64:夜に訪れる孤独
アリアは大浴場を出て脱衣場へ出るとメイドが何人か控えておりリアーナ、アリア、マイリーンの体を拭いていく。
湯冷めすると行けないと言い、リアーナはアリアの体を先に拭かせ、髪を乾かす様にさせた。
アリアは今まで自分一人でやっていた事が全部、メイドがやってくれる事に戸惑いを覚えていた。
貴族では当たり前なのかもしれないが、平民でも遥か下層のアリアにとっては衝撃的だった。
立っているだけで次々と体の水滴が拭われていき、髪を風の出る魔道具で乾かしながら下着、服を着せられていく。
ふと自分の髪を見ると見た事が無いぐらい滑らかで輝いていた。
「なんか自分の髪じゃないみたい……」
その呟きを拾ったリアーナがアリアの方へやってきた。
リアーナも既に服を着ており、仄かに良い香りアリアの鼻をくすぐる。
「やっぱアリアの髪は綺麗な立派な髪だな。澄んだ空の様に青い髪の色は珍しい」
アリアは思わず顔を赤くする。
今までリアーナが言った様な褒め方をされた事が無かった。
決して嫌な気分では無く、気恥ずかしいのだ。
「ありがとうございます」
「ん、ここにいる時は私に敬語はいらないぞ。エマの様な砕け方はどうかと思うが……」
ジト目で髪を整えているエマを見たリアーナに苦笑するアリア。
「慣れるまで時間は掛かるだろうが、ゆっくり慣れれば良いさ」
「うん……」
アリアが頷くとリアーナはわしゃわしゃと少し乱暴に頭を撫でた。
ここに来るまで何度かこの撫でられ方をされているが、アリア自身、思いの外、気に入っていた。
「それじゃ、晩御飯を食べて今日は早めに寝よう」
アリアはリアーナの手に引かれながら脱衣場を後にして、食堂へと向った。
食堂へ入ると使用人が夕食の準備に動き回っていた。
アリアの予想では凄い豪華な部屋と思っていたのが、質素な飾り気の無いテーブルと椅子、壁は特に装飾も無く地味だった。
「ここは使用人用の食堂だ。アリアの部屋の隣りに食堂はあるんだが、マイリーン殿が来るまでは私一人だったからこっちで食事を取っていたんだ。ここより広い食堂に一人で食べるのは寂しくて味気無いだろう?」
アリアはリアーナの言った光景を想像するとかなり寂しい光景が思い浮かび、納得した。
「基本的に朝と夜の食事は使用人と一緒に食べる事にしている。これは私の我儘だな」
基本的に貴族は使用人と家の者は別々なのが普通だ。
リアーナはずっと独身でいるつもりなので家の使用人は家族同然だと思っている。
更に騎士隊の詰所の食堂はもっと雑な場所なので気にもならなかった。
寧ろ三階の食堂で一人で食べるのは、折角の美味しい料理が寂しさで美味しさが半減すると思っている、と言うか実際にそう感じているので人が集まるここで食事を取っている。
マイリーンは一応、来客扱いなのだが、三階での食事は疲れると言う事で使用人の食堂で屋敷の者と一緒に食べている。
因みに三階の食堂は使わない訳では無い。
ベルンノット侯爵家の、特にリアーナの両親が来た場合や貴族の来客がある場合はそちらの食堂を使っている。
アリアが来たので本来なら三階の食堂で食事を取るべきではと言う話も挙がったのだが、マイリーンからそれだとアリアが食事で疲れてしまう、と言う言葉により、こっちとなった。
「アリアの席は私の向いだ」
アリアの席は向かいにリアーナ、横にはマイリーンが座る事になっている。
これは平民出身のマイリーンの方がアリアをフォローしやすいだろう、と言う配慮からだ。
アリアは案内された席へ着く。
大人しく座って待っているとメイドが順番に料理が盛られて皿を並べていく。
今日のメニューは白身魚のソテー、サラダ、野菜スープにパンとアリアが思っている以上に普通のメニューだ。
一品一品の質は明らかに違うが似た様なメニューであれば食料に余裕がある時に頑張れば孤児院でも何とか出る様な内容だ。
それでも数年はこんなたくさんの食事が出た事は無かった。
リアーナ自身が豪勢な食にこだわりが無いと言うのと、使用人を家族同然と思っているリアーナにとって自分だけ豪勢な食事を毎日取る考えは無かった。
使用人も順次、決まった席に着くと、リアーナが口を開いた。
「それでは今日も一日ご苦労だった。すまないが、食事の前に今日から私の養子となったアリアを紹介したい」
アリアは席を立ち、使用人の方へ向く。
「アリアです。ご迷惑を掛ける事があるとは思いますが宜しくお願いします」
アリアは軽く頭を下げる。
