のほほん領主、領内統一の決意を固める
窓から差し込んでくるのは、強烈な太陽の光である。時折吹き込んでくる風は、木々の湿気を多く含んだねっとりとしたものだった。客間に設えられた寝台の上で、半裸の男の褐色肌に汗が浮かぶ。傍らの椅子に腰かけたファンオウが、額の汗を拭ってやると男はゆっくりと眼を開けた。
「…、…」
微かな言葉のような呟きが、男の口から漏れる。椅子の側へ立っていたフェイが、ファンオウの耳へ顔を寄せた。
「心地よい気分だ。かつてないほどに。そう言っておられます、ファンオウ様」
フェイの通訳に、ファンオウは小さくうなずく。
「それは、良かったのお。フェイよ、茶を淹れてきてはくれぬかのお?」
はっ、と短く答え、フェイが退出する。ぴしゃりと戸が閉まる音を聞いて、ファンオウが男へ向き直った。
「……、……」
寝台の上で男が身を起こし、何事かを呟いて平伏しようとする。右手を出して、ファンオウはそれを止めた。
「そう、畏まらずとも、良い。楽にせよ」
穏やかに微笑み、ファンオウは言葉をかける。身振りも交えることで、男は寝台の上であぐらをかいて座った。
「お主らの言葉は、わしにはまだわからぬ。じゃが、雰囲気は、なんとなく掴めるでのお。少うし、話をしようかと、思うのじゃが。眠くは、ないかのお?」
ファンオウの問いかけに、男はしばし間を置いて、首を横へ振る。
「それならば、良いかのお。では、改めて。わしが、この地の領主、ファンオウじゃ。お主の、名は、何というのか、教えてくれぬかのお?」
自分を指して、ファンオウ、と言う。そして男を指して、首を傾げる。しばらく繰り返すうちに、男は理解したようだった。
「……コバダ」
「コバダ、というのか、お主の名は?」
問いかけると、壮年の男の顔に喜色が差して、何度もうなずいた。ファンオウは微笑み、コバダへ手を差し伸べた。
「コバダ。これからは、わしの民として、生きてくれるかのお」
差し出された手を、コバダはしげしげと見つめ、ファンオウの顔と何度も視線を往復させる。
「お主らの、作法であろう。友となりたい者と、手を取り合う。それで、合っておるじゃろう?」
笑みを崩さず、ファンオウは問いかける。コバダは平伏し、握手を固辞しようとする。だが、ファンオウは手を引きはしない。やがて、おずおずと褐色の手が伸びて、ファンオウの手を強く握った。
「うむ。これで、わしとお主は友じゃのお。ちと、歳は離れておるやも知れぬが、よろしくのお」
微笑みかけると、コバダは手を離して再び平伏する。何言かを呟く声に、ファンオウは軽く笑い声を上げた。
「そう、畏まるでない。お主とわしは、友なのじゃから、のお」
穏やかに言葉をかけてみるが、コバダは平伏したままである。どうしたものか、と見つめるファンオウの元へ、フェイが戻って来た。
「ファンオウ様、茶を、淹れて参りました」
静々と盆を捧げ持ったフェイが、ファンオウに茶碗を手渡す。ほどよく温い茶を一口すすったファンオウは、コバダへそれを差し出した。
「コバダよ、お主も、飲むが良い」
「…、…。…」
ファンオウの言葉を、フェイが翻訳して伝える。がばりと身を起こしたコバダが、ファンオウの手から茶碗を両手で受け取り、額の前で掲げてから中身を口にする。ほうっ、とコバダの口から、穏やかな息が漏れた。
「これは、神の飲み物ですか。そう聞いております」
フェイが、コバダの言葉を意訳する。
「茶の味が、わかるようじゃのお。フェイよ、これは、わしの国の飲み物で、神のものではない。そう伝えてくれぬかのお」
「御意に」
ファンオウの言葉を伝えるべく、フェイが二言、三言をコバダと交わす。ファンオウはそれを、微笑ましい面持ちで眺めていた。ほんのりとした、平穏な空気が部屋には満ちていった。
