元王国宰相、動かずして返り咲く
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国王崩御の報せが、王国全土へ向けて発され、一週間が過ぎた。新国王の政策が次々と発布されてゆき、新たな名目で重い税が課せられてゆく。富を持つ者は新政の名のもとに全てを奪われ、貧しい者たちは賊徒へと身を落とす。王と貴族のみが、ただ栄える。彼らの為す浪費は全て、税の名を借りてまた彼らの懐を潤わせるのみだった。
新国王は、暗愚ではない。新宰相とて、無能ではない。両者ともにそれぞれ、王国のあるべき姿を未来視し、そこへ邁進するべく奮闘しているのだ。父たる前国王の葬儀すら、極めて小規模なものに抑えてさえいる。奢侈贅沢とは、無縁とさえいえた。
けれども、その下へ続く文武百官たちは凡庸であった。高すぎる頂点二人の理想は見えず、そして現実に沿わない法令が発布されてゆく。理想主義者の絵空事は、彼らに曲解の機会を与えたのだ。
王都は、平和すぎた。西の異民族を率いる元大将軍の反乱もあったが、これは官位と僻地を与えたことで押さえつけられている。公爵領主の死は、中央を揺るがすには足りえない出来事だ。王都には幾万の軍勢と、頼もしき大将軍の存在がある。それが、国土全体の平和を文武百官に錯覚させていた。
苦しむ民を思う官吏も、一握りではあるが存在していた。だが、新たな政治の奔流はそんな彼らさえも呑み込み、押し流した。富を貪りたい貴族らの濁流には、清流は目に障る。まともな官吏は堕落し、または王都に失望し辺境へと流れていったのだ。
新宰相はその現状を、寸毫も知らずにあった。王国の過去の法令を紐解き、国土再生の策を練る。そのことに没頭するあまり、些事は全て優秀な秘書官に任せてしまっていた。
苦しむ民の怨嗟の声が、王都の空を曇天へと変える。腐った貴族高官らは新宰相と、そして国王の名のもとに権勢を振るう。不穏な淀みに包まれた新国王に怒りの鉄槌が叩きつけられたのは、新体制樹立の僅かひと月後のことだった。
王都郊外へ、屯田の視察に出かけた新国王と新宰相が、揃って急死したのである。両者とも精力的で、病とは無縁の健康体である。無論これは病死ではなく、暴徒と化した民の逆襲であった。
王を守る近衛の兵が、ほんのひと時、王と宰相の乗る馬車から離れた。そこへ、民たちは石を投げ込んだのだ。重税により食うものも食えない者たちの投じた石ははじめ、王の馬車の外装を虚しく叩くばかりであった。馬車に届けばまだ良いほうで、遥か手前で落ちる石もあった。だが、その中に、鋭く明瞭な殺意をもって投じられた石が混じっていた。これを投げた者たちは、異形であった。
長く華奢な手足を持ち、端正美麗な顔立ちをしたその集団の耳は、長いものを半ばで断ち切ったような断面を見せていた。手枷や足枷をつけられた者もいれば、手足の腱を断たれているのを包帯で隠した者もいた。それは誰あろう、王都で烈しい弾圧を受けている、エルフたちだった。
好事家の間で飼われていたと思しきその一団が脱走したのだとも、取り潰された富農の持ち物が賊徒に堕ちたものだとも言われた。だが、その真相は闇の中に葬られる。国王と新宰相を守りさえしなかった近衛の兵らが、彼らを残らず斬殺したのだ。
新国王と新宰相は密かに王宮へと運ばれ、速やかに葬儀が行われた。質素倹約を謳っていたその政権の主たちの末期は、望み通りの簡素なものとなる。しかし、前国王のときのように、不満の声を上げる者はいなかった。
即位から間もない国王の死に、王宮は揺れた。有能な臣は去り、利権を貪ることしか頭に無い文官たちの中からは、誰も抜き出てくる者もいない。空位となった国王の座に、その一族の誰を据えるべきかさえも、決められないのだ。三日三晩、進展の無い会議が繰り広げられ、そして文官たちは一つの結論へと至る。
この王都に残る、最も知識と経験のある、最高の指導者を呼び戻す。そうしてその者に全てを託し、安寧のぬるま湯の中に浸り続ける。誰も彼も、その意見に異を唱える者はいなかった。前国王、いや、もはや前々国王の時代においても、その者の下で甘い汁を啜り続けて来られたのだ。案ずることは、何も無い。水が高い所から低い所へ流れ落ちるように、それは文武百官の総意となっていた。
