59:シスターの決心
静かな部屋で一人の男が部下の報告を聞き溜息を吐いた。
部下から来た報告は男が治めるソージャック領の鉱山街であるディート周辺にある村で起こった盗賊襲撃事件の事だった。
魔石とミスリル鉱山を有するソージャック領は鉱山と共に発展してきた。
ただそれには弊害があった。
治安の悪化が顕著な事だ。
カーネラル王国内で一番治安が悪い領と言う不名誉な呼び方をされており、気に食わない思いはありつつも事実なので否定しようが無かった。
鉱山を持つと労働者は犯罪奴隷だったり身元が怪しい者も多く、街の治安が悪化しやすい環境なのだ。
頭の痛い治安問題に頭を悩ましている時に盗賊による村への襲撃事件だ。
領主であるディートリヒ・ソージャックは憂鬱だった。
これで村が滅んだとなれば王都に行った際にどれだけ苦言を言われ、信用が落ちるのかと。
「死者はどのぐらい出た」
「幸いな事にこの手の事件にしては死者は少なく三名です」
ディートリヒは部下の報告の数字に安堵した。
死者が少なければ村の維持は容易い。
「そんなに少ないのか?」
「はい。報告によると孤児院にいる少女が重傷の者を含め怪我人を治療して回っていたそうです」
「その少女の事を調べろ。神教への報告が必要かもしれん」
神教の人間に恩を売れるかもしれないと言う打算がディートリヒに働いた。
「盗賊の討伐隊は組んだのか?」
「いえ、それが盗賊達は原因不明で全員死亡しておりました」
「どう言う事だ?」
「村の人間からの話では村から孤児院へ続く道の途中に無惨な状態の肉塊となって発見されました。私も現場を確認したのですが、どうやったらあんな死に方をするのか分からない状態でした。一応、死体を確認しました所、手配にあったギネド一味で間違いは無いかと」
「原因は特定出来そうか?」
部下の男は首を横に振った。
「恐らく無理だと思います。死体に関しては腐敗し始めていた事もあり、既に焼却してしまってます。一応、現場を隈なく調査しましたが、これと言った手掛かりはありませんでした」
ディートリヒは息を吐き、どうしたものかと考えた。
村が維持できそうなのと貴重な高位の治癒魔法使いが確保出来そうなのは僥倖だった。
「調査結果を適当にまとめておけ。取り敢えず、街の神官をここに呼ぶ様に手配しろ」
「はっ」
部下の男が退出し、ディートリヒは盗賊の事はもう頭に無かった。
盗賊の死因は適当に誰かが魔法で殺したと言う事にしておけば問題無かった。
盗賊が生き残っていれば面倒だが、全員死んだのなら気にする必要は無い。
それよりも治癒魔法を使う少女の事が気掛かりだった。
適当に神教の者に恩を売ってどう利用しようか算段していた。
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孤児院ではシスターは傷が塞がりすぐに動けるようになり、いつも通りの生活へ戻っていた。
アリアの周囲の環境が変化した。
今までアリアが治癒魔法を使える事は孤児院の人間しか知らなかったのが、村人まで広がり、村で怪我人が出るとアリアが治療をしに村を回る事になってしまった。
アリア自身はそれ程嫌では無かった。
寧ろ喜んで村人の治療に回っていた。
村人を治療する事により孤児院の援助が以前より増えたからだ。
治療費代わりに食料を分けて貰えるのだ。
これが何よりも嬉しかった。
それに加えて孤児院の子供の世話を村人が手伝ってくれる様になったのだ。
シスターとアリアだけでは孤児院を回すのは厳しくなっていたので二人にとっては非常に有り難かった。
だがそんなある日、シスターは孤児院に来た手紙に頭を悩ませていた。
それは領主から来月、アルスメリア神教の神官と一緒に孤児院を訪問する旨が書かれていたからだ。
目的は手紙を読んで直ぐに分かった。
アリアを見る為だと。
