のほほん領主、山人の少女をほぐし、いたく気に入られる
お読みくださり、ありがとうございます。
今回は、少しシリアスさんには休憩していただいております。
女ドワーフの住居へ足を踏み入れたファンオウは、寝床らしい藁を敷いた床を見つけた。
「ここが、寝床なのかのお……」
周囲を見回しても、他に生活空間と呼べるようなものは存在していない。大きなかまどと炉が部屋の大半を占めており、細長い岩肌剥き出しの廊下が奥へと続いている。
「これは、坑道かのお?」
「殿。ひとまずは、ここへ寝かせてよろしいでしょうか」
廊下を覗き込むファンオウへ、女ドワーフを横抱きにしたエリックが声をかけてくる。振り向いて、ファンオウはうなずいた。
「丁寧に、降ろしてやるんじゃぞ」
女ドワーフを寝床へ放り出そうとしていたエリックへ、ファンオウがのんびりとした声をかける。ぴたり、とエリックの動きが止まり、ゆるゆると女ドワーフは寝床へ横たえられた。歩み寄ったファンオウが、女ドワーフの首筋に手をやり、脈を診る。手のひらを当てれば、気脈の流れも感じることができた。
「気絶しておるだけじゃが……少々、肩に、凝りがあるようじゃのお。エリックよ、彼女を、うつ伏せにしてくれぬかのお」
ファンオウの言葉にエリックが素直に従い、女ドワーフの身体をぐるりと半回転させる。毛皮の上着を脱がせれば、あとは簡素なシャツに包まれた背中が見える。小柄ながらもその身体は、固い筋肉の塊のようであった。
「ふむう……これでは、鍼は通らぬかのお」
肩甲骨の上あたりを指で押して、ファンオウは呟く。
「こやつらめは、鉄の様に頑丈な皮膚をしておりますからな。殿の鍼を拒む、呪われた肌にございます」
じっと女ドワーフを見下ろしながら、エリックが淡々と言う。
「お主は、まだそのようなことを、言っておるのか……まあ、良い。ともかくは、せめてもの詫びじゃ。少し、ほぐしてやるとしようかのお」
言いながらファンオウは、女ドワーフの肩を走る気脈の上へ親指を当て、強く圧した。それは指圧、と呼ばれる医療術であり、指先から気を流し込むことにより気脈を活性化させるものだった。
「ん……んぅ……」
女ドワーフの小さな口から、微かなうめき声が漏れる。
「殿。目を覚まします。俺の後ろへ」
「治療の最中じゃ。口出しは、無用じゃ、エリックよ」
エリックの制止の声には耳を貸さず、ファンオウは一心に指圧を続ける。肩から首へ、ファンオウの親指がゆっくりと動き、圧してゆく。
「うぅ……ん」
女ドワーフが、小さな吐息を漏らした。とくん、とくんと力強い脈動が、ファンオウの親指を押し返してくる。首から肩甲骨の下にかけて、ファンオウは指圧を続ける。
「あ……ふあ……」
心地よさげな声を、女ドワーフが上げた。
「気が、付いたかのお? 今、お主の気脈の凝りを、ほぐしておるところじゃ。そのまま、楽にしておると良いぞ」
優しくのんびりとした声で、ファンオウは女ドワーフに語りかける。
「ん、あっ、あ、あたし、は……な、何で、あう、その辺、もう少し、下……」
ファンオウの指が、女ドワーフの腰へと到達する。
「鍛冶仕事の、しすぎじゃのお。日頃から、もう少し、腰をいたわらねばならぬのお」
体重を乗せて、ファンオウはぎゅっぎゅと腰を指圧する。
「そこ、あっ、い、痛っ、くぅ、あぅ」
脈動に合わせ、ファンオウは気脈を刺激する。腰、足、腕、そして頭と全身余すところなく指圧を受けて、終わる頃には女ドワーフは全身を弛緩させ、上気した顔をぐったりと横へ向け息を荒げていた。
「これで、終いじゃ。しばらくは、活性化した気脈に、身体に脱力感が残るかも知れぬが、すぐに動けるように、なるじゃろう」
「……あんたの声を、聴いてると余計に力が抜けてくるね」
言いながら、のろのろと身を起こした女ドワーフが、ぐるりと肩を回す。
「肩が、軽い……?」
くいくい、と腰を回し、立ち上がった女ドワーフが手足を振る。ぴんぴんとした様子に、ファンオウは目を笑みに細める。
「少しは、楽になったかのお?」
首を傾げて問うファンオウの両手を、女ドワーフがさっと取った。
