67:ベルンノット侯爵家
エントランスホールでアリア、リアーナ、アレクシアが中央に立ち、使用人が左右に分かれて待機していると案内役のベルナールに付き添われ一行が屋敷へと入ってきた。
先頭にいるのは男性にしては少し長めの銀髪を綺麗にオールバックにしており、一際豪華な貴族の装いの壮年の男性だ。
リアーナと同じ切れ長の鋭い目付きは他者を威圧する。
アリアも思わずリアーナの服を掴む。
「息災だったか?」
「はい、父上」
「その子が孤児院から引き取った娘か」
アリアはルドルフにじっと見られると目付きの鋭さに恐怖を感じてしまい、リアーナの後ろに隠れる。
「あなた、アリアちゃんを怖がらせるのはやめなさい」
「む、そのつもりは無かったのだがな」
ルドルフは目付きの鋭さから子供には基本的に怖がられている。
家族は慣れているから気にはしないが、初めて見る子供は大体アリアと同じ様な反応をする。
「お父様はお顔が怖いのをもう少し自覚された方が宜しいですわ」
ルドルフを嗜めたのはリアーナを令嬢にしたらそうなるだろうと言う感じの女性だった。
リアーナとの大きな違いは身長だ。
リアーナは一般的な女性より頭一つ分高い。
「元気だったか、クラウディア?」
「はい。お姉様もお元気そうで何よりです」
クラウディア・ベルンノット、侯爵家の次女で王家筋の公爵家の長男と婚約が決まっており、純粋な令嬢だ。
「姉さん、久しぶり……と言う程じゃないね。元気そうで何よりだよ」
「姉上、お久しぶりです。ご健勝で何よりです」
短く切り揃えた銀髪に父親譲りの鋭い目付きの青年二人ががリアーナの前に立ち挨拶をした。
リアーナの弟のパトリックとクラウスだ。
「二人とも元気そうだな。暫くは暇だからたまには稽古でも付けてやろう」
リアーナの言葉にパトリックとクラウスは顔を青くする。
「大丈夫だよ、姉さん」
「僕も最近、生徒会で忙しいですから」
二人ともリアーナとの稽古は避けたかった。
リアーナがいる第五騎士隊の訓練は女性のみ部隊なのにも関わらず訓練が恐ろしく厳しい。
これはリアーナがやる鍛錬を基準に訓練メニューが組まれているので常人には地獄のメニューとなっている。
リアーナが組む合同訓練は正に地獄で他の騎士隊の騎士は訓練後は死屍累々の様相となるのはここ数年定番の光景だった。
「それは残念だ。パトリックは二ヵ月後の合同訓練でみっちり鍛えてやるから安心しておけ」
リアーナの言葉にパトリックは肩を落とす。
二ヵ月後にある全騎士隊合同訓練の指揮がリアーナとは知らなかったからだ。
パトリックはリアーナと隊は違うが王族を守る近衛である第一騎士隊の所属だ。
「レイチェルも元気そうだな」
「はい、リアーナお姉様」
一番、最後に出てきたのはリアーナよりは母親のアレクシアに似たのか可愛らしい面立ちしている三女のレイチェルだ。
アリアと同い年の為、今日の訪問は新しい友達が出来ると思って期待して来た。
「挨拶のついでだ。この子が私の養子になるアリアだ」
偉い人がたくさんいる中での挨拶なので少し戦々恐々としながら前に出る。
「アリアです。宜しくお願いします」
アリアはリアーナ影から前に出てきて軽くお辞儀をして挨拶をする。
「私が侯爵家当主でリアーナの父でもあるルドルフ・ベルンノットだ。ミナリアは元気か?」
「……あ、はい。子供達の世話に追われていますが、元気です」
「それは良かった。あの時の赤ん坊が君だったのか」
アリアはルドルフの事は記憶に無かった。
実はルドルフが孤児院に来た時に一度、赤ん坊のアリアを見た事があった。
「?」
「いや、たまたま見た覚えがあっただけだから気にしなくて良い。アレクシアは我々が来る前に会っているから知っていると思うが私の妻だ」
アレクシアはアリアの横で手を振る。
「アリアちゃん、お祖母ちゃんよー」
「む、それなら私の事は是非ともお祖父ちゃんと呼んで欲しいな」