快癒したコバダはその日のうちに帰って行った。部族に、ファンオウの民として恭順することを通達するためだ。快くコバダと部下たちを見送ったファンオウは、広間に全員を呼び集めた。
机と椅子が端へ寄せられ、最奥へファンオウの椅子が置かれる。座りながら、ファンオウは全員の顔を見渡した。
椅子の左右に立つのは、エリックとフェイである。そして、最前列にレンガとイファが並んで座り、ラドウと村人たち、そして元賊徒の部下たちが並ぶ。その後ろへ、褐色の民が勢ぞろいすれば広間は一杯となっていた。
「みんな、忙しいところ、よく集まってくれたのお」
全員が揃い、視線が集まったところでファンオウは声をかける。
「ファンオウさんが、大事な話があるっていうからね」
白銀の槍斧を担いだレンガが、団子鼻を揺らして頼もしい笑みを見せる。
「領主様のお召しとあらば、いつでも参上いたします」
ワニ革の鎧に身を包み、すっかり密林に溶け込んだラドウが言って、同じ格好の部下たちもうなずく。
「ファンオウ、ファンオウ!」
「静粛にせよ!」
大きな声を上げた褐色の民たちへ、エリックが手を挙げて制した。ぴたり、と声が止み、静寂が訪れる。こほん、とファンオウは咳ばらいをした。
「まずは、みんなの働きに、感謝をしたい。この二月、よく頑張ってくれたのお。この館を、再建出来たことは、とても喜ばしく思うておる」
ファンオウの言葉に、一同は笑顔を見せる。一片の曇りも無い表情に、ファンオウも穏やかに笑った。
「そして今日、わしの民に、新たな者たちが、加わった。今ここにはおらぬが、大酋長のコバダの率いる、百を超える部族の者らじゃ。わしは彼らを、民として迎えることに決めた」
ファンオウが言ったことへの反応は、大きく二つに分かれた。当然だ、というような顔でうなずくのは、共に領への旅を続けてきた者たちである。そして、驚愕に目を見開いたのは、褐色の民たちだった。ざわり、とざわめき始める彼らへ、エリックが再び手を挙げる。褐色の民たちは、すぐに静かになった。
「それだけでは、無い。この地は、わしの領地じゃ。なれば、他の大酋長たちも受け入れ、一つにまとめてゆこうと思うておる。そしてわしは、黒の悪鬼と対決し、これを打ち倒すことをさしあたっての目標とする」
ファンオウの言葉に、広間のほぼ全員が息を呑み、互いに顔を見合わせる。平然としているのはフェイと、そしてエリックだけである。
「かの者は、我が領内にて悪行の限りを尽くし、大酋長たちを支配していると聞いた。わしは領主として、それを捨て置くことは、できぬ。じゃが、みんなも知っておるじゃろうが、わしは、戦いは得意ではない。じゃから、みんなの力を、わしに貸してはくれぬかのお?」
のんびりとした口調だが、ファンオウの声には決意があった。問いかける言葉の末尾を待たずして、広間の全員がファンオウへ向けて、右拳を左掌へと打ち当て、一礼する。
「もとよりこの命、全て殿のものにございます」
一同を代表して、エリックが言った。うなずいたファンオウは、皆の顔を見渡す。どの顔にも、勇ましい決意の色があった。一同の礼を受け止めるようにファンオウは両手を拡げ、立ち上がる。
「ありがとう。みんなの決意、確かに受け取った。じゃが、わしの望みは、誰一人欠けることなく、この戦いを生き抜いて、新たな生活を送ってくれることにある。そのことを、どうか忘れぬように、のお」
わっと、歓声が湧き上がる。誰もがファンオウを信じ、そしてファンオウのために尽力しようとしてくれている。肌でそれを感じて、ファンオウは両肩にずしりと重いものが乗ったような感覚を得た。
