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「おかえり。」
部屋に着くといい匂いがした。彼女はなにやら料理を作っているらしい。匂いからするに中華っぽい。「フンフンフ~ン」と小さな鼻歌まで歌ってご機嫌良いらしい。
「ちょっと汗掻いちゃったシャワー浴びてもいい?この時間まだ浴場開いてなくて。」
体からは少しだが汗臭かった。向こうはまだ料理の匂いでわからないだろうが、なるべく近づかないように距離を取る。
「ん?ごゆっくりどうぞ。あ、これだけ味見頼んでもいいかな。」
とスープの入った小皿をこちらに滑らす。「すごい美味しいよ」と言い彼女に返した後、同居人からの許可も得たのでシャワーを浴びる。ちょっとした運動後のシャワーは気持ちいいなと思いつつ、左手で銀色に光るナイフを手すさんでいた。
「まぁすぐ汚れるんだけどな。」
シャワーから出ると丁度料理を運んでる最中だった。炒飯と餃子と八宝菜と中華スープ。まさに中華尽くし。
「あ、そう言えば勝手に用意しちゃったけど夜一も食べるかな?もし食べないなら取っておくこともできるけど…。」
「食べる食べる。お腹減ってるしすごい美味しそうだし是非いただくよ。」
きちんといただきますをした後ゆっくりと食べ始めた。「炒飯にちょっと隠し味入れてみたよ。」と言われ食べてみると、確かに何かよくわからないものが入っていた。「美味しいね。」とは言ったものの、恐らくそのせいで箸のペースは落ちていった。他はそれなりに美味しいのに、炒飯はもう食べるのもしんどいと感じる。だからしょうがないので水で流す作戦に出ることにした。
勿論ここまでは大方手筈通り。席を立ちキッチンに向かい歩く。そして背後に立ち、隠していたナイフを彼女の首筋に突き立て……て。
気づくと床に倒れていた。頭に靄がかかったようにぼーっとする。
「やっと効いた。よくあんなに不味いの食べれたね。まあ僕のには入れてないけど。序でに隠し味は思考を鈍らせる薬と体の自由を奪う薬だよ。そんなものでもほとんど食べてくれたのは夜一の優しさからなのかな。……決して君のじゃない。」
「……。」
「誰だ君は。中途半端に夜一の真似事をして。」
そこで俺の意識は消えた。
次に目を覚ますと手足縛られ口にはガムテープをされていた。あの男のマスクは剥がされ素顔を晒されていた。そして俺が目覚めたのに気づいた女は先ほどまで見せていた笑顔は完全に消えていた。
「今からガムテープ外すけど、大声とかあげたら相方のあの女の人がどうなっても知らないからね。因みにこの部屋、カメラとかそういうのないからバレることもないからね。」
一気にガムテープを剥がされた。どうやら情けはないらしい。聞いていた話とどこか違う。
「全部筒抜けってか。順位が下だったからなめないようにしてたんだけどな。何でわかった。」
「…….夜一は昨日右の手のひらに大きな切傷を負ったんだよ。だから今日は多分風呂は入らない。少なくても半日で完治はしない。だからスープを渡した時に夜一じゃないと確信した。潰し合いの時だとその傷の影響もあったのか瞬殺されちゃったけど。」
ミスしたな。さっきよく確認するべきだった。
「話を戻そう。今夜一はどこにいるのか。君が夜一の姿してたってことは夜一がここに来ないとわかってた。多分拉致でもされてるんだろう。でも流石に放置はないだろうからあの女の子が監視してるのかな。それでその2人はどこにいるか話してって言っても話さないだろうから……」
そうすると「体育館、トイレ……」と次々に場所を口にしていく。
「食堂、図書館、浴場……。浴場か……。君を人質に夜一の安全を確保したいけど、外に連れ出したら勿論すぐにいろんな人にバレちゃうから無理だね。」
俺のわずかな動きに反応したのか、女は俺を放置し扉へ向かう。勿論場所は浴場で合っている。顔に出さないよう努めたんだが全く無意味だったか。
「夜一ってのは随分と優しいんだな。」
女の足が止まる。別に大した意味はない。ただ嫌味を言いたかっただけだった。
「俺たちは優しさとは無縁の生き方をしてきた。あいつみたいなやつは見ててイラついてくるし、優しい言葉を言ってる時も吐き気がした。お前は結局あの男の優しさにつけ込まれたんだな。」
女はこちらに振り返る。その目には強い意志が見えた。いいぞ、もっと感情的になれ。怒れ、滾れ、憤れ。
「僕だってそんな安い人間じゃない。上辺だけの優しさなんて剥がして見れば汚い嘘だらけだ。そんなもの僕だって数えられないくらい味わった。だけどたとえ嫌われても相手の事を思って言葉を発する人、自分のことしか考えず綺麗な言葉だけ並べる人。夜一と君、全然違うよ。」
女はそう言うと今度こそ部屋から出て行った。俺はもう何も言わなかった。残念だがこいつの心を動かすほどの言葉を俺は持ち合わせていない。
しかしまあよくもあんなくだらないことペラペラ出るなと呆れる。何が全然違うんだよ。お前がそう信じたいだけだろ。信じるから裏切られるんだよ。そんな事を何個も思ったが一つとしてあの女には言えなかった。何故だろうか。……はぁ、何だか興が冷めたので後は相方に任せて少し休むとしよう。