領主がアリアの治癒魔法を見れば間違い無く神教へ引き渡さなければいけなくなるのは明らかだ。
シスター個人でどうにか出来る事では無い。
だがアリアはアルスメリア神教へ行く事を望んでいない。
でもアリアに黙っている訳には行かなかった。
どちらにせよ領主が来る時に会わせない訳には行かないからだ。
この事を話す為にシスターは子供達の世話をしているアリアの所へ向った。
「アリア、少し良い?」
アリアは子供達にもみくちゃにされていた。
「シスター、どうしたの?」
「あなたに話しがあるの」
アリアは子供達に大人しく部屋で遊んでいる様に言い聞かせて、シスターと一緒にシスターの部屋へと向った。
「話と言うのはね。領主様と神教の神官の方が来月、こちらに来られるの……」
「それで私は何か手伝えばいいの?」
アリアは純粋に孤児院に視察に来ると思った。
「……手伝うとかじゃないの」
シスターの言葉がいつもより歯切れが悪い。
「何かあったの?」
「今回の目的は恐らくあなたを神教へ勧誘、若しくは連れて行く為だと思う……」
アリアは神教へ行ったサリーンと以前からシスターにも打診されていた話を思い出した。
シスターの言葉尻に拒否権が無いと言うのも悟った。
「……行かなきゃダメなのかな?」
シスターは申し訳無さそうに口を開いた。
「ごめんなさい……私では領主様や神官の意向に逆らうのは無理なの……」
シスターの言葉にアリアは肩を落とした。
予想は出来ていたが言葉にされると心に重く来る物があった。
アリアの反応にシスターは罪悪感で心が苦しくなった。
シスターにとって孤児院の子供達は自分の子供同然の存在なのだ。
自分の手で子供達を守れない事が悔しかった。
「……分かったよ。気持ちの整理をしたい……」
「……本当にごめんなさい。私が守ってあげなきゃいけないのに……」
アリアは首を横に振った。
「ううん……シスターは悪くないよ。あの時魔法を使ってシスターを治療しなければきっと後悔していたし……」
「違うわ。私こそアリアに命を救ってもらったのに何も出来なくてごめんなさい……」
今こうしてシスターが元気にいられるのはアリアの治療があってこそなのだ。
下手をすれば墓の下なんて事も有り得たのだから。
この日、二人は話をここで切り上げてアリアは部屋を出て行った。
シスターはアリアの背中を見つめながら頼るまいと思っていた人物を頼る決心をした。
「あの人なら何とか出来るかもしれない……」
シスターは机から紙を取り出し手紙を書き始めた。
これは一種の賭けの様なものだった。
シスターはその人物と会った事は一度しか無い。
こちらのお願いを聞いてもらえるかも分からない。
それでも何もしないよりは可能性のある方に賭けた。
普通の神官へ上がる話ならシスターもここまで心配はしなかった。
手紙に書いてあった事でアリアに話して無い事があった。
それはアルスメリア神教の聖女に推す旨が書かれていた事を。
先代の聖女が神教内の政争に巻き込まれて暗殺された事をシスターは知っていた。
緘口令は敷かれていたが、暗殺が行われたのはディートの街に慰問で訪問した時だったからだ。
現場を目撃した住民も多く、噂は瞬く間に広がった。
アリアがその様な事に巻き込まれる事を考えると素直に領主と神官に引き渡すなど考えられなかった。
打てる手は少しでも打ちたかった。
シスターは少しでも要望を聞いてもらえる事を祈り、手紙を入れて封筒に封をした。
領主が来る日を少しでも時間を稼いで、アリアが連れて行かれるのを遅らせようとシスターは考えていた。
手紙の主がもし動いてくれれば時間を稼ぐのは限りなく有効だからだ。
急いで手紙を送っても王都にいる送付先へ届くのには二週間弱は掛かる。
時間的には間に合うか微妙な所だ。
それでもシスターは手紙の送り先の人物に祈るしか無かった。