「……エリック」
「はっ!」
打てば響く、といった具合にエリックが呼びかけに応じる。
「作戦の指揮は、お主に任せる。それで、良いかのお」
そう言うと、エリックの全身がぶるりと震えたように見えた。
「この上なき、お言葉にございます、殿。この俺の、全身全霊をもって、必ずやご期待に応えて見せましょう!」
燃え上がる双眸で、わずかな笑みを浮かべたエリックが言う。
「うむ。頼りに、しておるぞ」
うなずいたファンオウに背を向けて、エリックは広間の一同へと向き直る。
「それでは、これより作戦を言い渡す。まず、フェイ。お前は土ミミズ……レンガを連れて他の大酋長の集落を回り、これを恭順させろ。手段は、問わぬ」
「承りました」
エリックへ向けて、フェイが一礼する。
「……いい加減、普通に呼んでくれないかな、あたしのこと」
ぼやくレンガを無視して、次にエリックはラドウへと視線を向ける。
「ラドウ。お前は大酋長コバダの元に居る戦士たちをまとめ、軍を編成しろ。ひと月の猶予を与えるゆえ、まともな動きの出来る兵へと仕立てるのだ」
「はっ、了解いたしました!」
びしり、と背筋を伸ばしてラドウが応える。
「褐色の民たちは、戦士であればラドウに従え。戦士でない者は、食料の調達だ。出来る限りのものを、密林から集めよ」
エリックの指示に、褐色の民たちはうなずく。彼らは言葉を話すことは出来ないが、理解することは出来始めていた。民たちの中から屈強な男たちが、ラドウの元へと集まる。
「イファは、殿の側で医術を学べ。此度の戦いでは、役に立つ」
「はい! 頑張ります!」
エリックの命に、イファが元気よく立ち上がって言った。
「イーサンと、お前たちには伝令と、殿の近衛として警護の任を与える」
エリックの言葉に、イーサンと元村人の二人が怪訝な顔を見せた。
「わ、私たちが、警護ですか? そ、そんな重大な役目を……」
動揺を見せる村人たちへ、エリックはうなずく。
「お前たちには、最低限の剣を仕込んだつもりだ。殿の身辺には、滅多なことで敵は入っては来ないだろうが、万が一、ということもある。もしも俺が動けないときは、身を挺して殿を守れ」
淡々と言うエリックに、イーサンたちは硬い表情を向け合い、そしておずおずとうなずいた。
「わ、私たちの命で、お役に立てるのでしたら……」
「案ずるな。あくまで、万が一の場合だ。俺が殿の側を離れることなど、そうそう無いことだからな。普段は伝令として、あちらこちらへ駆けまわっていればそれで良い」
その言葉に、村人たちはほっとした表情になる。ただ一人、イーサンだけが硬い表情のままであった。
「万が一の場合は、私が身を盾にしてファンオウ様を守ります」
イーサンの瞳に、激しい決意の火が見えた。エリックはうなずき、もう一度全員を見渡す。
「以上が、皆への割り当てだ。決戦は、ひと月後となる。それ以上時間をかければ、敵側に備えを許してしまうこととなるだろう。作戦は早まることはあれど、遅滞は無いと心得よ。各員、持てる力以上のものを用いて事に当たれ!」
おお、と応じる声が、全員から上がった。腕を組んでうなずいたエリックが、ファンオウへと向き直る。
「これで、よろしいでしょうか?」
問いかけてくるエリックに、ファンオウは大きくうなずく。
「うむ。見事な、ものじゃのお。お主に任せたのは、正解じゃのお。みんな、エリックの命は、わしの命じゃと思い、従うのじゃ。もしも、誰かが失敗をしてしまったときは、その責はわしが持つ。じゃから、安心して働くのじゃぞ」
にこやかに言うファンオウへ、再び一同が頭を下げる。こうして、領内統一を目指すファンオウの戦いが、始まったのであった。