けず、大きく跳び下がりそれを躱した。

「ご命令とあらば、いつでも。しかし、それは今ではありません」

 負傷をしているのか、片手で振るわれる剣には常時の鋭さが見られない。ために、ラドウであっても避けに徹すれば少しは持ちこたえられる。袈裟切りから、弧を描きさらに繰り出される連撃を、ラドウはさらに大きく跳び退いて躱す。剣先が再びわずかに肌に触れて、ラドウの胸に交差の傷跡を刻む。

 ラドウは、他の思考の一切を放棄する。でなければ、この流麗であり冷酷な剣を躱し続けることなど出来はしない。言葉を放ち、呼びかける暇さえ無い。突きを、胴薙ぎを、斬り上げを、唐竹割りを、目まぐるしく繰り出される致命の一撃を、総身に傷を刻まれながらもラドウは躱してゆく。やがて、何度目かの跳躍を終えたラドウの足へ、剣先が向かう。着地の隙を狙った一撃に、ラドウは身の平衡を大きく崩して転倒した。

「……ここで、俺を殺すんですか、エリック様」

 剣を振り上げるエリックへ、ラドウは声をかける。黙したまま振り下ろされる剣を、ラドウは身を転がして躱す。ガツ、ガツ、と剣が石床を削り、大きな音を立てる。

 地べたを転がりながら、ラドウはそれでも諦めない。流れる血が床を、赤く汚してゆく。立ち上がる隙も、エリックは与えてはくれない。それでも、ラドウは転がり、避けに徹した。

「ぐはっ!」

 腹部に衝撃を受け、肺腑の中の空気全てを吐き出しラドウは吹き飛ぶ。エリックが、蹴り飛ばしたのだ。剣の間合いからは離れたが、全身に痛みが拡がり身動きは取れない。呻いて、身体を震わせるラドウへ、エリックが一歩、また一歩と近づいてゆく。涙で滲むラドウの視界で、エリックが剣を大きく振り上げた。

 死を、覚悟する。ぎゅっと眼を閉じたラドウの耳に、足音が聞こえてくる。歩幅の小さな、急ぐ足音だ。

「領主様! 来てはなりません! お退きください!」

 声を必死に絞り出し、ラドウは足音の主に向けて叫んだ。恐らく、次の瞬間には訪れる冷たい刃が己の身を裂くであろう。だが、ラドウに悔いは無かった。賊徒として生きてきた自分が、最期には忠義によって死ぬのだ。これほど、誉れのあることは無い。なんとなれば、この身体をもって凶刃を止め、あの方を護ろう。身を切り裂く刃を肉で挟み、抜けないように、してやろうか。そっぽを向き続けていた神様も、それくらいの奇跡は起こしてくれるだろう……ラドウは、澄んだ心持ちでその瞬間を待った。

 刃が、ラドウを貫く瞬間は、訪れなかった。軽い足音が、どんどんと近づいてくる。

「エリック? ラドウに、何をしておるのじゃ」

 やがて聞こえてきた、のんびりとした声に、ラドウは絶望を感じながら目を開いた。同時に身を起こし、最期の力を振り絞りエリックの足にしがみつく。

「領主様、お逃げを! エリック様は、乱心されております!」

 悲壮な覚悟を新たに、ラドウは叫ぶ。

「乱心? エリックよ、お主、どうしてしまったのじゃ? ひとまず、剣をしまってくれぬかのお」

 訝しげな顔をエリックへ向け、ファンオウが言った。ファンオウの身に着けた布衣は、赤黒い血で染まっている。だが、その表情にはどこか抜けた、のほほんとした色があった。

「領主様、今のエリック様には、どのような言葉も……」

 ラドウの側で、カランと乾いた音を立て、剣が落ちた。

「ファンオウ……様……?」

 しがみついたラドウの腕の中で、エリックが脱力する。様子の変わったエリックに、ラドウは身を離して落とした剣を拾いファンオウを護るようにエリックに対峙する。

「そうじゃ、エリック。わしじゃ」

 にっこりと、エリックへ微笑みかけてファンオウが言った。朝日を背負い、その姿には後光が差しているようにラドウには思われた。

「そ、そんな……殿、殿は、死んだ筈では……」

 呆然と、エリックが言葉を零す。

「この通り、生きておる。足も、あるしのお。死んだのは……イーサンじゃ」

 ひょい、と短い足を掲げて見せた後、ファンオウが表情を曇らせた。

「イーサンが、わしの身代わりとなってのお……すんでのところで、わしを庇って悪鬼と化した戦士の腕を相打ちに切り落としたのじゃ」

 ファンオウの言葉に、エリックが眼を見開いた。

「では……あの映像は……」

 エリックの口から、何かの呟きが漏れる。

「ふむ? よくは、解らぬが、お主も、何とか無事のようで、何よりじゃのお」

 ファンオウの言葉に、エリックが跪いて右拳を左掌へと打ち合わせる。折れているのか、その左腕は少し下がっていた。

「勿体なき、お言葉にございます、殿」

 身を震わせるエリックに、ファンオウがうなずいてラドウへ目を向けた。

「お主も、随分と傷を負ったのお、ラドウ。後で、診てやるゆえひとまずは本陣へ戻っておいてくれぬかのお?」

 掛けられた言葉に、ラドウは首を横へ振る。

「いいえ、俺も、領主様と」

「わしには、エリックがおる。案ずることは、無い」

 右手を見せて制し、ファンオウが言った。傍らで、エリックも黙ってうなずいている。

「……なれば、ここはエリック様へお任せいたします。領主様、エリック様……どうぞ、ご武運を」

 優しい目と厳しい眼のふたつに見守られ、ラドウはその場を後にした。制圧を終えた戦士たちには引き続き警戒をさせ、元部下の一人に現場を任せてゆっくりと神殿を後にする。本陣は、もう神殿の麓にまで来ていた。

「……命を捨てるのは、もう少し先になりそうだ」

 ひとりごちて、ラドウは長い階段をゆっくりと下っていった。


 しっかりとした足取りで立ち去るラドウを見送り、ファンオウはエリックを診た。

「左腕は、折れておるのお。頬は……腫れておるだけじゃな。美形が、台無しじゃのお」

 ファンオウの診断に、跪いたままエリックが羞恥に顔を染める。

「悪鬼めに、してやられました。面目次第もございません」

「良い。お主が無事であれば、それが何よりなのじゃ。イーサンが死に、居てもたってもいられなくなってしもうて、ここへ来たのじゃ。お主にまで、死なれたくは無いからのお……」

 布衣を裂いて包帯とし、ファンオウはエリックに応急の処置をする。

「殿……」

「嘆き悲しむのは、後じゃ。悪鬼を倒したとて、根を絶たぬことには、終わらぬのじゃろう?」

「はい。悪鬼を召喚した魔女が、この先におりまする。それを滅さねば、再び領に災禍が訪れましょう」

 うなずくエリックに、ファンオウは小さく微笑んで見せる。それで、処置は完了だった。

「なれば、行くかのお」

「はい。殿は、このエリックが必ずや御守りいたします」

 憑き物の取れたような顔で、エリックが立ち上がる。厳しい顔つきで見据えるのは、神殿の奥である。朝の強い日差しが、神殿の白い柱の間から差し込んでくる。眩しい陽光の中を、ファンオウとエリックは並んで歩き始めた。

お読みいただきありがとうございます。

楽しんでいただければ、幸いです。

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