のほほん州吏、王都の政変に驚倒す
王国の南東端にある、聖都ファンオウ。広大な密林の中心に拓かれた町の中央、丘陵の頂上にある白亜の太陽神殿には、強い日差しが降り注ぐ。中庭にあるヒマワリの花壇では、常にヒマワリが咲き、そして散ってゆく。ぽろぽろと零れた種が大地に落ちて、再び驚異的な速度で成長し、邪気を浄化する大輪を咲かせる。自然の理から外れた光景だが、花が咲くたびにきゃっきゃと膝の上で笑う幼子の様子に、ファンオウは頬を緩めずにはいられない。
「良い、天気、じゃのお」
ぽつりと呟く傍らには、息子のファンテイ以外誰もいない。妻の白雪は、双子の息子のもう一人、ファンコウに付きっきりで、今は一緒に寝所で眠っている。
赤子は寝るのが仕事だが、大人は起きて働くものだ。一応、南東二つの領を束ねる州吏としては、昼寝を決め込むのは心苦しいものがある。医師として生計を立てていた頃の名残もあり、起き出したファンオウにファンテイが気づいたので、そのまま連れ出してきたのだ。
「綺麗で、楽しげな、景色じゃろう、のお、テイ?」
「あー」
問いかければ、膝の上でファンテイがうなずくように手を合わせる。
「じゃが、この花の、咲いたり、散ったりはのお、この地で、かつてあった、悲しいことや、恐ろしいことが、原因でのお。お主が、大きくなるまでに、何とか、してやりたいのじゃが、のお」
「ぶー」
中庭から、丘の下の密林へ眼をやりつつファンオウは言う。ねじくれ曲がった異形の木々が、町の周囲にぐるりと生い茂っている。歪んだ気脈によってもたらされた、密林の呪いだ。それが無ければ、この地は穏やかな優しい風景に彩られていた。そして呪いが無ければ、ファンオウがこの太陽神殿の主となることも、また無い事だった。
「形は変わり果てても、民らは、よう尽してくれる。今、わしやお主がここにあるのは、民のお陰じゃて、のお。それを、忘れては、ならぬ」
「うー」
密林を通る大街道を、馬車がひっきりなしに行き交う。布衣を身につけた者も少しは見えるが、多くは聖都に住まう半裸に腰ミノの褐色肌の住民たちだ。大地の呪いの影響で文明を破壊され、言葉まで失くした民たちだったが、それでも逞しく立ち直り、経済を回し始めている。
「大聖堂で、教えを受け、育ってゆく……あの建物に、祀られるに、相応しく、なれておるのかのお、わしは」
町を見下ろせば、すぐに眼に入ってくる建築物がある。白石のみで造られた、ヒマワリ大聖堂だ。現人神として祀られる立場のファンオウとしては、見るたびに気を引き締めなくてはという気分になる。民たちの、心の拠り所として、恥じぬ己であり続けなければならない。些か窮屈ではあるものの、それは誇りでもあった。
「ぶー、あー」
「お主には、まだ、よう分からんかのお。まあ、こればかりは、神と呼ばわれてみなければ、わからんことじゃて、のお」
無邪気なファンテイの反応に、ファンオウはカラカラと笑う。難しいことは、まだ早い。今は、この光景が長閑であれば、それで良いのだ。笑い納めて、ファンテイをそっと抱き上げる。
「あまり、日差しに、当たり過ぎるのも、良くはないかのお。そろそろ、涼しい所へ、連れて行ってやろうのお、テイや」
立ち上がったファンオウの眼の前で、ヒマワリが咲いた。
神殿の中には微風が通り抜け、ほどよい室温が保たれている。これは、エリックの手による気候操作だ。風の精霊を意のままに操るエルフの術が、生活環境を快適に変えているのである。
「殿、御耳に入れたいことがあります」
ファンテイを抱えたまま歩くファンオウの側へ寄ってくるのは、そのエリックだ。エルフの特徴的な長く尖った耳と、美の神の化身と見紛うばかりの立ち姿、そして武術を極めた者の持つ軽やかな身のこなしに武官風の布衣が翻っている。
「おお、エリックか。何ぞ、変わったことでも、あったのかのお?」
問いながら、ファンオウは謁見の間へと足を向ける。
「王都にて、フェイより連絡がありました」
付き従うエリックの言葉に、ファンオウの胸の中にモヤリと暗雲が立ち込め始める。
「陛下が、亡くなられたばかりじゃというのに、また、良からぬことが、起きたのかのお」
「はい。今後の動きについて、殿にも一報を、と」
謁見の間には、玉座に見えるような豪奢な椅子が置かれている。椅子の側で楚々と立つ褐色肌の侍女頭ヨナにファンテイの身を預け、ファンオウは深く腰を下ろす。
「聞かせて、くれるかのお、エリック」
ヨナに抱かれて寝室へと連れられてゆくファンテイに手を振り、ファンオウはエリックへと向き直る。表情の乏しいエリックの美貌には、微かな苦悩が刻まれているように、ファンオウには感じられた。
「はい……まず、先代国王よりその座を受け継いだ青年が、死亡しました」
「なんじゃと……!」
エリックの薄い唇から零れ出た最初の報告に、ファンオウは眼を剥いて身を乗り出す。
