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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
黎明の章
1/103

のほほん医師、夕陽の楼門へ友の征くを送る

新たな物語の開幕です。よろしくお願いします!

最初の投稿なので、二話連続となります。

 ほっそりとした、しなやかな肉体が寝台へと横たわっていた。均整のとれた、美しい半裸の肉体には筋肉らしいものはほとんど付いてはいない。だが、その肉体に触れてみれば、強い活力を感じることができた。

 芸術品と言っても良いほどの肉体の、鎖骨部分から斜めに走る傷があった。止血をし、薬草を塗ってなおじくじくと血の滲んでくるそれは、刃物によって創られた傷である。

 糸を通した針で、傷口を縫い合わせる。相当な痛みがあるはずだったが、その青年は僅かな呻きさえも上げることは無かった。脇腹のあたりまで届くほどの傷を、縫い合わせた後は包帯で固定をするだけだった。処置を終えて、若き医師ファンオウは深く息を吐いた。

「ふぃい、終わったのう」

 のんびりと間延びした、老人のような口調でファンオウは言う。その言葉に、寝台へ仰向けになっていた青年がぐいと上体を起こす。

「ありがとうございます、先生」

 右拳を左の掌に打ち付け、青年は頭を下げる。ファンオウはのんびりとした様子で汚れた布を片付けながらうなずいた。

「本当は、あまり動いてはいかんのだがのう」

 じっと見つめるのは、青年の肩から脇腹にかけて巻き付けた包帯である。

「痛くは、無いかのお?」

 ファンオウの問いかけに、青年は首を横へ振る。

「ほとんど、痛みませぬ。流石は、先生の施術です」

 青年の美しい顔に、あるかなきかの微笑が浮かぶ。そんな笑みへ、ファンオウは眩しいものでも見るかのように目を細めた。

「わしの医術は、大したものではない。お主の、エルフの肉体の強靭さが、怪我を軽くしておるのじゃ」

 のんびりとした声で、ファンオウは言う。その言葉に、青年は大真面目な顔でうなずきを返した。

「そうですね。俺の身体は、人間のものよりも遥かに強靭だ。けれど、先生。施術が確かでなければ、こうして俺は立ち上がることも出来ない深手だったのですよ」

 寝台から立ち上がった青年が、大切なものに触れるかのように包帯の上から傷口を軽く撫でる。

「……安静に、しておいたほうが良いのじゃがのう」

 呆れたように言うファンオウへ、青年は右肩をぐりんと回して見せる。その顔が、わずかに引きつった。

「痛むかの?」

 問いかけると、青年は肩を押さえたまま震えつつ、首を横へ振る。

「……大したことは、ありませぬ。それより、そろそろ出立の時刻では?」

 青年の言葉に、ファンオウはぽんと手を打った。青年が立てかけてあった己の外套に袖を通し、こきこきと首を鳴らして歩き出す。ファンオウも慌てて、散らばった道具を片付け後へと続いた。

 小さな診療所を出ると、石造りの整然とした街並みが続いていた。王国の中心である、数万の民が暮らす王都の道には人通りは無く、静寂が道の先まで続いていた。

「いつもながら、静かじゃのう。まだ、夕刻にはちと早いというのに」

 暢気な声で、ファンオウが言う。傍らで、青年が長く尖った耳を揺らしてうなずいた。

「これも、政治の所為でしょうな。人間の王国にとって、千年の時は長すぎるようです。官僚が腐り、民から搾り取るだけ税を搾れば、このように街並みも活気を失うのでしょう」

「ふむう……お主の言うことは、たまに難しすぎてよくわからぬ。じゃが、日に日に荒んでゆくようじゃのお」

 吹き抜ける風と共に、砂埃が顔に吹き付けてくる。獣の啼く声のような風の音に乗って、遠くの裏通りからは怒号とも悲鳴ともつかぬ叫びが聞こえてくるようである。ファンオウは小柄な身体をちょこまかと動かして、なるだけ早足で目的の場所へと向かう。側へ付き従い歩く青年は、ぴりぴりとした気配を飛ばして周囲に目を配っていた。

 王都の目抜き通りを抜けて、二人がやがてたどり着いたのは西北にある大きな楼門の前だった。門は開かれ、街の外へと向かって多くの兵士が整然と列を成して行進している。その最後尾に、がっしりとした体躯の馬に跨る将軍の姿があった。

 将軍の正装、鎧兜に包まれた体躯はがっしりと大柄で、太い首の上の顔は顎の張った厳めしくも若いものである。その将軍が、ファンオウと青年に気付いて片手を挙げ鮮やかな挙動で馬を降り、駆け寄ってくる。

