老家人、山人と共に大酋長の元へ訪れる
今回は、老家人ことフェイと山人レンガのお話です。どうぞ、お楽しみください。
ファンオウの祖父の代から、仕えていた。フェイにとってファン家の領地とは、目隠しをしても歩けるほどに見知った場所であった。だが、密林に覆われてしまった今となっては、フェイにとってもそれは未知の場所となってしまっていた。
曲がりくねった硬い木々を乗り越え、沼を迂回し藪を突っ切る。老いた身には酷く堪える行程であったが、先導する女ドワーフ、レンガの助けもあって何とか順調に進めていた。
「ここを抜けた先に、人の気配があるよ、フェイくん」
白銀の槍斧を鉈のように使い、藪を切り伏せてレンガが振り返る。荒い呼吸を上げながら、フェイは愛嬌のある団子鼻にしばし目をやった。
「……レンガお姉ちゃんは、いえ、レンガさんは、相変わらずお元気ですね」
しみじみと、フェイは言った。
「ま、ドワーフだからね、あたしは。フェイくんは、本当にじーさんになっちゃったわね。昔はこのくらいの遠出、何とも無かった気がしたんだけれど」
言いながら、レンガが両手を差し出してくる。
「……何をされるおつもりですか?」
「いや、あたしが抱っこしてったほうが、早いと思ってね」
首を傾げるフェイに、レンガがあっけらかんとした口調で言った。
「ご勘弁ください。さすがに、外面というものがあります」
「……つまんないことを気にするようになったのね、フェイくんは。昔は、むしろ喜んでくっついてたと思うんだけれど」
「あの頃でも、さすがに抱っこされるのは嫌がったと記憶しておりますが。それでも、無理やりに運ばれたことが、ありましたな」
遠い記憶に、フェイが目を細める。そんなフェイの腕を、レンガが強く引いた。
「呆けてる場合じゃ、無いんじゃないの? これから、一仕事あるんだから」
呆れたように見つめてくるレンガに、フェイは首を軽く振った。
「そうですな。ファンオウ様に課していただいた、大事な仕事があるのでしたな」
フェイの言葉に、レンガが腕から手を離して肩をすくめる。
「実際には、あの忠犬エリックの命令だけれどね」
揶揄するようなレンガの声に、フェイは軽く笑ってうなずく。
「ひとかどの武人でありながら、優れた指揮官でもあらせられます。あのようなお方が、ファンオウ様に犬のように仕えて下さることは、まことに僥倖ですな」
「……少し、人使いの荒いところはあるけれど、ね」
笑顔を見せあい、フェイとレンガは再び密林を行く。ひょう、と風を切る音が鳴り、レンガが槍斧を一振りした。かつん、と何かを打つ音が響き、フェイの足元へ一本の矢が落ちる。
「いよいよ、彼らの領域に足を踏み入れた、といったところですかな。矢羽の飾りから見るに、斥候のようです」
矢を拾い上げ、手に取って見たフェイはレンガへと告げる。
「随分な、歓迎っぷりね。その矢、毒が塗られているんじゃない?」
「よく、お分かりになりましたね。石の矢じりに、何か塗られています。手を触れるのは、やめておいたほうが良いでしょうな」
「……冗談のつもりだったのに。まあ、いいわ。こっちも、行動に移りましょう」
レンガの声に、フェイはうなずいた。呼吸を整え、大きく息を吸う。フェイの身の丈を超えるほどの長さを持つレンガの槍斧が、ぶん、ぶんと宙を切る。その度に足元へ毒矢が折れ飛んできたが、フェイは平然としていられた。
『鎮まれ、密林の民たちよ! 我ら、神の使いである!』
短い叫びと音を組み合わせ、フェイは彼らの言葉でそう言った。ぱらぱらと、飛んできていた矢がふいに止んだ。
