57:アリアの適正
アリアは部屋へ戻ろうと廊下を歩いているとちょうどサリーンとばったり遭遇した。
「サリーンさん、終わったの?」
「えぇ、子供達をお昼寝で寝かしつけた所です」
「今から始める?」
「そうですね」
二人はアリアの部屋で魔法の鍛錬を行う事にした。
アリアが使う魔法はサリーンから教えてもらった物だ。
サリーンはアリアより年が四つ上の十四歳。
孤児院に来たのはアリアがまだ三歳の時でサリーンは七歳だった。
元々は貴族の子女だったが、没落してしまい元いた領から遠いこの孤児院に預けられたのだ。
アリアが読み書き出来たり、魔法が使えるのはサリーンのお陰だ。
彼女が子供達が孤児院から出て行っても困らない様にと教えたのだ。
その成果でアリアとサリーン以外の大きい子は里親が見つかり、自立する事が出来ている。
アリアは魔法の習得には一生懸命だ。
将来は冒険者での生活を考えているからだ。
水を生み出す魔法や火を起こす魔法は生活する上では必要な魔法で、更に攻撃魔法が使えれば冒険者としての生活が安定すると考えていた。
ただアリアには火属性や水属性の適正は無かった。
魔力は多いのに魔石を使わないと発動しないからだ。
教えているサリーン自身も魔法に詳しい訳では無く、知っている知識の中で必死に教えているだけなので教える内容には限界があった。
それでもアリアは頑張って魔法を覚えようと努力した。
その結果として生まれたのが魔石を使用した魔法の発動方法だ。
これは偶然、屑石で遊びながら魔法を使ったら発動したのだ。
いきなり魔法が発動し、サリーンから怒られたが、そのお陰で簡単な初級の魔法なら使える様になった。
「今日はどんな事をするの?」
「折角だから治癒魔法を練習しようかと思っています」
アリアは表情が固くなる。
さっきの自分の体の事を思い出した。
サリーンは気付かなかったのか説明を続けた。
「私の指を針で軽く刺しますので、その部分を治療してもらう感じです。自分の指でやると意外と集中出来ないので」
アリアは少しほっとした。
サリーンに自分の体が治る様子を見られたくなかった。
「基本的に傷を負った場所に魔力を注いでそこが治るイメージです。アリアなら子供達が転んだ時に私が治癒魔法で治しているのを見た事があると思うので分かると思います」
アリアは確かに、と思った。
子供達が走り回って転んで擦り剥い膝を治癒魔法で治すサリーンを思い出した。
サリーンは針を取り出し、慣れた手付きで自らの人指し指に刺すとじんわり血が滲んできた。
「っ……準備出来たのでやってみて下さい」
アリアはサリーンの指に魔力を集中する。
ある程度魔力が集まった段階で傷が塞がるイメージを強くする。
「治癒」
指に纏う魔力が淡い光を放ち始める。
同時にサリーンの傷が塞がっていく。
アリアは傷が治っていく光景を凝視する様に見つめていた。
それは単純な驚きからだ。
今まで魔石が無いと発動しなかった魔法が魔石の補助無しで初めて発動したのだ。
「アリア、凄いですね。きっと出来ると思っていました」
この結果を予想していたかの様なサリーンの言葉にアリアは目を見開いて驚いた。
「……な、何で?」
「昨日、怪我して帰ってきて今日には普通に怪我をした手を普通に使っていれば気が付きます」
アリアは少しバツが悪そうにした。
怪我をした事を黙っていた事を気付かれた事に。
「知っていたの?」
「分かりますよ。分かったのは洗濯した寝巻きに少し血が付いていたからですが」
サリーンは昨日からアリアの様子がおかしい事には気が付いていた。
怪我の事は昨日の様子と寝巻きに付いた血で思い至った。
アリアが隠して捨てた血がたくさん付いた包帯も見つけていた。
それで怪我をしている事に気が付いたのだ。
怪我をしたと思わしき箇所を庇う素振りなど無く動かしているのを見て不思議に思った。
包帯の血の量を考えれば一日で治る傷では無いので、いくら我慢強いアリアとは言え平然としているのは無理があると思い、サリーンの時を同じ様に自分で治したのではないかと考えた。
サリーン自身も怪我をした時に無意識で治癒魔法を発動させて治してしまった経験があったのだ。
最悪、怪我を我慢していても魔法の練習をする約束をしていたので最悪、その時に治療してしまうつもりでもいた。
「でも怪我をしたら言って欲しいです。これでも治癒魔法が使えるのですから。私もシスターも心配しますから」
「……ごめん」
アリアは二人を心配させてしまった事が心苦しくなった。
「でもこれで私がいなくなっても安心ですね」
「え?」
アリアには全く聞き覚えの無い話で一瞬、何を言っているのかと思った。
「実は半年後に神殿に行く事になっているんです。治癒魔法の適正があるので見習い神官をして働かないかと打診がありました」
この話は一年前には既にサリーンはシスターから聞いていてアリアにいつ話すか悩んでいた。
サリーンにとってアリアは妹の様な存在だったからきっと寂しがると思ったからだ。
元気でお転婆ではあるが何処か無理しているアリアが気掛かりだった。
それに加えて子供達の世話をする人間の問題があり、中々話せないでいた。