大勢の人前で話すのは初めてだったので心臓が飛び出しそうなぐらい緊張していたアリアだったが、席に着くと噛む事無く挨拶を終えてほっと息を吐いた。
「アリアはずっと孤児だったので寂しく無い様に皆で温かく迎えてあげて欲しい。暫く仕事は休みだから私もここにいるが、仕事が始まればいない日もあるだろうから宜しく頼む。それでは神に今日の一日の感謝を祈り頂こう」
全員、十秒程目を閉じ、神へ祈る。
これは食事の時に一般的に行われる作法だ。
アルスメリア神教が普及している地域では一般化しているが、西の大陸や北にあるエルフの国ではまた違ってくる。
アリアは食べるタイミングが分からず他の人の様子を見る。
使用人の人達が食べ始めないので食べて良いのか分からなかった。
「アリア様、祈りは終わったので召し上がって下さい。使用人の方達はアリア様が食べ始めるのを待っているのです」
マイリーンに言われてアリアは慌てて食べ始める。
基本的に使用人は身分が上の者より後に食べ始めるのがマナーとなっている。
孤児院ではそう言う事が無かったのだ。
「リアーナ様がいらっしゃらない時はアリア様が一番先になりますので、そこは覚えておいて下さい」
アリアは少し戸惑いながらも食べていくが、白身魚ソテーを食べようとした時、切り身が大きく齧り付こうと考えたが、この場でその食べ方をすると不味いのでは無いかと思い留まる。
しかし、どう食べようかと悩んでしまい手が止まってしまった。
アリアは今までスプーンとフォークしか使った事が無く、一口で食べられない大きい物はそのまま齧り付いて食べていた。
「アリア様、どうされたのですか?もしかして苦手な物でしたか?」
マイリーンはアリアが白身魚のソテーと睨めっこしているのに気付いた。
嫌い物があるのかと思ったがアリアは首を横に振った。
「ん、どうしたアリア?」
リアーナも気付いて声を掛けるが、アリアは食べ方が分からないとは恥ずかしくて言えず俯いてしまった。
他の使用人達もそれに気付き視線が集まる事によってアリアは更に言い出せなくなった。
エマの横にいる狐耳の使用人がふとある事に気が付き、エマに耳打ちをした。
それを聞いたエマはハッとなった。
「アリア様、作法はお気になさらずお食べ下さい。それで笑ったりする者などこの屋敷にはおりません」
エマに言われてアリアはギョッとするが、おずおずとフォークで白身魚のソテーを刺して齧り付く。
アリアの席にナイフがちゃんと準備されているが、食事の時にナイフを使う事が無かったので食事で使う物とは知らなかったのだ。。
狐耳の獣人の使用人、後にアリア付きとなるハンナはスラムでずっと暮らしてきたのでアリアの気持ちがよく理解出来た。
そしてどんな事で困るのかも分かった。
だがハンナ自身もここに来て三ヶ月しか経っておらず現在も教育中だ。
リアーナはこのやり取りに少し悔しい思いが湧いた。
思っているよりもアリアとの距離が遠いと感じたのだ。
気持ち的には近づけていると思っているが、細かい生活面での差にアリアが着いて来られるかが不安だった。
来て初日だとは分かっていても辛かった。
アリアは何とか食事を終え、エマと一緒に部屋へと戻り、寝巻きに着替えるとベッドへと潜り込んだ。
ベッドに入っても落ち着かなかった。
上流貴族の邸宅なので当然、ベッドも布団も一級品だ。
アリアのいた孤児院の様な所で使われていたベッドはクッションなど無い木が剥き出しで硬い物であったし、布団にしてもこんなに厚みのあるふかふかの物では無い。
あらゆる事が違う世界に来てしまったアリアは布団に潜り込むと思わず涙が零れた。
アリアが泣いているとふと頭に暖かい手がそっと置かれた。
布団から顔を出すとリアーナがそこにいた。
リアーナは部屋へ戻ってきてアリアの様子が気になり物音を立てない様にして自らの寝室からアリアを見に来たのだ。
静かな部屋に響くアリアのすすり泣く声に気が付き傍まで来たのだ。
「……寂しいのか?」
アリアは素直に首を縦に振り、リアーナのドレスを握り締めた。
「仕方が無いな。こっちで一緒に寝るか?」
アリアは頷き枕を抱えてリアーナの部屋のベッドに入る。
「着替えてくるから少し待っていてくれ」
アリアはベッドで大人しく枕を抱えているとネグリジェに着替えたリアーナが戻ってきた。
「待たせたな。寝ようか」
リアーナはアリアに寄り添う様に横になった。
「これなら寂しくないだろ?」
アリアはリアーナの懐に入ると寂しさで泣いていたのが嘘の様に意識を手放した。
リアーナはそっとアリアを背を摩りながら眠りに着いた。




