のほほん領主、密林に暮らししばしの安寧を貪る
烈しい日差しが、窓外から差し込んでくる。じりじりと肌を焼く感覚に、ファンオウは寝台の上で身を起こす。
「うむう……良い、朝じゃのお」
両手を挙げて、ファンオウはのんびりと呟く。老人のような言葉遣いであったが、この若者の持つ長閑な雰囲気にはそれが、よく似合っていた。
強烈すぎる日差しと、漂う湿気にその身体からはひっきりなしに汗が流れていた。ぬるぬるとした汗を拭いながら、部屋にぼんやりと視線を巡らせる。木組みのしっかりとした机の上には、薬の調合に使う鉢が置かれている。ここは、寝室も兼ねたファンオウの診療所となっていた。
起き出したファンオウは寝間着を脱ぎ、布衣を身に着ける。ゆったりとした袖が、たちまちに汗を吸い色を変える。むう、と唸りながら部屋を出る。向かう先は、食堂となっている居間である。
密林の屋敷に居を構え、ふた月が経っていた。密林の環境は厳しいものであったが、民たちはそれぞれに順応していった。新たに増えた褐色肌の民たちが、献身的に世話を焼いてくれたおかげでもあった。
「おはようございます、殿」
長い食卓の上座へ着けば、エリックが瑠璃色のグラスをそっと置く。一枚の岩から削り出され、研磨されたグラスには綺麗な水が入っていた。
「うむ、おはよう。いつも、すまぬのお、エリック」
グラスを一気に傾けて、水を飲み干す。咽喉を通る爽やかな感覚に、グラスを置いたファンオウは思わず深く息を吐いた。
ほどなく、食事を乗せた盆を持ったフェイが姿を見せる。
「おはようございます、ファンオウ様。今朝は、ワニの蒸し焼きでございます」
どん、と目の前に、白い肉の塊が置かれた。皿の上には、野草と思しき奇妙な草を煮た物も添えられている。
「良い朝じゃのお、フェイよ。うむ、慣れてみると、ワニの肉も悪くはないのお」
湯気を立てる肉の塊に、フェイがナイフを入れて細かく切り分ける。
「温かいうちに、どうぞお召し上がりください」
うなずいて、ファンオウは箸で肉片をひとつつまみ、口へ入れる。淡泊な肉の味わいが、口の中へと拡がってゆく。余分な味付けはなく、塩を振りかけただけのものだったがそれが良く肉の旨みを引き出していた。添えられている野草はほろ苦く、口の中をさっぱりとさせる。夢中になって箸を動かすうちに、ファンオウの前の皿は空になっていた。
「ふう、旨かったのお。お主の料理は、日に日に旨くなってゆく気がするのお、フェイよ」
「お褒めにあずかり、恐悦至極に存じます。ですが、私の料理など、エリック殿の瑠璃杯に比べれば、ちっぽけなものでございますよ」
恭しく一礼をしたフェイが、食卓に置かれたグラスを見やりつつ言った。
「確かに、これは美しいのお。見るたびに、光の具合か、色が変わって見えるのお」
置いたグラスを持ち上げ眺めて、ファンオウは言う。
「……折れた剣を、新たに打つついでに作ったものです。それほどのものでは、ありません」
ファンオウの背後で、エリックが静かな口調で言った。芸術的ともいえるエリックの美しい顔には、いささかの表情も浮かんでいないように見える。だが、よく見ればエリックの長いエルフの耳は小刻みに揺れて、それはあるかなきかの喜びを示しているようだった。
「エリック殿のような方が、ファンオウ様の側にお仕えしているというのは、とても心強いことですな。それでは、私はこれにて」
盆を片手に、フェイが軽く頭を下げて退出してゆく。傍らで無表情にそれを眺めるエリックへ、ファンオウは顔を向ける。
「エリックよ。他のみんなは、どうしておる?」
「村人たちは屋敷の前に作った畑を、手入れしております。土ミミズはラドウたちを連れて、周辺の巡回へ。何人か、蛮族の戦士を連れて行ったようです」
打てば響く、といった様子で上がってくるエリックの報告に、ファンオウは水のグラスを傾けつつ目を細める。
「畑は、順調のようじゃのお」
ファンオウの声に、エリックがうなずいた。
「はい。奇妙な形の、赤い実をつける植物を栽培しておりますが、よく育っております。これは食べられるものなので、そのうちフェイの手によって食卓へと並ぶこともありましょう。一方で、麦などの普通の食物は、未だ地に馴染みません。こちらは、改良が必要でしょうな」
「新しい民たちは、どうじゃ? 不満などは、出ておらぬかのお?」
「不満など……殿の民となられたのです。そのような不埒な考えなど、寸分もございますまい」
胸を張って、エリックが言う。
「よもや、力づくで、抑えつけているのでは、あるまいのお……?」
「彼奴らにとっては、力こそが全てです、殿。今のところは、大人しくしているようですが……そういえば、今朝は少し騒がしい様子でした。何でも、他の者が来る、と」
「他の者……?」
ファンオウの問いに、エリックがうなずいて見せる。
「はい。問いただしてみたところ、どうやらこの密林には大小様々な部族があるらしく、彼奴らの部族は隣の大きなものの枝葉に過ぎない、とのことでして……」
エリックの言葉に、ファンオウは大きく目を見開く。
「待て、エリックよ。お主、彼らの言葉が、解るようになったのかのお?」
問いかけに、エリックは唇の端を少し吊り上げつつ、うなずく。