緋色の絨毯を木靴で踏みしめ、布衣の裾をはためかせながら謁見の間に入る。拱手する文武百官の間を悠然と歩き、玉座の前に膝をつく。目の前にいる、まだ年端もゆかぬ少年の前で最上位の礼を取る。
「よう、来られた。ジュンサイ。面を上げよ」
声変わりも迎えていない国王の高い声が、頭上から降って来る。ジュンサイは黙したまま、ゆっくりと鋭い眼を国王へと向ける。
「なぜ、かような顔をしておるのか、ジュンサイ? 直答を、ゆるすぞ」
重ねて、国王が言う。ジュンサイは、大きく息を吐いて見せた。
「陛下。貴方様は、この国の頂点にあらせられる御方です。そして私めは、臣の一人に過ぎません。なれば、王として相応しく、臣に向けて言葉をかけられよ」
「む……むぅ。それはすまぬ」
「王は王として、毅然とするべし。まだまだ、陛下にはこの老骨が、御教えせねばならぬことがありそうですな」
情けない表情を見せる国王に、ジュンサイはぴしゃりと言い放つ。言葉を詰まらせ、国王が俯く。このやり取りだけで、国王、そして場にいる文武百官の誰もが、謁見の間の本当の主が誰なのかを理解させられる。身を起こし、滑るような足取りで玉座の左に行くジュンサイを、ゆえに誰も止められない。
「鐘を」
静寂となった謁見の間に、ジュンサイの短い指示が飛ぶ。会議の始まりを報せる鐘が、打ち鳴らされる。響く音の波紋は重圧となって、部屋全体へ満ちていった。
「こうも、あっさりと事が運ぶとはな。儂の見立てでは、あと半月はかかると思うていたが」
王宮にある宰相の執務室で、ジュンサイは椅子に深く腰を下ろして呟いた。机を挟んで向かい側には、二人の男が立っている。王宮での武装を許された大将軍位のジュンシンと、宰相秘書のジュンスイ。ともに、ジュンサイの息子である。
「父上のやり方を、模倣したまでです。準備は周到に、事は迅速に。強引に早めては、おりません」
ほとんど表情の浮かばぬ美貌で、ジュンスイが言った。見つめて来る眼光は鋭く、父親に向けるものでは到底有り得ないものだ。ジュンサイは息子の一人のそこを、気に入っていた。
「スイの言う通りです。俺も、だから楽が出来ました」
にっと歯を見せて笑い、ジュンシンが言う。こちらは表情が豊かで、そして年々自分の顔に似てきている。そのことが、ジュンサイの眉をわずかに顰めさせていた。
「軍の把握は、しっかりしているのか、シン」
「調練も抜かりはありません。三万の軍勢なら、即日動かせます」
「そんなには必要ない。まずは、五百だ」
「たったの五百で、どこに攻め込むんですか、父上?」
「宰相閣下だ、シン。王宮では、そう呼べ。動かし方については、スイに任せる。出来るな?」
「……名目は、叛乱でよろしいですか」
「任せる、と儂は言った。下がれ」
手を払って見せれば、息子たちは余計な言葉を口にせず退出する。
「……使えはするが、まだまだ、詰めが甘いな。王国千年の理想を叶える人品足り得るには、永い時が必要か。悠長なのは、あの一族の血、かも知れんな」
端正な顔を思い浮かべ、ジュンサイは長い息を吐いた。息子二人には、それぞれ長所と短所がある。今しばらくは、それを上手く活用するのは自分の役目になりそうだった。
「天下を獲るには、百年の計で充分。だが、千年の王国をもう千年、続けさせるには永久の未来への視野が必要なのだ……」
机に置かれた杯を手に取り、ジュンサイはその中身を口にする。赤く濁った液体を嚥下し、皺の刻まれた咽喉がゆっくりと動く。
「儂が、もう千年、やることになるか……」
呟く声から、老人特有の掠れが薄くなる。顔じゅうにある皺が、少しずつ、消えてゆく。低く、咽喉の奥でジュンサイは嗤う。防音処理を施された執務室に、その声は不気味に響いてゆく。
翌日、王宮から文武百官のほとんどと、そして新国王の一族の大半が消えた。
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