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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
黎明の章
17/103

のほほん領主、宴にて大酋長をもてなす

 扉の先、部屋の奥には椅子があった。それも、ただの椅子ではない。金ぴかの、煌びやかな椅子である。部屋のあちこちに設えられた松明の灯りを照り返し、それはきらきらと輝いていた。ファンオウは思わず、まぶたを押さえて椅子を二度見した。

「さあ、殿。どうぞ、あちら椅子へ」

 澄ました顔で、エリックが言う。

「エリック、これは……」

 広間の机は撤去されてしまっており、地べたに座った半裸に腰ミノ姿の男女たちが綺麗な円を作っている。

「彼らの流儀に合わせた、歓待にございます。殿は、あちらの椅子に座り笑顔にて皆を鼓舞していただければ、と」

 ずらり、と床に並んでいるのは、ワニ肉や野草をふんだんに使った料理の大皿である。さらに中央には、酒の入った大きな瓶も置かれていた。それらを横目に、ファンオウはエリックに促されるままに椅子へと腰掛ける。右隣に、剣を佩いたままのエリックが立った。

「それでは、私は大酋長を案内して参ります」

 部屋の入口で、フェイが一礼して身を翻す。椅子のひじ掛けに触れると、きらきらしたものが指に付着する。何とはなしにそれを眺めているうちに、玄関から騒がしい声が聞こえてきた。

「揉めておるのかのお?」

 のんびりとした口調で、ファンオウは傍らのエリックに顔を向ける。

「歓待しているのです。彼らの言葉は、我々にとって喧騒にも聞こえますが、どうぞお気になさらぬよう」

 入口に視線をやったまま、エリックが答えた。

「文化の、違いというものかのお」

「はい。しかしそれは、殿の威光によって、染められてゆくべきものと俺は考えております。広間の、殿の民たちの顔をご覧ください。皆、微笑をたたえておりましょう」

 言われて、ファンオウは広間の民たちの表情へ目を向ける。何も持たず、座っている者。小さな太鼓のような楽器を膝に乗せている者。薄い布を羽織っただけの、踊り子らしき者。誰もが、一様にうっすらと笑顔を浮かべていた。

「……みんな、笑っておるのお」

「殿の民として、皆幸福を噛みしめているのです。皆、殿と宴を共にできることを、喜んでいるのです」

 褐色の顔をしたどの民も、白い歯を見せて笑っている。彼らの視線は全て、ファンオウへと集まっていた。

「わしが、守るべき、民の姿なのじゃのお」

 ぽつり、と言ったファンオウの言葉に、エリックが力強くうなずいた。

「はい。殿は穏やかな顔で、笑っていてください。後のことは、俺とフェイで対応しますので。さて……そろそろ大酋長の、登場のようですな」

 近づいてくる喧騒に、エリックが右手をさっと挙げる。それが合図であったのか、民たちが居住まいを正し、一斉に平伏した。それは入口から訪れるであろう大酋長へ向けてのものではない。皆、一様にファンオウへ頭を向けていた。

「エリック……?」

「これで良いのです。殿はどうぞ、そのままで。……入れ!」

 エリックの声に導かれ、まずフェイが入室する。続いて入ってきたのは、やはり半裸に腰ミノの壮年の男だった。頭には、オウムの羽を使った派手な羽飾りがある。彼が、大酋長であるらしい。

「遠路はるばる、ご苦労であった! まずは酒を飲み、腰を落ち着けられよ!」

 エリックが、男に向けて大声を上げる。男の隣で、フェイがそれを通訳する。身振り手振りを交えた通訳に、男は重々しくうなずいた。男が中央に置かれた酒の瓶へと歩を進めると、横合いからフェイが椀を手渡す。受け取って、男はそれを高々と掲げた。

「…、……!」

 男は叫び、椀の中身を一気に口へと流し込んでゆく。ごくり、ごくりと男の咽喉が鳴り、その眼が大きく見開かれる。傍らのフェイが、男に何やら声をかけ、腕を引く。男が呆然と、虚ろな瞳でファンオウを見つめてくる。目を剥いた男の顔は少し恐ろしげであったが、ファンオウはエリックに言われた通りに、ただ笑って見せる。ファンオウと男の視線が、しばしぶつかった。

