61:孤児院からの旅立ち
領主の来訪から二ヶ月が経ち、アリアが孤児院を出る準備は徐々に進んでいた。
ベルンノット侯爵家から手紙が来てアリアを迎えに来る日の連絡が来た。
アリアはと言うと村から来るお手伝いの人に孤児院での仕事の説明をしていた。
荷物と言う程の荷物が無く、持って行く物がほとんど無いので、精々着替えと簡単な身の回りの物だけなのでやる事はそんなに無かった。
そしてベルンノット侯爵家からの迎えが来る日、アリアはシスターに呼ばれるまで自室のベッドで蹲っていた。
ずっと過ごしていた部屋の荷物がほとんど箱に詰められて寂しくなった部屋を見て気持ちが寂しくなる。
世話してきた子供達を残して行く事になるのは不安だった。
唯でさえ貧しいのにいくら村の人が食料を分けてくれたり、孤児院の手伝いをしてくれるからと言って基本、シスター一人で運営しないと行けないのだ。
それがどのぐらい大変かアリア自身よく分かっているし、自分だけ貴族の養子として生きていくのが申し訳無く感じていた。
シスターから説明があったアルスメリア神教の聖女についても何故、自分が選ばれたか分からなかった。
自分は聖女なんて呼ばれる程大した人間では無いのにと思っているからだ。
自らが置かれた状況にアリアは全く理解が追いついていなかった。
アリアはただ子供達の世話をしながら生活出来れば良いと願っていただけだったのに。
そんな事を考えながら部屋にいると外から馬の鳴き声が聞こえた。
窓を覗くと銀髪の綺麗なドレスに身を包んだ女性と前に来た神官と一緒の服を着た女性に護衛と思わしき騎士が数名いた。
とうとうこの時が来たと思い窓から離れて心を落ち着かせる。
相手は侯爵家と言うアリアでは考えられない程偉い立場の人間と言う事も有り、失礼が無い様にと深呼吸をする。
粗相をしてシスターに迷惑を掛ける事だけは何としても避けたいアリアだった。
暫くするとお手伝いの村人がアリアを呼びにやってきた。
アリアは応接室の前で呼吸を落ち着ける。
一呼吸置いてノックをして応接室へ入ると先程見た銀髪の綺麗な女性と神官の女性がシスターの向いに座り、その後ろに控える様に侍女が立っていた。
「あのー、シスターから呼ばれてきました……」
恐る恐るアリアは部屋へと足を踏み入れる。
「アリア、こっちに来て私の横に座りなさい」
シスターに促されてアリアはシスターの横へ座る。
「アリア、こちらの方があなたの母親となるリアーナ・ベルンノット様、そして神官のマイリーン・アドニ様ですよ」
「リアーナ・ベルンノットだ」
「マイリーン・アドニです」
シスターの紹介に応えてリアーナとマイリーンに自己紹介をされ、アリアは緊張を抑えながら口を開き、自分の名前を名乗った。
「アリアです……」
アリアはつい緊張して俯き小声で挨拶をしてしまった。
咄嗟に顔を上げるがリアーナもマイリーンも気にした様子は無かった。
「まず簡単に私の方から説明させて頂きます」
マイリーンがアリアにアルスメリア神教の聖女について説明するべく口を開いた。
「ご存知かもしれませんがアルスメリア神教は創世の女神であるアルスメリア様を唯一神として崇め奉る教えです。基本的には一般的に語られる創世神話に基づき創世の女神であるアルスメリア様の御言葉を広めております」
マイリーンは簡単な概要だけを説明するだけにする予定だった。
しっかりと説明するには時間が足りないし、アリアが理解が出来ないと考えていたからだ。
実際にそれは正しくアリアも緊張の所為で全くマイリーンの説明が耳に入って無かった。
「その中の教えに救済の御言葉があります。それを体現なさったのが、五百年前に聖女としてご活躍されたアメリア様です。アメリア様は各地を回り、絶大な治癒の力で数多くの人をお救いになられました。アメリア様が亡くなられた後、その遺志を継いで民衆を救う役目を担う者を聖女として民衆を救って頂く事になりました。先代の聖女が亡くなられて早十年、この度はアリア様にその役目をお願いしたく参った次第です」
マイリーンの説明を聞いてアリアは余計に本当に自分で良いのか不安になった。
「非常に悲しい事なのですが、アルスメリア神教内も一枚岩ではありません。いざ何かあった時の為、後見人としてこちらにいらっしゃるリアーナ様の養子になって頂く流れとなっております」
シスターはマイリーンの言葉に僅かに反応した。
アリアがアルスメリア神教内の政争に巻き込まれないで欲しいと願ってはいるが、何処までその影響が排除出来るか全く分からない。
マイリーンの言葉に不安を覚えながらそんな場所にアリアを送らなければいけない事が悔しかった。
「アリア、大丈夫ですか?」
「……うん」
