閑話13:マイリーン・アドニ⑦
目が覚めると私は独房の様な場所にいました。
そこに外からの光は無く、周囲は石壁で排泄用の桶が部屋の隅に置かれており、鉄の扉で部屋は固く閉ざされていました。
この状況に攫われたのはすぐに理解出来ました。
ですが、誰が何の目的でこんな事をしたのか見当も付きません。
ただ分かるのはすぐ殺される事は無さそうな事でした。
壁の一角に横長の部屋の外側からのみ開けれる小さな扉があり、そこから水と食事が渡されるのです。
それをちゃんと一日三食しっかり与えられているので、飢え死にの心配はありませんでした。
それでも状況が明るい訳ではありません。
監禁されている事には変わりはありませんし、いつ犯人の気が変わるかも分かりません。
この部屋だと何故か魔法を使う事が出来ません。
だからと言って私が使えるのは簡単な光魔法と治癒魔法なので脱出に使える様な魔法が使える訳ではありませんが。
そんな生活が三日程続いた時、食事を食べていると、意識が朦朧として暫くすると完全に意識を失ってしまいました。
今思えば睡眠薬が食事の中に入っていたのだと思います。
そしてこれが悪夢の始まりだったのです。
意識を失ってからどれぐらい経ったのか分かりませんが、徐々に意識が戻ってきました。
かなり気怠さがあって意識がはっきりするまで時間が掛かりました。
最初は自分の感覚が分かりませんでした。
妙に体の下半身が重く、足に今まで無い感触がありました。
体を起こそうとしますが、意識は朦朧としている所為か、すぐに床に臥せってしまいます。
不思議な事に下半身が動かないのに腰が高い位置にあって、まるで高い所に下半身が固定されている様な感覚でした。
寝返りを打とうにも腰から下が固定されたかの様に出来ません。
ふと目に飛び込んできたのは昆虫系の魔物の脚でした。
この部屋に魔物がいると思って逃げようとすると何故か、まるで私の意志かの様に動いて体が前へ進んだのです。
そこで私は意識がはっきりして周囲を見回して絶叫しました。
私の下半身が昆虫の魔物になっていたのです。
さっき見えた昆虫の脚は自分の脚だったのです。
そこから何があったのかはっきりと覚えていません。
気が付けば森の中にいました。
ただ予想は出来ました。
目の前の現実に耐え切れず発狂して暴れたのだと。
体を見れば裸で何も着ていなかったので体中に傷がありました。
うろ覚えですが、屋敷の様な場所から必死に逃げてきたのだと。
幸いと言って良いのか分かりませんが、違和感無く体を動かす事が出来ました。
この自分の足がいくつもあり、足を動かしている感覚は気持ち悪いですが、あの屋敷にいる者に捕まりたくは無かったので必死に森の中を進みました。
裸なんて気にしていられませんでした。
森の中ではパッと食べられそうな食料が多くなかったので食料を手に入れるのは苦労しました。
魔物が多い森だったので魔物を餌に飢えを凌いでいました。
魔物となった体だと不思議と魔物を狩る事が出来、生で魔物を食す事に抵抗感がありませんでした。
私はその感覚の違いに自分が人で無いと言う事を実感し、一人森の中で慟哭していました。
森の中でただ生きる為に餌として魔物を食す自分が魔物と何も変わらないと気付いてしまったのです。
それに加えて自分のベースになった魔物の性質の所為で週に一度卵を産んでしまう体なのです。
その行為は否が応にも自分が魔物であると実感してしまいます。
ただその実感が自分にどんな事が出来るのかも本能的に分かる様になっていきました。
森を抜けると人の住居が見えましたが、そこへ向う勇気はありませんでした。
こんな魔物の体を持った私を受け入れてくれるとは思えませんでした。
そこで過ぎったのは私に告白をしてくれたガルドさんの事でした。
こんな姿の私を見れば幻滅すると思いました。
私は草原の方へ行き、人目に付かないような茂みの真ん中に巣を掘ってそこで生活する様になりました。
そして物は試しにと自分で産んだ子を育ててみると、それはハンタータームだったのです。
そこで初めて自分の下半身がハンタータームのクイーンである事に気が付きました。
二、三日もすると成虫になるので試しに食料を取ってくる様に命令すると草原の魔物を狩って来ました。
これを機に私は巣の奥でただ卵を産み、産んだ子に命令して餌を食べるだけの生活をする様になりました。
餌も子の面倒、巣の管理も産んだ子に指示をすれば勝手にやってくれます。
私はこの時、人間としての生活を放棄していました。
草原にいる魔物と成り果てていたのです。
ただそんな生活の中、私の目の前に運ばれてきた餌を食べていて気付いてしまったのです。
自分が人間を食べている事に。
餌は適当に解体して持ってくると言うのと能動時にただただ本能に任せて食事をしていたので、自分が何を食べているかなんて全く気にしていなかったのです。
手に持っているのは見間違えようが無い人間の足で、私は普通に口の中に入れていました。
餌として人間を食べる自分に狂いそうになりました。
私が暴れた所為で産んだ子の半数が死んでしまいました。
無意識の行動が人間から掛け離れていっている事に恐怖を覚えました。
誰でも良いから自分を殺して欲しいと思う様になりました。
いつか自分は理性を無くして単なる魔物と成り果ててしまうのでは無いかと思うと生きるのも怖くなりました。
情けないのが自害する程の意思が持てませんでした。
ただただ誰かが来てくれる事を願いながら穴の奥底で一人過ごしていました。
ある日の事です。
目が覚めると子が騒いでいました。
どうやら巣が襲われている様でした。
もしこれが冒険者なら私を殺してくれるかもしれないと思いました。
子は私を守り襲撃者を追い払う為に全員、巣の入口へ向かいました。
暫く経つと匂いで子が全滅した事が分かりました。
基本、命令は意思疎通はフェロモンの匂いで判断しています。
まぁ、簡単な指示しか理解出来ませんが。
巣に人の声らしき音が聞こえました。
声を潜めている様で話している内容は分かりませんが、匂い的に男性一人に女性二人でしょうか?