『神、だと!?』
短い叫びが、返ってくる。顔だけ振り向いたレンガにうなずいて、フェイはまた息を吸った。
『そうだ! この地を治める、本来の神が、悪しき鬼を打倒するため、この地へ来た! 我らは、その眷属である!』
叫びに応じたかのように、茂みを割って一人の褐色半裸の戦士が姿を見せた。
『死の神である、黒き鬼を打倒する? そんなこと、出来るものか』
戦士の口から、そんな言葉が出た。まだ年若いが、その戦士は見事な戦化粧を全身に施していた。紋様を見やり、フェイはその戦士が部族の有力者である、とあたりをつける。
『若造が。そなたに話すことは、何も無い。さっさと長を、ここへ連れて来い。でなければ、神の力の一端を見ることになるぞ』
あえて挑発するように、フェイは言った。戦士はにやりと口元を歪め、腰から石斧を引き抜く。
『なれば、力で示して見せよ! 俺は、大首長の息子だ! 俺を倒せば、大酋長の元へと連れてゆく!』
言うなり、戦士は石斧を振り上げてフェイへと躍りかかった。小さなレンガは、戦士の視界には入っていないようだった。
「レンガさん、お願いします。ただし、彼は大酋長の息子です。できれば、傷は残らないように願います」
「ん、了解っと」
レンガの手で、槍斧がぐんと音立てて振り回される。槍の穂先が戦士の石斧を捉え、打ち砕いて柄を手から弾き飛ばしたのは、一瞬の出来事だった。
「うんしょっと」
軽い掛け声とともに、レンガが膂力で強引に振り抜いた槍斧の柄を戻し、戦士の足を払う。尻餅をついた戦士の額のすぐ側へ、鋭く光る銀の斧刃がぴたりと止まった。
『約束だ。大酋長の元へ、案内せよ。もしも姑息な罠を仕掛けようものならば、この神の使徒がお前たちの首を、一人残らず撥ねるであろう』
フェイのかけた言葉に、戦士は呆然とした顔でうなずいた。
「……何か、物騒なこと言ってるよね、フェイくん。何となく、そう思うんだけれど」
じろり、と横目で見つめてくるレンガに、フェイは微笑みを返す。
「お姉ちゃんは、相変わらず鋭いですな。ですが、腕のほうはあの頃よりも鋭さが増した気がいたします。心強い限りです」
フェイの言葉に、小さく息を吐いたレンガは槍斧を手元へ戻した。
「そんなだから、未だに独身なんだよ、フェイくんは」
ぼそり、と呟くようなレンガの声を、フェイはどこ吹く風と受け流す。
「そんなことより、参りましょうか。大酋長との話し合いは、これからが本番ですよ」
レンガへ言って、フェイは戦士に顔を向ける。
『……これほどの力を前に、姑息な真似をする戦士は俺の部族にはいない。親父の、大酋長の元へと案内しよう』
戦士が立ち上がり、白い歯を見せてレンガとフェイに笑いかける。そうして、二人は褐色半裸の戦士たちに連れられ、大酋長の元へたどり着いた。
木の壁と植物の葉の屋根を持つ家の前で、しばらく待たされてからフェイとレンガは中へと通された。家の中は一間になっていて、部屋の中央に大柄な壮年の男と、先ほどレンガが打ち倒した戦士の姿があった。
『ようこそ、力ある者よ。息子より、話は聞いた』
腹の底に響くような、低く威厳のある声で壮年の男が言った。
『そなたが、ここの長か』
フェイの問いに、男は重々しくうなずいた。
『そうだ。俺が、ここを治める大酋長だ。お前たちは、神の使いと言ったそうだな。俺に、何を望む』
『我らの神に、従うことを。そうすれば、悪しき鬼は打ち払われ、この地に安寧が、もたらされる』
フェイの言葉を受けて、男はしばし黙し、ゆっくりと口を開く。
