のほほん領主、兵を鼓舞して災禍の根源との戦いを始める
照り付ける強い日差しは、いつもと変わりが無かった。ワニ肉と木の実の朝食も、常と変わらぬものが出された。傍らにエリックを従えて、ファンオウは館の出口へと向かう。大きな赤い木の扉を開けば、向こうに待っているのはいつもと違う光景だった。
「皆の者、これより出陣を前に、殿のお言葉がある! しかと耳を傾けよ!」
館の前の広場に集まった、褐色の民の戦士たちがいた。派手派手しい羽根飾りを頭にかぶった者や、骨で作った兜などを身に着けている者もいる。そのほとんどが、褐色の肌に色とりどりの原色の化粧を施していた。
設えられた壇上へ登り、ファンオウは褐色の戦士たちを見下ろす。隣にはエリックが、少し間を置いてレンガ、ラドウ、イーサン、フェイらの姿もある。そこへうなずいて、ファンオウは戦士たちへ眼を戻した。
「みんな、今日はよく、集まってくれたのお。まずは、感謝を」
流れてきた暢気そうな声に、戦士たちの中から威勢の良い奇声が上がる。
「そうか、そうか。みんな元気そうで、何よりじゃのお」
吠え猛る戦士たちの咆哮に、ファンオウは細い眼をさらに細める。
「さて、この地に住まう者であれば、知っておることじゃろうが、この地には、黒の悪鬼、と呼ばれる邪悪の存在がおる。わしは、領主として、これを討たねばならぬ。なぜならば、かの悪鬼は、人を殺し、食らうからじゃ。そやつがおる限り、この地に平和は訪れぬ。わしは、民も兵も、誰もが笑って暮らせる領地を作り上げたいのじゃ。そのために、みんなの力を貸してはくれぬかのお?」
ファンオウの言葉は、褐色の民たちの言語ではない。だが、内に秘められた思いは、彼らに確かに伝わっていた。ファンオウの声が途切れぬうちから、戦士たちは鯨波を上げる。おお、と波のように上がる雄叫びに、ファンオウの胸は震えた。
「みんなも、わしと同じ気持ちで、戦ってくれるというのか。これほど、嬉しいことは無いのお。なればこそ、約束をしてくれい。わしと共に、誰一人欠けることなく、この場所へ帰ってくると。どんな苦難に遭おうとも、決して生きることを諦めはせぬと。わしは、お主らにそれを望む」
両手を高々と掲げ、ファンオウは戦士たちへと思いを伝える。真正直な、赤心の思いであった。またもや、戦士たちからは雄叫びが上がる。
「ファンオウ、ファンオウ!」
口々に、彼らは己が神と信じる名を叫ぶ。密林の木々さえも揺らす大音声に、色鮮やかな尾羽の鳥が驚き飛び上がる。
「さすがは、殿にございます。戦士らの士気は、天を衝くほどに高まっておりまする。これならば、必ずや黒の悪鬼を打ち倒すことができましょうぞ」
感涙の面持ちで、エリックが言った。表情の少ないエリックであるが、その瞳に尽きせぬ闘志が満ちている。ファンオウはうなずき、壇上をエリックへと譲る。
「皆の者、聞いての通りだ! 我らはこれより一丸となり、黒の悪鬼を討ち滅ぼす! 各員、ここを死に場所と定め、力の限り戦えい!」
拳を握りしめて、エリックが戦士たちへと呼びかける。
「……できればわしは、全員生き残って欲しいんじゃがのお」
呟くファンオウの声は、熱狂に遮られて届かない。
「それでは、陣立てを伝える! 第一陣、レンガ! お前には、先鋒を任せる! 戦士の半数を預けるゆえ、見事その役を果たして見せるがいい!」
名を呼ばれ、女ドワーフのレンガが前に出る。
「やっと、まともに名前を呼んでくれたね、全く」
整列する戦士を前に、レンガは呟いてファンオウに身体を寄せる。
「レンガさんや、頼んだぞ」
微笑みかけるファンオウに、レンガはつぶらな瞳で不器用なウインクをして見せる。
「うん、任せてよ。その代り、帰ったら、たっぷりと濃厚なのを、お願いね」
色っぽくしなを作ってレンガが言った。
「うむ、指圧じゃな。戦の疲れが、吹き飛ぶようなのを、施そう」
ファンオウの答えに、レンガはちょっと呆けた後、豪快に笑う。
「あはは。今はそれで、いいかな。でも、そのうち指圧だけじゃ、満足できなくなるかもね? さて、それじゃあ行くよ、皆!」
