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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
黎明の章
14/103

のほほん領主、密林の中にて哀悼を捧げる

 エリックに案内され、馬上で揺られることしばし、ファンオウは密林の木々が拓けてゆくのを感じた。密生していた木々は伐り出され、切り株となってあちこちに点在している。

「こんな場所に、誰ぞ、住んでおるのかのお、エリックよ?」

 問いかけるファンオウに、エリックは振り向いてうなずく。

「はい。まずは、あれをご覧ください、殿」

 エリックが指さすのは、地面から生えた一本の枝のようなものだった。闇の中、ファンオウは目を凝らす。それに気づいたエリックが、松明を取り出し火を点けた。赤々と燃える火の中に、浮かび上がってきたものにファンオウは細い眼を一杯に見開いた。

「これは……領の……」

 驚き声を掠れさせるファンオウに、エリックはうなずいて見せる。

「はい。ここに書かれている文字は、間違いなく殿の故郷の、領境を示す文字でございまする。そして……」

 エリックの馬が、さらに奥へと進んでゆく。ファンオウの馬も、それについて歩を進めた。

「……これは、わしの、家じゃのお」

 密林に作られた広場の奥にあった、一軒の家の前でファンオウは呟く。苔むした、壁や屋根を密林に侵食されてはいるが、それは間違いなく、ファンオウの記憶にあるかつての屋敷の一部であった。

「あの壁……兄上が、剣の修行で誤って傷を付けた筈じゃが……おお、まだ残っておったのお……」

 馬から降りて、ファンオウは家の残骸へと近づいてゆく。外壁についた、一本の筋のようなひび割れを前に、ファンオウは胸を詰まらせた。瞳から、はらはらと熱い滴が落ちてゆく。鬱蒼とした密林の中で、ファンオウはようやく己の故郷の痕跡を見つけることができたのである。

「……ここは、先ほど襲撃をしてきた蛮族たちの、棲み処となっておりました。逃げた男を追い、俺はここにたどり着いたのです、殿」

 言いながら下馬したエリックが、壁の割れ目から屋敷の中へと踏み込んでゆく。ファンオウも、後へ続いた。

 屋敷の中の空気は、淀んでいた。あちこちに木の根が張り巡らされ、床や壁には赤黒い染みが付着している。エリックの持つ松明に照らされ、浮かび上がる光景にファンオウは眉を寄せ、しかし決して目は逸らさない。そうしてエリックに導かれ、ファンオウはかつて屋敷の食堂であった、広間へとやって来た。

「エリックよ、これは……」

 目の前に広がるものに、ファンオウは声を上げる。

「命を奪わず、全て打ち倒しております、殿」

 広間にあった大きな机は取り払われ、中央に原始的な石竈が組まれている。その周囲に、無数の人間が倒れ伏していた。男もいれば女もおり、いずれも皆半裸で、褐色の肌を隠すものはほとんど身に着けてはいない。

「いかほど、打ち倒したのじゃ、エリックよ」

「はっ、およそ、三十人ほどがおりましたので、その全てを、です。殿」

「三十人も、のお……」

 ゆったりと言いながら、ファンオウは嘆息する。十人ばかりの女たちはともかく、倒れている男たちはどれも筋骨隆々とした戦士のように見える。それらをものともせず、あっさりと意識を奪ってしまえるエリックの実力に、ファンオウは素直な称賛の眼差しを送る。

「みんな、生きておるのじゃのお。さすがは、エリックじゃのお」

 手近に倒れている男を診ながらファンオウは言った。エリックの口の端が、ぴくりと一瞬吊り上がる。表情を出すことの苦手なこの男の、それは笑みのようなものだった。

「この程度、造作もありませぬ。それより、殿。先に、診ていただきたい者が、おります」

 そう言って、エリックがファンオウを促した。倒れ伏した者たちを踏まないように気をつけながら、ファンオウはエリックについて広間のさらに奥までやってくる。

「おお、ここは……父上の、書斎じゃったかのお」

 家具などは無くなってしまっていたが、間取りをファンオウの身体は覚えている。幼い頃の記憶に目を細めたファンオウだったが、すぐにその顔に厳しいものが浮かんだ。

「うぅ……あぁ……」

 木の根があちこちに張った部屋の中には、一人の老人がうずくまっていた。半裸ではなく、ゆったりとした粗末な布衣に身を包んでいる。その顔を見た途端、ファンオウは老人の側へ駆け寄った。