「少し、なんてものじゃないよ。あんたの指、すごかった! 痛いけど、気持ちよくって……あ、あたしはレンガ。見ての通り、ドワーフだよ!」
そう言って女ドワーフ、レンガはファンオウの手を強く握ってぶんぶんと振り回す。
「ふむう。レンガというのか。面白い名前じゃのお。先ほどは、わしの連れが、お主に失礼なことを言ってしまった。すまなかったのお」
手が千切れるほどの力で振り回され、がくんがくんと身体を揺らしながらもファンオウは暢気な口調で言う。横合いからエリックの手が伸びて、レンガの腕を払いのけてファンオウから引きはがす。
「いい加減にしておけ。それ以上殿に触れ続ければ、お前を殺すぞ土蛇が」
ぎろりと睨み付けるエリックへ、レンガが一瞥をくれる。
「どうしようとあたしの勝手だろう、と、言いたいけれど、確かに、あんまり嬉しくって加減を忘れてたよ。ごめんね、美形のお兄さん」
エリックから目を外し、ファンオウを見つめてレンガは言う。ファンオウの背丈は、ドワーフ並みであった。加えて、つるりとしたゆで卵のような顔には髭の一本も生えてはいないが、穏やかな良い顔をしている。ドワーフ的に見れば、ファンオウは美形といえた。
「ふむう。それは、わしのことかのお?」
こくこくとうなずくレンガに、ファンオウは赤くなって頭を掻いた。
「殿、もうこの蛆虫に用は無いでしょう。このように淀んだ空気に触れては、身体に毒です。さっさと出ましょう」
レンガの視線からファンオウを守るように立ちふさがったエリックが、刺々しい声を上げる。ファンオウは、小さく息を吐いた。
「お主の心も、少しほぐしておいたほうが、良いかもしれんのお、エリック。じゃが、あまり女性の家に長居するのも、良くはないかのお。レンガさん、此度はまことに、すまなかったのお。わしらは、旅の身の上ゆえ、これにて……」
ゆるりと頭をレンガへ下げて、ファンオウは身を翻しかける。
「ま、待って!」
その背中を、レンガの声が引き留めた。
「まだ、何かあるのか、ミミズ風情が」
「あんたに用はないけど……そっちの美形のお兄さん……名前は?」
「わしは、ファンオウ。この山を越えた領の、領主となる者じゃ」
名乗ったファンオウへ、レンガが少し驚いた顔を見せる。
「ファンオウ……ファン家の人なの? じゃあ……ファンリイさんは、知ってる?」
問いかけに、ファンオウは顎を縦に振る。
「ふむ。わしの、祖父の名前じゃのお。レンガさんは、祖父と、知り合いじゃったのかのお?」
問うと、レンガは顔を赤らめて俯いた。
「うん……子供のときに、良くしてもらったんだ。そっか、ファンリイさん、お孫さんが出来たんだ……三十年ほどここに篭ってたから、全然わかんなかった」
「しばらく前に、死んでしまったんじゃがのお。何でも、流行り病でのお……父も、わしの二人の兄も、病で死んだ、そう聞いておるのお」
遠い目になってファンオウは言う。
「……ごめん。辛いことを、聞いちゃったみたいだね」
済まなそうに頭を下げるレンガに、ファンオウは右手を向ける。
「何、家族とは、十年も会っておらぬからのお。実感というものが、未だに沸いてはおらぬ。じゃから、そう気にすることでもない」
穏やかに、ファンオウは微笑んだ。そんなファンオウを見やり、レンガはひとつ、うなずいた。
「少し、待っていて」
そう言ってレンガは、奥にある細い廊下へと消える。憮然としたエリックと二人、しばらく待っているとレンガは白銀の槍斧を担いで戻ってきた。ずんぐりとした胴体には革の鎧のようなものを見に着け、マントを纏った姿は旅支度である。
「お待たせ。それじゃ、行こうか」
にっこりとレンガは微笑み、ファンオウに歩み寄ると片手を差し出してくる。
「……何のつもりだ、鉱石漁りの土トカゲ」
「見てわからない? 私も、付いて行くってことだよ。こう見えても腕は立つ方だし、山のことには詳しいし、おまけに鍛冶もできる。連れてってくれるなら、損はさせないよ」
「いらん。お前の言ったようなことは、全て俺が出来ることだ。もちろん、お前以上にな」
言下に切り捨てようとするエリックに、レンガはちらりと目を向ける。
「確かにそうかも知れないけど、あたしが聞いてるのは、ファンオウさんにだよ。あんたが、勝手に口を挟むのはファンオウさんに失礼なんじゃないかな?」
