65:アリアの孤独
アリアは目が覚めるといつもと違う感触がある事に気が付く。
寝起きで意識がはっきりしてない状態で見えるのは大きい柔らかい塊だ。
そこに顔を埋めると何処か幸せな気分に包まれる。
ついその心地よさに引きずり込まれそうになる。
「朝からアリアは可愛いな」
アリアは声の主の方を見るが頭がはっきりしない為、ぼーっと見つめた。
「……リアーナ……さん?」
声の主の名前を呼ぶとにこやかに微笑み返され徐々に意識がはっきりしてくる。
昨日、寂しくてリアーナと一緒に寝た事も思い出してきて、そしてさっきまでリアーナの胸に顔を埋めていた事を思い出し慌ててリアーナから離れる。
「ご、ごめんなさい!」
リアーナはそんな慌てるアリアを自分の許へそっと優しく引き寄せた。
「気にしてないぞ。アリアが心地良いなら煩わしかったこの胸も悪くは無いな」
リアーナは抱き締めながらアリアの顔を自分の胸に埋める。
アリアは寝ぼけながらリアーナの胸の心地良さは実感していたが、意識がはっきりしている状態だとかなり恥ずかしかった。
アリアは恥ずかしさの余り顔が茹蛸の様に真っ赤になっていた。
「ふむ、あんまり揶揄うのは良くないな」
リアーナはアリアの頭をポンポンと叩く。
「まだ起こしに来るには早い時間だからのんびりしていて良い。後、今日は私の家族が屋敷に来る」
「リアーナさんの家族?」
「あぁ、私の両親に弟と妹が来る。本当はもう少し時間を置こうと思っていたのだが、どうしても今日来ると聞かなくてな」
リアーナは困った顔をした。
アリアは家族と聞き、自分の存在が余所者だと言う事に不安が過ぎった。
「準備はエマ達がやってくれるから任せておけば良い。母上が来るから賑やかだろうな」
何処か呆れ気味に零すリアーナを見て、不思議そうに首を傾げるアリア。
朝からベッドの上で会話をしていると扉をノックする音が聞こえた。
エマがリアーナを起こしに来たのだ。
静かにエマが入室すると驚いた顔しながら近くまでやってきた。
「おはようございます。朝から仲が良いのですね。アリア様は朝が早いのですか?」
「……水汲みがあるから……」
アリアは頷きながら答えた。
街に住んでいない平民、特に街から外れた所に住んでいる者は朝早くから井戸まで水を汲みに行くのが一般的だ。
魔道具で水を気軽に使えるのは大きな街に住む住民ぐらいである。
「……そうでしたか。今日は当主様が来られるのでお二人とも朝からで申し訳ありませんが、準備をお願いします」
普段はエマがリアーナの支度をするのだが、アリアの世話を見知らぬメイドがするより接した機会が多いエマがした方が良いと言う事でアリアに侍女が着くまではエマがアリアの世話をし、リアーナは他のメイドが担当する形になった。
アリアは自室へ戻るとドレスが並ぶクローゼットの前に立たされた。
「今日は当主様とご家族の方が来られますので昨日お召しになった物より辛いかもしれませんが、我慢して下さい」
エマはテキパキとアリアに合うドレス、装飾品等を準備していく。
アリアは目の前に準備されていく物を見て足が震えた。
目の前に架けられているドレス、これだけで一体いくらするのか、と思うと気が遠くなるのを通り越して恐怖が生まれた。
ベルナールからここにある全ての物がアリアの為に準備された物と聞いてはいたが、アリア自身、これらに見合う価値が無いと思っていた。
心の中ではどうやって自分に掛かったお金を返していけば良いのだろうかと思った。
アリアは身に余る程の施しを受けた事が無い為、疑心暗鬼に陥っていた。
リアーナが悪い人では無いのは充分に分かっている。
これだけの施しを受けたら何かを返さないといけない……でもそれをどうやって返したら良いかアリアには分からなかった。
ただ頑張って働いて返す事を伝えようと思った。
リアーナはアリアに何かを求めるなんて事は決して無いのだが、目まぐるしく変わった自分の状況に冷静に考える事が出来なかった。
そんな事を考えていると露とも知らないエマはアリアにドレスを着せて次々と装飾品を飾り付けていく。
身に着けている物の金額を考えただけでアリアは震えた。
エマがあれよこれよとやっている間、アリアは途中から頭が真っ白だった。
成すがままに着飾られ気が付けば目の前にリアーナがいた。
支度が終わったアリアをエマがリアーナのいるマイリーンの部屋へと案内されてここに来たのだが、色々と一杯一杯になっている内に来たので全く記憶に残ってなかった。
リアーナの方は既に支度が終わっておりマイリーンと談笑していた。
アリアは高価な物を身に着けるのに全く慣れておらず、ドレスを身に纏っているだけで恐怖だった。
「あの……私、こんなドレスを着ても良いの?」
アリアは震えながら聞いた。
「あぁ、構わないさ。その為に用意したんだ」
リアーナはさも当然の事だと言わんばかりに返した。
アリアの為に揃えた服なのだから気にせず着てくれたら良いとしか考えていない。
だがアリアは正大に勘違いをしており、そうは受け取っていなかった。
アリアの中では聖女として頑張って働けば返せるのでは無いかと考えていた。