『……死の神は、多くの部族の人間を贄に使う。それを倒してくれるというのであれば、俺たちは力を貸そう。だが』
男は言葉を切って、じっとフェイの目を見つめてくる。
『だが?』
『お前たちの神は、何を求めてくる。死の神を打ち払い、代わりに災厄の神を招き入れることになるのであれば、俺は部族を率いる者として、それを認めることは、できない』
男の言葉に、フェイは首を横へ振る。
『それは、無い。我らの神は、そなたらをありのままに受け入れ、統べるのみ。贄などはいらぬ。供物を、日が三百六十五昇る間に二回、納めるだけだ』
『供物は、人間ではないのか?』
『違う。そなたらがこの地で暮らし、蓄えたものの中の、一部で良い。それを納めれば、我らの神は、そなたらを守る』
フェイの言葉に、男は深く、息を吐いた。
『神へ供物を捧げることは、これまでもやってきたことだ。本当にそれだけが条件ならば、俺には異存は無い。死の神との戦いに戦士が必要ならば、俺の息子が先頭に立って戦うだろう』
男が、息子を見やりつつ言う。若々しい戦士の顔が引き締められ、こくりと動いた。
『なれば、決まりだ。これよりは新たな神、ファンオウに忠義を尽せ』
そう言って、フェイは懐から一枚の布を取り出し男へ差し出した。ふわり、と淡い花の香りが、部屋の中へと拡がってゆく。
『不思議な、臭いだ……これは?』
首を傾げる男へ、フェイは微笑む。
『それは、我が神の眷属の証。戦士を率いる者は、それを腕に巻いて我が神の住まう地を訪れよ。そうすれば、神の信徒がお前の部族の戦士を神兵へと変えてくれる』
その布は、イファの用意した花の香りを封じた飾り布であった。急ごしらえのため、刺繍は施されてはいないが布を身に着ける習慣の無い褐色の民たちへの目印には、充分に役に立つ。
『心遣い、有り難く受け取ろう。さて、話は終わりだな? それでは……』
布を受け取り捧げ持ち、息子へと手渡した男が立ち上がる。
『宴は、必要無い。我らは、これより他の部族も、回らねばならぬ身なのでな』
フェイも立ち上がり、そう言った。くいくい、とフェイの袖が引かれる。
「フェイくん、ここ、囲まれてる」
横に置いた槍斧を持ち上げて、レンガが声を潜めて言った。フェイは、男の顔を見つめる。
『……ただで、帰すつもりは無いようだな?』
鋭いフェイの声に、男は胸の前で腕を組み、重々しくうなずいた。
『お前たちは、俺の息子に力を見せた。ならば、こちらとしては礼をせねば面子が立たない。火と酒、肉と踊りを用意させた。大人しく、もてなしを受けてもらう』
白い歯を見せて、男は息子そっくりの笑みを見せた。
「……どうやら、ただでは帰れないようですな。これから、宴会を催すそうです」
苦笑して息を吐くフェイの言葉に、レンガがきらきらとした目を向ける。
「宴会? お酒は、出るのかな?」
周囲を囲む者たちに殺気が無いことを悟り、レンガはすでに気を緩めていたようだった。
「たっぷりと、用意したそうです。どうぞ、私の分まで存分に、飲み明かしてください、レンガお姉ちゃん」
酒と聞けば、目の色が変わる。昔と変わらない、女ドワーフの姿に肩をすくめつつ、フェイは天を仰ぐ。
「私の肝臓は、どこまで持つのでしょうな……」
ぽつり、と呟く声が、宙へと空しく消えてゆく。そうしているうちに二人は広場へと連れ出され、盛大な酒食のもてなしを受けた。宴は明け方まで続き、ふらつくフェイが元気なレンガに連れられてその集落を出た頃には昼過ぎになっていた。行く先を思いやり、フェイは重い息を吐く。こうして、大酋長の一人がまた、ファンオウの民となったのであった。