のほほん領主、民と義の間で煩悶す
宴が打ち切られ、広間にテーブルと椅子が並べられてゆく。派手な椅子も片付けるように、ファンオウは褐色の民へと命じる。側に立つエリックが、黙したままファンオウを見つめてくる。フェイとイファの姿は部屋には無い。彼らは、大酋長の男の付き添いで客間へ行っていた。
「さて、エリックよ。お主に、ちと聞きたいことが、あるのじゃがのお」
テーブルが整えられ、民たちを解散させてファンオウはエリックへと言葉をかけた。そのまま椅子を引き、対面の椅子を手で指し示す。
「このまま、お答えさせていただきたく」
「ならぬ。わしの、対面へ座るのじゃ。わしだけ、座るというわけにも、いかぬからのお」
穏やかな口調だが、ファンオウの声には有無を言わせないものがあった。小さくうなずいたエリックが、ファンオウの対面へと腰を下ろす。それを見て、ファンオウも椅子へと腰掛けた。
エリックの眼を、ファンオウはじっと見つめる。見つめ返してくる美貌の瞳は、澄み渡った光を湛えていた。
「先の、あの宴じゃが。エリックよ、大酋長が倒れたことと、お主の仕掛けには、何か関係があったのか、のお?」
問いかけて、ファンオウは眼を細くする。揺らぐことのない視線を返すままに、エリックが首を横へ振る。
「いいえ。あれは、私の予想の外にあったことです、殿」
その答えに、ファンオウはほっと息を吐く。
「大酋長の症状はのお、興奮と、酒がもたらした気脈の乱れじゃ。処置が遅れておれば、命に関わる程であった」
「まさしく、殿の迅速な手当てにより、かの者は一命を取り留めたのでございましょう。実に、お見事にございました。王都より旅の日々を重ねて参りましたが、殿の手腕には、ますます磨きがかかりましたようで」
エリックの言葉には、素直な賞賛だけが込められていた。決してそれは、世辞や追従の類では無い。それを理解したうえで、ファンオウはそれを遮った。
「今は、それは良い。じゃが、あの宴に関しては、わしに何か言わねばならぬことが、あるのではないかのお?」
のんびりとした調子で、微笑しながらファンオウは言う。弓なりに曲線を描く糸目は、変わらずにエリックの瞳へと注がれている。エリックが、右拳を左掌へと打ち合わせ、すっと頭を下げた。
「仰せの通りにございます、が……殿には、あの宴にて行われたことを、出来れば知らずにいていただきたいのです」
「ふむう。それは、どういうことかのお?」
問いかけに、エリックは拳を解いて頭を上げた。
「道を切り拓き、照らすのは俺の役目です。殿には、その道を、ただ真っすぐに顔を上げて進んでいただきたく存じます。殿につき従う、民たちの為にも、殿には曇りのない、笑顔を浮かべていただきたいのです」
エリックの言葉を、ファンオウは噛みしめるように受け止める。その口元に浮かんでいたわずかな笑みが、すっと消えた。
「わしは、それほど頼りなく、見えてしまうのかのお、エリック?」
「殿……いいえ、決して」
「じゃが、お主の言うようであれば、わしは重き荷をお主に負わせ、一人で楽々と歩いてゆくのではないかのお。友である、お主を差し置いて……」
ファンオウの言葉に、エリックが顔を俯ける。
「俺は……殿を」
「お主が、わしの忠臣であろうとしてくれることは、とても嬉しく思う。じゃが、折角みんなを下がらせたのじゃ。今はわしに、お主を友として遇することを、許してはくれぬかのお?」
俯いたままのエリックの、垂れ下った美しい前髪を見つめつつファンオウは続ける。
「お主がわしに、笑っておれと言うのであれば、そうしよう。決して、曇らぬような晴れやかな笑みを、浮かべ続ける。じゃが、わしはお主が切り拓き、照らし出してくれた道であるならば、それをどのように成したのか、知らねばならぬのじゃ。そうでなければ、わしは友に苦労ばかりをかける愚か者になってしまうではないか。労苦を共にせぬようで、何が友なのじゃ。のお、エリックよ。わしは、何も知らずにお主の厚意に甘えるだけで、いたくはないのじゃ。お主の友で、いたいのじゃ。じゃから、教えてくれぬかのお?」
ファンオウは問いかけ、エリックを見つめる。エリックが、顔を上げた。
「……殿は、天下万民の上に立ち、全ての民に安寧を齎すべき存在です。俺は殿の中に、王の器がある、そう思っています」
「王、じゃと……」
見返す瞳は、どこまでも透き通った光を湛えていた。
「はい。旅路の中で、殿はご覧になられたはずです。今の王が、成したことを。民に課した、重い苦しみを。腐りきった王国という大木に、それでも縋り付くことしかできない人々の姿を。そして、殿は彼らに、救いの手を差し伸べられた。そこに、俺は救世の志を見たのです。俺は、殿の臣として、そして、畏れ多くも、友と呼んで下さるならば、友として、その御心に応えたいのです。先の宴は、その足掛かりに過ぎません」
語るエリックの姿が、大きなものになって見えた。美貌のエルフが、無双の武人が、無二の友が、ファンオウを見つめている。