 部屋の中に、静かに楽の音が流れ始める。びくり、と男は身を震わせ、首を巡らせる。平伏していた者たちが身を起こし、楽器と、歌声で音色を紡ぎ始めていた。

「……、…!」

 ファンオウの傍らで、エリックが男に向けて声を飛ばす。びくん、びくんと男の身体が小さく跳ねて、そして男が腰から崩れ落ち、ファンオウへ平伏をした。突然の仕草に、椅子からファンオウは腰を浮かせる。だが、エリックの左手がそれを制する。

「殿、笑顔です」

 小声で言われ、言葉のままにファンオウは微笑む。顔を上げた男が、ファンオウに目を向けて滂沱と涙を零し始めた。

「この地の民とともに、肉を食い、酒を楽しまれよ! 我らは、そなたを歓迎する!」

 エリックが言い、フェイが男の耳元へ寄って囁く。男は、再び平伏した。ファンオウは笑みを浮かべながら、心中で少し首を傾げる。だが、すぐに気を取り直した。彼らとの文化の違いと、そしてエリックへの信頼が、ファンオウの中から余計な考えを取り去っていたのである。

 ファンオウの前へ、褐色肌の若い女が恭しく杯を掲げてやってくる。その杯も、椅子と同じく金ぴかである。差し出された杯には、なみなみと液体が注がれていた。

「殿。できれば一息にて、それを飲み干してください。そうすれば、宴が始まります」

「ふむ。わかった」

 エリックに言われるままに、ファンオウは黄金の杯を受け取り傾ける。口の中に、甘く芳醇な香りが広がってゆく。瞬く間に、杯は空となった。

「これは、美味いのお」

 にっこりと笑ったファンオウが、うっとりと呟く。

「……、……、ファンオウ!」

 フェイが、民と男に向けて叫んだ。

「ファンオウ!」

「ファンオウ!」

「ファンオウ!」

 口々に、民たちが楽の音に乗せてファンオウの名を叫ぶ。やがて、民の中から踊り子が立ち上がり、褐色の肌も露わに軽やかなステップで舞い始めた。ほう、ほう、とファンオウはステップに合わせ、手を叩く。民たちの顔には精気が漲り、張り上げる歌声は伸びやかに、叩く太鼓は激しいリズムとなる。

「……!」

 男も身を起こして立ち上がり、酒の椀を片手に踊り子たちに加わった。オウムの羽飾りを揺らし、ダイナミックに男は踊る。負けじと、民たちも次々と踊りへ加わった。

「楽しそうじゃのお。わしも、踊ってみたいのお」

 わくわくとした気持ちで、ファンオウはエリックへ顔を向ける。エリックは、静かに首を横へ振った。

「この度は、ご辛抱ください。そのうちに、機会は訪れますゆえ」

 エリックにたしなめられ、ファンオウは少し肩を落として踊りの輪を見つめる。激しく、羽ばたくように男は腕を振り、足を上げて踊っている。男の肌に、汗が浮いていた。ファンオウの眼が細められ、その顔から笑みが消える。

「……殿?」

 怪訝そうなエリックの声に、ファンオウは答えない。ただ眼を凝らして、男の様子を見つめる。直後、男の大きな身体が傾ぎ、一人の踊り子を巻き込んで盛大に転倒した。

「…、…!」

 悲鳴を上げて、踊り子が男の下から抜け出した。楽の音が止み、男の周囲へ民たちが集まってくる。椅子から立ち上がり、ファンオウは男の側へと寄った。動き出したファンオウに道を譲るように、民たちが割れる。エリックも素早く動き、ファンオウのすぐ後ろについてきた。

 倒れた男の胸に手を当てて、ファンオウは男の気脈を診る。力強く、心臓は鼓動を刻んでいた。

「エリック、水じゃ」

 男の側へ転がっていた椀を拾い上げ、ファンオウは言った。間髪入れず、エリックの手から浄水が椀へと注がれる。椀の水を指先に塗り、ファンオウは男の胸板へそれを塗り付けてゆく。もう片方の手で、ファンオウは男の首筋へと触れる。指先に、熱い感覚があった。頭には、熱が出ているようだった。だが、男の手の先は、冷たい。気が、廻っていないのだ。

「……どこかで、破れてしまっておるのかのお」

 男のこめかみに指を当てて、ファンオウは呟く。恰好のせいか少し若く見えたが、男は初老と言って良いくらいの年齢だった。皮膚に触れ、それを確かめたファンオウは顔を上げる。