「おお、ファンオウ。それにエリックも」

 がっしりとした将軍の太い腕が、青年、エリックの右肩を軽く叩く。

「これ、イグル。そこは縫ったばかりじゃ。あまり触るでない」

 のんびりとした声を上げて、ファンオウがイグル将軍の腕を引く。小柄なファンオウと大柄なイグルの体格差から、それは子供が大人にじゃれついているようにも見えた。

「大事ありません、先生。こいつも、加減は心得ているのです」

 無表情に、エリックがイグルを親指で指しながら言った。

「おいおい、今を時めく征西将軍を、こいつとは何だ、エリック」

 言いながら、イグルの顔は不敵な笑みを形作る。対するエリックは、すまし顔で鼻を鳴らす。

「たかだか二十年しか生きていない人間風情に、そんな大層な肩書は似合わんな、イグル」

「その二十歳の人間に、不覚を取ったばかりだろ」

 言い返され、エリックはむっとした顔になる。

「あれは、俺の見切りが甘かったせいだ。お前の剣が凄いというわけではない」

 エリックの言葉に、イグルの顔が真面目なものへと変わる。

「ああ。だから、さっきの勝負は俺の負けだよ、エリック。お前はきちんと手加減してたってのに、俺は出来なかった」

「……お前が、殊勝な態度を見せるなんて。嵐でも来るか?」

 空を見上げ、エリックが言った。夕刻に近づく空には、どんよりとした雲が垂れこめていた。

「縁起でもないことを言うなよ。それで、ファンオウ。こいつの傷は、大丈夫なのか?」

 顔を向けてきたイグルに、ファンオウはこくりとうなずいた。

「本当は、寝台にでも縛り付けておいたほうが良かったんじゃがのお。ま、人間じゃったら動ける身体では無かった。今度からは、気をつけるんじゃぞ?」

 ファンオウの声を聞いて、イグルが破顔する。

「わかった。心得よう。それにしても……しばらくお前のそのじいさんみたいな喋りが聞けなくなるのは、寂しいもんだな」

 イグルの言葉に、ファンオウはうなずいて見せる。

「そうじゃのお。わしが、王都へ来て以来じゃから、もう随分と長い付き合いになっていたんじゃのお」

 しみじみとファンオウが言えば、うなずくのはエリックである。

「俺とイグルが喧嘩騒ぎをしていた時に、先生が止めに入って下さったのでしたね。あれが無ければ、お前は生きてはいなかったぞ、イグル」

 物騒なことを言いながら、エリックはイグルに微笑を向ける。

「おかげで、俺は生涯の友を二人も得られたんだ。命張った甲斐は、あったってとこだな」

 爽やかな笑みを見せるイグルに、ファンオウはやれやれと肩をすくめて息を吐く。

「血の気の多いところは、変わらぬのお。二人まとめて」

 ファンオウの声に、エリックとイグルは揃ってファンオウへと顔を向ける。

「先生の、暢気なところもお変わりないかと」

「そうだそうだ。俺たちの中で、一番変化に乏しいのはお前だぞ、ファンオウ」

「そうかの?」

 頭の後ろへ手をやり、ファンオウがぽりぽりと頭を掻いた。

「背の高さも、十年前と変わってないんじゃないのか?」

 からかうように言うイグルへ、エリックが鋭い視線を向ける。

「その分、頭の中身が大きくなられたのだ、先生は。図体ばかり無駄に育ったお前とは、違うぞイグル」

「なんだと?」

 剣呑な声を上げて、イグルがエリックを睨み付ける。腕組みをして、エリックは真正面からその視線を受け止める。

「これ、二人とも。こんな時にまで、喧嘩をするでない」

 慌てて間に入って来ようとするファンオウの肩を、両者が掴んで止める。揃って向けられるのは、無邪気な笑顔であった。

「わかっていますよ、先生」

「ちょっとしたじゃれ合いだ、ファンオウ」

 呵々大笑する二人に、ファンオウも声を上げて笑った。肩を組み円陣となった三人はしばらく笑い、そして顔を寄せ合う。

「ちゃちゃっと行って、大手柄立てて来る。俺が帰ってくるまで、元気でいろよ、ファンオウ、エリック」

「簡単に死んでくれるなよ、イグル。俺に深手を負わせるほどの使い手なのだからな」

「飲み水は、しっかり煮沸してから飲むんじゃぞ。あと、病には気をつけてのお」

 三者三様に、別れの言葉を口にする。うなずきあった三人が円陣を解すと、見計らったように伝令の兵が駆け寄ってきた。

「閣下、そろそろ……」

「ああ、わかった。すぐに行く」

 颯爽と踵を返し、イグルは鮮やかに馬へと騎乗する。馬上の人となったイグルが、ファンオウとエリックへ向けて片手を挙げる。それが、別れの挨拶となった。

 兵たちを追い立てるように、イグルの馬が最後尾を進んでゆく。開け放たれた楼門の先にあるのは、王都の西北へと続く道だった。

「行き先は、砂漠じゃったのお」

 ぽつり、とファンオウが言う。

「はい。西北との国境、交易路の守備へと赴くのです、イグルは」

 重い音を立てて、楼門が閉じてゆく。ファンオウは、イグルの後姿を眼に焼き付けるように、見えなくなるまでじっと見つめていた。細くなる門外の景色から、夕日が一筋の光となって流れ込み、楼門が閉じ合わされると同時に消えた。眩しさに、ファンオウは眼を瞬かせる。脳裏に浮かぶのは、イグルの無邪気な笑顔だった。

「そろそろ、戻りましょう。夜は、何かと物騒です」

 宵闇の訪れた門前で、エリックの告げる言葉にうなずいた。

「そうじゃのお。お主の、身体に触るからのお」

 のんびりと言うファンオウであったが、踵を返すことなく、しばらくその場へ立ち尽くしていた。冷たい夜風が吹き付けて、ファンオウの白衣の裾をはためかせる。エリックはただ静かに、ファンオウの側に立っていた。

「戻るかのお」

 星が、ちらと夜空に現れる頃になって、ファンオウがようやく門へと背を向ける。

「はい、先生」

 短く答えたエリックが、ファンオウの後へと続く。変わらず人気の無い家路を、二人は言葉も無くただ歩くのであった。

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