34:神教の者達
ヴェニスの高台にある神殿の一角、教皇の執務室兼自室、部屋の奥には寝所も備わっている。
ボーデン・カナリスは苛立ちを紛らわす様にワインを飲んでいた。
苛立ちの原因は封印した聖女アリアの脱走だ。
聖女アリアに逃げられただけでは無く三体の悪魔の封印を解かれてしまうと言う大失態だ。
【深淵の寝床】は限られた者しか入れない上に再度、強固な結界で封印をし誰も入れない様にした。
聖女アリアが封印から逃げた事は公式に発表されていないが、知る人間は多く、カーネラル王国の重鎮の耳に既に入っていた。
その所為かカーネラル王国は神教の要望を飲まなくなった。
更に神教で断罪した聖女アリアについてカーネラル王国は冤罪の疑いがあるとして捕縛命令を取り下げたのだ。
ボーデンは断固抗議を行ったが、カーネラル王国は抗議を受け入れる気配は無い。
ガル=リナリア帝国を通じて圧力を掛けようとしたが後継者争いが激化しており、相手にもされない状況だ。
ファルネット貿易連合国、バークリュール公国も要求を受け入れてもらえてないのが現状だ。
近隣諸国で唯一恭順しているのが北のランデール王国だ。
都合の悪い情報として異端狩りである葬送隊の一部をアリア達の動向を追う様に差し向けたが全員行方不明だ。
葬送隊は諜報任務は元々無かったが前教皇アナスタシアには秘密裏にボーデンが組織していた。
前教皇アナスタシアの暗殺も葬送隊の果たした役割が大きい。
ボーデンを更に苛立たせたのは前教皇アナスタシアの娘であるヒルデガルドの出奔だ。
ネッタへの視察で出て行ってから戻ってこない。
もう戻ってくる気は無いと言わんばかりに自宅にある家財一式を売り払い、部屋も解約済みとなっていた。
「小娘め……」
ヒルデガルドが生きていられるのはボーデンの温情のお陰だと本気で思っているのだ。
ボーデンとしては当初、ヒルデガルドも同時に暗殺する事を考えていたが、計画の難しさと小娘程度生かしておいても害は無いと踏んでヒルデガルドの暗殺がやめたのだ。
大した力を持たない小娘が一人で出奔するなんて思っていなかった。
いくら魔法の素養があるとは言え神殿に篭っている女に何が出来ると甘く見ていたのだ。
ヒルデガルド自身、前教皇アナスタシアが亡くなってから密かに御者を習ったり、野営の知識を集めたりしていた。
ボーデンの想定が甘かった。
ふいに扉をノックする音が聞こえ、ワイングラスをテーブルに置いた。
「カナリス猊下、ガリアです。報告があり参りました」
「よい、入れ」
入室してきたのは既に齢七十を超えようかと言う老人だった。
ガリア・ノルンド―――神教でも枢機卿の次に位置する役職、大司教の内の一人でカナリス派の重鎮だ。
「ガリア、報告とはなんだ?」
「はい。ヒルデガルド・オーデンスへの密偵十二名の内十名が殺害されました」
「なんだと?」
ボーデンは唸る様な低い声で聞き返す。
ヒルデガルドを暗殺可能な人選をした筈だったのが、予想外の結果に驚きを隠せない。
「ヒルデガルドは道中のネッタ、ミルマットで我々の同士に探りを入れている様で御座いましたので、現場の判断でドーソンへ向う途中の街道で始末する予定だったのですが、一瞬で十名を殺害、二名はその場から逃げ報告に戻って参りました」
「あの小娘を確実に始末出来る人間を出せと命令した筈だ!!」
ボーデンは力任せにテーブルを叩きつける。
その衝撃でワイングラスは床に落ち、零れたワインが床を赤に染まる。
「はい。猊下のご指示通り葬送隊でも諜報専門五名に暗殺専門五名の体勢に加え、魔法使い二名の布陣で派遣致しました。宮廷魔術師程度なら確実に始末出来る人選でした」
「何故、それで失敗する!!」
ボーデンからすればヒルデガルドは神殿しか知らない小娘と言う認識しかない。
報告するガリアも普通の神官であれば確実に殺せる人員を送り込んでいる。
普通であれば。
