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学校から出る頃にはすでに夜かと思うほど暗くなっていた。名無さん(水無月命名)にしばらくついて行くと黒い外車があった。車にはあまり詳しくないが恐らく凄い高いものだろう。
「はい。乗って~。」
そんな軽い感じで私は誘拐されました。ごめんなさいお母さん、お父さん。だってこの人から逃げられる気がしないよ。目に光がないんだよ……。
車で5分ほど走った頃。私は意を決し本題に入った。
「あの、私はこれからどこに連れていかれるんですか?」
名無さんは何か難しい書類を見て、こちらには目もくれなかった。無感情に「海雪さんの家。」とだけ言った。確か海雪というのは鎧塚君の名前だったはず。この人は一体何なのだろうか。鎧塚君も神倉君もそんなに人脈が広いとは思えない。気になって質問してみたが、乙女の秘密とやらで教えてはくれなかった。
近所にあった場違いな壮観の屋敷を鎧塚君の家と知ったのは、小学生で初めて鎧塚君と同じクラスになった時だった。何やら担任が家庭訪問した際の事を、興奮気味に話していたのを覚えている。そして今その家の前に着いた。相変わらず圧巻の一言である。現代の都会の雰囲気とは一線画した、荘厳な雰囲気を感じる。案内され中に入るが、なぜだか緊張してしまい膝が笑う。お願い、早く帰らせて。
屋敷を歩いて行くと何やら雰囲気が変わっていく。現代風、とはちょっと違うが。
「この部屋だよ。」
前を歩く名無さんの足が止まる。そしてその扉を開ける。
中はほとんどが白く染められ、不気味なまでの清潔感に満ちた部屋だった。まるで病院の一室みたいな。そしてその勘は正しかったようで誰かが寝ていた。カーテンで顔はここからでは窺えないが、その他にも2人の姿が見えた。
1人は鎧塚君だ。まあ家の人がここにいるのはいたって普通と言える。しかしその相手の女の子は果たして誰だろうか。間違いなく年下だろうけれど兄妹としては鎧塚君と似ているとは言い難い。兄妹は性別が違くとも顔は似るものである。恋人?じゃあ名無さんの立場は?
私が立ち尽くしていると鎧塚君が手招きをする。私は名無さんを呼んでいるのかと思ったが、私の背中を名無さんがそっと押す。私は促されるままに2人の元に歩みを進めた。1歩足を進める度、臥せる人の顔が露になる。それはさっきまで一緒だった神倉君と知っても、さして驚きはしなかった。何となくそんな気はしていた。
「まあ、あれだ。こいつも色々と悩みを抱えてるんだ。大切だと思えるものができると、同時に壊れる時の恐怖に怯える。勿論それが壊れた時なんかはこいつ自身も相当応える。今回は壊れたな。聞かされていたとはいえまさか心臓が止まるまでとは。俺達があそこに居なかったら文化祭台無しだったな。」
つまり私の小芝居のせいで神倉君は死ぬかもしれなかった、いや、死んでいたということか。
なるほど、これは罪悪感が積もる。だけど同時にどうしても思ってしまう。好き?な相手に誤解を解けなかっただけでそこまでなるものだろうか。完全な加害者なのだから絶対こんなことは思ってはいけないと分かってはいる。それでもこの人はあまりにも脆弱すぎはしないか?
決して顔には出さなかったがそんなことをつい思ってしまう。
途端、鎧塚君が椅子から立ち、私の目の前に来る。そして小さく耳打ちをする。
「お前今ちょっと悪い事考えたろ。」
体から血の気が引いていくのがわかった。悪寒が走る。自分でも明らかなまでの図星だとわかるほどに目が泳いでいた。
「安心しろ。別に何もしない。寧ろお前がこいつを殺しても俺としては全然構わなかったんだよ。」
そう言い彼は部屋から出ていった。言ってる意味は分からなかったが、彼の眼は本気だった。本当に、怖かった。
あまりにも顔色が悪いということで不躾ながら横のソファで横たわりながら話を聞いた。とりあえず神倉君は命には何ら問題ないらしい。そして体の方にも。そうなると問題は何ら体に問題がないのに目覚めないこと。それは恐らく本人が目覚めたくないと思っているからだという。
「夢ならいつかは覚めなくちゃいけないのにね。早く帰ってきてよ、ばか。中学の時も、この前の入院の時も。いい加減自分を大切にしないとほんとに怒るから、怒られたくなかったら眼、覚ましてよ...。」
名も知らぬ少女からそんな言葉が、たくさんの涙がこぼれた。この時初めて本当の自分の罪の重さを痛感した。
少女はバイクのお迎えで帰り、私は名無さんからの送迎を断って歩いて帰った。少し耽る時間が欲しかった。
私はひかりちゃんを守りたかった。それは今も変わらない。でも桜花さんを勝手に敵として見て、望んでもいないのに遠ざけようとしてた。これが間違いだった。結局ひかりちゃんのためとかいって、私がひかりちゃんに遠くにいってほしくなかっただけだったんだ。ひかりちゃんはそんなことするはずないのに。きっと私はひかりちゃんを本心からは信じてなかったんだね。それでいて無関係な人まで傷つかせ、悲しませた。……ほんとに最低だね、私。
神倉君、本当にごめんね。君は私が悪いことをしているのを知った上でそれを止めなかった。私が自分でその過ちに気付いてやめることを信じて。そしてこれ以上やると取り返しのつかないところまで来てしまった時、我が身を犠牲にしてまで。君はひかりちゃんの言う通り、とっても優しい人なんだね。