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昨日夜一は帰ってこなかった。篝ちゃん曰く「しばらく海雪さんの家に泊まってくるってさ。」とのこと。なぜだか私にはそう言う篝ちゃんが少し元気がないように見えた。気のせいならそれが1番なんだけど。父さんも母さんも、心配いらないと言ってたが、私の不安は払拭されなかった。
そして翌日、文化祭の片付けにもその姿はなかった。他にもあかりちゃん、海雪君も来てないらしかった。……きっと私の考えすぎだ。帰ったらきっと寝息を立てながらだらしなく布団に寝ているだろう。きっとそうだ。
片付けは午前中には終わり、昼前に解散となった。友達とご飯を食べに行く人や、部活に行く人などいたが、私は夕方からバイトもあるので帰ることにした。
「あの、ひかり、ちゃん。この後少しだけ……時間いいかな?」
振り返って驚いた。不安に満ち弱弱しいその声が、姫姜ちゃんのものとは思えなかった。こちらに目を合わせようともせず、視線も泳ぎに泳いでいる。
「う、うん。大丈夫だよ。どうかしたのかな?」
ついて来て欲しい、と言うのでついていってるがどこに行くのだろう。教室を出ても下駄箱の方へは向かわずに、寧ろ階段を上っていく。そして1つの扉の前に立つ。
「屋上」
私は屋上に行ったことがなかったが、姫姜ちゃんは慣れた手つきで扉を開け、外に出た。私もその一歩後ろを歩いた。屋上からの景色はなかなかのもので小さな声で「うわぁ」と言ってしまった。姫姜ちゃんは柵に手を掛け、しばらく景色を眺めていた。この景色を見せたかった、みたいな感じではなさそうだけど、まさかこんなところで飛び降りたりなんかしないよね?先ほどの姫姜ちゃんの表情からからつい身構えてしまう。……なんで何も言わないの?なんでこっちを見てくれないの?
沈黙が続くほど私の心は不安に染まっていき、つい耐え兼ねた私は口を開こうとした。その時振り返った姫姜ちゃんの顔は真っ赤で、号泣というのが相応しいほどに泣いていた。
「ごめんなさい!私は、あなたを利用して神倉君と桜花さんに深い傷を負わせました!もし助けがなければ神倉君は死んでいました。それに桜花さんの行方も全く分かりんません。」
えっと……?全く言ってる意味がわからない。利用?傷?死?もちろん冗談などではないことはすぐにわかるけれど、さっぱり状況が読めない。だけど間違いなく良い話ではないことくらいはわかった。
「お、落ち着いて姫姜ちゃん。とりあえず最初から教えてもらっていいかな?」
それは自分を律する言葉でもあった。
「それじゃあ私は桜花さんを探しに行くよ。神倉さんは鎧塚さんの家で寝てるはずだから。本当に、ごめんなさい。」
姫姜ちゃんは深々と頭を下げると屋上を後にした。私もこの後バイトがあるから帰らないと。帰らないといけないのに、足が思うように動かない。頭の中で姫姜ちゃんの言葉が反芻する。
「私は小学生の頃、1度だけ桜花さんと同じクラスになったの。話したことあったっけ?私達は特に関わりを持たなかったけど、桜花さんが急に学校に来なくなったのは知ってた。そしてその頃、1度だけ遊園地から両親と一緒に帰る姿を見たの。楽しそうに手を繋いで笑ってた。前にひかりちゃん言ってたよね?桜花さんは父親に殺されそうだったって。小さい頃からDVを受けてたって。でもそれって当然矛盾してるよね。だから私は桜花さんが嘘をついている思った。だから色んな手を使ってまで桜花さんを遠ざけようとした。そして本当のことを聞き出そうとしたんだ。盗撮した写真を使って。」
私は現場にはいなかったからわからなかったけど、あかりちゃんの父親は確かにあかりちゃんを殺そうとした。事実父親は今刑務所にいるはず。
……ダメだよ、わかんない。私、馬鹿だからわかんないよ、夜一……お願い。
10月4日。時間は午前4時20分を指している。文化祭の日から4日目を迎えたところ。俺はようやく目を覚めた。悪夢に続く悪夢が続いた挙句、最後は幸生から熱烈な接吻を迫られてるところで強引に意識を覚醒させた。そうでもしなきゃ2度と目を覚まさないと確信したからね。……はぁ、俺疲れてんなぁ。
そしてその時初めて誰かが俺の手を握っていた人に気がついた。
「あかり……」
あかりは俺の手を力強く握ったまま眠っていた。「顔を見たくない」と最後に言われたが、今こうして目の前にいるってことはそういう事なんだろうか。……きっと俺は、知らないうちにあかりを傷つけてたんだな。ごめんな、俺はその理由さえ未だにわからないんだ。それなのにあかりは俺の手を握ってくれるんだな。
俺はあかりの頭を少し撫でてから、あかりが目を覚ますまで静かにその時を待った。
朝5時。あかりはまだぐっすり寝ている。ここには窓がないがそろそろ夜が明けてくるだろう。ところでここはどこ?
朝8時。あかりは未だ寝ている。学生ならこの時間には起きてるものだと思うが。あかりさん、とっくに黎明期過ぎてますよ。朝ごはんはなんだろな。
朝10時。あかりはまだ寝ている。きっとすごい疲れてるんだ、そうに決まってる。だからしょうがない。……ハラヘッタ。
12時。「あかりさーん、起きましょー。もうお昼ですよー。夜眠れなくなっちゃいますよー。」
限界だった。それにしても仮にも年頃の男子を目の前にここまで爆睡できるのもすごいな。もう少し危機感持った方がいいと思うぞ。それとも俺は安心できる人という意味だろうか。確かに寝ているあかりに対し卑しい考えは特にないが。
言葉では起きないので仕方なくゆらゆら揺らす。しばらく揺らしていると「頭が揺れます〜」などと言いながら、ゆっくりとその瞼が開いた。俺に気づくと静かに微笑えんだ。
「お帰りなさい、夜一さん。」
その一言に、笑顔に何かがぐっと込み上げてきた。言葉は出なかった。だから抱きしめた。強く、強く。