「戻ってきた者の報告では見た事が無い魔法を使われたとの事です。剣を無数に飛ばして攻撃したと報告で聞いております」
ガリアもヒルデガルドの強さを正しく把握したいなかったのが失敗の要因だ。
だがヒルデガルドは悪魔の力に関してはずっと秘密にし、それに加えて三級までしか魔法を使わない様にしていたので正しい強さを知らなくて当然である。
ヒルデガルドは神教内で悪目立ちしない様に実力を隠し通してきた。
「そんな魔法は聞いた事はないぞ!クソッ、面倒な奴を逃がしたな。戻ってきた奴はすぐに処分しろ。万が一喋られたら都合が悪いからな」
ボーデンは想定外の事態に苛立ちを抑えられない。
打つ策が悉く失敗続きだ。
前教皇アナスタシアを暗殺し教皇の座に着いたがその施策は上手く行っていない。
カーネラル王国内の側室にカナリス派の侯爵グスタフ・ハーノアの娘を嫁がせたが、その子である第二王子クリストフは十八歳になるにも関わらず公務を全く任されていない。
王位継承権第一位であるヴィクトルの暗殺を試みたが失敗に終わり、王位継承権第二位の座を正妃の女子であるアイリスに取られたのも気に食わなかった。
王族の男子が跡継ぎのカーネラルで女子より王位継承権が低いのはクリストフに王位を継がせる気が無いと言っているも同然だ。
実際にカーネラル王は神教と繋がりが強いハーノア家を警戒しているのは事実である。
ボーデンの息子であるヘルマンドにハーノア侯爵の娘であるイラーナを嫁がせたのも要因の一つだ。
ボーデンに厳しいのはアリアが封印されてからはカーネラル王からの警戒が更に強くなった事だ。
理由はシンプルだ。
正妃であるルクレツィアが茶会や夜会で前教皇の死亡、聖女アリアの封印はボーデンの暗躍による物と吹聴しているからだ。
ボーデンはそれについては強く抗議しているが、カーネラル王は清廉潔白であるのであれば前教皇アナスタシアの死について聖女アリアの意見を聞き王国側で捜査させよ、と要求してきたのだ。
当然、拒否しているが、聖女アリアは事件の重要関係者でボーデンからすると王国に絶対握られてはならない駒でもある。
その大事な駒の始末もリアーナ・ベルンノットと侍女のハンナに妨害されて思う様に全く進んでいない。
リアーナがアリアを守っている時点で懸念が無かった訳では無い。
カーネラルの戦女神の名を冠し、片やランデールでは鮮血の虐殺姫と恐れられる英雄なのだ。
葬送隊の精鋭が全滅と言う腹立たしい結果であり、現状それ以上の戦力を失う訳には行かない状況だった。
「合成獣の研究ですが、例の召喚士のお陰でAランク相当の魔物ベースの合成獣を作成に成功しました」
ボーデンは僅かに頬を綻ばせる。
合成獣の研究も教皇になる以前から秘密裏に進めていた事だった。
元々はボーデンの祖父の代から続けていた研究だ。
「制御は?」
「細かい制御はまで出来ておりませんが、誘導は可能な様です」
強力な合成獣を作っても制御出来ない代物では意味が無い。
敵味方関係無く暴れる物は不要なのだ。
「あれの方はどうなっている?」
「三日前に安定期に入りましたので三ヶ月後には稼動予定です」
「そうか。あれが完成すれば我らの基盤は更に磐石となる」
「そうでございますな」
「例の薬も回しておけ」
「御意」
アリア「何か語らないとダメ?」
ヒルダ「ゴキブリ投げつけても良いですよ。アイツになら許可します。マイリーンさんも笑顔で許可をくれると思います」
ア「でも捕まえてくるの面倒なんだよね。あ、でもタイタスコックローチなら一匹で済むかな?」
ヒ「それは何ですか?」
ア「えっと、像ぐらい大きいゴキブリの魔物」
ヒ「却下です!誰がそれを捕まえに行くんですか!?」
ア「私とヒルダさん」
ヒ「絶対、ダメです!!」
ア「面白い事になると思うんだけどなー」
ヒ「面白くなる前に私の精神が先に果てます……」
ア「と言う訳でハゲじじいについて語る事はありませんでした」
ヒ「前回に立て続けでゴキブリの話なのか……」