サリーンの心配を余所にアリアの顔がパーっと笑顔になる。
「サリーンさん、おめでとう!見習いでも神官なんて凄いよ!子供達は私に任せて」
アリアが喜んでくれるのは嬉しかったが、いなくなるのを寂しがられると思っていたので、予想外の反応にサリーンの方が戸惑っていた。
「あ、ありがとう……」
「私、サリーンさんが立派な神官になれるのを信じているから」
「うん」
ここまで手放しに喜ばれと思っていなかったので少し気恥ずかしくなったサリーン。
「あの子達はやんちゃだから私がいなくなったらよろしくね」
「任せて」
アリアは自分の胸をドンと叩いた。
強く叩き過ぎて咽てしまうアリアにサリーンは可笑しくてつい笑ってしまった。
サリーンはアリアに治癒魔法の簡単なコツを教えて自主練習を勧めた。
アリアも魔法がちゃんと使える様になった事が嬉しくてその日、シスターにたくさん自慢をした。
シスターに少し宥められながらも嬉しそうに話すアリアにサリーンは安堵した。
アリアは治癒魔法が使えると分かってから毎日練習していた。
森で怪我をした時や子供達が怪我をした時に実践でも治癒魔法を使っていた。
簡単な怪我であれば大体は治せる様になっていた。
アリアは治癒魔法の適正があると分かりシスターは凄く喜んでいた。
治癒魔法は適正が無いと効果が薄く、その適正があるだけでアルスメリア神教の神官への道が切り開かれる。
行き場の無い孤児にとって神官は望んでも届かない様な有望な将来だ。
シスターはアリアに神殿へ治癒魔法の適正がある事を申請する話をするとアリアは首を横に振った。
アリアは神官になる気なんて無かった。
このままシスターと一緒に孤児院で子供達を世話をする事を願った。
シスターはアリアの将来を考えて必死に神官の道を勧めたが、アリアは頑なに首を縦に振らなかった。
シスターは一旦、説得を諦めた。
アリアはきっと時間が経てばシスターが神官の道を勧めてくると思っていた。
孤児院の暮らしは相当厳しいものだ。
シスターはそんな生活からアリアを含めた子供達を離したいと常々考えている事を知っていた。
それでもアリアは孤児院にいたかった。
それはアリアに家族と思える人間がシスターぐらいしかいないからだ。
子供達も家族同然だが、シスターと一緒で将来は巣立って良い暮らしをして欲しいと願っている。
欲を言えばシスターもこんな厳しい生活しなくて良い様にしたいと思っているが、今の所その様に出来る手段は持ち合わせていないのでどうにも出来なかった。
厳しくも辛い生活ではあったが春を迎える頃には食糧事情が良くなり少し生活に余裕が出てきた。
春は別れの季節でもある。
サリーンは私物が何も無い自室を眺めていた。
ここに来てからの七年間を振り返っていた。
家が没落してから決して楽とは言えない生活を送ってきた。
元貴族の娘が住むにしてはこの孤児院の環境はとても厳しい環境だった。
最初は年上の子供とよく喧嘩もしたし、元貴族と言う事で苛められそうにもなった。
それも今では懐かしく思えた。
サリーンの手には髪飾りが握られていた。
これは両親と離れ離れになる時に渡された母親が使っていた大切な形見だった。
両親と繋がりのある唯一の物だ。
これだけは失くさない様に大切に保管していた。
サリーンは髪を結って髪飾りで留めた。
最後は両親に見送って貰いたかった。
ただそれだけだがサリーンにとっては大事な事だった。
「サリーンさん、馬車が来たよー!!」
下からアリアが馬車が来た事を告げる元気な声が聞こえてきた。
この元気なお転婆な妹の声を聞くのも最後かと思うと少し名残惜しくなった。
「今、行きます!!」
サリーンは返事をして駆け足で孤児院の入口へと向うとそこには既にアリア、シスターに子供達が集合して待っていた。
外にはアルスメリア神教の紋章が入った馬車が外で待機していた。
シスターはサリーンを抱き締めた。
「気を付けてね。みんなあなたを応援しているから」
シスターの言葉にサリーンは涙が溢れてきた。
「あなたはみんなのお姉ちゃんだったから我慢ばかりさせてごめんなさい。でもみんなあなたの事が大好きなのは忘れないで」
「はい!」
何かを喋ろうと思ったが返事をするのでサリーンは精一杯だった。
「サリーンさん、私も応援してるから!」
アリアがそう言って抱きついてきた。
サリーンはアリアの頭を撫でる。
子供達もサリーンの所へ集まり、涙しながらみんなサリーンを励ました。
「……みんなありがとう」
ここに来た時は没落して間も無い頃で非常に荒んでいた。
出て行く時にこんなに温かく送り出してくれる事が嬉しかった。
「私、頑張りますから。アリア、シスターとあの子達の事をお願いね」
「任せてよ!」
「シスター、みんなの事をお願いしますね」
「任せて、サリーンは頑張ってね」
「はい!」
サリーンは目を擦りながらも前を真っ直ぐ見て馬車へと乗り込んだ。
馬車の窓からは手を振る孤児院の面々に涙が止まらなかった。
馬車が進んでいくと孤児院が見えなくなり、孤児院からは馬車が見えなくなっていった。
花が舞う季節に孤児院に一つの別れが訪れ、二人の少女の運命が分かれ、それが悲惨の結果を招くとはこの時は誰も知る事は無かった。




