のほほん領主、山頂にて故郷を見渡し驚愕す
シリアスさんの休憩時間が終わりました。
木一本と生えていない岩山の、頂上へとたどり着く。丸三日かけて、果無の山脈の頂点へとファンオウ一行はやってきたのだ。山頂の薄い空気を、徒歩の村人や元賊徒たちは貪るように吸い込んだ。険しい岩肌に手を突いて、息も絶え絶えな者たちを見渡しファンオウは馬の首を撫でた。
「みんな、よく頑張ってくれたのお」
しみじみと言ったファンオウは、来た道を振り返る。山に張り付くような細道は、深い森の中へと続いている。その先には、荒れ果てた平野が広がっていた。
「お主のいた村は、どの辺かのお、イファや」
同じく馬の首を撫でていたイファに、ファンオウが声をかけた。
「森を抜けて、ずっと、ずーっと向こう……ここからでも、見えないんじゃないでしょうか」
イファも、ファンオウの隣で額に手を当てて眺めて言った。長い旅路の足跡を思い浮かべながら、ファンオウはイファの横顔を見る。痩せこけて、ほとんど死にかけていた少女は今ではすっかり元気になっていた。肉付きは薄いものの、ふっくらとした丸みのある顔に、うっすらと朱が差している。
「ファンオウ様?」
視線に気づいたイファが、首を傾げてファンオウを見返す。
「お主も、どうやら元気を、取り戻したようじゃと思ってのお」
にっこりと笑って言うファンオウに、イファははにかみながらも笑みを返す。
「はい! 病気も治って、村にいたときよりも元気になった気がします! 全部、ファンオウ様のおかげです! ありがとうございます!」
ぺこり、と頭を下げるイファに、ファンオウはうむうむとうなずく。
「やはり、子供は元気でなければのお。そうやって、元気な姿を見せてくれるのが、一番の礼じゃ。わしも、治療を施した、甲斐があった、というものじゃのお」
ファンオウの言葉に、イファはちょっとだけ、難しそうな顔をする。どうしたのか、と尋ねようとするファンオウの布衣の足を、くいくいと引っ張る者があった。
「ファンオウさん。旅路を振り返るのもいいけど、そろそろ先の道も見ておかない? あたしがファンオウさんの領に行ったのはもう、四十年くらい前だからさ。どのあたりにあるのか、わかんなくって」
女ドワーフ、レンガの声にファンオウはうなずいた。大きな岩場を越えた向こう側へ、馬首を向ける。十年前、かつて幼き頃のファンオウも、高みから故郷を眺めていた。緑の大地に、広がりゆく田園地帯。ぽつんぽつん、と建っている家々を見て、これが、我が家の領なのか、と感嘆の想いを抱いたことは、未だ鮮明にファンオウの脳裏に残っている。
エリックにレンガ、そしてイーサンにイファ、ラドウたちも疲れを忘れ、興味津々といった様子でファンオウの後へと続く。ごろりと転がる大きな岩を越えたファンオウの、視界が拓けた。
「おぉ……おおぉ?」
ファンオウの細い眼が、まん丸に見開かれる。馬上で、ファンオウの身体が大きくのけ反った。
「殿、危のうございます」
すかさずエリックが隣へ馬を並べ、ファンオウの背を支えてくれる。そうしなければ、ファンオウの丸い身体がころころと転がり落ちてしまいそうな勢いだった。
「……すまぬのお、エリック」
短く謝意を述べながら、ファンオウはまた視線を前方へと戻す。眼下に広がる光景をもう一度目にして、ファンオウはエリックを見やる。
「のお、エリックよ。ここは、本当に、果無の山脈なのかのお? わしらは、本当に、南西へ向けて旅をしておったのか、のお?」
のんびりと、だが切迫したような、ファンオウらしからぬ様子にエリックは眉をひそめる。
「間違いは、ございません。太陽の位置、風の動き、俺の全てをもって、殿をここまでお連れしているのですから。どう、なされたのですか?」
「お主の、力を疑っているわけでは、ないのじゃ。しかし……」
エリックに向けた丸顔を、ファンオウは再び前方へと戻す。落ち着かないファンオウの様子に、一行も皆不安げな顔でそれを眺めた。
岩山の急こう配を経て、なだらかな岩場が続く。やがて、現れるのは濃緑色の密林であった。背の高いシダの木が幾本もばらばらに生えて、緑の塊から突き出している。ゆらゆらと、密林から出てくる湿気が、陽炎を作っている。密林の上空を飛んでいる、大きな鳥が豆粒のように見えた。果無の山脈を越えた先に、密林はどこまでもずっと続いてゆくようだった。
「……あんな、とこだったかな?」
レンガが、ぽりぽりと頬を掻きながら言う。ファンオウは、首を横へ振った。
「畑が広がり、緑もあった。じゃが……こんなでは、なかったのじゃがのお」
「殿が、故郷を出られてから十年……しかし、あの木々はそれ以上の齢を重ねているように、見えますな」
