のほほん領主、密林にて居を構え蛮族とふれあいを持つ
エリックを伴い、ファンオウは広間へと入った。ファンオウがフェイの所にいたのは、それほど長い時間では無かった。だが、室内の様子は様変わりしてしまっていた。
まず、あちこちに転がされていた半裸の男女たちが、ひとかたまりになって後ろ手に縛られ、隅へと座っている。その周囲で、抜身の山刀を持ったラドウとその部下たちが、彼らを威嚇するように取り囲み、睨み付けていた。ファンオウが入って来た入口の側には、イーサンとイファ、そしてふたりの村人が蛮族たちから遠ざかるように身を寄せ合っている。
そして、部屋の奥に椅子が据えられていた。その椅子は、ファンオウが幼い頃に見た、父親の座る豪奢な椅子である。椅子の側で、やり遂げた顔で汗を拭うレンガの姿もある。
「どうぞ、あちらへおかけください、殿」
エリックに促されるままに、ファンオウはゆっくりと椅子へ近づき、腰を下ろす。側へ侍るレンガが笑みを浮かべ、それを睨み付けるようにエリックがファンオウの前へレンガを引きずり出す。イーサン、イファもファンオウの前へとやってきて、それぞれ跪いた。
「まずは、みんなの無事を、わしは嬉しく思う。誰一人、欠けることなくここへやって来れたことには、みんなの努力によるものが、大きいのお。もう聞き及んでおるかも知れぬが、この屋敷は、わしの領の、領主の館じゃ。多少、狭くはなったが、のお」
ファンオウの言葉に、跪く一同がうなずく。一人一人の顔に、ファンオウは視線を巡らせてゆく。どの顔にも、期待と信頼があった。一通り視線を回して、ファンオウはエリックを見やる。こくり、とエリックが小さくうなずいた。
「わしの兄は、この地にて没した。わしは、兄の後継として、この地を治めてゆかねば、ならぬ。この、未知なる生き物のあふれる、密林の地を、じゃ……」
長閑なファンオウの声が、広間へ響いてゆく。きゃっ、とイファが、悲鳴を上げてイーサンへとしがみつく。イファのすぐそばに、大人の掌ほどもある蜘蛛が這い出てきたのだ。イファの隣にいたレンガが、素早くそれを叩き潰す。
「もう、大丈夫。続けて、ファンオウさん」
にこりと笑うレンガに、ファンオウは微笑み、再び口を開く。
「……じゃが、わしは、みんなを信じておる。わしを、みんなが信じてくれるように、のお。ここには、敵であった者同士もおる。奪い、奪われ、憎み合っていた者たちも、おる」
ファンオウの言葉に、ラドウと村人たちが視線を合わせる。両者の間に流れるものは、決して悪意ある感情では無い。
「じゃが、ここへたどり着くまで、互いに助け合い、禍根は水に流せたことじゃと、わしは思う。そうでなければ、きっと誰かが命を落としておったかも、知れぬからのお。じゃから、わしは信じる。お主らとであれば、この地に、王道楽土を築くことができる、と」
両手を拡げ、ファンオウは立ち上がる。跪く一同の視線が、一斉にファンオウの元へと集まってくる。
「わしに、お主ら一人一人の、力を貸してほしい。わしは、無力じゃ。今は少し医術ができるだけの、若造じゃ。じゃが、わしは決して、お主らの誰一人として、蔑ろにせぬ領主となることを、誓う。じゃから、力を合わせ、みんなで、この地で生きてゆくための、力をわしに、預けてくれぬか?」
しん、と広間に静寂が訪れる。一瞬の後、広間にいた誰もが、ファンオウへと首を垂れた。
「この身、骨の一片まで粉塵となり果てましても、殿に捧げる所存にございます」
膝をついたまま一歩前へ出たエリックが、右拳を左掌で包み胸の前に掲げて一礼する。それに合わせて、他の者も平伏した。
「有り難いことじゃのお。エリックも、みんなも。わしは、果報者じゃ……」
微笑んで、ファンオウがしみじみと言った。平伏した一同も顔を上げ、それぞれに笑顔を浮かべる。そのとき、部屋の隅で声が上がった。
「……、……!」
奇声を上げて、後ろ手に縛られた半裸の男が一人、包囲の外へ出ようとする。ラドウの部下の一人がそこへ向けて、山刀を振り上げる。