シスターはアリアに声を掛けるが、その表情は不安を顕著に出しており、シスターの心を締め付けた。
「アリア、やっぱ私の養子では嫌かな?」
そんな様子を見てリアーナが率直に養子になる事について聞いた。
「……みんなが心配で」
「それなら心配無い。今までの援助に加えて私から追加の援助を毎月を行う。それに教会の修繕も私の方で手配するから安心すると良い」
リアーナはそのぐらいの支援で困る程、金には困っていなかった。
それでアリアの不安を拭えるなら大した出費では無いと考えていた。
「本当!?」
リアーナの言葉を聞いたアリアは顔を綻ばせた。
「本当さ。自分の娘の故郷を守りたいと思ってはダメかな?」
「ありがとう!!」
アリアの喜んだ顔を見てリアーナとマイリーンは安堵した。
「ミナ殿、暫くしたら街から食料も届くので当面はそれで何とかして欲しい。修繕の手配は早急にさせてもらおう」
「本当に何から何までありがとうございます」
シスターは感謝の意を述べる。
即断即決で支援を頂けた事に驚いていた。
ただアリアを出汁にした様でそこに罪悪感がシスターの胸をチクリと刺した。
ずっとアリアに孤児院の事で心配を掛けてしまっていた事にも申し訳無く思ってしまった。
この孤児院は半年も経たない内に建物は綺麗に修繕され、子供達が食料に困る様な事態になる事は無くなっていく。
定期的にリアーナの使いが来て状況確認を行う様になり、領主も以前に比べて目を掛ける様になるのだった。
「取り敢えず、アリアには一年、王都の私の屋敷に来て勉強をしながら過ごしてもらう。そして一年後、神殿へ上がる形になっている。基本的な教育はこちらのマイリーン殿にやってもらう形になっている。頼りない母親かもしれんが宜しく頼む」
リアーナはアリアに手を差し出す。
アリアはおずおずと手を出してリアーナの手を取る。
「……はい、宜しくお願いします」
その光景に今まで口を閉ざしていた侍女が溜息を吐いた。
「奥様……それは家族になる者へする挨拶ではありません」
リアーナは侍女に言われて思わず慌ててしまう。
「な、なら、ど、どうすれば良いのだ?」
焦るリアーナを見てアリアは思わず吹き出した。
シスターの無言の視線にアリアは気付き、うっかり笑ってしまった事にしまった、と言う顔をした。
そんなアリアの頭をリアーナは優しく撫でた。
「もっと笑えば良いんだ。これからは私の大切な家族なんだ」
アリアは本当に家族になれるのか不安だった。
それでも笑って良いと言うリアーナに対して何処か安心を覚えた。
本当の家族と言う物を知らないアリアにとって新たな家族と言う事に不安しか無かった。
リアーナは貴族らしい様な傲慢な振る舞いはせず、素直にシスターの様に純粋に子供を見守る様な目をしている事に気付いた。
だからアリアはリアーナに対して笑う事が出来た。
「うん……うわっ!?」
アリアはリアーナに抱え上げられて思わず声を上げた。。
十歳になるアリアを軽々に高々と持ち上げるリアーナの力に驚いてもいた。
リアーナからすればアリアを持ち上げる事は大した事では無い。
リアーナは優しくアリアを抱き締める。
「奥様、それだと父親ですよ」
侍女は先程と同じ様に溜息を吐きながら呆れ気味にリアーナを窘めた。
アリアはこう言う愛情表現をされた事が無く戸惑いながらも少し嬉しかった。
リアーナの腕の中で母親に抱き締められるのはこんな感覚なんだろうか、とも思った。
少し良い匂いのするリアーナの胸に思わず顔を埋めていた。
「全く可愛いな。少し自分の体が悲しくなるな」
リアーナの後半の言葉は他の者には聞こえなかったが、アリアにはしっかりと聞こえていた。
だがその言葉の意味までは分からなかった。
リアーナにそっと下ろされて解放されたアリア。
「リアーナ様、アリアを宜しくお願い致します」
シスター立ち上がり深々と頭を下げた。
「任せろ。万が一、アリアに何かあれば私が神殿まで乗り込んで連れて帰ってくる」
リアーナの言葉にマイリーンは表情が固まり、シスターはその言葉にルドルフを頼った事が間違いでは無かったと感じた。
初対面にも関わらずここまでアリアの事を身分を気にせず思ってくれている事に感謝した。
「奥様、マイリーン様の前でその言葉はどうかと……」
「エマ、私だってそんな事はしないさ。半分……いや一割ぐらい冗談だ」
エマが嗜める言葉を全く取り合う気配は無いリアーナにまた溜息が出た。
「一割とかほとんど本気じゃないですか……」
「家族を害する者に手加減をする筈が無いだろう」
マイリーンとシスターはリアーナとエマのやり取りに苦笑いを浮かべた。
アリアはよく理解していないのでキョトンとしている。
「アリア、行こうか」
リアーナの手を取り、アリアはシスターに別れを告げて孤児院を発った。