ルドルフは言っている内容の割りに表情が真顔でアリアから見るととても怖かった。
つい後ずさってしまう。
「あなた、ちゃんと表情筋に仕事をさせなさい。アリアちゃんが怖がっているじゃない。あなたがお祖父ちゃんと呼ばれる日は遠そうね」
アレクシアのドヤ顔にルドルフは悔しそうな顔をした。
「くっ、今に見ておれ。腰が折れてしまったが、こっちが長男のパトリックで、こっちが次男のクラウスだ」
パトリックとクラウスは前に出てニコッと笑顔を見せる。
笑顔に関しては二人とも父親を反面教師にして印象が良くなる様にしていた。
表情に関して似たのはリアーナの方だろう。
「アリアちゃん、これから宜しくね」
「困った事があったら何でも言って下さい」
アリアはパトリックとクラウスには怖いと言う感情は無かった。
今までアリアの周りにいなかったお兄さん的な存在だった為、割と警戒心が薄かった。
「次女のクラウディアと三女のレイチェルだ。レイチェルはアリアと同い年だからよくしてやってくれ」
二人とも淑女らしく楚々とした動きで前に出る。
「気軽にお姉ちゃんと呼んでね」
「同い年だしお茶したりしましょうね」
アリアはずっと首を縦に振る機械と化していた。
何か返そうにも緊張して上手い言葉が出てこなかった。
「取り敢えず、食事にしようか。立ち話もあれだろうから」
リアーナはこのままでは立ち話が長くなると思い、食事の準備が出来ている食堂へと案内する。
アリアはリアーナに手を握られ大人しく付いて行き、リアーナに促されるままに食堂まで来て席へと着く。。
「それではゆっくり楽しんでくれ」
リアーナの言葉を皮切りに食事が始まる。
アリアは目の前に並んでいる食事を見て困惑する。
どれもどんな風に食べて良いか分からない物ばかりだった。
昨日は作法を気にせず食べれば良いと言われたが、こう言う席でどうしたら言いか分からず、かと言って作法を無視するのはダメな気がし、聞こうにもリアーナはルドルフやパトリックとの会話に盛り上がっており、頼みの綱であるマイリーンは席がこんな日に限って離れていた。
結局、アリアはスープとサラダをゆっくり食べて食事中、俯いたままだった。
横にいるレイチェルが心配そうに声を掛けるがお腹が空いていないからと言い半分以上食事を残す羽目になった。
マイリーンは離れた席でアリアが食事にほとんど手が付けてない事に気が付いており、その原因も予想は出来てはいたが、マイリーンの席からアリアに声を掛けると全員に作法が出来ないのを知らせる事になり、それはアリアが辛くなるのでは無いかと危惧して敢えて言わなかったのだ。
食事が終わって元気が無さそうにしているアリアを気遣ってリアーナが食後は自室でゆっくり休む様に言い、アリアは部屋へ戻るとベッドと壁の隙間にしゃがみ込んでいた。
何となく目の付かない所にいたかった。
あの場でどうしたら良いか分からなかった事に自己嫌悪に陥っていた。
アリア自身、細かい事は基本的には気にしない性格なのだが、上流貴族に囲まれて必要以上に気を遣ったりした所為で普段の調子が出なかった。
本当は料理が美味しそうで食べたかったのでアリアは空腹を我慢している。
使用人にお願いすれば何か食事を持ってきてくれるとは思うが、料理を残した手前、お願い出来なかった。
空腹を我慢しながら扉をノックする音が静かな部屋に響いた。
「アリア様、失礼します」
アリアはマイリーンが入ってきたが、どう言う顔をして出て行けば良いか分からずその場から動けなかった。
マイリーンはアリアを探す様に部屋を見渡しながらアリアのいるベッドの方へ近づいてくる。
マイリーンは荷物をテーブルに置いてアリアの横へ座り込む。
「?」
アリアはマイリーンが横に来たのが理解出来ず不思議そうに見た。
「横、お邪魔しますね。実は私も平民なんですよ。街の片隅で食堂をやっていて、儲かっていた訳では無いので生活は一杯一杯でした」