レンガの言葉に、エリックは押し黙る。
「そうじゃのお……エリックは、レンガさんのこととなると、少し考えを狭くしてしまう。それは、いかんことじゃのお」
ファンオウにまで言われ、エリックがしゅんと肩を下げた。
「話の出来る人で、良かったよ。さすがはファンリイさんのお孫さんだね。それで、どうかな?」
改めてファンオウに視線を戻したレンガが、小首を傾げて聞いた。団子鼻に愛嬌のある瞳が、笑みを作ってファンオウに向けられる。
「ふむ。わしとしても、願ったり叶ったりじゃのお。このところ、エリック一人に、随分と、重荷を背負わせてしまっておったからのお。お主が共に、来てくれるというのなら、何とも心強いことじゃのお」
「殿……」
気遣うようなファンオウの言葉に反応したエリックが、しゃきりと背を伸ばす。
「わしが、領主に就いたあかつきには、お主には、働きに応じた報酬を払おう。それで、良いかのお?」
問いかけるファンオウに、レンガは首を横へ振る。
「自分の食い扶持くらいは、自分で稼ぐよ。お金は、いらない。その代わり……」
俯いたレンガが、もじもじと槍斧の柄で地面を削りながら言いよどむ。
「ふむう、何じゃ? わしに出来ることならば、何でも申してみるのじゃ」
硬い岩盤の床に小さな穴が開く。少しの間そうやって穴を作り続けていたレンガが、意を決したようにファンオウへと顔を向けた。
「その代わり、さっきの凝りをほぐしてくれたのを、また、してくれると嬉しいんだけど……」
蚊の鳴くような声で、レンガが言った。
「ふむう、容易いことじゃ。お主がそれで良いなら、いつでも指圧を施そう。それだけで、良いのかのお?」
首を傾げ問いかけるファンオウに、レンガの顔がぼんっと音立てて赤くなった。
「そ、それ以上は、また、そのときに……お願いするかも……」
テレテレと小さな声でレンガが言う。あまりにその声は小さく、ファンオウはほとんど聞き取れなかった。
「うむ。それで良いなら、決まりじゃのお。お主も、これよりは、わしの民じゃ」
カラカラと笑いながら、ファンオウは歩き出す。
「そうと決まれば、さっさと、山を登ってしまおうかのお。山頂へゆけば、領の様子も、見て取れるじゃろうからのお」
声を上げて歩くファンオウについて、後ろからレンガとエリックが付き従う。こつん、とレンガの肘を、エリックが軽く叩いて顔を寄せる。
「……もしも、殿に不埒な真似をするようであれば、一刀の元に斬り捨てる。それを、覚えておけ」
ドスの効いた低い声で、エリックはレンガの耳に囁いた。レンガがエリックの顔を見返し、不敵に笑う。
「無辜の民を斬り捨てるのは、殿さまの意思に反するんじゃない? それにあたしは、ただ指圧の約束を取り付けただけだよ。あんたに、どうこう言われる筋合いは、無いよ」
言い合い、両者が同時に顔を背けた。本人たちの意思に反してそれは、非常に息の合った仕草であった。
「あっ、ファンオウ様!」
洞穴を出ると、村娘のイファがファンオウへと駆け寄ってくる。
「おお、イファか。良い子で、待っておったか?」
手を伸ばし、ファンオウがイファの頭を撫でる。
「はい! 待ってる間に、これを作ってました! ファンオウ様に、差し上げます!」
そう言って、イファは小さな布袋をファンオウへと差し出した。受け取り、袋を目の高さに持ち上げる。ファンオウの鼻に、爽やかな香りが漂ってくる。
「ふむ、良い、香りじゃのお」
にっこりと、ファンオウが微笑んで見せる。
「村に伝わる、香り袋です! 疲れたときに、良く効くんですよ!」
満面の笑顔で、イファが言った。
「お主の笑顔も、わしの疲れには、良く効くのお」
ファンオウのそんな言葉に、イファははしゃいで見せる。子供らしい、素直な仕草にファンオウの笑みは深まった。
「さて、それではみんな、行くとしようかのお」
休め、の姿勢で整然と並んでいた男たちにも、声をかける。威勢の良い声が返り、そのまま一行は出発となった。
「……うん。あの子は、強敵かも知れない」
ファンオウの馬の側を歩きながら、レンガは呟く。そうして、険しくなる山道を、一行は進んでゆくのであった。