ファンオウの隣で腕を組み、眉間に皺を寄せながらエリックが言う。
「秘境、といったところでしょうか。我らは、果無の向こう側は、知らぬものですから……」
ラドウと元手下たちが、行儀よく並んでうなずいた。
「……耕す土地、あるのでしょうか」
イーサンが、ぼそりと呟く。二人の村人たちも、不安そうな顔をしていた。
「あのような密林の中で、私たちはどうやって暮らしてゆけば……」
「新天地、などと夢を見たのが、いけなかったのか……?」
村人たちから、口々に暗い声が漏れる。へたり込み、後ろを向いた彼らの前に立つ者がいた。
「お父さん、それに、おじさんたちも、何を言ってるの! 私たちを、助けてくれたのは、誰? ファンオウ様でしょ? ついて行くって、そう決めたのは、お父さんとおじさんたちでしょ? それなのに、どうしてそんな顔してるの!」
「イファちゃん……」
「だけど、私たちは畑を耕して、暮らしてきたんだ。それ以外のことを、して生きていく術は……」
絶望的な表情を向ける村人たちに、イファは眉を吊り上げ腰に手を当て仁王立ちになる。
「畑が作れないなら、木の実を採ればいいじゃない! 森でも、そうやって食べ物集めたでしょ? 食べられる草とか、いっぱい生えてるかも知れないじゃない! 助けてくれて、連れてきてくれたファンオウ様に、嫌な事聞かせるのはやめて!」
イファの声に、ファンオウはぴくりと身を震わせる。民を導く者としての領主の重圧、そしてイファの信頼が、身体の中にずんと染み渡ってゆく。不意に、ファンオウの頭の中にエリックの言葉が甦る。自分が笑顔でいる限り、皆は歩き続けることができる。横へ目を向けると、エリックは静かにうなずいた。
「みんな、ちと、驚かせてしまったようで、すまぬのお」
のんびりとした、それはいつものファンオウの声だった。全員の視線が、ファンオウへと集まってくる。
「思えば、十年も経てば、景色は変わってゆくものじゃ。なれば、あそこに見えるは、確かにわしの、我が家の領なのじゃろう。幼き十の子供が見た風景、どこかしら食い違いが、あったのやも知れぬ。じゃが、せっかく森を抜け、果無の山を登り、ここまでたどり着いたのじゃ。まずは、行ってみなければ始まるまいて、のお」
のほほんとしたその表情には、もう先ほどまでの不安や焦燥は感じられない。穏やかに笑うファンオウに、見上げる村人たちの瞳に光が灯る。
「ちと苦しい生活に、なるやも知れぬが、わしにはエリックがついておる。エリックなれば、あのような密林、実家のごとき安心感をもって暮らせるのではないかのお?」
ファンオウが、エリックへと顔を向ける。皆の視線も、エリックへと移った。
「……容易いことです、殿。殿には何不自由なく、かの密林での暮らしを満喫していただけましょう」
自信満々といった表情で、エリックはうなずく。芸術品のような端正な顔は、一同に心強い安心感をもたらした。
「もちろん、あたしもいるよ、ファンオウさん」
槍斧を担いだレンガが、ファンオウに向けて団子鼻の上にあるつぶらな片目をつぶってみせる。にこりと、ファンオウは微笑む。
「我ら元赤根団一同、地獄の果てまでもついてゆく所存であります!」
列を成した元賊徒たちが、ラドウの声に唱和する。夜な夜なエリックの訓練を受け続けている彼らは、すっかりと染まっていた。こちらへは、エリックが小さくうなずきかける。
「もちろん、私たちもついていきます! そうでしょ、お父さん?」
イファが、声を上げる。イーサンが村人たちの肩を叩き、ファンオウへと向き直らせる。
「ああ、もちろんだよ、イファ。領主様は、お前の命の恩人なのだから。それに、農地を捨てて逃げ出した私たちには、一からやり直すのが丁度いい。これからも、よろしくお願いします、領主様」
そう言って、イーサンは地面に膝をつけて深く頭を下げる。イーサンと並んで、村人たちも平伏する。彼らに右手を突き出して見せ、ファンオウは笑い声を上げた。
「良い、良い。何事も、初めてのことであれば、不安もあろう。わしも、そうじゃ。じゃから、もう少し、気楽に行こうぞ。のお、みんな」
穏やかなファンオウの言葉に、イーサンと村人たちが顔を上げる。その表情は、晴れやかだった。
「では、行くかのお。わしの、領へ向けて、出発じゃあ!」
ゆるりとファンオウが、右手を天に突きあげる。おお、と応えた声が、山頂の空気を震わせた。そうして一行は、さらに細く険しくなる山道を、慎重に進んでゆくのであった。
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