72:リアーナの告白
王宮から戻ってくるとリアーナとアリアの二人でアリアの自室にいた。
帰りの馬車でアリアが暗い顔をして沈んでおり、心配したリアーナはエマとハンナを外して傍にいるのだ。
アリアは自分の生まれがどの様な物かを考えた事が無かった。
捨てられたのでいらない人間としか思っていなかった。
聖女の血筋かもしれないと言われた時、自分の持つ治癒の力は血筋所以の力なのかと思った。
それと同時に聖女と言う言葉が肩に重く圧し掛かった気がした。
アリアは自らの性格上、そんなたくさんの人を救うなんて高尚な考えを持っていない。
これまではその日の食事をどうするかしか考えた事が無かった。
今はお世話になっているリアーナにどう恩を返す為に必死に勉強をしている。
アリア自身、自らが聖女として相応しいのか疑問を抱いていた。
盗賊に襲われて盗賊を殺したのは間違いなく自分自身だと言う事を理解していた。
あれが自分自身の放った魔法だと言う事に。
正当防衛と言ってしまえばそうなのかもしれないが、アリアにはそう簡単に受け止める事は出来なかった。
そんな自分が何故、聖女に推挙されているのか不思議でならなかった。
「アリア、心配するな。聖女になりたくなかったら国を出よう」
「え……?」
アリアは隣りに座るリアーナの言葉が理解出来なかった。
「アリアがどうしても神殿に行きたくないなら私が攫ってやる。今みたいな生活は無理だが、私なら冒険者として充分、生活はやっていける」
リアーナの意志の強い優しい目をしていた。
「何で……何でリアーナさんは私にそこまでしてくれるの?」
アリアはリアーナが何故自分に対してそこまでしてくれるのか前々から疑問だった。
「何でだろうなぁ……不思議とアリアを見た時、守ってあげたいと思ったんだ。それにアリアみたいな子ならずっと一緒でも良いと思えた……」
「リアーナさんなら結婚して子供を作れば私じゃなくても……」
リアーナは悲しげな表情で静かに首を横に振った。
「結婚してもダメなんだ。私は子供が産めない体なんだ。私は今年で二十四歳だが月の物も無い。それが理由で婚約者もいない。女として不出来な人間なんだ」
アリアはずっとリアーナが独身なのが不思議だったが、漸く理解した。
侯爵家の長女が二十四歳で独身は普通は有り得ないのだ。
貴族は二十歳になる前にはほとんど結婚してしまう。
爵位の高い貴族は特にその傾向が強い。
遅くても十代半ばには婚約者が決まり、大抵その婚約者と結婚をする。
「昔、私は男に犯されたんだよ。確か六歳の頃だったかな」
リアーナは無表情で語り始めた。
「それまでは普通の何処にでもいる令嬢だったと思う。あの時、自分で壊してしまったんだ」
アリアは背筋に冷たい物が流れた気がした。
六歳の少女がそんな目に会い、自分自身の女性の象徴を破壊する行為は普通には考えられない。
それは狂気に囚われた者の行いとしか思えなかった。
「一応、王宮から治癒魔法使える者が来て外側は綺麗にしてくれたよ」
お風呂場での事をアリアは思い出し、リアーナの体は傷一つ無い綺麗な体だったのを思い浮かべた。
「それから私は女である事が怖くなり、剣に逃げたんだ。剣を振っていたら嫌な事を忘れられるからな。情けない話、私が強いのは現実逃避の結果だよ」
自嘲気味にリアーナが言うのをアリアは見ていられず、顔を伏せた。
「私は周りが思っている程強い人間では無いんだよ。寧ろとっても弱い……」
リアーナは常に自分自身を強いと思った事は無かった。
あの事件以降、常に女である事から逃げていた。
ドレスを着なくなったのも、剣を握る様になったのも、女性らしい言葉遣いをやめたのも、そして強くなったのも全て逃げる為だった。