「フェイじい、お主、フェイじいではないか? どうした、どこか、苦しいのかの?」

 うずくまる老人の上体を、仰向けにさせる。首に手を当て、気脈を測るファンオウの目の前で、老人の口がわずかに開かれた。

「ファンオウ、ぼっちゃま……でございますか……?」

 発せられたか細い声に、ファンオウはくんと鼻を鳴らした。

「フェイじい、しっかりせよ……エリックよ、水と、痛み止めを、出してくれるかのお」

 言いながら、ファンオウは老人の布衣の胸をはだけ、手のひらを走らせる。弱々しい気脈は、今にも止まってしまいそうだった。

「ああ……ファンオウ、ぼっちゃま……か、帰って、いらしたの、ですね……」

「うむ。兄上が、死んだと、報せをうけたので、のお。これ、動くでない。今から、鍼を打ってやるでのお」

 身じろぎをしようとする老人の胸を押さえ、ファンオウは鍼を取り出した。そうしている間に、エリックが椀の中に水を出し、一包の薬も差し出してくる。

「少しは、楽になる。飲むがよいぞ、じい」

 言いながら、ファンオウは薬を水で溶き、少しずつ老人の口へと流し込む。薬が、咽喉を通り胃の腑へと落ちてゆく。手のひらからそれを感じ取ったファンオウは、細い鍼を立てて、真っすぐに老人の胸へと打った。とん、とん、と早業で、ファンオウの鍼が老人に吸い込まれてゆく。

「お主の中に、溜まっておる、毒があるでのお。全て、出てくるまで、ちと我慢するのじゃ」

 老人の乾いた肌の上に、少しずつ、汗が浮かんでくる。やがて汗は老人の身体全体から噴き出すように流れ落ち、ファンオウは何度も老人の口へ椀を傾けた。

「もう、大丈夫じゃ……いま、鍼を抜くからのお」

 ひょい、とファンオウは手を動かし、打った時よりも気軽に老人の身体から鍼を抜く。エリックへそれを手渡すと、かわりに冷たい布が手渡された。受け取ったファンオウが、老人の身体を隅から隅まで拭ってゆく。黒い垢と汗で、布はあっという間に汚れた。

「おお……頭が、すっきりして参りました、ぼっちゃま……」

 老人の双眸が、ファンオウを見上げていた。皺の多く刻まれたその顔には、深い笑みがあった。

「今しばらくは、眠っておれ、フェイじい。積もる話は、お主が目覚めてからで、良いでのお」

 眠りを誘うような、のんびりとした声音につられたのか、老人は安らかな顔で目を閉じ、軽くいびきをかきはじめた。ファンオウが汚れた布を折りたたみ、懐へ仕舞おうとしたところで横から手が伸びた。エリックが、布をさっと取ると自分の荷の中へと仕舞い込む。

「すまぬのお、エリックよ」

 微笑しながら、ファンオウは老人の布衣の襟元を整えた。その手元へ、ころりと転がるものが、あった。

「……のお、エリックよ。やはり、兄上は、死んだのじゃのお。こうして、その確かな証を目にすれば、いやでも、わかってしまうものじゃ、のお」

 それは、小さな布に包まれたひと房の髪の毛だった。誰のものかはわからずとも、老人が大事に襟元へ縫い付けていたこと、そして、包んだ布に領主の紋が刺繍されていること、それらを鑑みれば、それが誰の髪であるかは一目瞭然であった。

「殿……ラドウたちへ、蛮族どもを拘束するよう、命じて参ります。準備が整い次第、俺がお迎えに参ります。どうぞ、ごゆるりと」

 一礼し、エリックが足音を立てて部屋を出てゆく。

「すまぬ、のお……」

 遠ざかる足音を聞きながら、ファンオウは熱い滴の流れるままに、遺髪を握りしめ慟哭する。ただ一人で、領主ではなく、それは一人の家族を亡くした人間としての、涙であった。

 地面に跪き、うずくまるファンオウの横で老人が身じろぎする。すぐさまファンオウは声を押し殺し、涙を拭う。仰向けに寝転がるその老人には、静養が必要だった。

「……う、むう。泣いて、ばかりも、おれぬか、のお」

 言いながら、ファンオウは遺髪を包んだ布をそっと老人の襟元へと仕舞い直す。

「これは、忠義なじいが守り続けた、大事なものじゃ……じいが、持っておくのが良かろうのお」

 襟を元の形へ整えて、ファンオウは両手を掲げて一礼する。

「兄上……語り明かしたき儀は多々あれど……今は、ただ祈るのみを、させてくだされ……」

 瞑目し、頭を下げたままファンオウは心の中で静かに泣いた。そんなファンオウの姿を知ってか、知らずしてか。老人の表情に、うっすらと笑みが宿る。静かな時間が、流れてゆく。

「……フェイじいは、厳しいのお」

 やがて、顔を上げたファンオウの目にはもう、いつもの暢気な光が戻っていた。いびきをかいて眠る老人を前に、ファンオウは足を崩してあぐらをかく。たんたんたん、と大きな足音が、ファンオウの耳に届いてくる。

「わしの側にも、忠義な男が、いてくれる。そういう、ことじゃのお」

 ひとりごちて、ファンオウは立ち上がる。振り返れば、美しいエルフの青年が、立っていることだろう。残滓のように残る思い出に、背を向けるようにファンオウは身を翻した。

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