突然のマイリーンの素性の告白だったが、てっきり貴族だと思っていたマイリーンが平民な事にアリアは驚いた。
「……マイリーンさんは貴族じゃないの?」
「違いますよ。平民上がりの神官です。縁があってアリア様の教育係を受ける事になりましたが、偉い方ばかりで疲れますね……」
「……分かるかも。雲の上の人達しかいなくて怖い……」
マイリーンは疲れた様に言葉を吐く。
アリアも同じ気持ちだったからマイリーンの言っている事がよく分かった。
「……リアーナさんは……とっても優しいけど……偉い人だから迷惑を掛けたらと思ったら……」
アリアは迷惑を掛けまいと意識し過ぎる余り、行動が裏目に出てしまっていた。
「奥様は迷惑とは思っていませんよ。寧ろ迷惑を掛けて欲しいと思ってますよ」
「……分かんない」
アリアは何故迷惑を掛けて欲しいと思うのか分からず首を傾げた。
「アリア様に頼られたいと思っているんですよ。なのでアリア様が甘えれば喜ばれますよ」
「……どうやったら良いかが分からない……甘える相手がいないから……親もいないし……」
「じゃあ、アリア様の好きな物はなんですか?」
暗くなるアリアにマイリーンは話を切り替えた。
「……甘い物。昔、村の人にもらったお菓子が甘くて凄く美味しかったから……」
マイリーンはテーブルに置いてあるクッキーを持ってきてアリアへ差し出す。
「良かったら食べませんか?焼きたてだから美味しいですよ」
「食べても良いの?食べたら怒られたりしない?」
「誰も怒りませんよ。それにこれはアリア様の為に焼いたクッキーです」
アリアはおずおずとマイリーンに差し出されたクッキーを受け取り口へ運ぶ。
今まで食べたどんなクッキーより甘い味、香りが広がり、食感もサクッと軽快な音を立て、夢中になりそうだった。
「……美味しい」
「遠慮せずに食べて良いんですよ」
アリアは両手にクッキーを取り夢中で食べ始める。
ずっと空腹だったのも有り、がっつく様に食べる。
「どうしてお昼は食べられなかったのですか?」
口の周りにクッキーの滓を付けながらアリアは少し俯きながら答えた。
「食べ方が分からなくて……」
昨日と原因は同じであり、マイリーンの予想した通りだった。
「アリア様は今までどの様な物を食べていたのですか?」
「……味気無いスープに麦をふやかしたのと偶にパン」
アリアの今までの食事の内容を聞いたマイリーンは信じられなかった。
マイリーンも孤児院の運営に携わっていた事もあった為、そこまで貧しいとは思っていなかったのだ。
「いつもそんな感じなんですか?」
「うん。偶にメイルスパイダーの塩茹でが出る。あれは美味しくてたくさん食べれるから好き」
「あれを食べるのですか?」
マイリーンは信じられない事を聞いたかの様に聞き返す。
アリアは美味しい物と思っているので聞き返されたのが不思議だった。
「……凄く美味しい。あれが出てくる日はごちそう」
マイリーンにはとてもではないが食べられる様な物には思えず、そんな物を食べないといけないぐらい状況だった事に孤児の境遇の厳しさが窺い知れた。
マイリーンの本題は空腹のアリアに食事を取らせる事だ。
「お腹空いてますよね?」
アリアは首を横に振るが、お腹は正直者で大きな音を立てて空腹をアピールしていた。
クッキーではお腹が膨れないのは当然だ。
マイリーンは部屋の外に待機していたエマにお願いしてアリアでも手掴みで食べられるサンドイッチを作って持ってくる様にお願いした。
サンドイッチなら手掴みなので作法とか関係なく気軽に食べられると思ったからだ。
暫くマイリーンとアリアが他愛の無い話をしているとエマがサンドイッチを作って持ってきた。
アリアは多めに作られたサンドイッチを全て綺麗に平らげると緊張からの疲れでその場所で眠ってしまった。
マイリーンはそっとアリアをベッドへ寝かせて部屋を後にした。




