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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
黎明の章
22/103

領民の少女、多忙にあちこちを走り回りその父親は不寝番を全うする

今回はイファと、イーサンのお話です。

 悪鬼との対決を前にして、イファの生活は多忙になった。朝早く、陽の昇る前に起き出してイファは褐色の民の女たちと共に、密林へと分け入り木の実を採集する。木の実の生っている場所は日々によって変わり、出かける場所もまた変わってゆく。出来る限りの食料を集めよ、とのエリックの命に、女たちが懸命に応えようとした結果である。半日ほども歩くこともあれば、朝のうちに採集が終わるときもある。木の実を粉にしたり煮込んだりするのは、イファの役目ではない。採集が終わればイファは、自由時間を得ることができた。

 イファとて遊びたい盛りの年頃の少女ではあるが、暇が出来ても遊んでいるわけにはいかない。空いた時間のほとんどを、ファンオウの元へと通い医術を学ぶことに費やしているのだ。

 イファの朝は、領主の館の近郊に建てられた丸太小屋での目覚めから始まる。木の枝を組み合わせ、大きな植物の葉を乗せただけの簡素な天井を見上げ、イファは身を起こす。目覚めは良い方なので、小屋の近所にある井戸までしっかりとした足取りで歩き顔を洗う。

「……」

「あ、おはようございます!」

 木の実の採集を共にするようになり、イファは褐色の民の女たちと挨拶を交わすようになっていた。

「良い日柄」

 たどたどしい単語で、褐色の女が挨拶を返してくる。彼女らの中で夫を持っていない者は、皆ファンオウの側へと上がりたがっていた。そのため、イファも簡単な言葉を教えたりしているのである。

「はい。良い日柄ですね。今日の採集は、どこまで行くんですか?」

 問いかけに女は首を少し傾げ、それからうなずく。

「本日、近く行きます。じゅくじゅくした実、そろそろ採りごろ」

「熟した実、ですね。わかりました。それなら、午後からはお勉強できそうです」

 イファとて、ファンオウの側へと上がりたい少女の一人である。二人きりの医術の勉強の時間を思い、少し相好が崩れる。そんな顔を、女は羨ましそうに見つめた。

「領主様、私のこと、伝えて?」

「わかりました。領主様には、ちゃんと皆さんの働きを、伝えておきますね」

 曖昧に笑って、イファは言った。同様のことをイファにお願いしてくる女は、そこそこいるのだ。

「ともかく、ご飯を食べてから、出発ですね。今日も、頑張りましょう!」

「あい、頑張りましょう!」

 右手を掲げてイファは女と手のひらを打ち合わせ、別れた。丸太小屋へと戻ると、父親のイーサンがようやく起き出したところだった。

「おかえり、イファ。火を熾しておいたよ」

 囲炉裏端に座ったイーサンの元で、ぱちぱちと薪が爆ぜていた。

「ありがとう、お父さん。今、ご飯作るね」

 小屋に吊るしてある干し肉を小さな刃物で削ぎ切りながら、イファは手早く朝食を仕込んでゆく。囲炉裏の上で温めた石板へ干し肉を乗せて、赤い実で作ったソースをかけて食べるだけのシンプルな食事だった。変化をつけるために、イファはそこへわずかな香草を刻んで振りかける。これは、医術の勉強をするうちに発見した調味料だった。

「うん、美味しいよ、イファ。力が、沸いてくるようだ」

 すっかり日焼けして、首元まで褐色になったイーサンが白い歯を見せて言う。

「ありがとう……うん、美味しい。お父さんは、今日は伝令? それとも、近衛のお仕事?」

「今日は、領主様の身辺警護の日だよ」

「それなら、もっといっぱい食べて力をつけなきゃだね」

 言って、イファは干し肉をさらに追加する。

「そうだね。だけど、食べ過ぎて動けなくならないように、気を付けなくてはね」

 イーサンが悪戯っぽく笑って、言った。イファもイーサンも、元々が食の細いほうであり、朝食を食べ終わるのも早かった。

「じゃあ、行ってくる。イファも、気をつけてね」

 似合わぬ剣を佩いて小屋を出るイーサンを見送り、イファも密林活動のために袖の長い衣服へと着替えて外へ出る。ようやく、太陽が顔を見せ始める、そんな時間だった。

 褐色の民たちは皆健脚で、それは女たちも変わらない。近くの木の実を採りに行く、と聞いていたイファだったが、たっぷり四半刻も歩いてようやくたどり着いた頃にはびっしょりと全身に汗をかいていた。

「イファ、こっち、じゅくじゅく」

 一人の女が指さす木の枝を引き、イファは鋏を動かす。ぷつん、と枝が容易く切れて、ぶにょんとした木の実がイファの手の中へと落ちた。鋏は、女ドワーフのレンガがイファのために誂えてくれたものだった。その切れ味は並みの鉈などよりも遥かに良く、惜しみなくそれを使うイファはいつしか木の実を切り取る係りになっていた。

「イファ、今日のカゴ、たくさん」

「それじゃ、今日はこれくらいにしましょうか」

 木の実で満杯になったカゴを見て言ったイファに、女がうなずく。あちこちへ散って木の実を集めていた女たちも戻ってきて、今日の採集はそれで終わりになった。

 帰り道のカゴは、女たちが持つ。イファは手ぶらで、野草の中の薬効成分のあるものを時折摘みながら歩いた。ファンオウやエリックの教示もあり、イファも密林の中の薬草には随分と詳しくなっていた。