「誰ぞ、イファを呼んできては、くれぬかのお? ちと、薬が必要じゃ」

「では、私が参りましょう。どの薬が、必要でございますか?」

 そう言ったのは、フェイであった。

「先ほど調合していたものと、それからわしの鍼も、持ってくるように伝えるのじゃ。なるべく、急ぎでの」

「畏まりました」

 一礼するフェイから目を外し、再びファンオウは男を診る。男の頭を持ち上げ、両手の指を使って指圧をする。うっすらと男が目を開けて、かすかに呻いた。

「年甲斐もなく、はしゃぎすぎたのお。頭の中が、忙しくなりすぎて、気脈がおかしくなってしまっておる。治してやるゆえ、今しばらく、耐えるのじゃ」

 頭のあちこちへ指を当てていると、男は静かに目を閉じる。呼吸は浅かったが、表情は少し緩んだ。

「ファンオウ様! 持って来ました!」

 たたた、と軽い足音とともに、イファが駆けてくる。その後ろを、薬鉢を持ったフェイがついてきた。

「おお、待っておったぞ、イファ。鍼を持ってきてくれたのじゃな。ありがとうのお」

 ファンオウは椀をイファへ差し出し、鍼の入った袋を受け取る。

「これに、お薬を入れるんですか?」

「うむ。その水に、ひとすくいぐらいを、混ぜれば良い。混ぜ合わさったら、飲ませてやってくれぬかのお」

「わかりました!」

 元気のよい返事をするイファに微笑んで、ファンオウは男の頭を持ち上げ、自らの膝へと置く。指先で気脈を探るのは、こめかみの辺りである。頭は、人間の身体の中でも繊細な部分だった。二本の鍼を手に、ファンオウは慎重に見定め、そして両のこめかみへ鍼を打つ。ぴく、と男の手足が、わずかに跳ねた。

「ファンオウ様、出来ました!」

「よし、飲ませよ」

 ファンオウの指示に、イファがうなずいて男の口元で椀を傾ける。赤く、どろどろとした液体がわずかに、男の口に注がれた。

「少しずつ、少しずつじゃ……大酋長、薬じゃ。少しずつ、飲むのじゃぞ……」

 喉の奥で呻き声を上げた男が、わずかずつ、薬を嚥下してゆく。咽喉の動きを、膝で感じたファンオウは油断なく、男の顔に視線を注いでいた。

「……もう、大丈夫じゃ。よく、頑張ったのお」

 しばらく経って、ファンオウは男のこめかみから鍼を抜く。そっと男の頭を持ち上げ、下から膝を抜いてゆっくりと置いた。男は、静かに寝息を立てて深く眠っていた。これで、処置は完了だった。

「イファも、よく、頑張ってくれたのお」

 鍼を仕舞いながら、ファンオウはイファの頭へ手を伸ばす。

「あ、あの、私、そんな……」

 嬉しそうに目を細めるイファであったが、ファンオウの背後に目を向けるとさっとその場を飛び退いた。

「し、失礼しましたっ! 私、お道具片付けてきます!」

 そう言って、イファは薬鉢と椀を手に駆け去ってゆく。

「ふむ……元気じゃのお。やはり、子供は元気が、一番じゃのお、エリックよ」

「……そう、ですな。殿の、おっしゃる通りです」

 ファンオウの背後で、無表情のエリックが答える。かすかに含まれる、憮然としたものにはファンオウは気づかず、ぽんぽんと手を鳴らす。

「さて、みんなには済まぬが、宴はひとまずお開きじゃ。誰ぞ、大酋長を客室へと運んでくれぬかのお?」

 ファンオウの呼びかけは、彼らの言葉では無い。だが、褐色の民たちの一人が立ち上がり、もう一人の民を伴い二人で大柄な男の足と頭を持ち上げ、運び始める。

「そっと、運ぶのじゃぞ。うむ、その調子じゃ」

 手振りで、ファンオウは民に指示を与える。その様子に、エリックが大きく眼を見開いた。

「殿……彼らと、言葉を?」

 問いかけに、にっこりとファンオウは笑顔を向ける。

「なあに、何となく、じゃよ」

 そう言って、カラカラとファンオウは笑うのであった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

楽しんでいただければ、幸いです。

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