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その声を聴き間違えたとは思わなかった。それは間違いなく翁のものだった。けれどなぜ?やばいとは一体何が?そんなことを考えていると言葉が続く。
「春夏秋冬ちゃん、もうわかっているだろうがこっちはそろそろだ。急いでくれ。」
何がそろそろなんだ?急ぐって?翁は一体何を言っている?
「......おいお翁、今どこにいる?」
「うげっ!?夜一!?......なーんだ、やっぱりバレちまったか。」
「なにがバレちまっただよ。お前は今日試験には参加していないんだよな。大人しく部屋にでも引きこもってるんだよな!?そうだろ!?」
頼むから「そうだ」と言って欲しい。まさか誰かと戦っているわけない。俺達が戦ってない連中と戦っているわけない。1人で俺達の脱出の時間稼ぎなんてしているはずがない。
「ま、きっと夜一が考えている通りだよ。だってお前優しすぎるんだもん。正攻法で勝たせてくれるわけないじゃん。そんな優しい相手じゃないことくらいすぐわかんだろ。......けどその優しさ俺は好きだぜ。」
やめてくれよ。何でこんなことするんだよ。何でそんなこと言うんだよ。試験に挑まないって聞いた時、ほんの僅かでもお前に失望した俺が本当に情けないじゃんか。
ふと気付けば涙が零れていた。そして耳に優しい声が聞こえる。
「琥珀ちゃんの告白を聞いた時、何が何でもお前だけはここから出さなくちゃと思った。お前は何があっても生きなきゃ生けないんだよ。......それに友達のために死ねるってのは、俺は最高の名誉だと思うんだわ。ましてや俺ら負け組がそんなかっこいい終わり方できるなんて思ってもみなかった。夜一、お前がいてくれたから。」
やめろ。やめてくれ。聞きたくない。死ぬなんて言わないでくれ。終わりなんて嫌だ。まだ、もう少し、あとちょっとだけでいいから。
「......どうやら時間が来たみたいだ。」
「待ってくれよ翁!!」
まだ俺は
「じゃあな夜一。来世で会おう。」
ありがとうさえ、言えてないのに......
「ブツッ」と無機質な音が2人の会話を切った。イヤホンを外すとそれをポケットにしまう。血と涙で濡れた顔を雑に払う。目線を上げるとを遠くの方にもう3度目の軍勢が押し寄せてくる。
「にしても俺に涙頂戴の展開ってほんと似合わねぇーな。なんていうの、安いよね?『ほら感動だぜ?泣けよ』みたいな。なんて何1人で言ってるんだか。...にしても、あいつには何も知らないで行って欲しかったんだけどなぁ。」
誰に聞かせるわけでもなくただの虚空にぼやく。小さな溜息の後、胸に手を当てるとわずかに微笑む。
「......あぁ、なるほど。確かに琥珀ちゃんが言ってた通り、なんだか満たされていくなぁ。すごい暖かい。」
少しの間、何かを思い返すかのように目を瞑る。そして次に目を開けた時にはその眼に一片の曇りもなかった。床に落ちていた槍を拾い、強く握り、駆け出す。そして......
「希望っていうのは希い、望んだ者に与えられるものだ。そうだろ、夜一?」
「ウィズ、京。どうせ聞こえてるんだろ。でろよ。」
ゆっくり走り始めながらそうイヤホンに語りかける。するとあっけなく耳に京の声が届く。
「まぁバレるよねー。はい、じゃあ現状報告。あたしとメガネは今オペレータールーム的なとこいんのよ。んでそこで引き籠ってる。こいつがなんか色々いじくってあたしが護衛って感じで。あ、間違ってもこっち来んなよ殺すぞ。」
その言葉に思わずどきりとする。俺の足は確かにその部屋に向かおうとしていたからだ。刹那の逡巡の後、京のその言葉の重さに俺は唇を強く噛み締め出口へと駆け出した。
「どいつもこいつも、ここには死にたがりしかいないのかよっ!!」
「......でもなんだかんだで夜っちは優しいんだよね。真っ先にこっち来ようとしてくれるなんて。」
「デレましたな。」
「うっさいわよ!!とっとと作業しなさい!!」
「ありがとうございますっ!!」
「お前ら......」
そんな馬鹿みたいな会話が聞こえた。俯きながらもこんな状況にも関わらずつい微笑んでしまう。なんていうか、本当に......
「.........お前らは、これで良かったのか?」
少しの沈黙の後、割れんばかりの笑い声が耳を劈いた。「ゲラゲラ」「ヒーヒー」「ブフォwww」と大爆笑。可笑しなことは何も言ってないと思うのだが。
「良かったかって?いいに決まってんじゃん。それとも何?あんたら見捨てて中途半端にあたしらだけ生きてるほうがいいってか?そんな罪悪感背負いながら生かされるなんてあたしはごめんだわ。苦労しながら生きていくのはもう十分すぎる程味わいましたっての。」
「実は自分ここで電波妨害、監視カメラのハック、武器の使用禁止命令しかやってないのです。皆様お忘れかもですが友美殿を覚えていますか?彼女がここのプログラムのほとんどを解読したのですぞ。どうやらそのプログラムを作ったのが彼のエイジ殿だったらしく「最期にエイジと逢えた、ありがとう」なんてこれまたまぁプログラムのくせにくっっっそ満足そうな顔でいきましたぞ。神倉殿はこれが悪い事だと?」
「それは...」とつづく言葉を探しているとイヤホンからズドンと低い音が響いてきた。それに続いて何かが傾落ちる音が聞こえた。
「うっはー......あれらの防壁もう破って来たのか脳筋タンパクゴリラ共。少なくてもあと10分くらいはどうにかなると思ってた。てなわけでこっちもそろそろ話まとめなきゃか。」
その間にも先ほどの重低音がイヤホンから聞こえる。まるでそれはカウントダウンのように、止まってほしい思いは当然届くはずもなく。
「大切な人が次々に居なくなちゃうのは、本当につらいな。」
イヤホンにすら聞こえないだろうほんの小さな声。こんなことなら最初から友達なんて.....とはもう思わなかった。これがみんなの望んだ結末ならば。
「それでは最後に自分と京殿から一言ずつ言って締めましょうか。」