「アリアにはがっかりさせたな。こんな私が義母で……」
そのリアーナの悲しげな顔にアリアは咄嗟にリアーナを抱きついた。
「私のお母さんはリアーナさんしかいないもん!」
「……え?」
リアーナは驚愕の余りアリアの言葉に反応出来なかった。
そうアリア初めてリアーナの事をお母さんと呼んだのだ。
アリアが咄嗟に言った言葉だが、その衝撃は計り知れない程リアーナの心を揺さぶった。
母親を知らないアリアにとってまだ四ヶ月と言う短い時間ながらリアーナはアリアの心の中では唯一の母親となっていたのだ。
これはどちらも依る所が無い存在だったからとも言えよう。
アリアは母親を持たず、リアーナは子を成せずに自らの子を持たないからこそ二人は惹かれ合った。
知らない内にアリアとリアーナは相互依存の関係に陥っていた。
それが歪な親子関係だったとしても。
「私にとってお母さんはリアーナさんだけだもん。ずっと一緒にいたい」
リアーナは動揺していた。
本能に任せるならこのままアリアを抱き締めたい。
アリアに手を回そうとする手が震えた。
その指先の震えはまるでリアーナの迷いを現すかの様だだった。
リアーナは自分の様な壊れた人間が手に取って良いのか葛藤していた。
アリアはリアーナを離すまいと抱きつく力を強くする。
リアーナからすればアリアの抱き締める力は大した事は無い。
だがこの時リアーナは万力で締め付けられたかの様な錯覚に陥った。
リアーナは葛藤の中、心が苦しく呼吸が乱れていく。
それを悟られまいと歯を食い縛りながら息を整えようとする。
体はリアーナの思いとは反対に息を乱す。
必死になりながら気が付けばアリアを抱き締めていた。
リアーナは自分の行動が分からなかった。
だがアリアに自分に無い何かが満たされていく感じがした。
「……私で……良いのか……?」
「お母さんじゃないと嫌」
アリアは駄々っ子の子供の様に首を振った。
ただずっとこの温もりの傍にいたい。
この温もりを二度と放したくは無い。
そんな気持ちを込めて言った。
「……アリア……」
リアーナは自分自身の行動が不思議だった。
今まで避けていた女らしい行動をアリアが来てから積極的に取ろうとする自分自身が。
自分の足りない物をアリアは満たしてくれている。
壊れた心にアリアが潤いを与えてくれていたのだと。
それに気付いた時、頬を熱い物が流れた。
「リアーナさん?」
アリアは自分の頬に当たる熱い雫に気が付き顔を横に向けるとと大粒の涙を流しているリアーナの顔がそこにあった。
「……っぐ……うぐっ.……うぅ……」
静かな部屋にリアーナの嗚咽が響き渡る
一度破れて決壊した堰はすぐには直らない。
涙腺と共に心の堰も決壊していた。
今まで十八年心の奥に溜めていた物が溢れ出ていた。
突然、泣き出したリアーナにアリアは困惑した。
アリアがお母さんとリアーナを呼んだ事によりリアーナの女性としての心の大事な部分を癒していた事は露も知らない。
暫くするとリアーナの嗚咽も収まっていく。
「私はずっと一緒にいるよ」
「私もだ……」
二人はお互いに体を放し、ゆっくりと元の体勢に戻った。
が、アリアは突然、リアーナの膝を枕にして横になった。
「どうした?」
「何となくやりたかった」
アリアは無性にリアーナに甘えたくなった。
短い間ながら二人にはしっかりとした絆が出来上がっていた。
「そうか」
リアーナは頷き、膝の上にあるアリアの頭を優しく撫でる。
アリアは少しずつ心地良くなってくる。
「もう少しこうしていたいな……」
「うん……」
アリアはリアーナの膝枕の心地良さに気が付けば夢の中へと誘われて落ちていた。
「……ありがとう」
リアーナの普段から考えられない様な優しい一言は誰に聞かれる事も無く、消えて行った。