捨てられた自分が捨てられない為にそう思っていた。
アリアは自分自身が捨てられた存在だと言う事を理解しており、その所為で自分自身を価値のある物を捉えてはいなかった。
捨て子の自分を貴族が貰うのだから役に立たないと行けない。
色んな感情が混ざりアリアの心の感情は支離滅裂な状態になっていた。
「頑張って働いて返さないとダメですよね……」
「な、何を言っているんだ?」
アリアの言った言葉にその場にいた者は驚き、リアーナは思わず声を上げた。
「私、頑張って返しますから捨てないで……」
アリアの悲愴な表情にリアーナの顔が歪む。
心の奥底でアリアは役に立たないと捨てられるのでは無いかと常に思っていた。
孤児院ではシスターへの信頼から余り考える事は無かったが、孤児院を離れてから徐々に強くなっていった。
「アリア、君は私の娘なんだ。だからアリアが返さなければいけない物なんて無いんだ」
リアーナはアリアを優しく抱き締め諭す様に言った。
「だって……だって、私は一人だから……一人だから……家族に捨てられたから」
普段は明るく振舞っていたアリアだが、生まれてすぐに孤児院に捨てられた事をずっと心の奥底で気にしていた。
自分自身がいらない存在と言うのを心に刻み込まれていた。
「違う!!」
リアーナの声が部屋を震わした。
その声の大きさに廊下にいた使用人もビクッとさせ、思わず声のした部屋へ駆け寄った。
「違う!私がアリアの母親だ!アリアを絶対に捨てたりしない!」
「でも……私はいらない子だから……」
震えるアリアをリアーナは目一杯力強く抱き締めた。
「そんな事あるもんか!どんな事があろうとアリアは私の娘だ!誰が何と言おうと私の娘なんだ!そんな悲しい事は言わないでくれ……」
言葉の最後は悲しみにトーンが少し下がっていた。
こんな事を今まで言われた事が無かったアリアは呆然とした。
だが不思議と震えが止まっていた。
突如、部屋の入口から声がした。
「あらあら、私の娘はいつの間にか母親になっちゃったのね」
そこには如何にも上流貴族の夫人と言った装いの女性が立っていた。
「母上……」
彼女はリアーナの母である侯爵夫人のアレクシア・ベルンノットだ。
「リアーナの声が玄関まで聞こえたから急いで来たのよ。アリアちゃん、こんにちは。あなたのお祖母ちゃんよ」
アレクシアは少し腰を落としてアリアの頭を撫でると不思議とアリアは心が落ち着いた気がした。
リアーナよりとっても温かい手。
「リアーナ、少し良いかしら?アリアちゃん、大丈夫よ。あなたを捨てたりする人なんかいないわ」
アリアはリアーナの手から放れアレクシアがアリアと同じ目線で優しく語りかけた。
「きっと今まで辛かったのよね?私達は家族なんだから何かを返さないといけないとか考えなくても良いのよ。実はね、ミナリアから手紙を貰っていたのよ」
アリアはシスターからのベルンノット侯爵家へ手紙を出していた事は知らなかった。
何故、侯爵家がアリアを養子にしようとした経緯は一切聞かされていなかった。
「本当は勝手に言ったら怒られるんだけど、実はミナリアは亡くなった夫の弟の子供なの。それで夫へアリアちゃんを守って欲しいとお願いされたの」
アリアはシスターが侯爵家の血縁者だとは思いも寄らなかった。
リアーナもシスターの出自については聞かされていなかった。
アリアはいきなり侯爵家が出てきたのか謎だったが納得が行った。
「アリアちゃんがいた領主はかなりの野心家で有名でそこへ引き取られるときっと大変だからと彼女は夫の所へ助けを求めたの」
徐々に落ち着いてきたアリアは何故、未婚のリアーナの養子なのか疑問に感じた。
「本当は私の子供でも良かったのだけれど周りからするとちょっと面倒だったの。私達が引き取るとどうしても社交界に出ないと行けなくなるからそれはアリアちゃんに酷だと思ったのよ。あの子も少し事情があってこのままだと恐らく独身のままだと思ったのよ」
リアーナの事情についてアレクシアは詳しく語る事はしない。
本人はもうそこまで気にはしていないが、おいそれと話す事では無いからだ。
必要があればリアーナ自身がアリアに話すべきだと考えていた。
「本音で言えば結婚しないリアーナに業を煮やして孫が欲しかったのも本音なんだけどね」
その発言にリアーナはジト目でアレクシアを睨むが、アレクシアはそんな視線を全く気にせず続けた。
「アリアちゃん、リアーナは好き?」
アリアは素直に首を縦に振って頷いた。
「良かったわ。すぐに慣れなくても良いから徐々に慣れていけば良いのよ」
アリアは気が付けば目尻には大粒の涙が溜まっていた。
こんな風にされた言われた事が無いアリアにとってアレクシアの言葉は嬉しかった。
嬉しさの余り涙が止まらなかった。
ぼろぼろと大粒涙が止めどなく溢れてくる。
アレクシアはハンカチでそっとアリアの涙を拭った。
「そんなに泣いていたら可愛い顔が台無しよ」
アリアはその場で堰を切ったかのように泣き始めた。
今まで人前でこんなに泣いた事は無かった。
必死に心配させまいと我慢してきた。
何故かアレクシアの前では我慢出来なかった。