「待て」
即座に、ファンオウが上げた声に山刀がぴたりと止まる。その間に、男はファンオウの正面へとやってきて、膝をついて額を床へと付ける。
「……! ……!」
顔を上げてファンオウを見上げる男が、しきりに何かを訴えかけてくる。だが、言葉がわからずファンオウは怪訝な表情を浮かべた。
「ふむう。よくわからぬのお……じゃが、大丈夫じゃ。お主らも、この地に住まう以上は、わしの民じゃ。悪いようには、せぬよ」
穏やかに語りかけ、ファンオウは男に笑みを向ける。その顔を見た男は、両の眼から涙を流し、何度も頭を下げて叫ぶ。
「……! ……!」
男の叫びに応じ、他の半裸の男女もファンオウに身体を向け、後ろ手に縛られたまま平伏する。
「これは……一体、どういうことじゃろうか、のお?」
エリックへと目を向けるファンオウであったが、エリックにも解らないらしく、首を横へ振るばかりである。
「皆、ぼっちゃまを新たな長として崇めておるのでございますよ」
そんな声とともに、老人が入口から姿を見せた。
「おお、フェイじい。具合は、良うなったかのお?」
「お陰様で、以前より元気になったくらいでございますよ、ぼっちゃま……いえ、ファンオウ様」
胸の前で両手を組み、フェイがお辞儀をする。身なりは粗末なものになっていたが、その所作は品のあるものだった。
「わしの兄へ、最後まで尽くしてくれたこと、礼を言うぞ、フェイじい」
ファンオウの言葉に、フェイが少し苦い顔になった。
「……御領地がこのような有様になってから、まもなく病を得られたのです。私の看病が至らぬばかりに、兄君を死なせてしまいました。屋敷に仕える者たちも、病に侵され、あるいは蛮族たちに打ち殺され……それでも一人、私は生きながらえておりました。いつか、この日の来ることを夢見て……」
ふらふらと近づくフェイを、レンガが支える。
「おお……ありがとうございます。はて、その顔、どこかで見たような」
レンガを見やり、フェイが首を傾げる。レンガは、寂しそうに笑った。
「若い頃はもっと良い男だったのに……時の流れって、残酷ね。そんなことより、フェイくん。あなた、彼らの言葉、わかるの?」
レンガの言葉に、フェイの眼が驚きに見開かれる。
「まさか……レンガ、お姉ちゃん……?」
老人の口から、幼い言葉がほろりと漏れる。それを聞いたレンガの表情が、今度は苦笑になった。
「いい年したじーさんになったんだから、お姉ちゃん、はないでしょう? それで、質問の答えは?」
「は、はい……私は彼らに捕らわれ、しばらく奴婢として仕えておりましたので……簡単な言葉は、わかるようになりましてございます」
恐縮しきった様子で、フェイがレンガに頭を下げつつ言った。
「フェイじいも、若い頃には、色々あったんじゃのお……」
のんびりと感想を漏らすファンオウへ、フェイは困惑した顔を向ける。
「忘れていただければ……ファンオウ様。誰しも、若き日の過ちは、避けては通れぬものなのです」
「……過ちっていうのは、失礼ね。それより、フェイくんは身体大丈夫? できれば、通訳してほしいんだけれど」
憮然とした顔になったレンガが、フェイに問いかける。
「もちろん、大丈夫です。ファンオウ様より、手厚い看護を受けましたので」
レンガへうなずき、フェイが身を離してファンオウへと歩み寄る。その足取りには、もう不具合は見られない。
「……! ……!」
ファンオウの前に跪く男が、フェイの姿を見て声を上げる。
「……、……、ファンオウ!」
男の声に、フェイは同じような声を返し、最後にファンオウの名前を叫ぶ。フェイはさらに両手を使い、ファンオウを仰ぎ見ながら男へ言葉をかけてゆく。
「……、……! ……。……?」
「……! ……!」
やり取りを見つめていたファンオウへ、フェイが向き直った。
「ファンオウ様、この者たちを、如何なさいますか? 彼らは、ファンオウ様をこの地の王、領主として崇め、仕えてゆきたいと」