白銀の槍斧を掲げて、レンガが戦士たちへ呼びかける。短い足を動かして先行するレンガに続き、戦士たちの半数がそれに続いて行った。
「土ミミズめ、何をするつもりだ……貴様の企みなど、俺が握り潰してくれる」
小さな背中を見送り、苦々しい口調でエリックが吐き捨てる。だが、すぐに気を取り直してエリックはラドウへ向き直る。
「第二陣、ラドウ! 二百の戦士を率い、遊撃をせよ! 第一陣と連携して、敵に当たれ!」
指名を受けて、ラドウが拳を打ち付け一礼する。
「はっ! 必ずや、領主様のご期待に応えて見せます!」
ラドウが手を挙げると、背後にいた部下たちが二百の戦士たちをいくつかの隊に分けて、整然と進軍してゆく。
「ラドウよ。お前に与えた兵法の知識、無駄にするな」
ラドウの肩に手を置いたエリックが、鋭い眼を向けて言った。
「お任せください。搦め手は、盗賊の頃から得意ですから」
不敵な笑みを見せて、ラドウも戦士たちの最後尾についた。
「さて、残った者たちは第三陣だ! 俺とともに、殿を守りつつ進軍する! イーサンは殿の近衛として従軍せよ! そしてフェイは、留守居だ!」
硬い表情を見せたイーサンがうなずき、ファンオウの側へと寄る。
「お父さん、頑張って! ファンオウ様を、守ってね!」
広場の隅から、元気な少女の声が聞こえてくる。娘の、イファの姿がそこにあった。イファに向かってイーサンはうなずき、ファンオウへ跪く。
「私の、全身全霊をもって御守りいたします、ファンオウ様」
「すっかり、頼もしくなったのお、イーサンや。じゃが、無理はせぬようにのお。イファの、為にも」
ファンオウの言葉に、イーサンの肩がぴくりと動いた。
「……娘のことを気にかけていただき、ありがとうございます。ファンオウ様のような領主様に出会えたことは、私の人生の最大の幸福にございます」
声を震わせ、イーサンが言った。その背後で、フェイが柔和な笑みを向けてくる。
「ファンオウ様、どうぞお気をつけて。エリック様がいれば、万が一も起こらぬでしょうが……なぜか、胸騒ぎがいたします。もしもの時は、何もかも捨てて逃げてください。ここまで逃げ延びれば、爺が命を懸けても御守りいたしますゆえ」
「エリックがおれば、万が一など有り得ぬじゃろうがのお……もしもの時は、頼りにさせてもらうぞ、フェイよ。そして、わしの留守の間は、任せた。民たちをよくまとめ、導くのじゃぞ」
微笑み返してうなずくファンオウへ、フェイが両手を組んで掲げる。文官の見せる、礼の形である。
「ご武運を、ファンオウ様。そして一刻も早い御帰りを、祈っております」
「うむ……では、行くかのお、エリック」
のんびりとした口調に決意を込めて、ファンオウはエリックへと向き直る。
「はい。殿だけは何がありましても、このエリックが守護いたしまする。どっしりと、構えていてください。皆者、いざ、出陣だ!」
エリックの合図に、二頭の馬が引かれてくる。旅の苦楽を共にした、それは王都で買い求めた馬であった。長旅と密林の生活を経て、馬たちも歴戦の面持ちを得ていた。
「旗を掲げよ!」
エリックの命に応じ、戦士の一人が旗を掲げる。白地に『華』と黒字で染め抜かれた旗が、風に高々と翻る。五十の戦士と無双の英雄、そして忠義の民に守られ、ファンオウは密林を進んでゆく。鬱蒼とした木々が視界を覆い、立ちふさがる。言い知れぬ不吉な風を感じて、ファンオウは顔を引き締める。だが、決して後ろは振り返らなかった。
「ファンオウ様ーっ! 頑張ってくださーい!」
イファの声に励まされるように、ファンオウはただ前を向いて進む。傍らで馬を操る、長い耳の友に全てを託して、暗い密林の中をファンオウは行くのであった。
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次回、いよいよ決戦の幕開けです。
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