 採集が夕刻まで続くときは、昼食は食べない。だが、ファンオウの所で医術を学ぶ日は、別であった。領主の館で働く褐色の民の女が作った、少し豪勢な昼食をファンオウと共に摂る。

「イファよ、これも、食べるのじゃ」

 大皿に盛られた、細かく切った白い肉をファンオウ自らがよそい、イファへと差し出してくる。

「あ、ありがとうございます。ファンオウ様にしてもらえるなんて、光栄です……」

「お主は、まだまだ育ちざかりじゃからのお。よく食べて、大きくなるのじゃぞ」

 はい、とうなずきながら、成長を喜んでくれるファンオウにイファは歓喜で飛び上がりたくなるほどだった。

 昼食が終われば、勉強の時間である。ファンオウの持つ医術を記した竹簡を、イファは読み上げながら書き写してゆく。間違いがあれば、ファンオウがすぐに訂正をする。そのときだけは、ファンオウは普段の間延びした口調ではなく、短くはきはきと指摘をする。領主ののほほんとした顔ではなく、医師として見せるそんな所も、イファには好もしく思えた。

 途中、息抜きにと茶を淹れにきたエリックの横顔に見惚れたりもしながら、イファの勉学の時間は瞬く間に過ぎてゆく。夕刻になり、ファンオウの診療所でもある私室を退出するとき、イーサンとわずかな時間、顔を合わせる。

「勉強、頑張っているみたいだね、イファ」

 大きな手のひらで、イーサンが頭を撫でてくれる。最近少し筋張って硬くなった父親の手の感触が、イファは好きだった。

「ありがとう、お父さん。今日は、不寝番?」

 イファの問いに、イーサンがうなずく。

「うん。だから、夕飯は一人で食べててくれないかな?」

 返ってきた答えに、イファは寂しく思ったが、顔には出さない。

「わかった。お父さんも、お仕事、頑張ってね」

 笑顔で、そう言った。

 領主の館を出てから、イファは丸太小屋の建ち並ぶ集落の端へと向かう。煮炊きに使う、薪を持ち帰るためである。

「こんにちは、イファちゃん。薪が必要かい?」

 元賊徒の厳つい顔をした木こりの男が、イファに豪快な笑みを向ける。

「はい。ワニのお肉の燻製も作るので、少し多めにいただけますか?」

「ああ、いいとも。イファちゃんには、こないだお世話になったし、小屋まで運んであげよう」

 言いながら、男は薪の束をひとつかみ、ひょいと持ち上げる。ついでに燻製に使う木くずをまとめた袋も、男が持った。

「すみません、いつも運んでもらって。肩の具合は、どうですか?」

 眉を下げて問うイファに、男は片腕をぐるりと回して見せる。

「もう、すっかり治ったよ。ファンオウ様の鍼と、イファちゃんの治療のお陰だ」

「それなら、良かったです」

 薪を運んでもらい、何度も頭を下げるイファに手を振って男は去って行った。男は賊徒にしては気性が穏やかで、戦いには向いていなかった。そのため、木こりをしているのであった。倒れた木に打ち付けてしまった肩の打撲を、ファンオウと協力して治してやって以来、何くれと無くイファに良くしてくれているのである。

 日が沈み、月が密林の中天高くに昇るまで、イファは塩漬けにしたワニ肉を燻していた。塩はラドウの部下が、良質な岩塩の取れる場所を見つけて取ってきた物である。

「これで、良し。あとは、お部屋に吊るしておくだけだね」

 鈍い焦げ色を見せるワニ肉に、イファは満足してうなずく。ずっと座って火の番をしていたせいか、身体を伸ばすとわずかに痛みがあった。肉を吊るしたイファは、床に敷いた大きな葉のの寝具へと寝転がる。

「おやすみ。お父さん、ファンオウ様……」

 そっと呟くイファの小さな口から、やがてすやすやと寝息が漏れる。こうして、イファの一日は終わりを告げるのであった。


 ファンオウの私室の前で、イーサンは直立不動の体勢でいた。身体から余分な力は抜いて、しかし弛緩させない程度に緊張をさせる。エリックから教わった呼吸法も用い、イーサンの感覚は研ぎ澄まされていた。

「異常は無いか?」

 ふっと、側に気配がいきなり現れて問いかけてくる。イーサンは動揺を見せず、気配に向けてうなずいた。

「はい。異常はありません、エリック様」

「ご苦労。緩まず弛まず、しかし力を入れすぎるな。お前に教えたそれは、基本にすぎない。だが、基本こそが何より大事なのだと知っておけ」

 声だけを残し、気配が消える。イーサンは無心の境地で、不寝番を続けた。

「いざとなれば、私の命をもって、御守りいたします。ファンオウ様」

 扉の向こうで静かな寝息を立てるファンオウに、イーサンはそっと呟く。夜も更けてゆくうちに、うっすらと脳裏に愛娘のイファの姿が立ち上がってくる。だが、呼吸を繰り返すうちに、それも消えた。己をただ一個の兵と化して、イーサンは役目に打ち込んでゆく。

 やがて日が昇り、交代の者が現れる頃にはイーサンの全身を凄まじい疲労感が襲っていた。家に帰れば、泥のように眠ってしまおうか。ふらふらと歩きながら、イーサンはそんなことを考えるのであった。

読んでいただき、ありがとうございます。

次回は来週、いよいよ状況が大きく動きます。どうぞ、お楽しみに。

今回も、楽しんでいただければ幸いです。

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