「無論、病死ではなく、民衆の手により殺された、とのことです」
「民の、手に……?」
「はい。先代国王が死んでから、目まぐるしい法整備がありました。それは、どれを取っても民を苦しめ、その生き血を搾り取るようなものだったということです。城を出て農地の巡検へ出かけたところで、暴徒と化した民衆によって、誅された。王都ではそういうことに、なっているようです」
「暴政……? し、しかし、陛下の下には、優秀な文武百官が、おった筈じゃろう? 誰も、新たな陛下を、止めは、せなんだのか、のお?」
「優秀な人材を適所で動かすことの出来る国家ならば、イグルも叛乱などは考えなかったでしょう」
「ふむう……」
エリックに名を挙げられ、ファンオウは頭の中に親友の顔を浮かべる。無実の罪を着せられ、一家血族を王国に皆殺しにされた元大将軍だった。そして王国に弓を引き、仇敵であった公爵領主ロンジャを討ち取った。その後は王国に恭順し、広大な公爵領をそのまま領するに至っている。
「そして、優秀な文武百官は遠ざけられ、王宮に残った者は己の利を貪ろうとするだけの無能な官吏たちでしたが……これも、綺麗にいなくなりました」
「いなく、なった?」
首をこてんと傾げるファンオウに、エリックがうなずく。
「はい。舵取りの出来る頭を失った王宮は、罷免した一人の男を呼び戻すことで、全てを清算したのです。その男を新たな頭に据えて、傀儡の幼王を鼎立させた……これは、報告からは見えては来ませんでしたが、十中八九、その男の描いた絵図面でしょうな」
「ま、まさか……」
ごくり、と唾を呑むファンオウの正面で、白面の美貌が首是する。
「王宮へ、いえ、王国の政治の中枢へと呼び戻されたその男の名は、ジュンサイ。殿もご存じの、あの腹黒い老人です」
エリックの言葉の端には、憎悪がある。王都でエルフを弾圧し、奴隷の身に堕とした男、それがジュンサイという男だ。なればこそ、ジュンサイへ向ける怒りと憎しみも、ひとしおなのだろう。
「……千年を、さらに、千年、続けるために、のお」
ファンオウが呟くのは、記憶にあるジュンサイの言葉だった。王国というものを存在させる為だけに、王族を犠牲にすることも厭わない。それは忠臣のあるべき姿ではなく、奸臣そのものではないだろうか。身の裡に生じた恐ろしさに、ファンオウは乗り出していた身を椅子へ深く沈めるように倒れ込む。
「くだらぬ野望です。人間の王国が何千年続こうと、それが腐っているのであれば根から断つまでのこと。そして新たに、殿を王と戴き理想郷を築き上げる。そこに、何の変りもありません」
隙あらば国王に祀り上げようとするエリックの言葉に、ファンオウはふっと安寧を憶える。エリックは、変わらない。何が起ころうとも、側にいて国王になれと言ってくる。そのために何かをしろ、ということはなく、民の姿をよく見て、思うままの政をすれば良い、と言うのだ。
「お主は……相変わらず、じゃのお、エリックよ」
「殿が、殿であらせられるのならば、何者も恐れることはありません。全て、俺にお任せください」
僅かに胸を張って見せるエリックの瞳には、純然たる自信と信頼が満ちている。ファンオウは身を起こし、ゆっくりとうなずいた。
「うむ。わしは……ジュンサイどのと、同じ天下を、望みは、せぬ。民は、安らかで、自由であれば、良いと、思うからのお。そのために、必要なことならば、何も、出し惜しみは、せぬ。わしの身であろうと、自由に、使うてくれ、エリック」
エリックへの信頼を言葉にのせて、ファンオウは言った。主と臣下でなくとも、エリックに対しては全てを預け、全てを擲つ。それが、ファンオウが一人の友に出来る、唯一のことだからだ。
「有り難き幸せです、殿。俺の全身全霊をもって、殿に天下を献上しましょう」
右拳を左掌へ音高く打ち当て、エリックが武人の礼を取る。気位の高いエリックがそれを見せるのは、ファンオウただ一人である。無形の、しかし確固な絆が、両者の間には結ばれているのだ。
「差し当っては、王都にいるフェイとラドウの帰還を、と考えています」
「ふむ? 王都の、二人を、のお?」
「はい。ジュンサイが返り咲いた、いえ、幼王の背後にいるとなれば、王都は最早死地です。早急に、事を運ばねばなりません。ついては、殿に一通、竹簡を出していただきたいのですが」
「うむ。構わぬが、どこへ書けば、良いのかのお?」
「南方領を治める河族の頭、ギョジン宛にです。人間の足ならば、王都からは果無の山脈を越えるよりも河を遡上した方が良いので」
「うむ。あいわかった」
早速ヨナを呼び、竹簡と筆を用意させる。時代の流れが急速に、動き出そうとしている。尋常な人の身であるファンオウにはそれを知る術は無いが、何か大きなことが起きる、そんな予感が兆していた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。