「褐色の民を纏める大酋長であっても、殿の前においては一人の臣下であると、俺は知らしめただけです。それでなくては、かの者の率いる部族により、殿の民たちは搾取されることとなっておりましたでしょう。無論、俺がいる限り、好きにさせることはありません。ですが、そうなればより多くの血が流れ、また長い時をかけてしまわねばならなかったことでしょう。人間である殿の持つ時間は、それほど多くはありません」
すっと、エリックが目を細める。微かに浮かんだ表情を、理解することはできなかった。捉えどころのない感情はすぐに掻き消えて、そこにあるものは普段通りの顔になっていた。
「殿にはまず、この地を治める領主として、彼らの王となっていただきます。宴は、その下準備のようなものでございました。これより、多くの民が殿の元へと集う事になります。導を失い、暗闇に迷う民たちへ、殿は光となり、笑顔を見せてください」
エリックの言葉に、今度はファンオウが俯く番だった。領主として、この地を治め民へ安寧を与えること。それは、王に命じられた使命である。旅路の中で、出会った民たちと共に生きること。それは、ファンオウの与えた民への希望である。そして、この変わり果てた領地に住まう者たちの、王になること。それは、彼らに望まれていることではない。自分を信じて、この僻地へとついてきてくれた者たちを、守るためのことである。
自らの、そして民たちの安寧を護るために、王として褐色の民たちに君臨する。彼らには彼らの文化と暮らしがあり、彼らを治めるということは、その文化に土足で踏み入ることに、なるかも知れない。そこに義はあるのだろうか。だが、手を拱いていては、民たちが理不尽な強奪を受けてしまうことも、確かである。民を思う心と、自身の善性との間で、激しいせめぎ合いが起きる。眉を寄せて、ファンオウは黙り込んだ。
「……色々と、申し上げ過ぎたようですね。ですが、殿。難しく、考える必要などありません」
顔をそのままに目を上げると、エリックがあるかなきかの微笑を見せていた。
「この地は元々、殿の御家の領地です。そこへ勝手に住みついたのは彼らなのです。ゆえに、彼らは領民として、殿の名のもとにひれ伏すのが当然なのです。文化は違えど、彼らは殿の民。なれば殿は、彼らを受け入れ、従える。そのお心持でいてくだされば、良いのです」
「……わしの民を、わしが受け入れる。それだけの、ことじゃと」
呟くように言ったファンオウへ、エリックが小さくうなずく。
「はい。そして曇りなき笑顔で、彼らを導いてゆかれれば、よろしいかと。そのために、俺はまず、この地で王を名乗る不届き者を、打ち倒します」
エリックの言葉に、ファンオウが目を瞬かせる。
「この地の、王? 大酋長が、王ではないのかのお?」
問いかけに、エリックは首を横へ振る。
「いいえ。彼は、王を僭称する黒の悪鬼、という者の下にいただけに過ぎません。密林は広く、彼のような存在は幾人かおります。そしてその全てが、黒の悪鬼に支配されているのです」
「黒の、悪鬼……」
その名を口に乗せるだけで、不吉なものが訪れるようであった。エリックの表情からも笑みが消え、毅然とした色が浮かんでいる。
「殿の領の、森をこのような密林へと変え、暴虐による支配にて殿の領を穢す、許しがたき存在です。これを捨て置いては、領地に安寧も繁栄も訪れることは無いでしょう。ですが、俺が必ずや、悪鬼を討滅してご覧に入れます。俺に、全てをお任せください、殿」
悪性への憎悪に燃えるエリックの双眸が、ファンオウを射抜く。しっかりと見返して、ファンオウはうなずいた。
「うむ。良いじゃろう、エリックよ。お主に、全てを任せる」
ファンオウが言うと、エリックが椅子から降りて床へ膝を立てる。左掌で、右拳を包み込むようにして顔の前に捧げ、ファンオウへ向けて一礼をして見せる。
「有り難き、幸せにございます。殿」
そう言ったエリックの耳が、ぴくりと動く。すっと、エリックが立ち上がった。同時に、廊下のほうからばたばたと足音が聞こえてくる。
「ファンオウ様、イファです。入って、大丈夫ですか?」
部屋の前で、イファが声を上げる。
「入れ」
ファンオウの代わりに、エリックが答えた。扉を開けて、イファが部屋へと入ってくる。
「ファンオウ様、大酋長さんが、目を覚ましました。ファンオウ様に、お会いしたいと言っていたので、報告に」
イファの言葉に、ファンオウはうなずいて立ち上がる。
「殿、俺も参ります」
「うむ。ゆこうかのお。容態は、どんな感じじゃった、イファ?」
左右にエリックとイファを伴い、ファンオウは広間を出る。
「はい、お薬と、ファンオウ様の鍼が効いたようで、すっきりとされていました」
「そうか、そうか。よかったのお」
元気よく笑うイファへ、ファンオウは穏やかな笑みを返す。だが、その胸中には、ぐるぐると回り続ける民と義の問題と、そして黒の悪鬼の名が燻り続ける熾火のようにあった。傍らでは、エリックが無表情に歩いている。廊下の窓から見える密林は広く、どこまでも遠くへと拡がっていた。
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