フェイの翻訳に、ファンオウは首を傾げる。
「なぜ、そう思ったのかのお?」
ファンオウが、男に問いかける。再び、フェイと男の短い奇声のやり取りがあった。
「……ファンオウ様の強さに、頭を下げるのだそうです。彼らを打倒した耳の長い男、あちらの、エルフ殿でありますな。それが、ファンオウ様を崇めている様子なので、彼らはファンオウ様を誰よりも強い、王と見ているのです」
言われてファンオウは、エリックに目をやる。視線を合わせたその口元は、ひくりとわずかに吊り上がっていた。
「お主の手柄を、横取りしてしまうことに、なるかのお、エリック?」
ファンオウの言葉に、エリックは首を横へ振る。
「俺の全ては、殿のものです。何も問題は、ありません」
「それはそれで、問題のような気もするが、のお……まあ、良いか。エリック、ラドウ。彼らの縄を、解くのじゃ」
それを聞いて、フェイがファンオウを見つめる。
「よろしいのですか、ファンオウ様? 彼らは、この屋敷を襲い、奪った者たちですが」
フェイの言葉に、ファンオウは穏やかな笑みをたたえてうなずく。
「構わぬ。共に、領を豊かにして、暮らしてゆこうと、伝えてくれぬか?」
「は、はい……」
躊躇を見せるフェイの背を、レンガが軽く叩く。
「ファンオウさんは、こんな感じだから。フェイくんも、今のうちに慣れておきなさいな」
縄を切られ、喜びの顔で半裸の男女がファンオウの前に跪いてゆく。その光景を見るうちに、フェイの表情からも緊張が抜けてゆく。
「……私も、良い年をしたじーさんになったのです。いつまでも、フェイくんはちょっと……」
「あたしは、いいのよ。変わってないんだから」
けらけらと笑い、レンガはファンオウを見つめる。
「……、……!」
「そうか、そうか。わしも、頑張るゆえ、お主らも、励むのじゃぞ」
半裸の年若い女に、ファンオウが鷹揚にうなずいて答える。
「お、お待ちください、ファンオウ様。それは夜伽の……」
慌てた様子で、フェイがファンオウの側へ立つ。騒がしくもどこか穏やかな光景を、レンガは少し離れて眺める。その側へ、エリックがやってきた。
「ファンオウさんの側、離れて大丈夫なの?」
顔を向けず、小声でレンガは問いかける。
「徹底的に、心は折ってある。問題は無いぞ、土喰いモグラ」
口を開けば相変わらずの悪言に、レンガは苦笑する。
「あんたは、えげつないわね。いろんな意味で……」
「殿を護るためだ。何でもする」
ふうん、と相槌を打ちながら、レンガはファンオウの隣で必死に身振り手振りを繰り返すフェイを見つめる。
「人間って……変わるものね」
「今更だろう、俺や、お前のような種族にとっては。そんなことも解らずに、人間と関わろうとしているのか、お前は。これだから、知能の低いミミズは……」
「ファンオウさんも、いずれ、変わっていくのかな……」
悪言を聞き流したレンガが、ぽつりと言った。エリックはしばらく黙し、ファンオウを見つめ続ける。ファンオウに、力比べをさせてくれ、というようなことを言った男へ、殺気を飛ばすことも忘れない。
びくん、と背筋を伸ばして硬直する男を見て、エリックは鼻を鳴らした。
「変わられるだろう、な。俺や、お前たちも巻き込んで、大きく変化してゆかれるだろう。俺は、最後の最期まで、それを側で見続けられれば、それでいい」
そう言って、エリックはラドウの元へと歩いてゆく。屋敷の片づけ、手入れを指示する長身の背を、レンガは何となしに一瞥する。
「……あたしも、変えてくれるのかな? ファンオウさんが」
視線を戻すと、再び半裸の女にファンオウが言い寄られていた。
「ちょっと、ファンオウさんの指は、あたしのモノだからね!」
女を引きはがし、ファンオウの腕を取ってレンガが言った。
「みんな、仲良く、のお」
穏やかな笑みを浮かべながら、のんびりとファンオウは言うのであった。
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