ちょうど私の部屋のすぐ近くまで来ている様ですが、警戒しているのか中々こちらに入ってくる気配がありません。
どうやら応援を呼ぼうと言っている様な感じでした。
ここまで来たのならこのまま私を殺してから帰って欲しいと思いました。
また穴倉で待つ日々は嫌でした。
そこで私は思い切って声を掛けてみる事にしました。
「そこにいるのは匂いで分かっています。部屋に入らなくても良いので話を聞いてくれませんか?」
部屋の外にいる冒険者は入るかどうか相談している様な感じです。
そして部屋の入口に来たのは男性の冒険者と女性の冒険者でした。
私は女性の冒険者に見覚えがありました。
神教の神殿にいた者であれば誰もが知っている有名人です。
教皇アナスタシア様の息女であるヒルデガルド様です。
こんな所でお会いする事になるとは思いもしませんでした。
それに何故、冒険者紛いの事をしているか疑問が湧きました。
「出てきてやったぜ。話と言うのは何だ?」
黒髪の冒険者の方は話を聞いて頂ける様です。
久しぶりに人と会話出来る事に少し興奮していました。
それと同時に嬉しくもありました。
「話を聞いて頂ける様でほっとしました。私はマイリーン・アドニと申します」
「ハンタータームが人間の様な名前を持っているのですか?」
ヒルデガルド様は訝しげな表情で私に聞きました。
普通の魔物は名前を持っている事は無いので当然です。
「マイリーン・アドニだと?二年前に行方不明になった神官の名前と一緒じゃないか?」
黒髪の冒険者の方は私の事をご存知な様ですね。
「私がそのマイリーンです。男の方の横におられるのはアナスタシア猊下の御子であるヒルデガルド様でお間違いありませんか?」
ヒルデガルド様は私の言葉に目を見開いて驚いていました。
魔物に名前を当てられるなんて事は普通はありませんから。
「お前、前教皇の娘だったのか?」
「はい。私の顔を知っているのは神教の関係者だとは思いますが、魔物が神教の神官が出来るとは思えません」
少し私の事情を話してみましょう。
「私は元々人間でした……二年前までは」
「どう言う事だ?」
「二年前―――」
私は自分の身に起きた事を包み隠さず全て話しました。
お二人は信じられないと表情をしながら聞いておられました。
当の本人も正直、悪夢の様な話なのですから。
「それが本当なら人を魔物にどうやって変えたんだ?」
「合成獣化だね」
何処か記憶に引っ掛かる少女が聞こえました。
もう一人の冒険者でしょう。
「何だと!?俗に言う悪魔の研究で何処の国でも禁止されてる筈だぞ」
黒髪の冒険者の方は少女の言葉に声を荒げました。
私も信じられません。
合成獣を研究、作る行為はどの国でも禁じられているからです。
「やる人はやるんじゃないかな。怪しい事なんて一杯世の中にあるんだし」
「そうか。あんたは魔物か、人間のどっちだ?」
黒髪の冒険者の方は私を見据えて質問しました。
私の答えは決まっています。
「私は既に魔物です。私自身が手を下してはいないとは言え、何人か殺めています。そして飢えに勝てずに已む無く食した事もあります。ヒルデガルド様達が来られたのも討伐依頼が出たからではありませんか?」
「はい」
やはりそうでしたか。
子に人間を狙わない様には命令していましたが、手を出されれば守る為に襲う事があるので仕方がありません。
「私をここで討伐して頂いても構いません。街の方のご迷惑は掛けたくはありません。その代わりとは言ってはあれですが、私の願いを聞いて頂けないでしょうか?」
「何が望みだ?」
「私の身体を変えた元凶を突き止めて欲しいのと家族にこの手紙を送って欲しい。ただその二つです。報酬は私の命の前払いで問題ありません」
家族には私を死んだ事にして欲しいと思いました。
魔物になった姿なんて絶対に見せたくはありません。
通路の陰に隠れていた少女が姿を現しました。
「マイリーンさん、私を覚えてる?」
冒険者らしい格好して痛々しい眼帯を着けておりますがその姿を忘れる事なんて絶対にありません。
今でもその日々を鮮明に思い出す事が出来ます。
「ア、アリア様……ですか?」