「単純な言語でしたので、自由自在くらいには、話せるようになりました。森の獣と意思を通じるよりも、楽な手合いですね」
あっさりと言ってのけるエリックに、ファンオウはしばし、ぽかんと口を開ける。
「お主は本当に……すごいのお」
微笑と共に漏らした言葉に、エリックの口がひくりと震える。
「殿の部下でありますので、このくらいは当然です」
乏しい表情で言うエリックであったが、ファンオウにはエリックが尻尾をぶんぶんと振っているような幻が見えた。
「それで、エリックよ。その、他の者が来る、とは、どういう意味なのじゃ?」
問いかけに、エリックの表情が再び引き締められる。同時に、エリックの尻尾の幻影も消えた。
「この地より西に住まう、部族の長が来るようです。大小百近くの集落をまとめる、大酋長のようなものらしいのですが……如何しましょう? お望みであれば、そやつの首を撥ねて集落全てを殿へ跪かせてご覧に入れますが」
腰に差した真新しい剣を軽く叩き、エリックが言う。ファンオウは、ふるふると首を横へ振った。
「ならぬ。平和に事が治まるのであれば、それが一番じゃ」
見上げるファンオウに、エリックは静かにうなずいた。
「……殿ならば、そのように仰せられると思っておりました。では、本日午後より歓待の宴を催させます。そこで、大酋長とやらにお会い下さい」
一礼して、エリックが背を向ける。
「ふむ。エリックよ」
呼びかけると、エリックが振り向いた。
「準備は、怠りなきように。フェイとよく話し合っておくのじゃぞ?」
ファンオウの言葉に、エリックが真面目な顔でうなずく。
「……はい。全て、この俺にお任せください、殿」
ぎらり、とエリックの瞳に光が宿るのを、ファンオウは見つけた。息を呑む間に、エリックは身を翻して食堂を出てゆく。ファンオウはしばらく動かず、後ろ姿の消えた方を眺めていた。
しばらくして、たた、と軽い足音が聞こえてきた。ばん、と勢いよく扉が開き、村娘のイファが姿を見せる。
「ファンオウ様! お食事は、もう済まれましたか?」
駆け寄ってくるイファの髪には、青い大きな花が指してあった。肩まで届くセミロングの黒髪に、それは良く映えていた。
「おお、イファ。綺麗な、花じゃのお」
動くたびにぴこんと揺れる花に、ファンオウは目を細める。
「ありがとうございます。畑の近くに、生えてたんです」
にっこりと笑い、ファンオウの前でイファがくるりと身を回す。溌剌とした少女の動きに、ファンオウは笑みをますます深くする。
「今日は、一段と元気そうじゃのお、イファや」
出会ったころに浮かんでいた死相はすでに影も無く、今は年相応に元気で肌も健康的に焼けている。布衣の裾からのぞく白い腕は、ほっそりとしているがしなやかさを感じさせるものがあった。
「はい。今日は畑仕事もひと段落しましたので、またファンオウ様に医術を教えていただければ、と」
胸の前で両手を組み合わせ、もじもじとしながらイファが言う。
「ふむう。今日は、午後からちと所用があるのじゃが……まあ、それまでは大丈夫かのお」
つい先ほど、ぎらついた様子で姿を消したエリックのことも気にかかったが、結局ファンオウはイファに付き合うことにした。イファは勉強熱心で、こうして仕事の合間をぬってファンオウに医術を習いに来るようになっていた。物覚えはそれほど良くないイファであったが、熱意だけは人一倍だった。それに応え、ファンオウはいつの間にかイファに医術を教えることに楽しみを覚え始めていたのである。
「ありがとうございます! それじゃあ、早く行きましょう! お昼まで、時間はあんまりないですから!」
椅子に腰かけたファンオウの袖を、イファが強く引っ張る。
「そう、慌てるでない、イファや。今、行くからのお」
早く早くと促され、よろめきながらファンオウはイファに連れられ、自室へと戻る。診療用の机を使い、ファンオウは密林の木の実を用いて作る薬について講義をしてゆく。
「これは、熱さましになるのじゃ。種の部分は薬効も強いが、少し、苦くなってしまうでのお」
種から作った薬をひと舐めしたイファが、顔じゅうを皺にして苦い顔になる。カラカラとファンオウは笑い、それからいくつかの薬の処方を教え、授けた。そうしているうちに、あっという間に時間は流れる。
「ファンオウ様。宴の準備、整いましてございます。どうぞ、食堂にお出ましいただき、客人を出迎えられますよう」
部屋の前に跪いたフェイが、声をかけてくる。
「おお、もう、そのような刻限じゃったか。では、イファよ。わしは用事を済ませてくるゆえ、お主は残った実と種で、薬を作っておいてくれるかのお?」
暢気な声で言うファンオウに、イファがこくりと自信満々の笑顔でうなずく。
「はい! お任せください、ファンオウ様!」
可憐な村娘に見送られ、ファンオウはフェイと共に食堂へと赴く。この先に待つ宴が、領地と民、共に生きる仲間たちに与える運命を、ファンオウはまだ知らずにいた。暢気に、鼻歌交じりにファンオウは食堂の前へと立ち、その扉を開く。エリックの、跪く姿が見えた。
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